小松政夫さんをお迎えして

「どうして! どうして! おせーて!」「もう、イヤ、こんな生活!」といったギャグや「しらけどり音頭」、淀川長治さんのものまねなどで人気のコメディアンであり、同時に最近では本格的な演技力が求められる芝居でなくてはならない個性ある俳優としても活躍なさっている小松政夫さん。
その小松さんが「のぼせもんやけん」(竹書房)という本を出版されました。
小松さんはお父様を早くになくされ、俳優をめざして上京したものの、生活のために働くことがまず必要だったため、魚河岸の若い衆を振り出しに、さまざまな職業を転歴、自動車のセールスマンとなりました。そして植木等さんの付き人兼運転手として芸能界に入られました。
この本には、小松さんが植木さんの付き人になられるまでのことがまとめられているのですが、そのおもしろいことったら、ありません。おもしろいばかりでなく、私はぺージをめくるごとに、懐かしさでいっぱいになりました。ああ、こういう人がいた。こういう町の風景があった……。昭和30年代の活力ある日本がどのページからも濃厚に香ってくるのです。
「ブル部長はモーレツな人でした。自分にも他人にも厳しく、仕事一筋に生きた人です。こういうとんでもないバイタリティとこだわりを持った人たちに、日本は支えられていたんだと思います。日本はぎらぎらと燃えていました。明日という明るい未来を信じて猪突猛進しておりました」(小松政夫著「のぼせもんやけん」より)
私も、中学を出てすぐにバス会社に就職。バスの車掌となりました。毎朝5時前に起きて、炭火を入れたコテをおこし、制服の白襟をピンとさせて、6時前には出社。バスの掃除をしました。私の担当するバス路線は、工場との往復で、朝早くから工場勤務の人がのってきました。終バスは遅くまで工場で働いていた人でいっぱいでした。汗と油でどろどろになった作業服を着て、座席に座るなり、窓ガラスに頭をつけて腕を組んで、こっくりこっくり、寝てしまうんです。でも、みんな、同じ時代に働く仲間というような気持ちがあったような気がします。そして、みんな、まっとうに働けて幸せだと思っていたようにも感じます。
私は、クレージーキャッツの映画にたくさん出演させていただいたので、当時植木さんの付き人であった小松さんとも顔なじみでした。いちがいに昔がいいなんていう気持ちはありませんが、シンプルで素朴で、誰もが希望を持ちうる時代が昭和30年代だったような気がします。今、昭和30年代がブームというのも、時代が持っていたあの活力とあたたかさに惹かれるからなのではないでしょうか。
ラジオの収録では、本を書いた思いなどを語っていただきました。お互い、同じ時代を生きてきたものですから、話が弾んで……。枠内におさめるために、泣く泣く切ってしまった話もたくさん。もっともっとみなさまにお聞かせしたかった……。
とにかく元気が出る本なので、ぜひ、本屋さんで見かけられたらお手にとってみてください。ラジオの収録後、「小松政夫とイッセー尾形びーめん生活2006in東京」を拝見しました。これは、現代に生きる人間たちの姿を描くオムニバススタイルの二人芝居。小松さんはその中で、初老になってキャバレーの呼び込みに雇われた男、どこか陰のあるバイオリニスト、妻に養ってもらっている自称小説家、そして、何十年間もロシア演劇だけを上演している劇団のベテラン女優を演じていました。思い描いていたような生活から、どこかで道を外れ、人生の旅路に迷っているような人たち。それは、現代人が心のどこかにその存在を感じている「自分の姿」でもあるかのように思えました。人生の味は苦い、しかし、捨てたもんじゃないというメッセージをいただいたように思います。

のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜 セールスマン時代のこと。
のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜 セールスマン時代のこと。 小松 政夫

竹書房 2006-06
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