NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県美咲町」

今夜ご紹介するところは、岡山県美咲町です。
美咲町は岡山県のほぼ中央に位置する中山間地域です。さらにその中央にある集落が境地区。境地域は、岡山県三大河川の「旭川」、「吉井川」に流れ込む分水界に位置しています。地域の中心部は峠となっています。
この峠から見る集落の美しさは、まさに日本の故郷そのものです。その多くが棚田地域です。住民の手できれいに保存された棚田は全国棚田百選にも認定されていて、「日本のふるさとの原風景」が育まれています。
私はこの40年、日本の農山漁村を歩いてまいりましたが、伺った農村で、おばあちゃんやおじいちゃんと話したり、お茶を飲ませていただいたりするうちに、「日本の美しさは農村景観にある」と、しばしば思うことがあります。
民俗学者の宮本常一は著書「旅と観光」の中でこのように書いています。ご存じだと思いますが、宮本常一は、戦前から高度成長期まで日本各地をフィールドワークし続け、膨大な記録を残した人物です。 ときには、辺境と呼ばれる土地で生きる古老を訪ね、その一生を語ってもらい、黙々と生きる多くの人々を記録にとどめました。
「私は地方の村々をあるくとき、できるだけ高い、見はらしのよい丘や山に上がるようにしている。近頃はそういうところにも車のやっと通れる程度の林道はできている。そして、そういうところで、村人たちのひらいた田や畑、植林の様子などを見ていると、時の経つのを忘れる。そういう村で、村人たちに、春でも秋でもいい、晴れたよい日に村中の者が山の上に弁当を持って上がって、そこから村を眺めつつ、一日中団らんしてみてはどうかとすすめる。これを『国見』とよんだらどうか。」
そして
「その土地の名物や料理は食べておくがよい。その土地の暮らしの高さがわかる」
とも。傾斜地に広がる棚田を見ていて、ふっとそんな言葉を思い出しました。
この集落は「みんなで仲良く」が活動の合言葉になっています。素晴らしいですよね。農家戸数52戸・人口185人。
ここで平成15年に赤そば(高嶺ルビー)の栽培を機に、境地区農業生産者組合が組織され棚田のそば屋「紅そば亭」がつくられました。紅そば亭には年間約1万人が訪れ、棚田の見学やそば畑の景観を楽しみ、毎年新そばが出来る頃、「そばまつり」を地元民が開催しています。紅そば畑の花が咲くころは、県内外から特に県内では倉敷からのお客さまが多く、また写真家や多くの見学者が訪れるそうです。

そして、「紅そば亭」の お母さん達はいいます。
「この5年間で生活はガラッと変わりました。一人でこつこつ農業やっていたのが、接客業になったのですから。今では、このそばが生きがいになっています。活動のキャッチフレーズは何かと問われれば、『伝統文化とこだわりの味を伝えたい』となりますが、ひらたく言えば、『みんなで仲良く』で頑張っています。」・・・と。素敵ですよね。
何もない・・・といえば何もありません。しかし、そこには確かな”日本人の暮らし”があります。伝統文化がしっかり伝承されています。
岡山県無形民俗文化財「境神社の獅子舞」。
舞は男子と限られていたのが、最近は女の子も笛で参加するようになりより華麗な雰囲気で奉納されるようになったそうです。
岡山県三大河川の一つ「旭川」水系でおこなわれていた古武道の棒術、境神社宮棒も伝承されています。地元では棒使いといわれて親しまれ、代々引き継がれています。宮稽古に参加することは、地区民の仲間入りの第一歩でその意味はとても大きいのです。やはり少子化の問題はありますが、伝承され続けることを祈ります。
周辺にもみどころいっぱいです。
境神社の大杉は樹齢300年といわれ、境地区のシンボルであり、神木として崇められ大切にされています。
集落から、運がよければ「雲海」見られます。
二上山両山寺。
岡山県の中ほどに二つの峰をもってそびえる二上山の頂上にある両山寺は、開祖西暦714年といわれる古刹です。境内にそびえる千年の大杉は信仰の対象として崇められています。寺の「五智如来像」は、知恵を授かるご加護で子ども連れに人気があるそうです。
滝谷池は灌漑と水利保全のために作られた池。
桜と釣りの名所で、白鳥2羽がスイスイと泳ぎ「さくらちゃん」「たきちゃん」と名づけられいつも仲良く泳いでいる姿はなんともほほえましいです。桜の咲く頃にお出かけください。可愛い2羽の白鳥に出会えることでしょう。
今の農村景観は少しずつ美しさから遠ざかりつつあります。でも、今夜ご紹介した美咲町には、そんな美しい集落、人の営みがしっかりと根づいているのです。

旅の足
車で
国道53号で津山から・・・約30分
国道53号で岡山から・・・約60分
バスで 津山から・・・約30分
空港連絡バスで 岡山空港から・・・約60分
鉄道で
JR津山線で津山から亀甲駅・・・約15分
JR津山線で岡山から亀甲駅・・・約60分

浜美枝のいつかあなたと ~ 康宇政さん

先日も素敵なお客様をスタジオにお招きいたしました。
ドキュメンタリー映画「小三治」の監督、康宇政(カン・ウジュン)さん。
康宇政さんは1966年、東京のお生まれ。
東京写真専門学校芸術科を卒業後、90年代にデレクター・デビューされ、
これまでに数多くのテレビ番組、ビデオ作品を監督、演出されてきました。
本年、はじめての長編ドキュメンタリー映画「小三治」を発表いたしました。当代随一の落語家、柳家小三治師匠をモチーフにした1時間44分の作品です。私は公開前に試写会で拝見いたしました。
おりに触れ「元々、私は自分の落語の記録を残すのが嫌な人なんです。噺家なんて、どんどん変わっていくものですしね。」と語られる小三治師匠。そんな師匠が、上野・鈴本で「歌ま・く・ら」 のリサイタルをする際、「歌を録音してくれるかい」と監督にお願いしたのが始まりとか。
小三治師匠”追っかけ”の私としては、早朝箱根の山を下り東京の試写室へ・・・。
もう、たまりません!フアンには。
鈴本演芸場をはじめとする寄席、全国各地での独演会や落語会、北海道から九州までの旅の道中や舞台裏までありのままの師匠が描かれています。
今まで、自分のことを多く語らなかった小三治師匠でしたが、カメラは師匠に寄り添うように、静かに静かに、そっと奥深く「人間・小三治」に迫っていきます。ふっとした仕草、表情、語られる言葉に、ひとりの名人と呼ばれる噺家・小三治の心のうちを見事に映し出しているのです。
お客様には見せない苦労・苦悩の姿も。
「康監督、ありがとうございました」と思わず心の中で感謝いたしました。
小三治語録を少しだけ。
「芸はひとなり。技術で出来ることはたかがしれている。」
「言葉よりも、ひとの”こころ”ありき。」
名跡について。
「名前が人をつくるんじゃない。よい仕事をしていれば、それがよい名前に見えてくる。」
「遊びは真剣に。」
等々・・・心に染み入る言葉のかずかず。
映画のクライマックスには小三治師匠の落語「鰍沢」の模様がおさめられています。
監督のお話は文化放送「浜美枝・いつかあなたと」
2月15日(日曜) 午前10時30分~11時まで お楽しみに。
映画「小三治」は21日(土)から、「ポレポレ東中野」や「神保町シアター」などで公開されます。また映画のインターネット公式サイトもありますのでご覧ください。

寒椿の似合う壷

生きることは ひとすじがよし 寒椿
この句は、私たち映画界の大先輩である五所平之助監督が詠まれたものということです。
箱根の山々に吹く風も初春を感じるようになりましたが、まだまだ肌寒く、この季節に自然とその大好きな句が思い出されます。
朝、まだ冬枯れの庭にでてみると、霜柱が立っています。そんな庭に、ひときわ鮮やかに咲き誇る寒椿の花。寒風に吹かされながらも凛と華やかな薄紅色の花弁は、ひとすじに生きることの美しさと尊さを教えてくれるようです。
モノトーンの風景のなかにあでやかに咲く寒椿にしばし見惚れ、そのひと枝を手折って家の内に戻ると、囲炉裏のある部屋の窓辺に、小さな壷が待っています。
すでに45年間私と共にあって、ずっと私の半生を見守り続けてきてくれた信楽の壷「蹲」うずくまる・・・。その素朴で荒削りな、それでいて繊細さも併せ持った花器には、冬の寒椿が一番似合うのです。
春や秋の季節にその壷に花が生けられることはほとんどなく、いつもただじっと窓辺の同じ場所に蹲って、寒椿の挿される冬を、ただひとすじに待ちつづけます。薄暗い部屋のそこだけに灯りがともったよう・・・、私はしばしその場に寄り添いながら、「蹲」と出逢った遠い昔の冬の日のことを思いだします。
この壷はかっては種壷として使われていたとか。

浜美枝のいつかあなたと ~ 板倉徹さん

文化放送・『浜美枝のいつかあなたと』
毎週日曜日・10時30分~11時まで「やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客さまを、我が家にお招きいたします」で始まります。
先日素敵なお客さまをお迎えいたしました。
板倉徹さん。
和歌山県立医科大学脳神経外科教授で「脳の専門家」です。
これまでも数多くの発言をされ、現在は著書「ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術」(東洋経済新報社)が発売中です。番組の中では、人間が誰しも持っている「脳」。しかし、「脳」の機能はまだまだ未知数、計り知れないともいわれます。
「便利すぎる文明社会は脳を活性化させない」
特に脳の中の「前頭前野」はとても大切で人間の「やる気」にも関係がある場所とか。その「前頭前野」を鍛えるためには、「ラジオを聴く」「落語を聴く」など音経由で想像力を働かせる脳の使いかた・・・など、「ラジオの「ながら聴き」は脳によい」、「インターネットより新聞を読む方が脳にはよい」等など大変興味深いお話を伺いました。
日本は超高齢化社会にすでに入っています。
何歳になっても、はっきりした頭で生活したい・・は誰もが願うことです。
どんなことを心がけるべきか・・・ぜひ番組をお聴きください。
放送は2月1日(日曜)10時30分から11時までです。

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NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~酒田・室生寺」

今夜ご紹介するのは山形県酒田にある”土門拳記念館“です。
その前に、年末奈良の室生寺を訪ねました。
私と室生寺の出会いは10代の頃に遡ります。
私を骨董の世界へと導いてくれた写真家・土門拳先生が、「室生寺はぜひ見に行ってごらん」といってくれたのでした。それ以前に、土門拳写真集「筑豊のこどもたち」に出会い、私の宝物のようになっていました。
定価100円のザラ紙に印刷された、一枚一枚のなんという悲しさ。なんという愛らしさ・・・。表紙になっている、るみえちゃんの美しさと底知れない悲しみ。心がくぎづけになりました。
「一度でいい、土門先生にお会いしたい」と当時、思いつづけておりました。念願がかない京都で雑誌の表紙の撮影。が、その日は光の具合がよくなくて中止。そこで先生が誘ってくださり、ある骨董屋さんに連れて行ってくださいました。
その道すがら、土門先生はこうおっしゃられました。「本物に出会いなさい、モノには本物とそうでないモノと、ふたつしかない。これから本物を見に行こう」・・・と。
それが先生との出会いでした。
それ以来先生は、何度病に倒れても不死鳥のように甦り「室生寺」「古寺巡礼」などを世に送り続けました。「女人高野室生寺」の撮影時は3度目の大きな発作に見舞われ、車椅子の上からの撮影となりました。
特に私の好きな
「精神ヶ峰の朝霧」
「雪の鎧坂金堂見上げ」
「室生寺弥勒堂」
「釈迦如来坐像左半面相」
など、数えきれないほどの”室生寺”を先生は正に執念で撮り続けられたのです。
私は奈良での仕事が終わり何故かふっと室生寺に行きたくなり予定を延ばし訪ねてきました。
JR奈良駅から桜井線に乗り、途中で近鉄線に乗り換えました。単線を走る2両仕立ての各駅停車の桜井線はトコトコ、のんびり走り、窓から冬の奈良の景色をゆったり眺めることができました。早朝の朝霧の中、雪はありませんでしたが、先生の作品「雪の鎧坂金堂」の石段にたちたくなったのです。なぜなのでしょうか・・・。

新しい年を迎え、新しい人生のステージに足を踏み入れるとき、人は祈りの場所を求め、心を整理し、大いなるものに背中をそっと押してもらいたくなるのかもしれません。
まだ他に人もおらず、室生山を仰いで清流をゆっくりと渡ると室生寺。仏様を拝み、建物を鑑賞し、堂内を散策してきました。
先生は写真集「室生寺」のまえがきで、このように記しています。
「この本が祖国の自然と文化に対する日本民族の愛情と誇りを振るい起すささやかなよすがともなるならば、ぼくたちの努力の一切は報いられるのである」
室生寺の別名は「女人高野」といいます。
「室生寺は寺伝にいう女人高野の名にふさわしく、可愛らしく、はなやかな寺である。伽藍も仏像も神秘的で、しかもあやしい色気がある。深山の杉の木立の中に咲く山ざくらにもたとえられよう」(「ぼくの古寺巡礼」小学館)
仏様たちと静かにひとり対話し、元気をいただきました。たった一泊延泊しただけですが、ひとり旅っていいなぁと、その醍醐味を味あわせてもらいました。ひとりでお訪ねしたからこそではなかったか、とも思います。
さて、そんな旅のあと、たまたま1月に入り山形での仕事があり、奈良の旅の延長に酒田の「土門拳記念館」に行ってみたくなりました。
仕事が終わり夕暮れの中、奥羽本線で新庄まで、そして、陸羽西線に乗り換え甘目(あまるめ)。今度は羽越本線で酒田へと。凍てつく冬の旅ですが、車窓から遠くにぼんやり民家の灯りが見え東北を旅している・・・と実感できます。
山形県酒田市の「土門拳記念館」は最上川が日本海に流れる河口間近の川ぞいに位置し、飯森山文化公園の中にあります。遠くに雪をかぶった鳥海山。人口の池(草野心平が「拳湖」と名づけた)にはカモが気持ちよさそうに泳いでいます。
水面に浮かぶように建てられた記念館の設計は谷口吉生。
イサム・ノグチの中庭の彫刻、亀倉雄策による銘板、勅使河原宏の作庭による庭園、周囲の素晴らしい自然と調和した建物です。

「土門拳記念館」は日本最初の写真専門の美術館として、また個人の写真記念館としては世界で唯一のものとして昭和58年10月にオープンしました。土門先生の育った自然が望める場所にあります。
個人的には私は冬に訪れるのが好きです。今回は何度目になるでしょうか・・・。
「土門拳の風景」「文楽」「古寺巡礼―日本の仏像」が展示されており、もちろん「室生寺」もありました。
展示室の一画にメモしたノート、使ったカメラが展示してあります。そして1974年6月に65歳の土門拳先生が左手で書いた色紙の前で私は体が動かなくなりました。”逞しく・優しく”という文字。
車椅子に乗り、お弟子さんに背負われ、待ち続けて撮影した「雪の鎧坂堂を見上げる」を見るとき、10代に「本物に出会いなさい」と仰っていただき、「日本人の美」を学ばせていただいてから五十年近く経つのに、まだ耳元に先生の声が聞こえてきます。
そんな酒田の「土門拳記念館」をご案内いたしました。

2009年・・・ 土門拳生誕100年を記念して三人三様展・勅使河蒼風・土門拳・亀倉雄策」が開催される予定です。2009年6月12日~8月23日まで。
旅の足
庄内空港
 東京―庄内空港・・・約60分
 大阪―庄内空港・・・約75分
JR線
東京―新潟(新幹線)―酒田(羽越本線)・・・約4時間
酒田駅より
タクシー約10分
バス約16分

ばっちゃんからの贈り物

大切なものは、土と太陽の匂いがする
ばっちゃん・・・ふるさとだよりの品々が届きましたよ!
栗の渋皮煮、豆糖(みそ味)手づくりジャム、凍りもち(ついた餅を寒風で乾燥させ、砂糖醤油で味付けしたもの)おたっしゃ豆(まめで達者での願いを込めて)にんにく醤油・・・そして、おみ漬け(山形名物のつけ物・青菜の浅漬けは、納豆を混ぜたりお茶漬けでも美味しいとか)


先日、山形県西村山郡大江町に伺ってまいりました。
県のほぼ中央に位置する村山盆地。
柏倉吉代さん(74歳)、横山みつよさん(77歳)、JA高取部長さんをはじめ30代・40代の女性達「JAさがえ西村山」のみなさまの活動を知ることができました。
加工所がある18才(じゅうはっさい)という集落名は、月布川に注ぐ十八番目の沢「十八沢」に由来したとも言われていますが、ばっちゃん達はまさに18歳!そのもの。
28年前にはじめた「もったいない、無駄なく」との思いはまさに今、求められていること。
地域の伝統を大切にし、大江町らしさをだした女性ならではの知恵と技によって、「我が家に伝わる秘伝の味」「子や孫に食べさせたい味」をモットーに受け継がれてきたのです。
“おみ漬け”・・・のなんと美味しいこと。
山形青菜はボカシ肥をいれた土づくりを条件にしているそうです。

「土」が総てを知っています。
私は40年にわたり、日本の農山漁村を訪ねてきました。
最初は民藝に惹かれての旅でした。
やがて、農山漁村の現場を知ることになりました。
第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品を誰もが当り前に手に入れるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。
ですから、近年続出した食をめぐる数々の事故・事件は衝撃そのものです。「損得」でビジネスを考えるのではなく、「善悪」という視点から捉え、信頼で生産者と販売者と消費者が互いに切磋琢磨できる関係を作り上げる。
「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」という関係をつくりましょうよ。
けっして夢物語ではありません。
だって”ばっちゃんの贈り物”が証明してくれていますもの・・・。
全国には、こうした”正直な味”がたくさんあります。

成人の日によせて・・・ “どんぐりに乾杯”

我が家の子ども達はとうに巣立っていきました。
次女が成人の日を迎えた時の写真が仕事部屋に飾ってあります。
そう、あれはその頃の話です。
森を歩くことは人生を歩むことに似ていると、その日もしみじみ思ったことでした。軽井沢の野鳥の森で馬場さんという森の先生にお会いしました。野鳥の名前や習性や木々のはなし・・・。うかがいながら歩く森は、生き生きと生きる森。なかでもドングリの話は、本当に感動的でした。
ドングリの実って、ほら、先がつんととんがって、まあるく台座にのっかっていますね。あの形にはワケがあるのだそうです。
馬場さんのお話によると、こうです。
「ドングリが地面におちるときが種の旅立ちです。どうおちるかで、種の生存、繁栄が約束されます。もしドングリがただまんまるというのでは、溝やくぼみにはまって枯れてしまう。まんまるではないことで、ドングリは遠くへころがっていけるのです。親木の下にいたのでは、葉が繁ってくると成長できません。できるだけ遠くへ飛んでいくことで、ドングリはぐんぐん成長できるのです」
すごい話だと思いませんか。
“親は永遠に思い続ける”
子育てには、3つの段階があるのではないでしょうか。
おなかに命を宿してから、小学校に入るくらいまでは、親にとって子どもは守ってあげなければならない存在です。そして、小学校2~3年生から17~18歳までは親子が共に育っていく時期。子どもは反抗期などを経験しながら自分自身を発見していく時期であり、親はそうした子どもと正面からぶつかり合うことが求められるのではないでしょうか。それから、20~22・3歳までは、子どもが自立して大人になるのを、親は陰ながら見守る時期だと思うのです。
これら「肉体・精神そのすべてを守る→共に育つ→精神的に見守る」という3段階を通して、親は子どもを社会に送り出すことを、私は4人の子育てを通して学びました。そうはいっても、子育ては1本の道ではありませんから、悩んだり苦しんだり、ときには立ち止まったりしました。
子育てを通して、自分の至らなさも見えました。子どもが自立して親の元を離れていくのが、寂しいという人がいますが、私の場合はむしろ安堵感のほうがはるかに大きかった感じがします。そう思えるのは、子どもが巣立っても、母親としての役目は完全に終わるわけではないと思っているからかもしれません。
永遠に親は親であり、子どもの幸せを願い続けるものなのでしょう。
“成人の日”
親は、遠くから「がんばって」と祈るだけでいいのではないでしょうか。それ以上の親の介入は、子どもにとって障壁になりかねないものではないでしょうか。 ”ドングリの世界のように”

謹賀新年

2009年、新春のお慶びを申し上げます。
みなさまはどのような新年をお迎えでしょうか。

年の初めというものは自分自身の進むべき道をいつになく真面目に考えて、希望がわき上がる反面、心が揺れたり理由もなく不安になったりするもの。そんな癖は、私だけのことでしょうか。
子どもたちが巣立った後に、これからは思いきり自分自身のための人生に出発しなければ・・・この辺でもう一度自分をみつめ直さなければいけないな・・・とそんなことを考えつづけてきた年の初め。
今は亡き「松本民芸家具」の創始者である、池田三四郎先生のことを思いだします。先生にお会いしてたっぷりとお話をうかがうと、いつも魔法をかけられたように元気になって箱根の山に戻ることができました。
ある晴れたお正月、新宿から「あずさ号」に飛び乗り松本まで。
駅前の喫茶店に入り、クラッシックを聴きながら香ばしいコーヒーの香りを楽しみ、心のウオーミングアップをするのです。
富山県八尾の入母屋造りの大きな農家を移築して、昭和44年に建った家。
私はよく先生のお伴をして周辺の山々が見渡せる丘に登ります。
民藝運動の創始者、柳宗悦も、また、宗悦に心酔していた版画家の棟方志功も同じ丘に登っては、ただじっと一点をみつめたまま「自然というのは、仏か、仏でないか」、「自然以上の自然が描けたら、それが、まさに芸術と呼ぶに値するものだろうなあ」と繰り返していたといいます。
秀れた先人たちは皆、自然に対して深い畏敬の念を抱きながら、大自然を父として、母として生きてきたのです。
そして池田三四郎先生はそのご著書のなかでこう書かれています。
「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分自身が復讐されつつあるとは言えないか・・・」と。
しかし、目の前の先生はストーブに薪をくべながら
「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」
と淡々と語られました。
私は、年の始めに自分自身の過去と未来を見つめ直しているうちに、この先どういう場所に身を置くべきかを考えます。
いたずらに過ぎてしまった過去や未知の未来を思い慕うよりも、
いま自分の手にしている現在を、いま身の回りにあるものを真摯にみつめて、それらを大切に暮らしていきたいと思います。

世界中から、戦争がなくなりますように・・・。
人々の暮らしが穏やかでいられる世の中でありますように・・・。
そんなことを願った新年です。
2009年がみなさまにとって良き年になりますように。

“ゆうゆう読者”とのクリスマス

年の終わりに。
みなさまにとって今年はどんな年だったでしょうか。
私は今朝も、箱根の山を1時間たっぷり歩いてきました。
初冬の凛とした空気の中での山歩きが日課になって3年近くになりました。杉の木立の道、杉の枝の間から朝の光が差し込み、とても気持ちがよいのです。空気は冴え冴えと冷たく真っ白に雪化粧をした富士山。
以前は、ただ美しいとだけ思っていた風景が、年々深く心にしみるようになりました。
この度、4年間連載してきた雑誌”ゆうゆう”を本にまとめ、等身大の自分と向き合うことができました。
このまま、50代のスピードで走り続けていくことが私にとって幸せなのか・・・
明日もまた、今日と同じような日々が続く・・・それが当たり前だと心のどこかで思っていました。しかし、65歳になり山歩きをしながら、箱根の山のエネルギーをもらい、お気に入りの木に触って「おはよう!」と声をかけ、絶景ポイントで、ストレッチをやって・・・歩いているうちに、心からはよけいな澱みのようなものがはがれ落ち、やがて心も体も軽くなってくるのです。
今年もたくさんの旅にでました。
素敵な出会いもいただきました。
自分を見つめ、心の荷物を整理することができました。

そして、今夜はクリスマスイブ

先日、ゆうゆうの読者の皆さんと「箱根のクリスマス」を楽しみました。
今年も大勢の方々がご参加くださり、同世代・ちょっと下の世代の方・・・女同士のおしゃべりを楽しみました。夜のパーティーではこんなご質問も。
「浜さんの健康の秘訣はなんですか?」・・・と。
私は「まず、歩くこと。歩いて新鮮な空気と”気”を取り入れること。あとは、くよくよしない!今日嫌なことがあっても、明日にはきれいに忘れることですね」と申し上げました。
今年は暗いニュースが多かった中、日々の生活を大切にし、一歩一歩、前に進んで参りましょう。

みなさま・・・どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

【写真提供:主婦の友社 ゆうゆう

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~宮城県 大崎市 鬼首」

今夜ご紹介するところは、宮城県大崎市(旧鳴子町)鬼首(おにこうべ)です。
鳴子ダムの奥に位置し、なだらかな裾野がひろがる山麓の中に三十以上の源泉が湧く温泉郷です。神秘的な景観、山間に湧き出す豊富な湯、周辺一帯にはブナの原生林も姿を残し、大柴山、矢楯山、水沢森など、1,000m級の山々が連なっています。
一帯はカルデラ地帯で、須金岳、禿岳に囲まれ、私の訪ねた6月の上旬も12月の上旬も美しい姿を見せてくれました。今頃は小雪が舞っているそうです。間もなく本格的なスキーシーズンを迎えることでしょう。
鬼首(おにこうべ)、珍しい地名ですね。いろいろな伝説がありますが、はっきりしたことは分かっておりません。かつては鬼切辺(おにきるべ)とも呼ばれていたとか・・・。
アイヌ語的に考えると、荒湯(あらゆ)は壮美な硫黄質温泉、荒湯大神はアラユオンカムイ、オンは大、カムイは神、鬼首はオンネカムイの訳、オンネが鬼と転じ、それを知らずに鬼伝説が起き、いつしか鬼切部・・・鬼首(おにこうべ)になったのでは・・という説もあり、いずれにしても、いかにも古戦場にふさわしい地名です。
地獄谷遊歩道は約600mにわたって小さなかんけつ泉が足元から噴きあげ、渓谷に沿ってあちこちで見られます(約20分ごとに15m以上もの高さまで熱湯を吹き上げ、足止めをくいます。)
6月には珍しい白雲木の美しい白い花を見ることができました。
荒雄川神社には鬼首が生んだ名馬「金華山号」が祭られています。

さて、今回鬼首の温泉、雄大な自然もそうですが、すばらしいここでの活動をご紹介したいと思います。
鬼首は「食の宝庫」です。
春一番雪解けを待って出てくるフキノトウ、川ふちにスノハ(イタドリの一種)ヨモギを摘みヨモギ餅、桜が咲く頃にはウド、ワラビ、コゴミ等など山菜の宝庫。鬼首では、ゼンマイは、食用ではなく、かつては換金するものだったそうです。
今回も、フキの煮付けやら漬物、自家製の味噌で、きのこいっぱいの味噌汁。そして・・・美味しい美味しい、”おむすび”。冷めても、もちもち感ののこる「ゆきむすび」をご馳走になりました。

かつては、この一体は人が住めるところではないと言われ、そんな原野に入り開墾をしてきたのです。
生活の中心となった囲炉裏で魚を焼き、餅や芋などを焼き、鉄瓶、鉄鍋を下げて煮炊きをし、馬をとても大切にしていたので、母屋の中に厩(うまや)があったそうです。
ここ鬼頭には、少しづつの変化を経ながらも、自然と共にある、自然に生かされた、はるか遠い昔から続けてきた暮らしが今も残っています。

さて、今回ご紹介するのは 「鳴子の米プロジェクト」です。
農水省は07年、4ヘクタール以上の大規模農家に集中し補助金をだすという政策を出しました。しかし、鬼首のような山間の地域は対象外になり、農業の継続が難しくなってしまいます。
「食」をめぐる偽装や、輸入食品の安全問題など、今、「食」がゆらいでいます。
作る人、食べる人、みんなの力で地域の農を守りたい。そんな思いで生まれたのがこのプロジェクトです。「食」を人任せにせず、作り手と食べ手が手を繋ぎ、大切な「食」を守り、地域の活性化へ繋げようと立ち上がったのです。今や日本の山間地の美しい田園風景が大きく変化する中で、このような官民一体となった取り組みに胸を打たれました。
そしてこのプロジェクトは、NHK仙台 開局80周年記念としてドラマ化されました。
タイトルは、「おコメの涙」。
来年1月2日BS2で再放送されます。
始めは、ほんの三反部から始まった鳴子の米づくり、「東北181号」は名前を変えて「ゆきむすび」となりました。人と人を結ぶにはふさわしい名前ですね。「生産者・消費者」ではなく「作る人・食べる人」になると、グンと距離が縮まる気がします。
二年前からはじまった「田んぼ湯治」・・・「種まき湯治」から始まり「田植え・稲刈り・稲こぎ・」そして収穫祭を迎え、人々の笑顔が目に浮かびます。
今年収穫された”ゆきむすび”も完売とか。
農村に新しい風がふいてきました。

【旅の足】
東北新幹線で古川まで。そこから陸羽東線で鳴子温泉下車
バスで鬼首まで約20分。
今回、私は”リゾートみのり”に乗りたくて乗車。
ゆったりとしたリクライニング・シート。
伊達政宗の兜をイメージした「アンティックゴールド」を装飾した力強い車両で、のんびり秋の田園風景を楽しみました。

12月以降の運転日は時刻表などで確認してください。