奇跡はつばさに乗って

8月6日は広島で、9日は長崎でそれぞれ平和記念式典が行なわれます。
太平洋戦争が終わって、今年で68年。
夏の盛りに、戦争は終わりました。
世界で唯一の核被爆国として、平和への祈りを捧げるとともに、平和であることの有難さ、平和への思いを深めていきたいと思います。
少女の名は佐々木貞子さん。
1945年8月6日、2歳の時に広島の原爆で被爆し、1955年10月25日、
白血病のため12歳という若さで亡くなりなりました。
病が治ることを祈って、病床でけんめいに千羽鶴を折り続けました。
彼女が折った折り鶴は薬を包むセロファン紙や、キャラメルの包み紙など
小さな小さな、1~2センチほどの折鶴、針を使って折った鶴。
“あなたはこの少女を知っていますか”
「奇跡はつばさに乗って」を読み涙がとまりませんでした。
著者はニューヨークで日本文化の発信を行なう民間非営利団体
「ジャパン・ソサエティー」に勤務する源和子さんです。
1963年、奈良県のお生まれ。
1990年、アメリカに渡り、その後、ニューヨーク市立大学バルーク校を卒業。
現在は「サダコの祈り鶴」を各地に広める、平和促進活動など力を尽くされて
います。
彼女が病床で折っていた鶴は21世紀になって日本とアメリカの様々な人たちを、奇跡的に結びつけます。
広島と長崎に原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん。ダニエルさんが貞子さんの折り鶴を手の平に乗せ、じっと目をつぶられ、貞子さんのお兄さんと交わした言葉。
トルーマンさんはサダコのことをよく知っていました。
平和記念式典にも参列しました。
ご本の中に書かれています。
当時、父、繁夫さんが
「あんまり根をつめるて折ると、体にわるいよ」 と貞子さんをいたわると、彼女は笑顔を見せ、こう言って指を動かし続けたそうです。
「いいから、いいから。うちにも考えがあるんじゃけん」
そして今、折り鶴たちは、まるで自らの意思、使命をもつかのように、止まることなく、癒しが必要な場所に向かって、そのつばさを広げ、羽ばたき続けます。
国境や時代、ときには「敵・味方」という厚い壁をこえて。
ニューヨーク在住の源さんは9・11マンハッタンから這うように自宅に辿りつきます。そして、その2日後、テロの跡地に千羽鶴がフェンスにかかげられているのを目にします。
「小さなおもいやり」は、続きます。
千羽鶴は捨てられることなく、ニューヨーク州立博物館のスタッフによって集められ大切に保管されているそうです。
原爆の子の像・台座の上で千羽鶴をかかげる少女のモデルは佐々木貞子さんです。
「サダコと千羽鶴」をテーマにした児童書は三十か国以上で翻訳・出版され、アメリカの小学校の授業でも紹介され海をこえ、世界のこどもたちに知られています。
「サダコ鶴」は9・11跡地へ。
真珠湾攻撃のあったハワイへ。
源さんはおっしゃいます。
ひとりひとりが手をとりあい、自分たちが望む世界を一緒に創りあげていくことができる・・・それを、折り鶴たちが教えてくれているような気がします・・・と。
ぜひ本を手にとってください。
世の中への扉 奇跡はつばさに乗って」源和子著(講談社)
そして、ラジオをお聴きください。
文化放送 日曜10時半~11時 8月4日放送です。