琉球歴史文化の日

11月1日は「琉球歴史文化の日」と定められました。(令和3年3月31日)

沖縄は長い歴史の中で、先祖への敬い、自然への畏敬の念。多様な文化を受け入れてきました。そうした沖縄の歴史と文化への理解を深め故郷(ふるさと)への誇りや愛着を形成していく。それらの目的があります。伝統芸能、伝統工芸、音楽、食文化、沖縄のことば(しまくとぅば)……など等。

このブログでも沖縄のことは何どもお伝えしておりますが、私が始めて沖縄の地を訪ねたのは復帰の前年。もう51年前のことです。”沖縄こそが民藝のふるさと”と書かれた民芸運動の創始者 柳 宗悦氏の本で始めて知りました。それからです、私の沖縄詣でがはじまりました。

そして私はある春の一日。まるで幻のような絵巻物をみることができました。旧暦三月三日の「浜下り」という行事へ誘われたのです。私の沖縄の仲間たちからのお誘いでした。私の沖縄行きをいつも二倍三倍も楽しく心強いものにしてくれる女友だちが、三月三日のお祭に伝統的な衣装を着て集まるというではありませんか。

「浜下り」という行事は、昔ながらの女・子どもの息抜きの日。一年の労働を休み、女たちは浜辺に下りて、重箱を広げ、歌い舞って一日を楽しむというもの。浜辺で身を浄めるという故事にもゆらいしているそうです。総勢20名もの女性が浜へ下り、髪をアップにし、トップにかもじをのせた型の沖縄髪、銀のかんざし、花鳥更紗文様の打ち掛けには真っ赤な衿がついています。

高貴な女性たちの装束に身を包んだ女性たちが、古い舞い唄にあわせて舞うさまは、まさに竜宮城もかくやと思わせる幻想的華やかさ。現在でも普段着で「浜下り」は続いている伝統行事です。かれこれ30年ほど前のことです。こうして続いている友情。

旅は私に多くのことを学ばせてくれます。

幼かった四人の子供たちと夏休に沖縄の旅も経験しました。母親になったとき、ごく自然に旅を子育ての舞台にしようと思ったものです。その理由は頭で知識として学ぶのが学校なら、「体で、心で感じとってほしい」それが旅だからです。

長女は訪ねた村でおばあちゃんの話す言葉が外国語のよう。早速、図書館へ向かいました。長男は農家のおじさんにサトウキビをわけてもらいます。山育ちの長男は丈夫な歯と上手に登山ナイフが使えることが自慢です。ところがサトウキビの固さには歯がたちません。「歯がたたないもの」があると教えられました。

案内してくださったタクシーの運転手さんは六十代半ばの温厚な方。白髪まじりの頭に日焼けしたお顔。Tシャツの首元にひきつったような傷跡がみえました。一緒に写真を撮らせていただきました。末っ子のことばは「ここってアメリカ?」でした。

「いーや、坊や、ここは日本、沖縄だよ。昔、アメリカがやってきて戦争があったんだ。おじちゃんの家族や親戚もずいぶん死んだんだよ」と。

戦闘機がずらりと並ぶ基地あたりは息子たちにとって、なかなか迫力があり、それだけにおじさんのひと言がリアリティを持って伝わるんです。次女のアルバムには一緒に撮った写真の下に「おじちゃんかわいそう、せんそうっていやだね」と書かれていました。

毎年、八月になるとテレビで「語り継ぐ戦争」「語り継ぐ平和」的な番組が多くなります。

沖縄の地で、沖縄の人びとの貴重な体験談に瞬きもせず聴く小さな子供たちの姿に、私が教えられました。小さかった子ども達も親になり、やはり子どもを連れて沖縄の旅をしています。

今日(4日)これから私は沖縄に行ってまいります。「沖縄女性の翼」という女性の社会進出を促進するための活動を積極的に行っている人たちのお招きを受け、話をさせていただきます。「誰もが一人の個人として尊厳が守られる社会。誰一人取り残されない社会の実現にむけて」をテーマにシンポジュームが開催されます。次回ご報告いたします。

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