「日経新聞-あすへの話題」

第10回・9月5日掲載 「孤独死という言葉」
先日、”孤独死”という言葉が話題になった。
「ひとり暮らしの私が死んだら、”孤独死”と報じられると思うとゾッとするわ」
「結婚していても、夫に残される女性がほとんど。ひとごとじゃないわよ」
みな、第一線で働く40代の女性たちである。
孤独死は、ひとり暮らしの人が誰にも看取られることなく、死亡することを意味する。核家族化の進んだ1970年代から使われはじめ、阪神大震災発生後、仮設住宅や復興住宅で相次いでから一般的に使われるようになった。今も、ひとりで亡くなり、死後、長期間放置されるケースは少なくない。また団塊の世代が高齢化と共に、この問題が深刻さを増すことも考えられる。こうした状況を考え、孤独死という強烈な言葉を使うことで、社会の関心を喚起し、警鐘を鳴らそうというマスコミの意図もわからないわけではない。けれど、友人たちがいうように、この言葉には確かに、ややもすれば人の尊厳に触れかねない危うさがある。
女性たちの結論はまちまちだった。
「近隣との交流が大事だというから、ボランティアに参加して、近隣の知り合いを少しずつ増やそうかしら」
「ケアが充実したシルバーマンション、もしくは高齢者に厚い市町村に引越しをするのも選択のひとつね」
秀逸だったのは「近所との付き合いは必要最小限にとどめたい私のような人のために、定年後、老人の見回りを行う会社を興そうかな。見回りも自分でやればこちらの安否も確認してもらえるし」というもの。
それぞれの生き生きした表情を眺めながら、語られるべきは、いかに生きるかであると、改めて感じた。
第11回 9月12日掲載 「井川メンパ」
大井川鉄道井川線に乗り、南アルプスに抱かれた静岡県・井川を訪ねた。井川線は、日本一の急勾配を有する山岳鉄道である。道中、窓から吹き込む風を感じながら、日本一高い関の「沢鉄橋」から見る絶景をはじめ、豊かな自然を堪能させてもらった。
井川では、天然ヒノキを曲げて輪を作り、サクラの皮で縫い合わせ、漆を塗って仕上げるお弁当箱「井川メンパ」の五代目・海野周一さんにお会いした。海野さんは男メンパ、女メンパ、菜メンパ(山仕事に出かける夫婦用で、帰りには入れこのようにひとつに重ねられる)をひとりで作り続けている。私は25年前に4代目にお会いして、井川メンパに魅せられたひとり。今回もまた実用に優れ、温かい木の温もりを伝える日本の工藝の素晴らしさを改めて感じた。
そしてもうひとつ、感じたことがある。井川でも過疎化・高齢化が進んでいるのだが、ご年輩の方々の表情がとても生き生きしていることに驚かされたのだ。「サルに食べられる前に収穫するので、甘くないかもしれないけれど」と茹でたトウモロコシをくださった海野さんのお母さん、畑で汗をぬぐう男性…老後はお金で買う時代になるといった趣旨の広告を数日前に目にし、わだかまっていたものが少しだけ軽くなった。
帰りの汽車の中で、いただいたトウモロコシを味わうと、口の中に広がった優しい甘さに、胸がきゅんとなった。と同時に、都会で老いる不安とは何か、厳しい自然の中、老いてもなお朗らかに暮らし続けるのは何があるからなのかと、考えずにはいられなかった。地域共同体、自然、課せられる役割…そうしたものを蘇らせることが求められている。

第12回 9月19日掲載 「今、落語がおもしろい」

5年前に柳家小三治師匠の落語に出会って以来、すっかり落語に魅せられている。類は友を呼ぶというが、私の周りでも、寄席に通う人が増えている。実際、名人と呼ばれる噺家の独演会はチケット入手が難しいほど、今、落語に人気が集まっている。
落語は会話劇であり、登場人物たちは、顔をつきあわせ、冗談に笑ったり、夫婦の会話を交わしたり、恋人に思いを伝えたり、喧嘩をしたりする。IT(情報技術)の発達によって、直接顔を合わせないコミュニケーションが増えてきた今、対極にあるともいえる、濃厚な生のコミュニケーションで演じられる落語が見直されているのである。
その理由はどこにあるのか、私なりに考えてみた。本来、人間の意思疎通は対面での会話である。非対面の情報伝達が増えてきても、人間の根本まではなかなか変えることができない。深層で人々は生の会話を求めていて、それが落語に向かっているのではないだろうか。
そしてもうひとつ。今は映画もテレビも、CGなども含め、見せる演出ばかりが目に付く時代だ。一方、言葉や表情などから何かを想像することが極端に少なくなっている。言葉を通して、十人十色、それぞれの春の花見の様子や隅田川の風情、夜の町や恋人同士の駆け落ちシーンを思い浮かべる落語に、人々は想像を刺激する新鮮なおもしろさを発見しているのではないだろうか。何でも見えてしまう・見せてしまう時代だからこそ、言葉による想像がいま復権しているのではないかと感じる。
落語は貧乏も失敗も笑いに代えてしまう江戸庶民の生きる力を見せてくれる。と同時に、私たちが生身の人間であることも思い出させてくれる。

「「日経新聞-あすへの話題」」への1件のフィードバック

  1. 毎土曜日 楽しみに拝読いたしてます。 物事を捉える視点を変えずに頑張ってください。

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