芦ノ湖の青春

早朝、雨の降らないかぎりウォーキングを楽しむ毎日です。杉の木立を抜け、芦ノ湖に向かいます。人とはほとんど出会わず、樹木の濃い匂いや風を感じ”幸せ”と、つぶやくことがおおいです。釣り人の背中越しに見る芦ノ湖。

時には正面に美しい霊峰富士を、時には霧に包まれた湖を、穏やかな湖面、荒波が立つ湖面、様々な光景が広がります。

湖の淵に腰掛け湖を見つめていたら青春時代の私に出逢いました。陽がようやく西に傾きはじめた時刻。目の前にひろがる芦ノ湖の湖面は先刻までより更にきらきらと、まるで宝石箱をひっくりかえしたように金色の輝きを放っています。

その眩しさにうっとりと見とれていると、美しい銀色の光の放射のなかを一艙のモーターボートが白い水しぶき上げて行き、その後ろを水すましが水面の上を跳ねるような水上スキーの男の姿が続きます。

考えてみれば、芦ノ湖の水上スキーが私を箱根に住まわせることになったその出発点だったかもしれないな、と水着の男性のダイナミックな滑りを見ながら、私の心はいつしか私自身の夏の青春の日々へと返ります。

待ちに待った十八歳、私は月々のお給料を長いあいだかけてためたお金で運転免許証を取り、そして念願の中古車を買いました。仕事に疲れて戻った部屋で、私は深夜になっても何故か気持ちが昂ぶって、なかなか眠りにつくことができません。

そんな夜は買ったばかりの車に乗って夜の第三京浜を横浜まで走ったり、都心の見知らぬ街を、ただあてなどなくドライブしたりして時を過ごすのが好きでした。また、たまたまいただいた休みの日には、湘南の海や箱根の山のなかまで足をのばして行くことも、楽しみのひとつでした。

車から降りてひとり散歩をしていた芦ノ湖湖畔、夕暮れどきの朱く染まった空と水の上、白い水着姿の女性が気持よさそうに水上スキーに興じている姿が目に止まりました。なんてすてきなの!・・・私もやってみたい・・・生まれてはじめて見る女性の水上スキーは力強く颯爽としていて、たちまち私を夢中にさせました。

中学の頃、バスケット・ボールをやっていた私は、社会に出てからスポーツをする機会がなくなってしまったことがとても不満でした。冬になったらスキーをやりたいと思っていたところ、日活の石原裕次郎さんがスキー場で骨折されるという事故が起きたのです。以来、会社から俳優と女優にスキーをやってはいけないという禁止令も出て、私の欲求不満は頂点に達していました。

「スキーは禁止でも水上スキーは駄目とは言われてないわ・・・」私は、芦ノ湖で白い水着の女性を見たその日のうちに、自分も水上スキーを始める決心をしていたのでした。

それからは休みになるとかならず箱根に出かけては、湖畔のボート屋さんでボート洗いのアルバイトをさせて貰いながら、夕方の三十分、一時間と夢中になって水上スキーを習いました。

そうして大好きな水上スキーがしたくて芦ノ湖に通い続けているうちに、お知り合いの人たちもたくさんできて、箱根という土地が私にとっていちばん心安らぐ場所となり、後年木の家を持とうと考えたとき何の違和感もなく「箱根に住もう」ということになったのです。その山の中で4人の子どもが育ちました。

湖の上に夜の帳がおちはじめるころワイン片手に静かに湖面を見ながら、私の青春時代に想いを馳せている私。

コロナ禍は自分自身と対峙する時間でもあるのですね。

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