「日経新聞-あすへの話題」

第13回 9月26日掲載 「現場を歩く大切さ」
農村を歩く中で、私はそこで抱えている問題を知った。農業の実際を知りたいと、福井県・若狭の田圃で10年間米作りを続けたこともある。ヨーロッパの農家民泊に興味を持った時には、やはり10年間毎夏、各国の農家を見て回った。私にとって現場は問題を発見し、その対処法を探すところでもある。
IT(情報技術)時代の今、パソコンさえあれば情報は集められるという人がいる。もちろん客観的かつ論理的な視点は欠かせない。けれどそれだけでは、たとえば臨場感や緊張感、あるいは問題の背後に流れるひとりひとりの思いなど、大切なものが漏れてしまう場合がある。
私が心の師と仰ぐ先人のひとりに民俗学者・宮本常一さんがいる。「七十三年の生涯のうちに合計十六万キロ、地球を四周するほどの行程を、ズック靴をはき、汚れたリュックサックにコウモリ傘を釣り下げて、ただ、自分の足で歩き続けた」(佐野眞一著「旅する巨人」より)人であり、司馬遼太郎さんをして「日本の山河をこの人ほど確かな目で見た人は少ない」(同)といわしめた人だ。宮本さんの足跡を考えるにつけ、私は現場で人々の話にじっくり耳を傾けることこそが何より重要なのだと改めて感じずにはいられない。
政治を司る人たちには、おおいに現場に足を運んでいただきたい。そしてそこに暮らす人々に寄り添い、同じ目線の高さに立ち、ともに問題に向き合ってほしい。傍観者としてではなく、我がこととして問題解決法を模索してもらいたいのだ。
地を歩くことで見える切実な現実から導き出された問題解決法にこそ、真の力が宿ると、私は信じている。
第14回 10月3日掲載 「巡りくる季節に」
秋風を頬に感じると、三十六歌仙の一人・藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌を思い出す。我が家のある箱根は、さらに秋の気配が深まっている。近くの空き地には、黄金色のすすきが風にきらめき始めた。今朝、散歩の帰りにその幾本かをいただき、小さな赤い実をつけた吾亦紅や、いつのまにか庭いっぱいに増えた紫色のホトトギスの花とあわせて飾ると、部屋までもが秋色に染まった。やがて山頂から紅葉が下りてくる。何百年も前の先人と同様に、今も多くの人々が、こうして巡りくる季節に感謝の気持ちを覚えているのではないだろうか。
国連気候変動首脳会合で鳩山由紀夫首相が温暖化ガス削減の中期目標について、主要国のポスト京都議定書への参加を前提条件に「1990年比で2020年までに25%削減を目指す」と表明した。その実現のために日本の負担は際立って大きいといわれ、実現可能性を疑問視する声もある。この点に関しては、どんな負担がどの程度あるのか、どこまで負担を許容できるのかという議論を具体的に進めていかなくてはならないだろう。
しかし、いずれにしても、温暖化をこれ以上進ませないために、私たちは行動を開始しなくてはならないのではないだろうか。人間はこの100年の間に、石炭や石油として地球に封じ込まれていた炭素を掘り出し、大量に消費し、多量の二酸化炭素を放出させ続けてきた。それが地球上すべての生物に深刻な問題を引き起こしている。農と食をテーマにしてきた私はその切実さを肌で感じる。自分たちの未来を開くために、最善をつくす時期が来ている。
第15回 10月10日掲載 「活字の役割」
いつもバッグに本や新聞を入れて持ち歩いている。我が家は箱根にあるので、どこに出かけるのも小さな旅のようなもの。車窓の風景を眺めるのも楽しいが、本や新聞を読むのもまた、忙しい日常の、ちょっとした贅沢のひとつである。
先日、新幹線の中で例によって新聞を取り出そうとして、私たちに今、何が起きているのかという情報を伝えてくれ、ときには物語世界に誘ってくれる文字・活字というものの力と不思議さに思いが飛んだ。なんと便利で愛おしい道具だろうと胸が熱くなってしまったのだ。文字が生まれたのは、紀元前4000年紀後半の前期青銅器時代だという。つまり、人は6000年間というもの、文字とともに生き、成長してきたといえる。
その新幹線で到着した場所で、大学受験を控えた高校3年生と、大学2、3年生と、お話をする機会を得た。自分がこれからどう生きていくか、期待と不安を抱きながらも前向きに歩もうとしている若者たちで、とても好感が持てた。だからなおいっそう、新聞や本をぜひもっと読んで欲しいと思ってしまったのである。今、若者たちの活字離れがいわれている。ネットでニュース記事を読めばいいという声もあるが、新聞は情報の重要性をも面で伝えてくれる。ページをめくり、行きつ戻りつしたりできる本は、ディスプレイを目で追うだけのものより、ずっと有機的な存在だとも感じる。
就職活動が始まると、急に新聞を手に取る学生も増えるらしい。私の4人の子どもたちもかつてその時期、突然、新聞を読みだした。そして息子2人は、特に熱心な読者に育った。活字はこれからの読者をはぐくむ役目も担っている。
第16回 10月17日掲載 「のれんの町・勝山」
岡山県真庭市勝山を訪ねた。勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは材木で賑わっていたという。けれども時代を経るにつれ、その賑わいは失われていた。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつある。
勝山の何が人々を惹きつけるのか。
まずは白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情だろう。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めののれんである。商店はもとより個人の住宅にものれんが揺れている。
約13年前、草木染め作家・加納容子さんが元は酒屋さんだった古い家に一枚ののれんをかけたのがきっかけだった。その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」とのれんをかける家が増え、今の姿になったという。私が訪ねた時には、どののれんの下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれていた。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられた。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかった。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのである。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山祭りでも、それで、町は少しも汚れないという。勝山は旅人と町の人が互いを慮り、理想的な形で交流できている街なのではないだろうか。
そこでふと思った。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山での人々のあり方、これこそが、今、盛んにいわれている「友愛」の真の姿ではないか、と。