今につながる芸術の不思議

ゴッホの「馬鈴薯(ばれいしょ)を食べる人びと」を見たのは、初めてヨーロッパに旅したときだった。16歳でデビューし、順調に仕事を続けていたものの、女優という職業になじめず、ひとり、旅に出たオランダの美術館で出会ったのである。
暗く抑えた色調、けれどテーブルの上は明るく、温かい家庭を感じさせる。貧しくはあっても、自らが作った作物を、家族とともに食す喜び。そこに光を当てた絵を前にして、私は胸がいっぱいになった。そしてもう少し、がんばってみようという気持ちが、自然に沸き上がってきた。18歳だった。
すぐれた芸術は総じて、人に生きる力を与えてくれるものではないだろうか。人生の岐路にあるときなど、私が美術館を訪ねたくなるのはそのためだろう。様々な芸術品が私の心を慰め、明日に一歩踏み出そうとする力を与えてくれた。
芸術作品の何が心に響くのか言語化することもなく、作品の前にたたずみ、その力に抱かれる幸せを、ただただ味わっていた私だったが、23年前にはNHK「日曜美術館」のキャスターを務め、さらに美術は身近になった。先日、広島で「NHK日曜美術館30年展」を見る機会を得、番組のユニークさを改めて感じた。「私と○○」というスタイルで美術を語り、作家の交友関係や知られざるエピソードを紹介する中で、人と美術の間に垣根はないと教えられた。
私はその後女優を卒業し、農業や暮らしの美をテーマに文章を書くなどして現在に至っている。後になって「ファン・ゴッホの手紙」を読み、ゴッホが農民画家たらんことを欲し、「馬鈴薯を食べる人びと」には大地を掘り起こす手の労働やまっとうな報酬を得る生き方への強い思いがこめられていたことを知った。体に電流が走ったような衝撃だった。それは私がまさに求め続けてきた世界だったからだ。芸術のことなど何もわからなかった18歳の私はあの絵を見て、今の私へとつながる種子のようなものを自らの中に発見したのか。芸術の不思議さを思わずにはいられない。
(朝日新聞4月25日掲載)