出雲への旅

息子夫婦と三人で出雲へ旅してきました。今回の旅の目的は、出雲大社への参拝と「民芸のふるさと出雲の窯を訪ねる」旅でした。
昨年は二回、ひとりで大社に詣でました。
不思議なことがあります。
かならずお参りする早朝は真っ赤な太陽が社殿の間から照らしてくれます。
まだ夜が明ける前に駅前から一番のバスで「正門前」で下車します。
夜明け前の静謐な空気がとても好きなのです。
遅くなっても前日に駅前のビジネスホテルに泊まります。
そうすると朝一番の駅前から出る6時36分のバスに乗れます。
出雲大社は昨年「平成の大遷宮」「本殿遷座祭」が60年ぶりに行なわれました。バスを降り大鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめ本殿へと向かいます。
行燈の灯りが足元を照らし、そして朝焼けの雲が向かえてくれます。


今回は息子がカメラを持参してくれたので、私がいつも旅用のコンパクトカメラではなく、写真が素敵。
どこからともなく”蝋梅”のなんともよい匂いが漂ってきます。
花の少ない極寒期の蝋梅、その在りかを探したくなります。


拝殿から本殿へ。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。
天照大神の子の天穂日命を祖とする大社。
本殿内北西には御客座五神が祀られています。


本殿の周りを一周して神楽殿の注蓮綱はそれは見事です。
お参りをすませて一畑電車・電鉄出雲駅から9時08分の電車で川跡駅で乗り換え出雲市駅に向かいます。
そうそう・・・今回大発見がありました。
私がひとりの時はレトロな駅でのんびり電車を待つのですが、二人が近くのパン屋さんを見つけ、焼きたてのパンを買ってきれくれました。熱々のカレーパンの”美味しかった”こと。早くから開いているのですね。次回は自分で行ってみましょう。


午後からは穏やかな田園地帯のなかに窯元があります。
出西窯。風景に馴染む日本家屋の工房で誰でも自由に見学ができ、工房の東側にはレンガを積み上げた大きな登り窯があり現在でも使われています。
明日の暮らしもままならない戦後まもない頃、地元の幼馴染の青年たち5人が「何もないここから、自分たちで何かできないか」と。最初から陶芸に特別な想いがあったわけではないようです。
ある日松江の工芸家に「君たちの仕事には、美しさも志もない」と指摘され、民芸運動の創設者・柳宗悦の本を渡されたそうです。出西窯を訪れた陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎から指導を受けます。後にバーナード・リーチらとも交流をもち 「日常に溶けこむ、気取りのない存在感」を五人の青年たちが探し続けて「用の美」へと辿りつき現在へとつながっています。
私も柳宗悦に出会って50年。
「用の美」を追い求め続けています。
今回息子夫婦とこのような旅ができる幸せをかみしめました。
お嫁さんは目を輝かせ普段使いの器を選びます。
鮮やかな瑠璃色は「出西ブルー」と呼ばれ人気があります。
美意識の革命によって生まれた新しい価値観
暮らしを豊かにする民芸の美
と書かれていました。


帰りがけ出雲の豪農、山本家の屋敷を一部改装し藍染め、木工品、農具など暮らしの民芸館を拝見しました。ご当主が遠くで大豆を干し収穫している姿に日本の暮らしの美を感じました。


そして・・・夜は居酒屋さんへ。
宍道湖のシジミ、ウナギ、のどぐろの一夜干し、大山の焼き鳥。
お酒は地酒で出雲富士と豊の秋。
翌日は寒風にまじってちらりと舞い降りる雪、”風花”に見送られ家路へとつきました。

工芸からKOGEIへ

これまで、私の生活にはりをもたせてくれ、ときに慰めてくた工芸。
美しいと愛でる心を育んでくれた工芸。
私は以前、毎日放送ワイド番組「八木治朗ショー・いい朝8時」に3年出演し、このショーのなかで追いつづけた「手づくり旅情~日本の伝統工芸を訪ねて」は私の旅への想いのすべてをかけたものだったと自負しています。
お訪ねした家々、何軒になるでしょう。
みつめさせていただいた手づくりする人々の手元、一体幾人になるでしょう。
私が旅というものの得もいわれぬ魅力にのめりこんで三十年余り。自分の足と目で探し歩いてきたものが”日本の日本的なるもの”に気づいて以来、私はこの小さな島国日本にかぎりない愛着を持ちはじめました。
いろいろなヒトやモノとの出逢いもありました。
その方が人間国宝であったり、倉敷・花むしろであったり、大島紬であったり、京都の樽、西陣織、那智黒硯。そして北海道・平取のアイヌの花ござ・・・数えきれないほどの素晴らしいヒトとモノとの出逢い。美しいものをもとめ、日本中を旅してまいりました。
私の胸のなかで浮かんでは光を放ち、また浮かんでは光を放ち・・・・・。
新しいモノがどんどん生産され、あきれば捨てられ、消費することが豊かさであると信じた時代もありました。
ひとつの道具を愛して、使いこみ、人から人へ、そしてつぎの時代に伝えていく「モノとの濃密な関係」が、失われつつあった時代。
暮らしの技や知恵を教えていただくための旅を70歳になった今でも続けています。人恋しく、風景恋しく、モノ恋しく旅行鞄を引っ張り出す私。
先日、北の丸公園の東京国立近代美術館工芸館で開催されている
『工芸からKOGEIへ』を見にいってきました。
日本伝統工芸展60回記念し、「伝統工芸の”今”、そして”未来”を考える」
シンポジュームもひらかれました。


出品作家97名。
陶芸、染色、漆芸、金工、木工、竹工、人形、など日本を代表する方々です。
『工芸からKOGEIへ』
どんな思いでこのタイトルになさったのでしょうか。
それは見る側、一人ひとりの思いだとおもいます。
会場には外国人が熱心に覗き込み、日本の美に魅せられていたのが印象的でした。
千鳥が淵を散策し、冬の木漏れ日が心地よい昼下がりのひとときでした。
2月23日まで開催されています。

『寒月』と『穏やかな海』

冷え冷えとした箱根の夜、庭に出て月を眺めるのが好きです。
コートをはおり、研ぎ澄まされた三月月を見ながらその美しさに見惚れてしまいます。
そして朝の凛とした空気に「何だか穏やかな海が見たいわ」・・・と思ってしまう私。
このごろ時間が出来ると鎌倉に行くことが多くなりました。バスで下山し、小田原から東海道本線に乗り湘南の海を眺めながら大船で乗り換え鎌倉へ。
娘が鶴岡八幡宮からほど近く、鎌倉宮に向かう美しい散歩道を歩いていくと静かな住宅街の中に小さなショップをオープンしました。
『FLORAL』


イギリスのアンティーク・ビンテージをメインにアジア、中東の手づくりの
中々素敵な作品がおいてあるのです。
お昼休みに近くのイタリアンでランチをしながらおしゃべり。
ここはお薦めです。
ランチコースで前菜からパスタ・メインそして夜にはぜったい無理なデザートまでいただきました。


観光スポットから少し外れているので比較的静かですが、それでも満席でした。
今回の目的の一つは近くの荏柄天神社へのお参りです。
友人たち二人のお子さんが受験生です。
荏柄天神社は学問の神様。


桜並木の散策道を抜けると左手にあります。
石段を上ると荏柄天神社。
境内には樹齢九百年のご神木の大銀杏と梅の木が小さな蕾をいっぱいつけ一輪が咲き始めていました。


源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行なったそうです。
学問成就に霊験があると鎌倉時代より信奉され、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とこの鎌倉の荏柄天神社が有名です。
受験シーズンだからでしょうか、親御さんや、おばあちゃん・おじいちゃん、そして受験生でいっぱいでした。私にも子どもが4人おりますので、よく分かります。親が出来ることって、夜食に暖かな、消化によいものを作ってあげる・・・
それぐらいしか出来ませんよね。
そして、お参り。
風邪をひかないように、普段通りで受験に望んでほしい。
友人のお子さんたちに、お守りと祈願鉛筆を買って帰ってまいりました。
そうそう・・・帰り道、娘のショップの近くの八百屋さんで「焼き芋」が焼けて
いました。ホクホクのお芋をバックにしのばせて夕暮れの芦ノ湖を見ながら家路につきました。

私の憧れの「ななつ星」

私の憧れの「ななつ星」
日本初の豪華クルーズトレイン「ななつ星in九州」
3泊4日、九州の各県を周遊する、オリエント急行の九州版ともいえる寝台列車です。
「あ~憧れ・・・一度は乗ってみたいな~」とため息がでます。
室内の装飾は日本の職人さんの美が満載です。
その「ななつ星」の総合デザインを手がけたのが水戸岡鋭治さんです。
水戸岡さんは、1947年、岡山県生まれ。
建築物の完成予想図「パース画」で業界にその名をとどろかせ、1988年、福岡市の「ホテル海の中道」のデザイン担当をきっかけに、JR九州の鉄道デザインにも着手。
「つばめ」「ソニック」といった特急列車や九州新幹線のデザインで注目を集めました。さらに、ローカル線や路面電車、バス、気動車、駅舎から、街づくりなどを通して、地方の活性化にも貢献されています。
私の父は熊本・八代の生まれですから、水戸岡さんのデザインされた列車にはなおさら憧れ、孫を乗せて九州のローカル線で行く旅をいつかは・・・と楽しみにしています。
この度、「あと1%だけ、やってみよう 私の仕事哲学」を上梓されました。
仕事や人生で大切にしたい名言がちりばめられています。
“お逢いできてよかった”です。
「子供たちのために最高の環境を提供したい」・・・と仰られます。
「最近になって、私は、自分が何のために仕事をしているかについて思いあたりました。次世代のため、子どもたちのために仕事をしているいるのだということでした。 いままで経験した最高の仕事を、最高の技を、きちんと形にして、ヒト・コト・モノそれぞれで質の高いものをつくる。その環境で育つ子供たちがそれを使っているうちに、知らない間に彼らの肉となっている。そして、子どもたちがある程度年を重ねたときに、その大人たちがやった仕事に対し、もう一回、あの質を超えてみようと思ってくれれば嬉しい。そうなることを信じてものをつくっているのです。」
いままで生きてきた中で、感動したことを現代に持ち帰ってくる。感動したシーンは色も匂いも形も光も季節も、そのときの景色も、何を食べたかも、思い出の中に鮮明に刻み込まれています。
そうなのですね・・・だから私たちに感動の旅を、感動の景色を与えてくださる
のですね、水戸岡さんは。
そんな「感動の森」の中から探し出してくださる作品の数々。
なんて自由な心の持ち主なのでしょうか。
お話をしたいことは山ほどあります。
それにはぜひ、ぜひ、ラジオをお聴きください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」、日曜10時半~11時まで。
放送は2月9日です。

謹賀新年


謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
昨年11月で私は70歳になりました。
皆様に導かれ、今の私があると改めて感じています。
感謝の心を忘れず、暮らしを楽しみ、
年齢を重ねたからこそ見える新たな風景を味わい、
『美意識と本当の豊かさ』を求めながら、
人生という旅をこれからも元気に歩んでまいります。
カルチャーの発信地・箱根の「やまぼうし」もおかげさまで、
多くの方に喜んでいただいております。
今年も新たな企画をたくさん用意していますので、どうぞお楽しみに。
今年も笑と希望にあふれた佳き年でありますように。
浜 美枝

沖縄への旅

私が初めて沖縄を旅したとき、まだパスポートが必要でした。
民芸に目覚め、そのふるさとともいえる沖縄へ行き、先人(柳宗悦や濱田庄司)の足跡を追ってみたかったのが、私にとっての初めての沖縄でした。
戦争で大きな痛手を受けながらも、多くの生活道具が残されていました。
もちろん生活文化のすべてが。
沖縄を旅して出会った道具は「用の美」そのもの。
ガラス器、焼き物、漆器、紅型、舞踊、琉球の歌の数々、屋根の上に置かれたシーサー。沖縄が激しい戦火に見舞われながらも、決して失われなかった美の継承をみるにつけ、「文化は決して占領されない・・・」と思いました。
今回は沖縄観光コンベンションビューローの企画。
『春のおきなわ 親子まご旅 』 の視察でした。
沖縄は どこよりも早く桜の季節が到来、ヒガン桜が本島北部から咲き始めます。そして、海開きと小さなお子さんを連れての旅にはふさわしい季節です。
私も子供が小さな時に4人を連れてゆきました。どうしても好きな場所に何十回も通ってしまうので、今回あらためて沖縄の魅力の再発見でした。
「わ~、孫を連れてきたいわ」と思わず叫んでしまいました。


最初に向かったのが本島北部の本部町(もとぶちょう)にある「海洋博公園」。
1975年(昭和50年)に「沖縄国際海洋博覧会」が開催され、海の万博ということで覚えていらっしゃいますか?その跡地に作られた公園です。広大な公園の中を電気遊覧車が走ります。
「沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館」ではジンベイ鮫やマンタが泳ぐ巨大な水槽。浅瀬に棲むナマコやヒトデなどには子供たちが直接触れて楽しめます。そして普段見ることのない深海魚もみれ、もう大人が夢中になってしまいます。


そして、それは美しい熱帯ドリームセンターの3つの温室には常時2000株以上の熱帯・亜熱帯の花々が咲きほこっています。ランの種類の多いこと。湿生植物、水生植物・・・今度は一日かけてゆっくり見たいです。
沖縄では、ご家族3世代に優しいホテルが充実しているのには正直驚きました。私もそうでしたが、子供が小さい時は食事や細かいことに気を使います。それをじゅうぶん楽しませてくれるプログラムは有難いですね。


そして、読谷村では陶器市が開かれていました。「読谷山窯」の赤瓦と青い空のコントラストが美しいこと。緑豊かな自然の中で出会う登り窯。日常に使える器が素敵です。
読谷村には20年以上通ったでしょうか。
今は亡き人間国宝・花織の与那嶺 貞(よなみねさだ)さんを訪ねて。


古民家を移築した百年古家 大家・うふやーでは沖縄そば、ソーキソバ。
子供たちが楽しめる工芸体験など・・・
春の沖縄・親子孫旅で、新たな発見、体験、学びができますね。
日常から少し離れ、家族の絆・思い出をつくれることができる・・・と実感致しました。
すぐには無理ですが、私も孫が二人います。
再来年の春には計画をたてたいと思いました。


沖縄には、本州にいては分からない、もうひとつの歴史があります。
一度や二度では分からない深い歴史ではありますが、やはり足を運んで、肌で感じて、沖縄が背負わされた歴史もまた、次世代の子供たちに知って欲しいと思うのです。
今年最後の旅が「沖縄」で締めくくれました。
心惹かれるものがたくさんあって、毎年何回も沖縄を旅します。
今年最後のブログです。
どうぞ皆さま、来年2014年も佳い年でありますように。

京都・「ギャルリー田澤のクリスマス」

『ギャルリー田澤』は私にとってずっとずっと憧れの場所でした。
お店の前を行ったり来たり・・・
京都は私を骨董の世界へと導いてくれた場所。
10代のころ京都に降りたったとき、思わず立ち尽くしたのを私は覚えています。そこには日本の美しく繊細な街並みが広がっていました。
木造の町屋がずらりと並び表通りには、昔ながらの看板やたたずまいを残したお店がつづいていました。
鴨川の流れが日差しに反射してキラキラと光っていました。
橋を渡り二条通りを歩いていたら「ギャルリー田澤」に出逢いました。
店の入り口のしつらえ、そのセンスの良さに目を奪われました。
それから数年はお店の前をやはり行ったり来たり。
ある夏の日、美しく打ち水がされた店内へと足がひとりでに向くのです。
にこやか迎えてくださる田澤ご夫妻。
そこには『和魂洋彩』を唱えるご夫妻の美の世界が広がっていました。


ガラス・ランプ・古伊万里やラリック・バカラのお皿やグラス・・・
卓上ランプに灯りがともり「なんて美しいの・・・」とつぶやいていました。
赤褐色のバカラのランプの肌にひじょうに細かく描かれた文様を見ているだけで、心が静かになごんできます。
和室には絨毯が敷かれ洋風のしつらえ。
お茶をなさっているからこその美意識。
世界で一番美しいギャルリーだと思います。
「西洋では、アール・ヌーヴォーあるいはアール・デコと決めたら、食器から家具まで全部を統一します。洋食のテーブルセッティングだって全部同じスタイルでフルコースをそろえますが、日本にはそういうのを嫌って、ちがうものを組み合わて、そこに調和のあるテーマを見出すという感覚を大事する傾向があります。これは日本独特の文化です」と、今は亡き田澤長生さんは語られました。
クリスマスの季節が来るのが毎年楽しみです。
美しく飾られた花々・・・昼間と夜とでは表情が変わるセッティング。
胸がぽっーとあたたかくなった気がする午後から夕暮れの時間でした。

自由が丘の贈り物

皆さまは”私の好きな街”ってきっとありますでしょ。
私も全国各地を旅していて”好きだな~この街”という町が何箇所もあります。
好きになる条件はだいたい駅前で分かります。
駅がない街でも名残があったり・・・人が集う場所であったり、つまり、無個性ではないのです。最近は郊外などの町は均一化され、一瞬、ここは何処?と思う町も少なくないのです。
「自由が丘の贈り物」
を出版したミシマ社はけっして大きな出版社ではありませんが、良書を出すことで注目されています。
今回ラジオのゲストにミシマ社の編集者をお招きいたしました。
長谷萌(めい)さんです。1983年、東京のお生まれ。
ミシマ社では、店頭で通りすがりのお客さんにどんな本なのかを手書きのパネルなどで説明する「仕掛け屋」に所属しながら、年に一冊のペースで編集を担当。
これまで編集した本は『自由が丘3丁目 白山米店のやさしいごはん
お米屋さんのお母さんが毎週水曜日だけ店の隣でお弁当を販売し、大好評。愛情たっぷりの家庭料理がお嬢さんの手書きでレシピと写真が載っていて、私もとても参考になります。
THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』 などがあります。
この度、『自由が丘の贈り物 私のお店、私の街』を編集されました。
渋谷駅から東横線に乗って15分ほどの自由が丘。
皆さんは「自由が丘」というとどんなイメージをお持ちになりますか?
オシャレな街、スイーツの街、美容院が多い・・・。
そういったイメージを持つ方が多いかもしれません。
事実私が10代の頃、東宝撮影所の帰りやお休みの日などは「モンブラン」でケーキをいただくのがとても贅沢で、店内の東郷青児さんの絵を見ながらの時間は10代の私を魔法の国に連れて行ってくれました。
帰りは本屋さんに寄って・・・。
昔からこの街に住んでいたり、お店をだしている人の声は少し違うようです。
歴史のあるお店もたくさんあり、かつては農村地区で、「自由が丘」と呼ばれるようになったのは、昭和2年だそうです。昔は赤ちょうちんの街だったとか。
自由が丘学園が誕生してから、文化人たちが集まり、自由が丘文化村が始まります。戦時中も、街の人は「自由が丘」という名前を守り抜きます。
街の人々が代々自分たちの暮らす街を愛し、誇りに思い、信条を守り抜く姿勢がこの本を読むとよく分かります。
駅前のロータリー周辺からマップが載っていますし、飲食店、雑貨屋さん、そして興味深いお米屋さんなど満載です。
帯に「この空気、なんだか気持ちいい」 と書かれています。
私は6・7年前にある居酒屋さんに行ったのですが、5時ですでに満席状態。
なんか、いいな~・・・ こういう街って。
近いうちにこの本片手にまた自由が丘に行きたくなりました。
文化放送日曜日 10時半~11時 (1月19日放送)
ぜひお聴きください。

北海道・置戸(おけと)町への旅

羽田から女満別空港に向かいます。
上空から見る釧路湿原、阿寒湖。
神秘的です。穏やかな午後の陽射しをあびまもなく迎える凍てつく冬を感じさせてくれます。こうゆう瞬間を天からの贈り物・・・と感動を戴きます。


今回はオケクラフト30周年記念「暮らしと文化を楽しむサロン」に招かれました。


農林業の振るわない過疎化の著しい町村に、住民自らが「心豊かな暮らし」をめざし、町おこしとして、置戸の町にクラフトを・・・と内外の100人以上の人々が学んできました。工業デザイナーの故秋岡芳夫の町づくりの提案がオケクラフトの誕生へと繋がっていきました。


とにかく”美しい町”なのです。
面積の87%が森林に囲まれた自然豊かな町です。
清らかな流れの川。
建物、一つ一つは個性的ですが、町全体に気品を感じます。
人口3300人という規模がちょうどいいのでしょうか、看板も木彫りでセンスよく掃除の行き届いた町。
住民が自分たちの暮らす町を愛しているのがよく分かります。
・・・風。ではなく「どま工房」にはどこか人の匂いと温かさが感じます。
オケクラフト共同工房では研究生が自立するまでサポートをしています。
工芸館で拝見した素晴らしい作品のかずかず。


1983年には「町民憲法推進大会」が開かれ秋岡さんが「木と暮らしのデザイン」をテーマに講演され、それ以来町づくりに貢献なさってきました。


工芸的な視点での町づくり・・・簡単なようで実はとても難しいことを全国をまわってきた私にはよくわかるのです。
得てして同じような駅、道路沿いの看板、田んぼの真ん中に大きな看板。
工場が丸見え。そのことを考えると、この置戸の町の何と美しいことか。
そして、美味しいのです。
NHK「プロフェショナル仕事の流儀」で話題になった”日本一”置戸の給食。40年味覚を育てるプロの技・佐々木十美さんを中心に素敵な器に数々の料理が盛られ、住民の方々とご一緒に昼食をいただきました。
「食器と食のつながり」美しい料理の数々。地産地消、地元で採れた馬鈴薯やタマネギ、ヤーコンなど秋の味覚。
どれひとつとっても、大人たちが「未来をになう子供たち」へ。という思いが伝わってきます。
豊かな自然があり、豊かな自然から生まれる暮らしがあり、季節ごとの祭りや行事を大切にし、そこに暮らす人の笑顔があり、大きく深呼吸したくなる町。私にとっては「手仕事」のある町に出逢う幸せ。


素敵な一日を過ごさせていただきました。
置戸の皆さま、ありがとうございました。
また春になったら伺いたいです。
買わせていただいたクラフトもさっそく使わせていただいておりますよ!

エジプト・ハラニア村のタペストリー展


一本の樹の下にかわいらしい動物たちが集います。
一本の樹の下に笑顔が集います。
その風景は素朴で優しく、色鮮やかです。
職人さんたちが心を込めて織ってくださいます。
自然の染料だけがだせる色合い。
いつかエジプトに行き、その職人さんをお訪ねしたいと思い続けてきました。今年の秋にはエジプト行きを計画していたのですが、今の情勢ではそれも適わなくなりました。
ハラニア村はカイロ近郊・ギザからサッカラに向かう途中にある村だそうです。タペストリーからはのどかな田舎の風景が見えます。木々に小鳥たちが遊び、村の人々は花に囲まれ穏やかな暮らしがそこにはあります。
今回のテーマは「FLOWER」
Nefer Galleryの金田理恵さんが2年前から準備してくださいました。
素晴らしいタペストリーの数々を皆さまにぜひご覧いただきたいと思います。
そして、こんな素晴らしい作品を生み出す村の人たちに早く穏やかな暮らしが戻ってきますように・・・と祈らずにはいられません。
12月8日(日)は日本では数少ないウード奏者の常味裕司さんのコンサートと金田さんと私のギャラリートークもございます。
ぜひお越しをお待ち申し上げております。
詳しくは「やまぼうし」のHPをご覧ください。
http://www.mies-living.jp/events/2013/nefer.html