日本民藝館

幼時の自分は、今の自分のオリジンです。

5歳頃にはかまどで上手にご飯が炊けた私ですが、今でも記憶に残る不思議な思い出があります。

夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減をみていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。

母は仕立てあがった着物をお客さんの所へ届けにいって留守。

オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいと泣いたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみをよく覚えているのです。

中学生になり、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちに言われるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するように、柳宗悦の『民藝紀行』や『手仕事の日本』をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。

西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さん、バーナード・リーチさんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。

無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。

中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、感激してしまった私。むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、<たしかなものだったように思います。

「美しいなぁ」と感じる風景。幼いころ、父の徳利にススキを挿し、脇にお団子を飾り、月明かりでみた夜・・・。幼かったころにみたオレンジ色のカマドの炎。美しさのなかに人の哀しみを感じました。「直感」でしょうか。

柳宗悦さんは「工芸の道」で、次のようにおっしゃっています。

直感には「私の直感」と云ふような性質はない。見方に「私」が出ないからこそ、ものをぢかに観得るのである。直感は「私なき直感」である。

うぅ~ん。「私」を捨て「無心」になる。そのような直感が直感。ものの本質を見抜くにはそうした「無」になること。との教えがありますが、今の私にはまだまだ無理なようです。

「手仕事の日本」を携え、追うように旅を続けたこれまでの私。古民家に出会い、壊される運命に胸が締め付けられ、箱根での古民家再生。

沖縄への旅もこの本での「民芸」に出逢ってからでした。まだ本土復帰前のことでした。小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、立派な文化が栄え、工芸品も染物や織物など「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と「手仕事の日本」に書かれています。焼き物、茶盆、漆などの沖縄の工芸。日本全国の無名の用の美の品々。

これらの「民芸品」を見られるのが『日本民藝館』なのです。
美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠です。

時には西館が公開されることもあります。栃木県からの移築した石屋根の長屋門(1880年の建造で、現在は本館と同じく登録有形文化財)と、柳の設計による母屋が生活の拠点とした建物です。2階の書庫も覗いてください。興味深いですよ。

現在、6月24日までは『柚木沙弥郎の染色 もようと色彩』展が開催されています。柚木沙弥郎氏は1922年生まれです。柳宗悦の思想と芹沢桂介の作品に啓発されて染色家の道を志し、現在なお意欲的に制作、また後進の育成に力を注いでおられます。

作品を拝見すると、その色彩は現代社会を生きる私達の渇きを荒原に湧いた泉のように潤してくれるようです。

時代が変わり、生き方も変わっていく。そのめまぐるしく変わる環境の変化についていけなくなる時に、私の原点『民藝館』に行きたくなるのです。

二階の椅子にゆったりと腰をかけその空間に身を置くと幼かった私の姿に出逢えるのです。

9月11日~11月23日までは『白磁』展
2019年1月11日~3月24日までは『柳宗悦の「直感」美を見いだす力』展が開催されます
京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。
月曜休館です。

公式ホームページ
http://mingeikan.or.jp

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