全日本大学駅伝

6日の日曜日、伊勢神宮へと向かう「全日本大学駅伝」が開催され、晩秋の清々しい秋の光を浴び選手たちがひた走りました。私もその様子をテレビで観戦いたしました。
青空のもとでのシード権争い、早稲田が6年ぶりの日本一か・・・昨年の雪辱をはらし青山学院大学か・・・アンカーの勝負でした。伊勢路を走りぬけ、内宮に飛び込んできたのは青山学院のアンカー「一色恭志選手」でした。
「タスキには先人たちの無数の哀歓がつまっている」「その凛とした布は瑞穂の国の正月をこれからも彩りを続けるだろう」と書かれたのはノンフィクション作家・早川隆さんによる『昭和十八年の冬 – 最後の箱根駅伝 – 戦時下でつながれたタスキ』です。
今、話題の一冊!です。
早坂さんは1973年愛知県岡崎市出身。2011年「昭和十七年の夏 幻の甲子園」で第21回ミズノスポーツライター賞・最優秀賞をはじめ、数々の著書があります。素晴らしいノンフィクションに出会いました。昭和18年は、私が生まれた年。そして箱根に住んでいる私は箱根駅伝がないと1年が始まりません。その箱根駅伝の歴史を丁寧に掘り起こした早坂さんをラジオのゲストにお招きして、じっくりお話しを伺いました。
知らないことばかり・・・。箱根駅伝は来年で93回目です。大正9年(1920年)2月14日・15日に始まり、東京師範学校(現在の筑波大学)の金栗四三をはじめ、多くの人物が大会創設に尽力され、その後の関東大震災、昭和恐慌などを乗り越え継続されてきた箱根駅伝。
しかし、1941年、42年は中止になりました。軍部が国道の使用許可をださなかったためとか。そこで青梅で開催されました。それでも選手達は、箱根駅伝の復活に向けて軍部と粘り強く交渉し、許可がおります。昭和18年の箱根駅伝は、1月5・6日開催で、靖国神社と箱根神社の往復だったそうです。伴走は自転車。11校が参加し、1位は日大、最下位は青山学院。1月6日の箱根は凍てつくような寒さだったそうです。多くのランナーが戦争に行き、亡くなった方もいます。また戦争に行くから「これが最後!」と思って走った箱根駅伝。
日曜の「全日本大学駅伝」では爽やかに走り抜ける若者の姿に感慨深いものがありました。
『タスキには先人たちの無数の哀歓が詰まっている』・・・という言葉。
今日の隆盛の陰に「生」と「死」の沁み込んだタスキがあった・・・・・心に響きます。
放送は1月1日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時


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