タウトが再発見した日本の美

ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880~1938)は、ナチスを逃れて33年に来日。わずか2年半の日本滞在の間に京都の桂離宮など、日本の美を世界に伝えたことで知られている。
日本の美を再発見したともいえる彼は、民芸の柳宗悦やバーナード・リーチとも交友があった。柳がタウトを自邸に招いたときには、民芸の本質について論議も重ね、話は深夜にまで及んだという。互いの考えにひかれつつも、両者は後にそれぞれ批判も行っている。
けれど私はタウトの著作を読み、桂離宮や伊勢神宮、そして飛騨の白川郷や秋田の民家、かまくらの風景にまで、彼が強く心を動かされたのを知り、柳とタウト、両者が求める美の本質はやはり非常に近いのではないかと常々感じていた。
先日、「ブルーノ・タウト展 アルプス建築から桂離宮へ」(ワタリウム美術館)を見る機会を得た。集合住宅やグラスハウスなど初期の作品から、来日後の工芸作品まで、幅広い展示がなされた濃い内容で、非常に興味深かった。
日常生活、社会生活、純粋な精神生活という3要素を融合させたとき初めて完全な世界となるという彼のユートピア思想、また日本で出会った美が彼の思想をどのように発展させていったかを、私は肌で感じとることができた。
「……素朴な農民の手によって何の底意もなくいわば天真自然に作られたときにのみ、真に独創的な従ってまた適正な質をもち得るのである。これに反して、鋭い芸術的感覚と豊かな教養を具(そな)えた芸術家がここに様式の根底を求めようとするならば、結局外形に拘泥し……」(鈴木久雄著「ブルーノ・タウトへの旅」からタウトの小論文より抜粋)。
タウトのこの思いは柳と同じではなかったか。異邦人であったタウトが再発見した日本の原風景や日本の美。自らのうちにある美を再発見し、さらに朝鮮の美をも見いだした柳宗悦。それぞれ違いはあっても、自然との融合といった本質や、異なる文化風土に根ざした美をも理解し、感じ取るまなざしの確かさは、共通していたのではないかと思うのだ。
(朝日新聞4月18日掲載)