中原淳一の世界

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、社会全体に不安が広がっています。

まず、医療・福祉に携わる方々、食料他生活必需品に関わる方々、流通、運輸、通信その他たくさんの方々が休むことなく働いてくださっております。心より感謝申し上げます。

厳しい自粛要請のなか「日常を失う」痛みと不自由を多くの方が味わっております。「日常」がどれほどありがたいことか・・・と、思い知らされている毎日です。いつか終わりが来ると信じて、感染を広げないよう生活することに心がけている毎日です。

私は、箱根の山に暮しておりますので早朝のウォーキングは日課となっております。足元をみると土筆がのびのびと太陽に向って伸びています。みずみずしい土筆を摘み「佃煮、酢の物、卵とじもいいわね~」などと思い、帰ってから袴除り。爪は真っ黒。「いいわ、どこにも出かけないのですもの」などとつぶやき野草の生命力に励まされます。

しばらく歩いていると「白木蓮」が満開です。紫木蓮よりひと足早く咲きます。蕾は天を仰ぎ、開花から散るまでの寿命は短いのですが、花びらの散っていく様子はそれはそれは美しいのです。

こうして「閉じ篭り」状態を少しでも楽しく過ごしたい。そうね、日頃できなかった掃除や植物の手入れ、そして書庫の整理。知り合いが堀りたての筍と蕗を届けてくださいました。蕗のスジをむいていると”春の香り”が手に広がります。孫とお嫁さんが筍の皮をむいてくれます。自然界はこんなに春の到来を告げているのに・・・。

そうそう、嬉しい発見がありました。

この数十年、何度も何度も探していた大切な本がみつかりました。大事にしすぎて本棚の奥に入っていたのですね。『中原淳一画集第二集』第一集は買えませんでした。

昭和52年1月20日第1刷発行です。私世代の方ならばご存知だと思いますが、「ひまわり」「それいゆ」など憧れの本でした。私はまだ幼く、画集や本は買えませんでした。

ようやくこの画集を手にいれ有頂天になってページを食い入るように眺めておりました。女優になってまもなくの頃でした。”お逢いしたい先生に”ようやく夢がかないチャンスはやってまいりました。

昭和21年に「それいゆ」が発刊され毎号、爆発的に売れ、全国に中原ファンが広がりました。先生は雲の上の存在でした。中原先生のお描きになった挿絵はすべて好きで、さまざまおしゃれのヒントを本から頂いたものです。仕事の合間をぬって「中原淳一展」へも何度も通いました。あるとき展覧会で改めて、以前気づかなかった中原先生の文章に素敵な人間哲学がありました。そんな文章をご紹介いたします。

「愛すること」 中原淳一

女性は愛情深い人間であって欲しいのです。朝食の支度をするのなら、その朝食を食べてくれる人の一人一人に愛情をこめて作って欲しいのです。窓を開けたら新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、幸せを感じ、窓辺の植木鉢にも愛情をこめて水を注ぎたいし、掃除をするならそこに住む人はもちろん家具、柱、壁にも愛情をこめられる人であって欲しいのです。世の中がどんなにめまぐるしくなっても、そんな悠長なことは言っていられないなんて言わないでください。生きている限り、愛情深い女性でいてください。そういうことを知っている女性が必要でなくなることは、ないはずです。

ファッションだけではなく、暮らし、そして生きること全般に美を追求されてきた中原先生の、心底、思うことがこの一文に現れているのだと思います。「それいゆ」や「ひまわり」はまさに女性のありとあらゆる「暮らしの技術」を教えていることに気づかされます。

現代社会はこの時代とは大きく変化いたしました。今回のコロナウイルスのことで、もう一度日々の暮らし方を考えるのも大切かも知れません。

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