東北へのまなざし

東京駅のステーションギャラリーで「東北へのまなざし」展が9月25日まで開催されています。ドイツ人の建築家ブールーノ・タウト(1880~1938)。民藝運動を展開した柳宗悦、ペリアン、今和次郎など、東北と縁が深い人たちの”想い”を知る展覧会です。

1930年代以降はモダンとクラッシック、都会と地方がゆれ動いた時期とも言われています。東北には豊かな文化があり、そこに生きる人びとの生活に魅せられた人たち。1933年に来日したタウトもそのひとりです。

私がブルーノ・タウトの名前を知ったのは「桂離宮」の本でした。その文章により”日本再発見”をしたのです。タウトは「キレイ」という言葉をよく使ったそうですが、桂離宮や伊勢神宮の美、そして農村文化にも魅かれたそうです。

雪国の秋田には何度か訪れ祭りや風景、人びとの暮らしに深く共感し、柳宗悦、バーナード・リーチたちとも交流を深めていきます。地方の工房や農民や漁師の間に残っている優れた技術と形を保存、蒐集し後世に残そうとしました。

しかし、タウトの考える”美”と柳宗悦たちの考えには多少の違いがあり、結局、両者はお互いに好意を抱きつつも、それぞれの道を歩むことになったのです。

私は今回の展覧会で見たかった、知りたかったことの一つはタウトと柳の書簡でした。タウトが日本文化に寄せた鋭い観察と愛情、そして「日本の心」を知りたかったのです。

タウトが日本を去るときのパーティーでは柳が英語でスピーチをし感謝を述べたそうです。タウトは日本を後にし、アンカラの国立芸術大学建築家主任教授として赴任しますが、イスタンブールで急逝します。享年59。

展覧会では死後に日本の友人に託された日記、アルバムや原稿など遺品が展示され東北への足跡をたどることができます。タウトがデザインした「椅子」や「パウダーケース」も見ることができます。

一方、柳宗悦は20回以上東北を訪ね「驚くべき富有の地」と語り、蓑・刺子・陶芸などを蒐集し、染織家の芹沢桂介や棟方志功の作品、東北の玩具(こけしを中心)など素晴らしいコレクションです。こうして先人たちが私の水先案内人になってくれて私の「東北への旅」が始まります。

私は東北への憧れがありました。  

朝きよらかな鳥海の 雄姿を仰ぎ伸びゆくところ
豊かな大地に先人の たゆまぬ努力を受けつぎ励む

町民歌にある通りの町。本庄市の南に隣接し、三方を鳥海山麓由利原の高原に囲まれ、中央部に楕円形の美田を抱える。その美田を囲むように集落が点在しています。(2005年3月22日に由利郡西目町は本庄市合併により「由利本庄市西目町」になる)

日本が高度成長をとげ、列島の風景が大きく変わり、高速道路が走り集落の様子も変化を遂げていきました。 秋田のどこかで、しんしんと降りすむ雪のように糸を布に刺す女(ひと)がいる。いつかお会いしたいと思いながらすでに十年の歳月が流れていました。40年ほど前のことです。雪の季節になると、いつも必ず、その本でみた刺子が窓の外の雪の降りしきるさまと重なるのです。

私は、長いこと夢みていました。刺子をさすその人の手元を飽かずにみつめていたいと。石塚トクエさん(当時81歳)、刺し子の名人にお会いしたら、その手を見せていただこうと思いました。

うかがった日の秋田は、小春日和の冬でした。田を囲む集落に建つ家々は、すっかり冬ごもりに入っていました。刺子の名人は、暖かな家庭の和の中に、まあるく座って手を動かしています。ぽかぽかと暖かいおばあちゃんの部屋にはきちんと整頓されたお針箱がありました。

昔々から、農家の娘たちはせっせと縫い物をしつけられました。手先の器用な娘は、いい嫁さんになる資格を持っていることになります。昼は田畑で働き、夜は刺子を刺したり、縫い物をしたりで働き通し。私の母もそうでした。

野良着、手甲、脚絆…六年生のとき、麻の葉を刺して甲をもらった少女は、針と糸が人生を織り成していく道具とは気づきませんでした。一家中の野良着の始末が、当時はたちで嫁いだ石塚さんの手にかかっていました。ランプの下で、せっせせっせと針を運びました。

戦争中もそうでした。戦後の暮らしも、針と糸で支えてきました。 自由を得た私たち。でもいま、心の片隅でしきりと針と糸のある暮らしも恋しいのです。手を動かしているのが分からないうちに、布の上に糸が走ります。

「肩懲りしませんか?」と私。
”肩こりなど、したことがない”と。

なるほど、どこにも力む感じがしません。

”手にも、目にも、むりをさせないことがいいんだと思います。手は自然に動くし、目もジーッとこらしてみつめるのではなく、流れを追う感じ。そのかわり、少し暗くなったら、もう仕事はやめます。”

”浜さん、子どもは叱ってもダメ。ほめてほめて、育てた方が、いいなぁ”

”息子、嫁、孫、孫の嫁、ひ孫……そのみんなが宝物。宝物のために、刺し子してるんす”と。

子育て真っ只中にあった私。石塚さんのように肩ひじはらず生きていきたいと心底思いました。石塚家に別れを告げて、夕暮れの田の道を行くとき、雨が雪に変わっていました。夕暮れに舞う雪が、刺し子に見えます。果てしない空を一針一針、踏みしめるように生きるしかないことを、石塚さんの刺し子が教えてくれたように思いました。  

ブルーノ・タウトも柳宗悦も見た「東北の風景。」先へ先へと急ぐ私たち。伝統と近代。私たち日本人は”按排(あんばい)をどの国の人よりも大切にしていると思うのです。

東京ステーションギャラリー
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202207_tohoku.html

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