ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・日本のふるさとを歩く」

今回ご紹介するのは愛媛県内子町・石畳地域です。
まず最初に内子町について少しお話しさせて頂きます。
明治の家並みの美しさ、白壁・なまこ壁の町並みは皆さんご存知のことと思いますが、内子町は愛媛県の西南部に位置し、東西15、5km、南北14、5km、に位置しており、68%を山林が占める農山村です。
松山市からは約40キロ
松山から内子まではJR予讃(よさん)内子線で25分
車なら松山インターから高速松山自動車道で約25分
平成17年1月1日に、旧内子町、旧五十崎町、旧小田町の3町が、合併し、新内子町が誕生しました。
町の目指すべき姿として、「エコロジータウン・うちこ」をまちずくりのキャッチフレーズに揚げています。
町中を小田川、中山川、麗川が流れ、農家と農地が散在し、標高200~300米の山腹や丘陵地には、かつては葉タバコから現在現在は果樹、施設園芸など、谷間に美しい自然と農村の景観が形成されております。
町内に目を向ければ「町並み保存地域」にみられるように家々は、見事な鏝絵(こてえ)が残り、漆喰芸術の数々が見られます。
江戸から明治期には養蚕業、木蝋、大正期は生糸で栄えてた町。今でも当時の繁栄がしのばれます。
私は早朝、町並みを歩いたことがございますが、人々が声をかけ合い清清しい空気がそこには流れておりました。
そして、なんといっても内子といえば「内子座」・・・。
地方に残る貴重な芝居小屋。文楽や歌舞伎も演じられる小屋です。昨年は、十八代目中村勘三郎の襲名歌舞伎公演も行われました。なにも開催されていない時には内部を見学できます。
私は舞台下の奈落を見学させて頂き、築90年、木造建築の2階建てのこの小屋をよく改修復元したと感心させられました。地元の方々の熱き思いが伝わってきました。
もともと、この小屋は農閑期に農民が歌舞伎や文楽などを楽しんだ小屋です。こうした背景には地域の人々の伝統文化の保存、継承、農村が持つ信仰の熱さ、念仏講や秋祭り、神社での神楽、子供相撲、炭焼きの復活など、地域の個性的な景観が人々の手で守られております。
「町並み」から「村並み」へをキャッチフレーズにして、”今”・・・という時代にマッチした町づくりが行われております。
さて、今回ご紹介する”石畳地域”は町の中心部から約12km、「小田川」の支流「麗川」源流域に位置する、農林業を主体とした人口380人の小さな地域です。
過疎、高齢化が進むなかで、「このままでは集落が消えてしまう」、「石畳に誇りに思える地域をつくりたい」と昭和62年、農家の若者や町職員12名の有志(現在25名の会員)が「石畳を思う会」を発足させました。
未来を担う子供たちに何を残すべきか・・・未来への投資のために汗をかこう!
そして、
地域の歴史を伝える水車小屋を自費で復元。
水車公園の整備
地域を流れる麗川の蛍の保護。
樹齢350年といわれる「東のしだれ桜」地元の石工職人によって美しい石垣が築かれ、毎年4月には、集落の人々が桜の下の民家で「桜まつり」を開催し多くの人で賑わいます。
そして、地域の名所は「弓削神社の屋根付橋」 杉皮で葺かれた屋根はそれはそれは美しいです。
橋脚も昔ながらの工法で改修され、「結い」の精神が残る集落。従来の「行政におんぶにだっこ」的な考えから自立し
た集落づくりに頑張っておられます。
「地域の文化を大切にしよう」
「自分たちでできることは自分たちの手でやっていこう」
そして、内子町全体では”グリーンツーリズム”に力をいれています。町内には宿が13軒あります。私も泊まったことがございます。
「ゆっくり農村体験をしてほしい」・・・とどこの農泊の方々も仰います。
 
石畳地域には町営民宿「石畳の宿」があります。明治中期の農家を移築復元し、懐かしい雰囲気が漂う宿泊施設。地域の農家主婦が地場の素材を使い手料理でもてなしてくださいます。
こちらは、JR内子駅より車で30分。
定員は12名。
囲炉裏を囲みながら田舎料理、旬の野菜の煮物や山菜のてんぷら、囲炉裏で焼く川魚・・・など山里でのんびりと、地元の人たちの温かなもてなしを・・・心あたたまりますよね。
そうそう、内子には幻の名酒といわれる地元の棚田米使用の純米大吟醸生酒もございます。
肌寒くなった秋、紅葉を見がてら旅がしたくなりました。