ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド」

今回は、能登半島をご紹介させていただきました。
東京から金沢へは、新幹線越後湯沢乗換えも、米原乗り換えもございますが、私は時間がある時は上野から寝台特急「北陸号」で7時間半かけて参ります。
仲間達とワインを持ち込んでおしゃべりしながらの長旅も楽しいものです。
早朝6時に到着後市場に直行。市場の中の食堂で朝食を頂くのです。
刺身定食、煮付け定食など・・・どれもこれも美味。
その土地の活気と旬を味わえるのでどこへ旅しても市場は大好きです。
 
さて、右の親指を反らして、能登半島に見立てますと、その付け根の所が加賀市橋立町です。
私が初めて橋立を訪ねたのは、日本女性として初めて単独でヨットによる太平洋横断に成功した、小林則子さんとご一緒の旅でした。
「北前船の海を行く」をテーマに旅をなさっておられましたので、同じ興味を持つ者として胸が高鳴りました。
北を目ざした男達、船底一枚下は地獄という荒れた海に乗り出す男と、それを見送る女たちのドラマが、時を越えて目の前の海に見えるような気がいたしました。
橋立には往時の北前船のあとがそこここにみられます。
氏神の出水(いずみ)神社には北前船主らが寄進した鳥居や灯篭、こま犬など、絵馬堂には14枚の船絵馬、いずれも航海の無事を祈ってのものです。この町の中には堂々たる風格の船主の屋敷が目につきますが、その中の一軒が現在の「北前船の里資料館」です。
まさに明日資料館へとご自宅を手放す前日に、私達は酒谷さんのお宅にお邪魔いたしました。大きな土塀、広壮なお屋敷の中に静かに佇む酒谷さんがお部屋をご案内くださいました。玄関を入ると上がり框、柱、梁は総ケヤキ。天井にはすす竹が一面にはりめぐらされています。
たくさんの旅をしながら思うのです。
旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・何百年の歴史を持ち、今もそれを色濃く漂わせる場所に出会うと、自分が異次元からやってきたタイムトラベラーになった気がするのです。
その地で出会うおばあちゃん達は、いつも旅立ちの案内人でした。たくさんのことを学んできました。
この港町で出逢ったその方からも貴重なお話を伺いました。
この地方独特の習慣では、家に御仏壇が二つあるのだそうです。男達が、三月梅の頃から船に乗り、年の瀬近くに帰ってくるまで、大きい仏壇は扉をしめておきます。
小さいほうは、夏用のご仏壇といって、留守を守る女たちの仏壇。
男たちが帰って、航海の無事を先祖に報告するときに、初めて大きいほうをあけるのです。
「船がついたぞ!」という声が聞こえると、腰に紐をまいた女たちが、あっちこっちの家々から港へ向かって一斉に走り出すんです。その輝くような顔を今でも忘れられないそうです。
北前船の表むきの仕事を支えていたのは女たちです。
「でも、過去帳に、女の名前はございませんね」そうつぶやく、おばあちゃんの一言が私の胸に響きました。
そして、北上していくと、富来町(とぎまち)があります。
羽咋(はくい)駅からバスで50分、富来駅下車、福浦港行き10分。
この福浦港も大好きな港町です。
日本最古の木製の石垣を含めると約5mの高さがある旧福浦灯台。
三層になった内部。ここから見事な夕日が一望できます。
日本海に面し、能登金剛の名で知られる断崖、荒々しい海岸線は絶景です。
そして、私の大好きなお地蔵様があります。
「腰巻地蔵」です。
旅立つ船員にかなわぬ恋をした遊女が、地蔵に腰巻をかけたところ海がしけ、出航できなかったというロマンティックなエピソードを持つお地蔵様です。そんな昔話に思いをめぐらせながらの、のんびりとした旅の仕方も「大人の旅」ならではではないでしょうか。
この辺りは日本海が一望できるホテルや旅館もございます。
最後になりましたが、この度の災害から一生懸命復興に頑張っておられます、輪島には、私も職人さんや民宿の仲間がおります。大好きなまち輪島は、またの機会にラジオ深夜便でご案内いたします。