京須偕充さんをお迎えして

お父様は東京で二代目、お母様は四代目の江戸っ子。というわけで、京須さんは足して二で割っても、四代目の、つまり生粋の江戸っ子です。
本職はCDの録音制作のプロデューサー。特に落語には造詣が深く、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」をはじめ、古今亭志ん朝、柳家小三治などの録音も担当なさり、本職以外でもTBSの「落語研究会」の解説もつとめ、「古典落語CDの名盤」などの著書もしるされていらっしゃいます。
そんな京須さんがこのたびお書きになったのが「とっておきの東京ことば」。この本の中には、懐かしい東京ことばがぎっしり入っています。
「自分の家で炬燵に入ったまま、相撲の本場所を見られるなんて夢にも思わなかったよ。いい世の中になったもんだ」
「遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道って言うけど全くだね。五分ぐらいで着くっていうからそのつもりで歩いたんだがね、どうしてどうして、たっぷり十五分もかかるんだ。一杯食っちまったよ」
  
「このごろは、どういうものか挨拶が変わってきたね。玄関開けて、『こんちは』だの『おはようござい』っていうのはまァ悪かァないんだが、『ごめんくださいまし』ってのを、ついぞ聞かなくなったねぇ」
「そう言えばそうだねえ。大威張りで入って来るってわけでもないんだろうが、ごめんくださいぐらい言えなくちゃ、ま、お里が知れるってもんさ」
「儲かるそうだよ、やってみるかい」
「ごめん蒙りましょう。うまい話は危ないから」
目で読むだけでなく、声に出してみてください。耳に心地よく、いいまわしが本当に洒落ているでしょう。
話し手がどんな暮らしをしている人なのか、どんな考え方をしている人なのか、どんな心意気を持っているのか、などなど、これらの会話から、伝わってくるような気がしませんか。
昭和三〇年代、東京オリンピックくらいまでの東京では、こういう豊かな言葉を生き生きと人々がやりとりしていたのですね。
今、東京で話されている言葉は東京ことばではなく共通語。やはり、比較すると、暮らしの肌触りがするりと抜けてしまっているような感じがします。暮らしから自然に生まれてきたことばと、そうでないものとの違いでしょうか。
東京ことばは「べらんめぇ」口調だと思っている人が多いことを、京須さんはとても残念がってもいらっしゃいました。
江戸東京の本来のことばは、相手を気遣い、尊重し、まずは柔らかく繊細丁寧にやりとりするもの。ことをあらわにせず、お互いのことを察しあい、譲り合い、必要があれば相手を傷つけることなく断り、きれいにことをおさめる……それが洒落や粋に通じていくのだとか。それでも通じなかったときには、辛らつな皮肉やちょっとした悪態をつき、それでも通じなければ、はじめて「べらんめぇ」に至るのだそうです。京須さんいわく、「朝から晩までべらんめェじゃ、「江戸文化」が聞いて呆れらァね」
東京ことばが失われていくのは、東京がかつてもっていた人と人とのおつきあいのあり方が消えていくというのと同意義だとも感じさせられました。なんとかして、東京ことばを残し、復活させられないものかしら。下町育ちの私としては、いてもたってもいられないような気持ちになってしまいました。

とっておきの東京ことば
とっておきの東京ことば 京須 偕充

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