げっとうの花咲く沖縄


この季節に沖縄を訪れると”げっとうの花”がハイビスカスなどと美しく咲き、「第二のふるさとに戻ってきた」かのような安堵感を覚えます。
5月15日、この時期に今年も行ってまいりました。12日から3日間、平和行進がありました。沖縄の施政権が米国から日本に返還された『沖縄県の本土復帰』から満45年を迎えました。
私は沖縄に着いたらまず訪ねるところが公設市場です。(最近は海外からの観光客で賑わっています)そこで働くおばあ・・・果物や野菜を持ってくるおばあ、土産物屋さんの看板娘になっているおばあ、優しく おおらかなで働き者の、沖縄の愛しきおばあたち。お年寄りのパワー溢れる笑顔が似合う町、沖縄。
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私が親しくさせていただいている仲間の女性たちは働きながらボランティア活動をしています。彼女達とのお付き合いも30年近くになります。そう20代の頃からなのです、皆さん。彼女たちは夢を語り、その実現に向かい真摯に努力を続けています。長い年月の間には山も谷もあったでだろうに、希望の光りが消えることはありませんでした。私の大切な・大切な友人たちです。
私が沖縄を最初にお訪ねしたのは昭和37年。まだパスポートが必要な時代でした。国際通りは舗装されておらず砂埃をあげ車が右側通行で走っていました。
中学時代から民藝の柳宗悦先生に心酔していた私は先生の著書の中で琉球文化と工芸の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋焦がれていたのです。私はこの地に最初に降り立った日のことを忘れることができません。
苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていました。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたびに、手に触れるたびに、体が震えるような感動をおぼえました。
工芸の中で強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた「八分茶碗」があります。名前の通り、八分目のところに穴があいていて穴すれすれに水を入れても水はこぼれないのに、それ以上入れてしまうと、一滴残らず水がなくなってしまうという不思議な茶碗。
人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目に医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのです。
身の丈を知り、八分目を良しとし、他者をも生かす、共生共栄の考え方がここにはあります。
そして、私の好きなことば。 ”ザリガナ” 「女の人生ザリガナ。だからザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ でないとね。」と語ってくださったのは94歳でその生涯を終えられた沖縄読谷村の花織(はなうい)を戦後見事に復元した与那嶺貞さん。
ザリガナとはもつれた糸。ザリガナ サバチヌヌナスル イナグ。もつれた糸をほぐして布にする女性のこと、と私に教えてくださいました。根気よく糸をほぐすためには、辛抱も優しさも必要でしょう。そればかりではなく、ほぐした後にどんな織物を織るかと、未来へとつなぐ希望も感じられます。
辛抱・優しさ・希望、のすべてが含まれたこの言葉、今、もっとも必要ではないでしょうか。
とくにこの時期、沖縄を訪ねるたびに本土との温度差を感じる私です。
どうぞ、未来へと平和を手渡していってください。
帰りには市場で買った豚の三枚肉で”ラフテー”が作りたくて、うずうずしている私。 ”またすぐに帰ってきま~す!”と機上の人となりました。

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