若狭の家

先日とても懐かしい写真が送られてきました。京都在住の元新聞記者の方からでした。私のコマーシャルを観てくださり、「お元気なんだ」と安心し、福井県大飯町(現おおい町)三森で田植えや稲刈りの時の写真を送ります、とのことで25年前の懐かしい写真をフィルムからプリントしてくださいました。

”農と食”を勉強したい・・・との思いから女優を退き、実際に畑を作り、野菜や果物の育つ様子をこの目で確かめながら暮らしたい。子供たちに、蛍がりや小川のせせらぎ・・・故郷の原点のような田舎を持たせたい。そんな思いが実り、「すずめのお宿」みたいな茅葺の家を持つことになりました。

おおい町は、さば街道の起点として有名な小浜から車で小一時間の山あいにあり、海も近いので、新鮮な魚介も豊富。冬はとても寒いのですが、茅ぶきとともに、さまざまな野菜が育ちます。

「田んぼで米作りにも挑戦したい!」など無謀とも思える行動に。「この目で確かめ、自分で経験したい!」これが私のこれまで生きてきたモットーです。

でも、素人の私が簡単にできることではありません。隣の集落に住む画家の奥さんが「おはよう、浜さんよう寝むれましたか?」と畑のなかから満面の笑顔が早朝から顔をだします。私の野菜作りの師匠です。

私の若狭の家を、畑を陰で守り続けてくださいました。「浜さん、今年は茄子の出来がいいなあ」はちきれそうなインゲンの緑、太った茄子の紫、トゲトゲの痛いきゅうり、泥のついたにんじん・・・それらを籠いっぱいに摘んで、縁側によいしょと座り込みその日の献立を考えます。

わが家の畑でできた野菜は、お世辞にも器量よしとはいえないものばかり。でも、どれを手にとっても、わが子のように可愛くて仕方がないのです。”あばたもエクボ”なんですね~。子供たちも夏休みにはやってきて、山ほどの魚を釣ってきます。

料理教室など通ったことさえない私が『娘たちへ 毎日の幸せおかず』(講談社)を出版したのが1994年。それは子供たちに料理作りが苦手でない女性に育って欲しい・・・との思いから。お芋の煮っころがしやきんぴらが得意な人になって欲しい・・・そして、”土のもつ力”を知って欲しい。そんな思いからです。

コロナ禍の中で”移住”が話題になっています。都会には都会の良さがあります。しかしこれからの時代”本当の豊かさ”が求められてくるのではないでしょうか?

「農」は命に直結しています。他国に頼っていることはどれほど不安になるか・・・を今回実感した私たちです。

「10年は米作りを」を目標にしました。専業農家のご夫妻に手ほどきを受け、水の管理、草取り、手植え、はさかけ、収穫までにどれほどの手間がかかるか。10年といってもたったの10回の経験です。

でも、自慢ではないのですが「浜美枝のひとめぼれ」を収穫しました!現在は10年前に客員教授として迎えられ一緒に学んだ大学生たちが泥んこになって励んでいます。(今年はコロナで参加できません)

天候や気候に気を配りながら、肥沃な土のなかで育っていく野菜や米たちの成長ぶりを自分の目で確かめる暮らし。そんな日々の営みこそが、自然に抱かれ生きる人間の、とてもまともな、そしてほんとうの豊かさのある暮らしなのだと少しでも感じてほしいのです、若者たちへ。ITの時代これからは新たな時代を迎え、きっと新しい農業のあり方も生まれるでしょう。

今年はコロナで若狭の夏を体験できませんが、ある年の夏。午後から降り出した雨のせいもあり、一日じゅうゆっくりと読書三昧の一日を過ごしました。そして、雨あがりの夜八時過ぎ、「そろそろ蛍が舞いそう」と家を出ると水田のあぜ道に行ってみました。その時、私はその水田のなかに、ほんとうにこの世のものとは思えないような光景をみたのです。

月を背負ってそこに立っている私自身のシルエットが、水田の水面にくっきりと映っています。ノースリーブにギャザースカートの黒い影が、水の中でゆらゆらと揺れていました。そしてしばらくすると、そのスカートの形のなかに何十匹もの蛍が、美しい光を放ちながら舞っているではありませんか。私はただうっとりとその場に立ちつくして、蛍たちがスカートのシルエットのなかで踊っているさまをいつまでも眺めていたのでした。

田んぼの早生米もまもなく収穫のときを迎えます。美味しいごはんをしっかり食べて、元気にこの夏を乗り切りましょう!そして、一日も早い収束を心から願います。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

梅雨も明け猛暑日の午後、ラジオ収録後に上野の国立西洋美術館を訪れました。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が開催されています。本来ですと3月3日からの予定でしたが、延期となりようやく観られるようになりました。

あらかじめチケットはネットで購入していたので、これまでだったら話題の大型展だったら大行列するでしょうけれど入場者を制限し、30分単位での入場ですからとてもスムーズに入ることができ、会場も人の頭越に作品を見ることもなく、快適に鑑賞することができました。

今回は感染予防対策としてのシステムですが、これからもこのような新しい方法での鑑賞ができたらいいですね。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、”みんなに開かれた誰でもが来られる美術館”を目指し1824年5月10日に開館しました。

市井の人の寄付、コレクターの寄贈などでできあがりました。そして、ロンドンでは入場は無料です。(私もロンドン滞在中には何度も訪れました)

今回の作品はすべて日本初公開の作品ばかり。ギャラリーはまもなく設立200年を迎えますがこれまで一度も外国で展覧会を開いたことがないそうです。

そして、これらのコレクションが、王室などを由来としたヨーロッパの美術館と異なり英国民の手で英国民のために作られたとか。今回は61点の作品に出会えますし、まさに西洋美術史の教科書を学べるように、イタリア・ルネッサンスが花開いた15世紀からポスト印象派に至る19世紀末までの名品ばかりが集まっています。

私は展覧会の鑑賞の仕方として、全て観てクタクタになるのは苦手ですので、あらかじめ自分が見たい作品を6,7点決めておいて真っ直ぐその作品と対面します。

一番観たかったフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」。

そしてフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」。

ゴッホが共同生活を送る親友ゴーギャンの寝室を飾るために描いたこの作品。歓びの後の哀しい結末・・・この絵を見つめているとゴッホの喜びが伝わります。

モネ、ルノアール、レンブランド、ターナー・・・宗教画・神話画・風景画・肖像画・風俗画。バルトロメ・エステバン・ムリ-リョの「窓枠に身を乗り出した農民の少年」これも見たかった一枚です。タヒチ時代にはヨーロッパから球根を取り寄せ育てた花の絵は以外にもゴーガン。花も好きだったのですね。

というわけで、あっという間の2時間でした。上野から東京駅に。新幹線で真っ直ぐ小田原に出て山に戻ってきました。”巣ごもり”でも工夫してこのような時間はやはり必要ですよね。

展覧会公式サイト
https://artexhibition.jp/london2020/

夏が似合う女性(ひと)

梅雨も明けて、まもなく灼熱の太陽がジリジリと肌を焦がす季節をむかえると、森瑤子さんを思い出します。

彼女は私が知っている女性のなかで、誰よりも夏が似合う女性でした。1993年7月6日。52歳という若さで天に召されました。四谷の教会で静かに笑みをうかべた瑤子さんとのお別れ・・・夏でした。同じ季節、私は森の中であなたを想っています。

それは、お知り合いになってまだ間もない頃に、与論島の彼女の別荘にお邪魔したときの印象があまりに強烈だったせいかもしれません。

「浜さん、ヨロンに遊びに来ない?裸で泳がせてあげる」

仕事を通じての出会いだったこともあり、まだお友達と呼べるほどの親しい会話も交わしていない瑤子さんから突然そんなお誘いを受けて、私は心底びっくりし、長いあいだ憧れ続けていた上級生から声をかけられた女学生のように、半ば緊張しながら素直にうなずいていたのです。

白い珊瑚礁に囲まれて熱帯魚の形をした、あまりにもエキゾチックな匂いのする与論島。サトウキビ畑の真ん中にある空港に降り立つと、真っ白なつば広の帽子を小粋にかぶり、目のさめるような原色のサマードレスを着た瑤子さんが待っていてくれました。

「この島は川がないでしょう。だから海が汚れず、きれいなままなの。娘たちにこの海を見せてやりたくて・・・」私は瑤子さんの言葉を聞きながら、母親の思いというものは誰でもいつも同じなのだなと感じ、急に彼女がそれまでよりもとても身近な存在に思えたのでした。実際私の知る限り、森瑤子さんほど妻として母親としての役目を完璧にこなしていた女性に会ったことがありません。

長いあいだの専業主婦の時を経て、突然作家になられ、一躍有名人になられて、そして仕事がとても忙しかったことで、瑤子さんは絶えずご主人や娘さんたちに対して後ろめたさのようなものを抱え続けていらっしゃるようでした。

書かれている小説の内容や、お洒落で粋な外見の風貌とは裏腹に、娘たちにとっての良き母親であろうとする日本女性そのものの森瑤子さんがいつも居て、仕事も家庭も、どちらも絶対におろそかにすることのない女性でした。

そう、都会の男と女の愛と別れを乾いた視線で書き続けた森瑤子という作家は、個人に戻ればどこまでも子どもたちのことを思う、「母性のひと」であったのです。

私は四十代の中頃まで、そんな瑤子さんに対しても、自分自身の心の内の辛さや痛さなど他人(ひと)に打ち明けることのできない女でした。十代の頃から社会に出て働き続けてきたせいか、他人に甘えることのとても下手な人間だったのです。心にどんなに辛いことがあったとしても、涙を流すのはひとりになってから。肩肘をはって生きてきたような気がします。

そんな私が、「花織の記」というエッセー集を出版したとき、あとがきを瑤子さんにお願いしました。あの頃の私はさまざまな悩みを抱えていて、スランプ状態に陥っていたのです。

そんなある夜更け、突然瑤子さんからお電話がかかりました。「あとがきができたからいまから送るわね」という優しいお声の後に、FAXの原稿が流れてきたのです。

「私は浜美枝さんの母の顔を見たことがない。同様に妻の顔も見ていない、(中略)私の知っている美枝さんは、一人の素顔の女すらでもなく、仕事をしている時のハマミエその人だけだ。けれども仕事をとってハマミエを考えられるだろうか?今ある彼女を創ってきたのは、彼女の仕事であり、今日まで出逢ってきた何万人もの人々との出逢いである。そうして生きて来ながら、彼女はたえず自分自身に疑問を投げかけ、その自問に答えることによって、今日あるのだと思う。」

さらに瑤子さんは、妻であり、母親であり、仕事を持つ女性の苦悩をご自身の体験に重ねて書かれた後にこのようにしめくくってくださったのです。

「時に私は、講演会などで人前で喋ると、身も心も空になり、魂の抜けた人のように茫然自失してしまうことがある。あるいは一冊の長編を書き上げた直後の虚脱感の中に取り残されてしまうことがある。そんな時私が渇望するのは、ひたすら慰めに満ちた暖かい他人の腕。その腕でしっかりと抱きしめてもらえたらどんなに心の泡立ちがしずまるだろうかという思い。けれども、そのように慰めに満ちた腕などどこにも存在しないのだ。そこで私は自分自身の腕を前で交錯して自分自身で抱きしめて、その場に立ちすくんでしまうのだ。

おそらく、美枝さんも、しばしばそのように自分で自分を抱きしめてきたのではないかと、私は想像する。今度もし、そんな場面にいきあたったら、美枝さん、私があなたを抱きしめてあげる。もしそういう場面にいきあたったら———–」

ひとり温かな涙を流し続けたあの夜。

その瑤子さんがそのわずか二年後にこの世から消えてしまわれるなんて、どうして想像することができたでしょうか・・・・・?

そうね、時には弱音をはいたりすることが、恥ずかしいことではないと貴女が教えてくださいました。

心が落ち着かない日々が続いておりますが、こうして夕暮れ時に瑤子さんを想うとき、心があたたかくなります。いつまでも語り続けたくなります。

芦ノ湖の青春

早朝、雨の降らないかぎりウォーキングを楽しむ毎日です。杉の木立を抜け、芦ノ湖に向かいます。人とはほとんど出会わず、樹木の濃い匂いや風を感じ”幸せ”と、つぶやくことがおおいです。釣り人の背中越しに見る芦ノ湖。

時には正面に美しい霊峰富士を、時には霧に包まれた湖を、穏やかな湖面、荒波が立つ湖面、様々な光景が広がります。

湖の淵に腰掛け湖を見つめていたら青春時代の私に出逢いました。陽がようやく西に傾きはじめた時刻。目の前にひろがる芦ノ湖の湖面は先刻までより更にきらきらと、まるで宝石箱をひっくりかえしたように金色の輝きを放っています。

その眩しさにうっとりと見とれていると、美しい銀色の光の放射のなかを一艙のモーターボートが白い水しぶき上げて行き、その後ろを水すましが水面の上を跳ねるような水上スキーの男の姿が続きます。

考えてみれば、芦ノ湖の水上スキーが私を箱根に住まわせることになったその出発点だったかもしれないな、と水着の男性のダイナミックな滑りを見ながら、私の心はいつしか私自身の夏の青春の日々へと返ります。

待ちに待った十八歳、私は月々のお給料を長いあいだかけてためたお金で運転免許証を取り、そして念願の中古車を買いました。仕事に疲れて戻った部屋で、私は深夜になっても何故か気持ちが昂ぶって、なかなか眠りにつくことができません。

そんな夜は買ったばかりの車に乗って夜の第三京浜を横浜まで走ったり、都心の見知らぬ街を、ただあてなどなくドライブしたりして時を過ごすのが好きでした。また、たまたまいただいた休みの日には、湘南の海や箱根の山のなかまで足をのばして行くことも、楽しみのひとつでした。

車から降りてひとり散歩をしていた芦ノ湖湖畔、夕暮れどきの朱く染まった空と水の上、白い水着姿の女性が気持よさそうに水上スキーに興じている姿が目に止まりました。なんてすてきなの!・・・私もやってみたい・・・生まれてはじめて見る女性の水上スキーは力強く颯爽としていて、たちまち私を夢中にさせました。

中学の頃、バスケット・ボールをやっていた私は、社会に出てからスポーツをする機会がなくなってしまったことがとても不満でした。冬になったらスキーをやりたいと思っていたところ、日活の石原裕次郎さんがスキー場で骨折されるという事故が起きたのです。以来、会社から俳優と女優にスキーをやってはいけないという禁止令も出て、私の欲求不満は頂点に達していました。

「スキーは禁止でも水上スキーは駄目とは言われてないわ・・・」私は、芦ノ湖で白い水着の女性を見たその日のうちに、自分も水上スキーを始める決心をしていたのでした。

それからは休みになるとかならず箱根に出かけては、湖畔のボート屋さんでボート洗いのアルバイトをさせて貰いながら、夕方の三十分、一時間と夢中になって水上スキーを習いました。

そうして大好きな水上スキーがしたくて芦ノ湖に通い続けているうちに、お知り合いの人たちもたくさんできて、箱根という土地が私にとっていちばん心安らぐ場所となり、後年木の家を持とうと考えたとき何の違和感もなく「箱根に住もう」ということになったのです。その山の中で4人の子どもが育ちました。

湖の上に夜の帳がおちはじめるころワイン片手に静かに湖面を見ながら、私の青春時代に想いを馳せている私。

コロナ禍は自分自身と対峙する時間でもあるのですね。

苔庭の美しい美術館

日々落ち着かないなか、遠出の旅も控え、なるべく近くの”小さな旅”を楽しんでおります。3密をさけひとり旅です。幸せなことに箱根の山の中には何度もブログには書きましたが、美術館がいくつもあり、思いたったらすぐに行けることは、このような環境下ではありがたいと思っております。

最近、苔が静かなブームになっていて、お部屋でカジュアルに楽しむ方もふえているとか。わが家も箱根という場所がら苔にとっては育ちやすい(自生)環境なので、庭や石垣にも生えています。

苔寺で有名な京都・西芳寺は境内一面をおおう苔の美しさから「苔寺」として有名ですね。私はこの梅雨の時期に何度か訪ねました。

先日、朝から霧雨の日、苔庭の美しい「箱根美術館」に行ってまいりました。霧におおわれ苔もしっとりと深緑。目にとても優しいのです。

美術館は強羅の斜面を活用し海抜630mにある美術館です。箱根湯本駅から登山電車の終点、強羅駅から歩いて15分ほどですが、上り坂がけっこうキツイので登山ケーブルで一駅「公園上」下車。徒歩2分で「箱根美術館」です。ちょっとした”旅気分”を味わえます。

エントランスを入ると苔とモミジに彩られた「苔庭」が目に入ってきます。

一朝一夕にはこのような庭は難しいでしょうね。モミジが紅葉する頃は人でいっぱいです。

まずは、茶室・真和亭でお庭を眺めながら一服のお茶をいただきました。そして庭園を散策してから美術館へ。

(フラッシュ無しのみ撮影可)

日本、中国、韓国などの”中世のやきもの”を中心に、縄文時代から江戸時代までの瀬戸や備前の壷、古伊万里など等、充実しております。のんびり半日を過ごし強羅からバスで帰路につきました。

嬉しいお知らせがあります。2019年台風で線路滑落後、工事が終了し長期間運休していた箱根登山電車が箱根湯本駅~強羅間で7月23日に運行が再開されます。

箱根山の風景には登山電車はなくてはならない存在です。
スイッチバックを繰り返し登る姿は愛しさを感じます。

どうぞ、のんびり登山電車に乗り、”小さな旅”におでかけくださいませ。

美術館公式サイト
http://www.moaart.or.jp/hakone/

トラックドライバーにも言わせて

この度豪雨で甚大な被害に見舞われた九州はじめ多くの方々にお見舞い申し上げるとともに亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。球磨川流域、筑後川流域、飛騨川流域などでは氾濫が発生し、あの美しい風景が一変してしまいました。何度も訪れた街もございます。これ以上の被害が広がることのないよう祈るばかりです。

その豪雨の中でもトラックは走り続けています。

日本の貨物輸送の9割以上を担うトラックは「国の血液」。そうならば「道路」は「国」という「体」の隅々に張り巡らされた「血管」で「荷物」はその血液が血管を通して運ぶ「栄養」。

こうおっしゃるのは自ら大型自動車一種免許を取得し、11年間ハンドルを握り片道500キロをピストン輸送するなど、トラックドライバーとして活躍し会社経営もなさっていらした、橋本愛喜さんです。

お父様が経営していた工場を、病に倒れたあとに引き継ぎ大型トラックの運転士として活動している中で、あれほど日本の物流を第一線で支える配送ドライバーの現状を世間の人にはあまり知られていない・・・そんな思いで書かれたのが「ドライバーにも言わせて」(新潮新書)です。

大学卒業後はニューヨークへ歌の勉強のために留学する予定を取りやめ工場に入社。その後、10数年してから、工場は閉鎖し、目的だったニューヨーク留学を経験し、現在はフリーのライターとして活躍。労働問題、災害対策、差別など幅広いテーマで執筆しています。

今回の本「ドライバーにも言わせて」は全国のドライバーさんたちが、いかに厳しい環境で働いているかがわかる一冊です。その現状から日本が抱える問題点も明らかになっています。電話ではありましたがラジオでじっくりお話を伺いました。

私も箱根に住んでおりますので、山を上り下りする時にトラックとのお付き合いは多いです。荷物が重くてのノロノロ運転かと思っていたらそれだけではなく、大きくあいた車間は荷崩れをさけるための距離であったり、休憩中にエンジンを切らない理由など等。ドライバーさんが心身ともに疲弊するのは「荷主」とのやりとりだったり。

私たちの日常生活での「宅配」などはもう欠かせませんが「再配達」や「時間指定」などあたり前のように思っているところがありますが、それらは無料で行なわれているにもかかわらず、受取人から数分遅れるだけで「何のための時間指定だ」というクレームもあるそうです。便利になった現在、「おせち」も全国から取り寄せられます。

私たちの家庭に届く「要冷蔵」「要冷凍」の荷物が「冷蔵冷凍庫」と呼ばれるトラックです。休憩時路上でハンドルに足上げ姿は過酷な労働環境の表れで、足や下半身の血流が悪くなり、できた血液の塊(血栓)が肺の血管に詰まる病気で呼吸困難になる場合もあるそうです。

私は橋本さんに伺いました。「なぜ女性トラックドライバー」の数がふえないのですか?」と。やはり女性には過酷なのだそうです。「重い荷物の取り扱い」、「不規則で長い労働時間」、筋肉・体力のある男性のほうが有利になることが多いし、女性には、「結婚・出産」という問題もあります。

いずれにしても、コロナ問題が起きてからはさらにネットショップが普及した現在、多い時で1日200個を超える荷物を扱う中、ドライバーさんの高齢化の問題もあります。

お中元やお歳暮など、他の国にはない「贈り物」の習慣もあると橋本さんは語られます。「トラック野郎」は情に厚く、仲間意識は強く、眠気覚ましに話しに付き合ってくれることもあるとか。それぞれが「過酷な労働環境の中で、自分たちは日本の経済活動には欠かせない仕事をしている」という強い誇りを持って日本各地を走っています。と語られます。

配送の需要が急増した現代社会。私たち消費者はお互いを思いやり、実情を知り、より良い環境が生み出せたらいいですね。
橋本愛喜さんのお話をぜひお聴きください。

文化放送 「浜 美枝の いつかあなたと」
7月19日放送 日曜9時半~10時

ロバート・キャンベルさん

私は美しい日本語でお話しをされるロバート・キャンベルさんのファンです。

先日、新聞に彼の記事が掲載されておりました。
「日本古典と感染症」について語られておりました。
そして国文学研究資料館館長でもあるキャンベルさんが同館公式サイトで動画を配信していることを知りました。

さっそく拝見すると古典には感染症と向き合った長い歴史が刻まれているという。歴史ある膨大な資料に囲まれた書庫の中で、語るキャンベルさんのお話は大変興味深く、これはラジオのゲストにお招きしお話をお伺いしたいと思いました。電話でのご出演でしたが、丁寧にご説明くださいました。

国文学研究資料館館長のロバート・キャンベルさんはニューヨーク生まれ。ハーバード大学大学院 東アジア言語文化学科・博士課程終了後、1985年、九州大学文学部研究生として来日。

近世・近代日本文学が専門で、江戸時代の終わりから明治の前半の漢文学に関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せています。

近代医学が発達していなかった江戸時代の人が感染症とどのように向き合っていたのか。お互いを支えあっていたのか。幕末の1858年、コレラが流行しました。「頃痢(ころり)流行記」という書物は木版の多色刷りで、江戸の人はたくさんの人が亡くなって遺体の処理が順番待ちになっている様子を「直視」し、厳しい状況を見据え、お互いを支えあおうとしていたそうです。

そして、戯作者の式亭三馬の「麻疹戯言(ましんきげん)」には笑いで災いを浄化する様子が描かれている。皆んなで書物を通して情報を共有し、不安の中、「自分は一人ではない」という気持になったそうです。

今回のコロナ禍は様々なメディアが情報過多と思えるほど報道が多いように私には思えます。不安にもなります。『お互いを支えあう』ことの大切さを日本古典から学べます。

コロナ収束後の社会について、またもし私たちの子孫が100年後に今回のコロナ禍を調べたり、新たな感染症から立ち上がるために動きだしたら、キャンベルさんはどんな言葉をかけますか?とも伺いました。

私の個人的な気持ですがウイルスも自然の一部です。闘うのではなく自然を畏敬し、共存することを知っていた先人に学ぶことが多いのではないでしょうか。太陽が出たら手を合わせ、しっかり太陽を浴びましょう。

ロバートキャンベルさんの動画は下記です。

放送 文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
7月12日(日曜) 9時半~10時まで

大きなスクリーンで観る映画

先週の金曜日に国内の移動自粛要請がすべてなくなりました。これで人の動きもいっそう活発になっていくでしょう。でも、多くの方はそれぞれの思いを胸に、ゆっくりと静かに歩みを進めているのではないでしょうか。

私もこのブログに毎回のように書かせていただきました。行動の制限がなくなり安心も得られるなら、思う存分美術展や映画館に行ってみたい。そこで少しずつ、動きだしました。やはり、映画が気になります。大好きな映画を観るために、そして社会観察のためにです。

10代の頃からお世話になった東宝は、今年4月のグループの入場料収入が「前年に比べて97%減になった」とのこと。こうした衝撃的なニュースに接すると、やはり胸が痛みます。

いま、映画はどうなっているの?
映画館はどう変わってしまったの?

先週、『お名前はアドルフ?』を観ました。ドイツ映画です。大学教授の夫と国語教師の妻。そして妻の弟とその恋人。

映画のシーンは、大学教授のダイニング・ルームが中心です。談論風発の食事会が進む中、弟の恋人が出産を控え、生まれてくる子どもの名前で話は盛り上がります。父親となる弟は「男の子なんだ。名前はアドルフにした!」と宣言します。突然の沈黙に襲われる食事会。

なぜ独裁者、アドルフ・ヒトラーの名前を付けるのか?

果てしない論争がスタートします。そして議論の行く先は名前だけに留まらず、個人的な昔話にまで拡散し、収拾がつかなくなります。更には、大学教授の妻の大演説まで始まるのです。

仕事をこなし、家事もきちんとやる妻。しかし、夫は家庭の事にはほとんど関心を示さない。この妻は日頃の夫の行状に不満を募らせていたのでしょう。積もり積もった恨みが堰を切ったように溢れ出ます。この映画の見どころの一つとも言えますね。

舞台の芝居を思わせるこの熱演に私はぐいぐい引き込まれ、ある種の心地良さすら覚えました。それもそのはず、この映画の原作は10年前にパリで初舞台となった戯曲、『名前』でした。

フランスでヒットしたドイツがテーマの舞台作品を、当事者が放っておくはずがありません。プロデューサーも監督も、そしてキャストも、皆ドイツ人でした。映画、舞台、テレビ界が文字通りの”ワンチーム”を結成したのですね。

90分間、私は揺さぶられ、思わず笑い、深くうなずき、そして翻弄され続けました。最後の大逆転に腰を抜かし、エンド・ロールが流れ出すまで、”波乱万丈”の時間を十分に堪能することができたのです。その中には新しい発見もありました。

私の昔の体験です。日本から農村女性たちとグリーンツーリズムの勉強でヨーロッパに15年ほど通いました。もちろんドイツにも毎回伺いました。ドイツ人といえば、実直で働き者という印象が強かったです。

そんな彼らのイメージは、ふれあいの旅を重ねる中で、ますます強くなっていきました。そして今回の『アドルフ』。新たにドイツ人のユーモアや笑いのセンスを見つけ出すことができました。先入観の見直しを迫られる快感に、思わず「ブラボー!」と叫びたくなりました。

館内は左右の席が空いており、ゆったりと座った皆さんはマスクを付け、静かに映画を楽しんでおられました。終了後、満足げに席を立ったのは20人弱。その横で次の上映に備え、パイプなどを手早く消毒するスタッフの方々の真剣な表情が、とても印象的でした。コロナ禍の映画は、こうして再出発するのですね。

私は大きなスクリーンに向かい、「ありがとうございました」と軽く会釈して会場を後にしました。

映画公式サイト
http://www.cetera.co.jp/adolf/

映画館再開

待ちに待った映画館が営業を再開し始めました。
私は3ヶ月ぶりに大きなスクリーンでの鑑賞。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のための休館でした。映画だけではなく、演劇、音楽、美術館、全てが休業していたのです。こんなに不安で味気ない時って初めての経験でした。

先日ブログに載せましたが、箱根の美術館へまず行ってまいりました。そして、東京のラジオ収録も再開されました。その帰りに映画館に飛び込みました。

感染予防のため、入り口には消毒液、マスク着用はもちろん、座席も3分の1の観客です。客席は前後左右を空けて間隔を確保し、清掃のためのスタッフの方々の仕事も通常より増加していることでしょう。

旧作や中規模作品が6月5日公開。大作や話題作はまだ公開が決っておりません。でも、とにかく映画ファンとしては、映画館を応援したい!そして一日も早く通常の映画興行に戻っていただきたいと願います。

さて、何を観たと思いますか?

あの名作『ひまわり』です。

これまでも何度か観ております。第二次世界大戦のさなか、ナポリの海岸で恋に落ち、結婚した二人。しかし男は、運命の悪戯によって過酷な雪の東部戦線へと送られてしまいます。

ひたすら夫の無事を信じて待ち続ける女ジョバンナを演じるのはソフィア・ローレン。夫アントニオ役はマルチエロ・マストロヤンニ。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。音楽はヘンリ・マンシーニ。

ソフィア・ローレンはデ・シーカ監督と組んだ「ふたりの女」(60)や「河の女」(54)など数々の名作に出演しています。96年没のマルチェロ・マストロヤンニは「甘い生活」(60)で世界的なスターになり二枚目、三枚目まで人生の悲喜劇を演じ分け私は大・大ファンです。デ・シーカ監督と組んだ「昨日・今日・明日」や「あ、結婚」も好きでした。

女は自ら冷戦下のソ連へと夫を探しに向かいます。写真片手に方々を探し歩き、ついに探しあてた先には・・・

地平線まで続く”ヒマワリ畑”。ヘンリ・マンシーニの哀愁漂う音楽が流れます。ほんとうに名曲ですね、涙がとまりません。

この映画は1970年公開から今年で50周年を迎えます。「ひまわり」は、オリジナルのネガが消失していてこのために今回は2015年にポジから変換されHDマスター版に修復を加え、明るさや色の調整、雑音も消去されているので、50年前の状況で観ることができました。

たった5日間の公開でしたが、コロナ禍で映画館は休業が続きましたが、やはり「オンライン化」では絶対に味わえないスクリーンの魅力を改めて感じ、感動し、幸せな気分に浸れました。

映画公式サイト
http://himawari-2020.com/

小田原城の花菖蒲

”巣ごもり”から3密をさけて少しづつ外に出始めました。

先日、小田原城に出かけてまいりました。”花菖蒲(ハナショウブ)”が見ごろを迎えたとのこと。

小田原は箱根に暮す私の玄関口です。旅に出かけるとき、ラジオの収録や映画を観たりと東京に出かけるとき。そして日々の買い物。地元の新鮮な魚、野菜、果物と何でもそろいます。

この”自粛”の間は週に1度の買い物に短時間出かけておりました。小田原はどこにいてもお城が見えます。”行っていらっしゃい!お帰りなさい!”と見送ってくれたり、出迎えてくれたり・・・と私にとっては心が落ち着くお城なのです。

ご存知のように小田原城は小田原市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)。北条氏の本拠地としても有名です。

城跡は国の史跡に指定されていて天守の外観復元も終わり美しい姿を見せてくれます。城址公園内には梅、桜、つつじ、藤、そして5月下旬から6月下旬まで花菖蒲が美しく咲きます。同時に紫陽花も咲き始め7月上旬まで楽しめます。花いっぱいの城址公園です。

ハナショウブ、カキツバタ、アヤメを見分けるのは難しいですよね。ハナショウブは葉に白い筋がある。カキツバタは筋がなく葉が幅広い。アヤメは細長い葉。で見分けるようですね。

花菖蒲はアヤメ属に分類される多年草でいまや5,000種類以上の品種があるそうです。花の色も青、青紫、白、ピンク、黄色と咲き、陸から水辺の半乾燥~水湿地に生育し、すっとした草姿が古風でお城にはぴったりです。

花は早いもので3日間くらいで咲き終わってしまうとか。私が伺ったときも、地元のボランティアの方々が手入れをしておられました。見えないところでのご努力があるのですね。ご苦労さまです。

花ショウブの”花ことば”は「うれしい知らせ」「あなたを信じる」「心意気」「優しい心」だとか。どうぞ、花菖蒲と紫陽花をじっくり愛でてください。