亜麻の花咲く里づくり

10月下旬、北海道当別町に行ってきました。
この町は札幌都心部から約15~25kmに位置しています。当別町では、明治初期より始まった亜麻の栽培が、化学繊維の普及により除々に減少し、やがて姿を消してしまいました。その美しい景観をもう一度取り戻し、地域の活性化につなげようと復活に取り組んでいます。
(亜麻とは、中央アジア原産でアマ科の一年草のこと)
約40年も栽培が途絶えていたこともあり、亜麻の栽培方法の研究から始まり、海外の文献などを参考に試行錯誤を重ね、8年目の現在は約8haの作付けをするまでになりました。生産者の輪も広がり、商品開発も進み、フォトコンテストや亜麻まつりなどで町は賑わいます。亜麻の種子から抽出される「亜麻仁油」は身体によいといわれています。

初夏には薄紫の亜麻の花が咲き乱れ、収穫時期を迎える秋には、一面黄金色に色づき美しい風景を作り出すそうです。
廃校となった小学校を亜麻の資料や木工家具のアトリエなどに使われており、何だか懐かしい光景がよみがえりました。

「亜麻の花咲く町」・・・今度はぜひ夏に行ってみたいです。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県・勝山」

今回ご紹介するところは、岡山県北部に位置する真庭市勝山です。
勝山は、瀬戸内と山陰を結ぶ交通のかなめにある美しい町です。
町を囲む蒜山(ひるぜん)三山をはじめ、山々が檜や杉など森が深く、日本の滝百選に選ばれた、神庭(かんば)の滝は、湯原奥津県立自然公園の一角にあり、落差110m、幅20mの勇壮な滝です。

てっぺんから流れ落ちる滝の姿はなんと美しいことか。滝の水しぶき、樹木の匂い、辺りに漂う樹齢の空気に清清しさを感じ、思わず深呼吸をたっぷりしました。きっとマイナスイオンが身体中にいきわたったでしょう。一帯には約180匹の野生の猿が生息し、訪れる人に愛嬌をふりまいています。私が訪ねたのは10月でしたので、今頃は紅葉が一段と美しいことでしょう。
勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは木材で賑わっていたそうです。けれども時代が経るにつれ、その賑わいは失われていきました。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつあります。勝山の何が人々を惹きつけているのでしょう。
3月の「勝山のひな祭り」の頃は3万人ほどの人が集まるとか・・・。どこの家々もお雛さまを飾って観光客を楽しませてくれるとのこと。そんな暖かい気持ちが伝わっているのですね。
さらには、白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情でしょうか。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めの暖簾。商店はもとより個人の住宅にも暖簾が揺れています。一軒ごとに違う大きさや柄、たとえば自動車修理工場の軒先にはモダンな自動車の絵柄、幾何学的な自転車柄、タイヤのわだち、野菜、野の花、櫛模様・・・まあ、にぎやかな事。でも全体がシックにまとまっています。今では110軒中92軒が暖簾を揚げています。

約13年前、東京・女子美術大学でテキスタイルを学び教えていた草木染め作家・加納容子さんが、家業の酒屋を継ぐためにUターン。店に自作の暖簾をかけたのがきっかけで、その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」と暖簾をかける家が増え、今の姿になったといいます。
私が訪ねた時には、どの暖簾の下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれます。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられました。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかったのです。

そして、私にとっての旅の魅力のひとつに地酒があります。
ここ勝山には創業二百年余年の、この町にただ一軒残る酒屋があります。
辻本店の酒です。
旭川の伏流水がまろやかさを醸し出します。仕込みの陣頭にたつのは辻家のご長女。酒蔵は女人禁制の世界でしたが、現在では見事に長女の麻衣子さんにより酒造りが行なわれているといいます。歴代の杜氏が惜しみなく技を伝えてきたのでしょう。
この勝山には水のよさから、美味しい蕎麦屋もあります。当日私は残念ながら休日にあたり食べられなかったのですが、この蕎麦やは何でも倉敷から、この水のよい勝山に食道楽の人たちの求めに応じてやって来たとのことです。
酒蔵・蕎麦や・そうそう・・・美味しい饅頭屋さんもあります。
もう、これだけあれば、すっかり旅気分。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのです。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山まつりでも、それで、まちは少しも汚れないといいます。
勝山は旅人と町の人がお互いを慮り、理想な形で交流ができているのではないでしょうか。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山の人々。そして、訪ねる観光客もけっして土足で入らない・・・理想の町をみました。
勝山の見所はいろいろあります。神庭の滝 町並み保存地区では暖簾や土蔵や格子、旭川沿いには往時を偲ばせる高瀬舟発着場後が残っています。郷土資料館には、縄文時代からの民族資料、旧藩主・三浦藩に関するもの、戦時中に勝山へ疎開していた谷崎潤一郎の資料も展示しています。入り口を入ると、休憩所があり暖かいお茶で迎えてくれます。武家屋敷は往時の姿で現存しています。
のんびり、ゆったり・・・勝山の町を散策してください。
岡山駅前から直通のバスが出ていて便利です。勝山まで約2時間の旅です。
JR岡山駅から伯備線で新見駅へ。姫新線に乗り換えて中国勝山駅下車。
岡山駅から津山線で津山へ向かい、姫新線に乗り換え勝山駅で降りる方法もあります。
どちらも所要時間は約3時間。
駅を出て左方向に「檜舞台」と書かれた門をくぐると暖簾の町並み保存地区。
小さな町なので歩いて充分愉しめます。
【お問い合わせ】
真庭市役所勝山支局総務振興課まで。
TEL 0867-44-2607
今夜は暖簾が風にゆれ、暖かなおもてなしで迎えてくれる勝山をご紹介いたしました。

「パリに咲いた古伊万里の華」に寄せて

日経新聞 第18回 10月31日掲載
旅先で、知らない町を歩くのと同じくらい楽しみにしているのが美術館巡りだ。何度も通ううちに、親しみを感じるようになった美術館もある。東京にもお気に入りの美術館がいくつかある。そのひとつが、1933年に建てられた朝香宮邸をそのまま美術館としている東京都庭園美術館だ。

建物の存在自体が美術品といっていい。日仏のデザイナーや技師が総力をあげて作り上げた独特の格調高いアール・デコ建築で、すみずみまで美しい。さらに名前の通り、美術館は東京都心では珍しいほど豊かな緑の庭園に囲まれている。

今、こちらでは「パリに咲いた古伊万里の華」(~12月23日)が開催されている。オランダ東インド会社が日本の磁器に注目し、公式に輸出された1659年から今年で350年、それを記念した大展覧会だ。仕事の合間を見つけ、駆けつけた。
当時のヨーロッパの王侯貴族たちを魅了した有田の磁器がこれほど展示された例はない。乳白色の素地に施された色絵、金襴手の豪華な大皿や大鉢…どの作品からも精進して作成した先人の思いが伝わってくる。ヨーロッパの厳しい注文に応え、技術を磨き、高い評価を得るまでに成長していく過程も見て取ることができた。と同時に、作品と建物が交感し、共鳴しあっているようにも感じた。遠く海を渡り、時を越えて里帰りした古伊万里を、建物が優しく迎えているような、そんな雰囲気が会場に満ちていたのだ。
帰りに秋風を頬に受けながら庭を歩き、カフェでお茶を飲み…心が充実し、活力がみなぎるのを感じた。力ある芸術は、人を勇気付けてくれる。秋が深まった午後の昼下がりにでも、足を運んでみてはどうだろう。

能登演劇堂のマクベス

日経新聞 第17回 10月24日掲載
パーソナリティをつとめているラジオ番組『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送・日曜10時~11時)に8月、仲代達矢さんをお迎えした。仲代さんはご存知のように、日本を代表する俳優の一人であり、75年より舞台俳優養成のための私塾「無名塾」を主宰している。
「今は私にとって赤秋の時。真っ赤な秋を真っ赤に生きようとこの秋、石川県七尾市の「能登演劇堂」で能登でしか観られないシェイクスピアの「マクベス」を演ります」
仲代さんは目を輝かせつつ、76歳の新たな挑戦について語ってくださった。
その仲代さんの言葉に誘われ、先日、能登中島の森に抱かれた「能登演劇堂」で、まさしくこの劇場でしか見られない「マクベス」を堪能してきた。舞台後壁が開くや、馬に乗ったマクベスが駆け下りてきてストーリーが展開する。本物の森が動き、舞台装置の一部となるのだ。ダイナミックな演出、そして仲代さんの深みある演技。心にしみる素晴らしい舞台だった。
能登演劇堂は、日本では珍しい演劇専門のホールだ。無名塾が中島町で合宿していたことが縁で、当時人口8,000人の町の年間予算の約3分の1を投じて、1995年に開館した。そこには石川県能登半島を演劇文化エリアとして定着させたいという地元の思いがある。開館から14年、東京など県外からも人が集まるようになり、50日間のロングランの「マクベス」は切符も完売であるという。
芝居を見た帰り、能登七尾から金沢まで1時間45分鈍行列車に揺られた。舞台の余韻を味わうには、特急ではなく各駅停車に流れるゆったりした、そして人の匂いがする時間がふさわしいように思ったのだ。

「日経新聞-あすへの話題」

第13回 9月26日掲載 「現場を歩く大切さ」
農村を歩く中で、私はそこで抱えている問題を知った。農業の実際を知りたいと、福井県・若狭の田圃で10年間米作りを続けたこともある。ヨーロッパの農家民泊に興味を持った時には、やはり10年間毎夏、各国の農家を見て回った。私にとって現場は問題を発見し、その対処法を探すところでもある。
IT(情報技術)時代の今、パソコンさえあれば情報は集められるという人がいる。もちろん客観的かつ論理的な視点は欠かせない。けれどそれだけでは、たとえば臨場感や緊張感、あるいは問題の背後に流れるひとりひとりの思いなど、大切なものが漏れてしまう場合がある。
私が心の師と仰ぐ先人のひとりに民俗学者・宮本常一さんがいる。「七十三年の生涯のうちに合計十六万キロ、地球を四周するほどの行程を、ズック靴をはき、汚れたリュックサックにコウモリ傘を釣り下げて、ただ、自分の足で歩き続けた」(佐野眞一著「旅する巨人」より)人であり、司馬遼太郎さんをして「日本の山河をこの人ほど確かな目で見た人は少ない」(同)といわしめた人だ。宮本さんの足跡を考えるにつけ、私は現場で人々の話にじっくり耳を傾けることこそが何より重要なのだと改めて感じずにはいられない。
政治を司る人たちには、おおいに現場に足を運んでいただきたい。そしてそこに暮らす人々に寄り添い、同じ目線の高さに立ち、ともに問題に向き合ってほしい。傍観者としてではなく、我がこととして問題解決法を模索してもらいたいのだ。
地を歩くことで見える切実な現実から導き出された問題解決法にこそ、真の力が宿ると、私は信じている。
第14回 10月3日掲載 「巡りくる季節に」
秋風を頬に感じると、三十六歌仙の一人・藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌を思い出す。我が家のある箱根は、さらに秋の気配が深まっている。近くの空き地には、黄金色のすすきが風にきらめき始めた。今朝、散歩の帰りにその幾本かをいただき、小さな赤い実をつけた吾亦紅や、いつのまにか庭いっぱいに増えた紫色のホトトギスの花とあわせて飾ると、部屋までもが秋色に染まった。やがて山頂から紅葉が下りてくる。何百年も前の先人と同様に、今も多くの人々が、こうして巡りくる季節に感謝の気持ちを覚えているのではないだろうか。
国連気候変動首脳会合で鳩山由紀夫首相が温暖化ガス削減の中期目標について、主要国のポスト京都議定書への参加を前提条件に「1990年比で2020年までに25%削減を目指す」と表明した。その実現のために日本の負担は際立って大きいといわれ、実現可能性を疑問視する声もある。この点に関しては、どんな負担がどの程度あるのか、どこまで負担を許容できるのかという議論を具体的に進めていかなくてはならないだろう。
しかし、いずれにしても、温暖化をこれ以上進ませないために、私たちは行動を開始しなくてはならないのではないだろうか。人間はこの100年の間に、石炭や石油として地球に封じ込まれていた炭素を掘り出し、大量に消費し、多量の二酸化炭素を放出させ続けてきた。それが地球上すべての生物に深刻な問題を引き起こしている。農と食をテーマにしてきた私はその切実さを肌で感じる。自分たちの未来を開くために、最善をつくす時期が来ている。
第15回 10月10日掲載 「活字の役割」
いつもバッグに本や新聞を入れて持ち歩いている。我が家は箱根にあるので、どこに出かけるのも小さな旅のようなもの。車窓の風景を眺めるのも楽しいが、本や新聞を読むのもまた、忙しい日常の、ちょっとした贅沢のひとつである。
先日、新幹線の中で例によって新聞を取り出そうとして、私たちに今、何が起きているのかという情報を伝えてくれ、ときには物語世界に誘ってくれる文字・活字というものの力と不思議さに思いが飛んだ。なんと便利で愛おしい道具だろうと胸が熱くなってしまったのだ。文字が生まれたのは、紀元前4000年紀後半の前期青銅器時代だという。つまり、人は6000年間というもの、文字とともに生き、成長してきたといえる。
その新幹線で到着した場所で、大学受験を控えた高校3年生と、大学2、3年生と、お話をする機会を得た。自分がこれからどう生きていくか、期待と不安を抱きながらも前向きに歩もうとしている若者たちで、とても好感が持てた。だからなおいっそう、新聞や本をぜひもっと読んで欲しいと思ってしまったのである。今、若者たちの活字離れがいわれている。ネットでニュース記事を読めばいいという声もあるが、新聞は情報の重要性をも面で伝えてくれる。ページをめくり、行きつ戻りつしたりできる本は、ディスプレイを目で追うだけのものより、ずっと有機的な存在だとも感じる。
就職活動が始まると、急に新聞を手に取る学生も増えるらしい。私の4人の子どもたちもかつてその時期、突然、新聞を読みだした。そして息子2人は、特に熱心な読者に育った。活字はこれからの読者をはぐくむ役目も担っている。
第16回 10月17日掲載 「のれんの町・勝山」
岡山県真庭市勝山を訪ねた。勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは材木で賑わっていたという。けれども時代を経るにつれ、その賑わいは失われていた。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつある。
勝山の何が人々を惹きつけるのか。
まずは白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情だろう。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めののれんである。商店はもとより個人の住宅にものれんが揺れている。
約13年前、草木染め作家・加納容子さんが元は酒屋さんだった古い家に一枚ののれんをかけたのがきっかけだった。その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」とのれんをかける家が増え、今の姿になったという。私が訪ねた時には、どののれんの下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれていた。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられた。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかった。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのである。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山祭りでも、それで、町は少しも汚れないという。勝山は旅人と町の人が互いを慮り、理想的な形で交流できている街なのではないだろうか。
そこでふと思った。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山での人々のあり方、これこそが、今、盛んにいわれている「友愛」の真の姿ではないか、と。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~石川県・金沢」

今回ご紹介するところは金沢です。
あまりにも有名な金沢ですが、今夜は「地図を忘れて・・・金沢へ」です。一枚の地図を持って知らない街を丹念に歩く旅の良さ。また、観光パンフレットを持って店々をのぞく旅も良いでしょう。でもあなたがもし、「金沢の旅」をなさるなら、地図と別れて人に出逢う旅、話を聞く旅はいかがでしょうか。
無名の人の話には、その町の匂いが漂い、先輩の話には、その町の(ここだけの話)の面白さがあります。仕事の合間のエア・ポケットのような日こそ、旅に出るチャンスです。一泊の小さな旅を計画しました。
私は朝の便で、石川県の小松空港へ飛びました。約50分のフライトで到着です。私は年に3,4回石川県に行っていますが、ほとんどが講演・シンポジウムなど仕事でいくことが多いのです。仕事の時はどこにも寄り道せず、真っ直ぐ帰ってくるだけですから、これは旅とはいえません。ですから、本当に何も縛られない旅時間は嬉しくて嬉しくてしかたありません。何を食べよう、どこを散歩しようとウキウキします。
小松空港には市内まで直行するバスがあり、これは大変便利です。バスに乗ったら、必ず進行方向左側に座ります。何故かといいますと、理由はすぐ分かります。空港をぬけるとすぐ、雄大な日本海がバスの横に広がります。このバスの中から何十回、いえ百回以上、海を見てきたなあ、なんて一人感慨にふけってしまいました。
一度として同じ海はありません。だから毎回、海が見たいのです。時には時雨模様のもの悲しい海に、胸がキュンとなるような鈍色(にびいろ)だったり、今回のように秋の日本海が晴れ渡り、思わず深呼吸したくなったり。私の好きな海は「じきに雪が降るよっ」と語りかけてくれる色合の時です。

北陸の人たちは、微妙な変化で天気予報をよく行うのです。東京にいたらラジオやテレビの天気予報で、傘の準備をしたり、お洗濯はどうしようと心配しますが、金沢の人は何か、体にお天気を当てるセンサーがついているのではないかと思うほど天気を予報します。
さて、街についたら皆さんは一番最初にどこにいらっしゃいますか?
私は「裏口兼六園」です。正面からはいる兼六園はまさに天下の名園の序章です。でも、もしそのならいにこだわらずに気楽にいくつかの入り口を選んで入ってみたら如何でしょう。
そこにはパンフレットにはない風景が展開します。
樹齢何百年の古木が、根元をむきだしにしたその横を、春なら新芽が出ているのを見つけられるし、秋は紅葉した美しい枝に出逢えます。そんな時、私達は万物の生命のつなぎに感動します。

日本三大庭園の一つ「兼六園」は木々と対話することに気付かされます。ある夜のとばりが降りた頃、金沢城の門のところに佇んでいました。門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや昔の人のワラジ?音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。
その次は大乗寺というお寺です。そこも真っ暗。その時は夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんは出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中、歩いていて、果たしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。
「路地歩き!これも金沢の旅の本命のひとつ」
そうだ、かつて日本のいたるところにあった路地が今も残っているのが金沢の町!家と家との間のせまい一本の道をゆっくりと歩けば、そこから昼や夜の「おかず」を作る匂いが漂います。「茄子とニシンの炊き合わせ」「じゃがいもと玉ねぎの味噌汁」などなど・・・。
これが暮らしというものと一瞬立ち止まる旅人。「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんは、この金沢の路地歩きがお気に入りだったとか・・・。
「庭の千草」を小声で口ずさみながらゆっくりゆっくり歩かれたそうです。

昼のお散歩は「東の廓」。そこは卯辰山の西の麓と浅野川に挟まれた江戸時代からのお茶屋町です。この一角に加賀格子を正面に備えた町屋が軒をつらねています。当時のお客さまは、豪商や文人でしたから、そういう方のお相手をする女性は、茶の湯はもちろん、華道、和歌、俳句、謡曲、舞、琴、三味線などありとあらゆる教養を身につけていなければなりません。今もこの町並みは当時を偲ばせ、黄昏近くになると、細い格子の中から三味線の音や小唄が聞こえてきます。
金沢は職人の住む町でもあります。
「和傘」に手描きで、客の注文の絵を描く老職人
「加賀友禅」に一筆一筆の筆を置く職人。
「金箔」の根(コン)のいる手仕事。
最敬礼!職人の心意気!
ここに日本の職人の原点を見ることができます。

旧制第四高等学校があった金沢の町には、当時の赤レンガの建物が今も大切に残されています。幣衣破帽(ヘイハボウ)、寮歌を歌って歩く若者を町の人々は学生サン、学生サンと呼んでその青春を讃えたそうです。
作家井上靖、中野重治もこの「四校」で学び、その作品の中に「我等二十の夢数う」の精神が生き続けています。現存する教室の古い椅子に旅人のあなたも座れば、一瞬、あなたの「青春」が甦るはずです。
さて、旅の終わりは近江町市場。今が旬の美味しいのど黒、甘エビ、ハタハタ、メギス、カレイなど、これから冬にかけてはズワイ蟹。石川県では加賀と能登地方の名を合わせて「加能ガニ」というブランドで出されています。
それから石川の加賀野菜。金時草、加賀つるまめ、甘栗かぼちゃ、加賀レンコンなどは絶品。私はこれらの野菜と魚などの食材を買って宅配で家に送りました。
結局、私の旅は食べて、人に出逢い、また食べるものを買い込む旅だったようです。

古都・金沢には古い建築物が多いです。
室生犀星、三島由紀夫や吉田健一など、数多くの人々に愛された町が息づいています。
歴史、文化、旧と新、自由自在の旅が楽しめます。
金沢は人の「こころ」が生きているあたたかい町!
今夜はそんな街、金沢をご紹介いたしました。

「日めくり万葉集」

NHKで「日めくり万葉集」が放送されています。
NHK教育テレビ
月~金曜日  午前5:00~5:05
   日曜日  午前6:00~6:25(再放送)
BSハイビジョン
月~金曜日  午前6:55~7:00
私は春にも出演いたしましたが、10月22日(木)に撰者として箱根のいにしえの世界をご紹介いたします。
  足柄の
  箱根の山に
  粟蒔きて
  実とはなれるを
  あはなくも怪し
巻十四・三三六四  東歌・相模国歌
粟を蒔いて無事に実ったというのに逢わないなんておかしいわと、そんな思いで詠んだ女性の住まいが、我が家と同じ箱根の山というところに惹かれました。
番組では実際に竈で万葉時代の農民が主食とした粟を炊いてみました。粟が八で玄米が二の割合です。これが想像よりフワーとしていて美味しいのです。
粟は5月に種を蒔き10月から11月に収穫します。ということは、逢いたい人が半年近く逢いに来てくれない想いを詠んでいるのですね。この女性の突き抜けた大人の魅力、心のゆとりを感じます。そして、もう男が逢いに来なくても気にしないわっていう逞しい女性を想像してしまいます。
恋の歌にして詠む・・・素敵ですね。
どうぞ番組をぜひご覧ください。

広島への旅

台風の前日、紅葉にはまだひと足早いのですが、広島の厳島神社に行ってまいりました。
海に浮かぶ姿が幻想的で、1400年の歴史を持つこの神様に思わず手を合わせました。背後に山をひかえ、前面が海の社殿は神々しく感じ、自然を崇拝して、山などをご神体として祀られている姿はまさに日本の宝、いえ世界の宝・・・だと実感いたしました。

厳島神社は平成8年12月にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
厳島神社の主祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫の三女神です。
自然に神をみる日本古来の信仰をそのまま形にした美しい神社です。宮島は昔から神の島として崇められていたので御社殿を海水のさしひきする所に建てたといわれています。まもなく山々が紅葉し、さぞ美しいことでしょう。

船乗り場までの裏道を散策していたら美味しい「もみじ饅頭屋」を見つけました。小豆の皮をむき、餡子にしているのです。甘さも程よく、店先では饅頭とお茶、またはコーヒーがいただけるのです。外国人2組が美味しそうにお饅頭を食べていたので私も仲間入り。
ふと、今は亡き宮島の「しゃもじ作り」の名人、三宅さんを思いだしました。
あれは23、4年前のことです。テレビの取材でお訪ねしました。そのとき三宅さんは私に向ってこう仰いました。
「浜さん、僕の作るしゃもじは、お母さんのおっぱいと同じですよ、原木から乾燥させ、おしゃもじのカタチを作ります。でも本当のおしゃもじにするのは、お母さんなのです。」
私も4人の乳児は母乳で育てましたが、意味が分かりません。
「何故ですか?」と伺うと
「よそみをしながらお乳をあげていませんか?心こめていますか?私のしゃもじも心を込めて、ご飯をついでほしいのです。」・・・と。
旅って出逢い・・・と、しみじみ思ったものです。

近畿大学でのオープンキャンパス

私は来年、2010年から東大阪にある近畿大学に新たに開設される「総合社会学部」で、客員教授を拝命することになりました。
そこで、私は「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマのもと、授業を担当いたします。
先日オープンキャンパスにお集まりのご父兄、高校生の前で話す機会を得ました。私が講義を担当することになる学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直したいと、今からわくわく胸をときめかせております。
私自身、男の子二人、女の子二人、計四人の子供を育てました。
四人子供がいると、まさに四人四様で、反抗期が激しい子もいれば、黙っていうことをきかない子もいるし、勉強をコツコツやる子もいれば、自分の好きなことしかやりたがらない子だっています。
同じように育てていると思っているのに、それぞれの個性が育っていて、人は実に多彩な大人への道をたどるものなのだと感じさせられることもたびたびでした。
子育てを通して自分の長所にも短所にも気づかされました。
子育ては一筋縄ではいきません。
大学生になる子供に対して何ができるのでしょうか・・・。
私は思うのです。
「親は子供の成長を認める必要があるのではないか」と。
大学に入って卒業するまでの4年間は、子供たちにとっては激動の時代です。息子、娘から小さな大人になるためのステップを歩むときです。
大学時代は、モラトリアムの時期ともいわれます。心理学者エリクソンによって導入された概念「大人になるために必要な猶予期間」。大学時代は、まさにそのモラトリアムを体験することで、自分の輪郭を把握し、これから飛び込む、きびしく、喜びに満ちた社会を生き抜く覚悟と基本的なスキルの芽を育てるときだと感じています。
もし考えにつまった時には、現場に赴きましょう。
現場を歩いて学ぶことも大事だと思います。
自分の足で歩き、目で見、肌で感じ、たくさんの人々と出会うことでの発見。
大切なのはコミュニケーション。
失敗しても試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができます。どんなことがあっても、いつも心に希望を抱き、前に進んでいける、しなやかな心と知性を、大学で身につけていただきたいと願っています。
と、こんなことを1時間お話しし、その後に高校生と語り合いました。
来年の4月、キャンパスでお目にかかれることを楽しみにしております。
 

「日経新聞-あすへの話題」

第10回・9月5日掲載 「孤独死という言葉」
先日、”孤独死”という言葉が話題になった。
「ひとり暮らしの私が死んだら、”孤独死”と報じられると思うとゾッとするわ」
「結婚していても、夫に残される女性がほとんど。ひとごとじゃないわよ」
みな、第一線で働く40代の女性たちである。
孤独死は、ひとり暮らしの人が誰にも看取られることなく、死亡することを意味する。核家族化の進んだ1970年代から使われはじめ、阪神大震災発生後、仮設住宅や復興住宅で相次いでから一般的に使われるようになった。今も、ひとりで亡くなり、死後、長期間放置されるケースは少なくない。また団塊の世代が高齢化と共に、この問題が深刻さを増すことも考えられる。こうした状況を考え、孤独死という強烈な言葉を使うことで、社会の関心を喚起し、警鐘を鳴らそうというマスコミの意図もわからないわけではない。けれど、友人たちがいうように、この言葉には確かに、ややもすれば人の尊厳に触れかねない危うさがある。
女性たちの結論はまちまちだった。
「近隣との交流が大事だというから、ボランティアに参加して、近隣の知り合いを少しずつ増やそうかしら」
「ケアが充実したシルバーマンション、もしくは高齢者に厚い市町村に引越しをするのも選択のひとつね」
秀逸だったのは「近所との付き合いは必要最小限にとどめたい私のような人のために、定年後、老人の見回りを行う会社を興そうかな。見回りも自分でやればこちらの安否も確認してもらえるし」というもの。
それぞれの生き生きした表情を眺めながら、語られるべきは、いかに生きるかであると、改めて感じた。
第11回 9月12日掲載 「井川メンパ」
大井川鉄道井川線に乗り、南アルプスに抱かれた静岡県・井川を訪ねた。井川線は、日本一の急勾配を有する山岳鉄道である。道中、窓から吹き込む風を感じながら、日本一高い関の「沢鉄橋」から見る絶景をはじめ、豊かな自然を堪能させてもらった。
井川では、天然ヒノキを曲げて輪を作り、サクラの皮で縫い合わせ、漆を塗って仕上げるお弁当箱「井川メンパ」の五代目・海野周一さんにお会いした。海野さんは男メンパ、女メンパ、菜メンパ(山仕事に出かける夫婦用で、帰りには入れこのようにひとつに重ねられる)をひとりで作り続けている。私は25年前に4代目にお会いして、井川メンパに魅せられたひとり。今回もまた実用に優れ、温かい木の温もりを伝える日本の工藝の素晴らしさを改めて感じた。
そしてもうひとつ、感じたことがある。井川でも過疎化・高齢化が進んでいるのだが、ご年輩の方々の表情がとても生き生きしていることに驚かされたのだ。「サルに食べられる前に収穫するので、甘くないかもしれないけれど」と茹でたトウモロコシをくださった海野さんのお母さん、畑で汗をぬぐう男性…老後はお金で買う時代になるといった趣旨の広告を数日前に目にし、わだかまっていたものが少しだけ軽くなった。
帰りの汽車の中で、いただいたトウモロコシを味わうと、口の中に広がった優しい甘さに、胸がきゅんとなった。と同時に、都会で老いる不安とは何か、厳しい自然の中、老いてもなお朗らかに暮らし続けるのは何があるからなのかと、考えずにはいられなかった。地域共同体、自然、課せられる役割…そうしたものを蘇らせることが求められている。

第12回 9月19日掲載 「今、落語がおもしろい」

5年前に柳家小三治師匠の落語に出会って以来、すっかり落語に魅せられている。類は友を呼ぶというが、私の周りでも、寄席に通う人が増えている。実際、名人と呼ばれる噺家の独演会はチケット入手が難しいほど、今、落語に人気が集まっている。
落語は会話劇であり、登場人物たちは、顔をつきあわせ、冗談に笑ったり、夫婦の会話を交わしたり、恋人に思いを伝えたり、喧嘩をしたりする。IT(情報技術)の発達によって、直接顔を合わせないコミュニケーションが増えてきた今、対極にあるともいえる、濃厚な生のコミュニケーションで演じられる落語が見直されているのである。
その理由はどこにあるのか、私なりに考えてみた。本来、人間の意思疎通は対面での会話である。非対面の情報伝達が増えてきても、人間の根本まではなかなか変えることができない。深層で人々は生の会話を求めていて、それが落語に向かっているのではないだろうか。
そしてもうひとつ。今は映画もテレビも、CGなども含め、見せる演出ばかりが目に付く時代だ。一方、言葉や表情などから何かを想像することが極端に少なくなっている。言葉を通して、十人十色、それぞれの春の花見の様子や隅田川の風情、夜の町や恋人同士の駆け落ちシーンを思い浮かべる落語に、人々は想像を刺激する新鮮なおもしろさを発見しているのではないだろうか。何でも見えてしまう・見せてしまう時代だからこそ、言葉による想像がいま復権しているのではないかと感じる。
落語は貧乏も失敗も笑いに代えてしまう江戸庶民の生きる力を見せてくれる。と同時に、私たちが生身の人間であることも思い出させてくれる。