新しい女性の時代へ

浄土真宗本願寺派が出版している「御堂さん」という冊子で女性論の特集が組まれ、私もその中に原稿を書かせていただきました。2008年5月号
新しい女性の時代へ
最近「女性の品格」が流行語になりました。
それだけ女性の品格がなくなったということでしょうか?
でも、一体品格とは何でしょう。
好きな言葉はたくさんありますが、中でも私が大切にしているのが、月並みではありますが、「ありがとう」と「どうぞ」という言葉です。どちらも、相手に感謝と敬意の気持ちをこちらが抱いていることを伝える言葉です。
私は、仕事柄、旅に出ることも多いのですが、はじめての土地であっても「ありがとう」あるいは「どうぞ」というたったひとことがきっかけで、暖かい人と人の絆が生まれます。それは国内だけには限りません。
世界中のどこであっても、「サンキュー」「プリーズ」「メルシー」「シルブ、プレ」と声にするだけで、人は笑顔になり、その場に、優しい空気がふんわりと生まれます。そうしたときには、こんな優しい言葉をもっていることのありがたさに、感謝の気持ちが私の胸にあふれます。
でも、最近、「ありがとう」や「どうぞ」という言葉を使わなくなった人が少なくなってきたような気がしませんか。また、たとえば肩と肩がぶつかったときにとっさに「失礼!」「すみません」という言葉が出ない大人も、残念なことに最近、増えてきているようです。
スーパーや駅などで、誰とも会話をしなくても、ことがすむ時代になったからでしょうか。まるでそこに他人などいないかのようにふるまう人が少しずつ増えてきているようです。それと時期を同一にして、新聞報道などによると、突然、感情を爆発させる人も増えてきたといわれます。
顔と顔を見つめて会話を交わすという、生のコミュニケーションを、私たちは、もっと大切にしなくてはならないのではないでしょうか。生のコミュニケーションは、私たちを切磋琢磨してくれます。相手の気持ちを汲み取ることを訓練すると同時に、自分の感情をコントロールする力をはぐくんでくれます。
家庭で、学校で、仕事場で、あらゆる場にコミュニケーションは不可欠なものであるはず。それでも、自分の感情を適切な方法で開放したり、抑えたりすることが難しいという人が増加していることを考えると、不幸にもそうした機会に恵まれなかったり、自らその機会を放棄してしまうケースが、現代では少なくないということなのかもしれません。
けれど、自分の感情に自分自身が翻弄されてしまい、相手に感情をぶつけてしまうようでは、何より本人がさびしく、幸せな状態とはいえません。
家庭で、あるいは学校で、もう一度、コミュニケーションの大切さを再認識する時期がきているのではないでしょうか。
ところで、感情をコントロールすることは、感情を出さないということとは違います。大切なのは、ひたすらおとなしくして我慢を強いることではなく、その人、そしてその場にあったもので、伝えるべきことをきちんと伝えることだと私は思っています。
私は4人の子どもの母親として、長い子育てを経験しました。子どもの心をはぐくむだけでなく、この時期、子育てを通して私自身も多くのことを教えられました。たとえば、同じ言葉であっても、相手(子ども)が受け入れられない状態ではなく、受け入れられる状態になるまで待って、はじめてその言葉をかけることで、水が大地にしみこむように、こちらの思いが伝わっていくことも、失敗を通して学びました。
そうした発見や学びの数々が、それ以降の私の人生をより豊かなものにしてくれたのは、いうまでもありません。育児は育自だといわれますが、まさにそのとおりでした。そして、いくつになっても人は学ぶことができるということも、改めて感じさせられました。
人はひとりでは生きられません。互いに支え、支えられて、生きていきます。穏やかに、心優しく暮らすためにも、温かなコミュニケーションが不可欠です。感情が激したときには、直接誰かにぶつける前に、どんな理由でこれほど感情が揺れているのかを考えてみてはどうでしょう。厳しい言葉は、その場を暗く沈ませてしまいます。そうした言葉をなるべく使わず、思いを伝えるために、言葉を選ぶようにしませんか。
そして「ありがとう」「どうぞ」という言葉を、意識して日に何度も声にしてみてほしいのです。声にすると言葉が相手だけでなく、自分自身をも優しく包んでくれるのを感じるはず。その場を明るく暖かく照らしてくれる言葉をいつもあなたのそばにおいてください。
写真は本日の散歩で訪ねた箱根湿生花園にて
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