花のように~ふたりのコラボレーション展

箱根に住んで30年の歳月がたちました。
私の大好きな花「やまぼうし」
箱根の山がふんわりと山法師の花で覆われるのは初夏。
この花の見事な開花は十年に一度とか。
仕事をはじめて50年の歳月がたちました。
「私は何をしているの?こんなことしてられない。自分の人生の立て直しをしなければ・・・」と考えたことも、しばしばありました。自分の心がつき動かされるほうに仕事を選択していくことも増えてきたように思います。
十年に一度 見事な開花・・・。私も「やまぼうし」のように咲きたい!
そんな思いで我が家の屋号は「箱根やまぼうし」です。
子供たちも、それぞれ社会に巣立っていきました。今は「大人の静かな空間」になり「人が集えるサロン」として、この空間での展覧会など私の心のオアシスになっています。何よりも私自身が楽しみにしているのですから。
これまで2006年から京都・ギャルリー田澤をはじめ、藤井勘介さん、福本潮子さん、片岡鶴太郎さん、と展覧会を通じてとても素敵な出逢いができました。
そして明日17日(土)~22日(木)までは
『花のように~ふたりのコラボレーション』
たかはししょうぞう(器)&永順(花の絵)が開催されます。

いつも花と一緒に呼吸しているような、のびやかな永順の世界。そんな永順を包みこむような優しさで造られた省ちゃんの器。そのどれもが「美の空間」を醸し出してくれます。
今日は搬入で大忙し。省ちゃん・永順、そして私やスタッフ。
展覧会を皆さまに喜んでいただけるよう、この時が一番の楽しみなのです。
どうぞご興味のある方はホームページにアクセスしてください。
お越しをお待ちいたしております。
ホームページへのアクセスはコチラから
本日は4月としてはめずらしく突然の雪、幻想的な世界です。

小三治師匠の独演会

桜満開の4月4日(日)、アミューたちかわに落語を聴きに行ってまいりました。
「柳家小三治・独演会」
演目は「長屋の花見」「品川心中」
立川駅から歩いて15分ほどのホールまで、「もう恋なのかもしれない」というときめきを感じながら・・・市民会館のまわりの桜が満開に咲き、序奏がはじまります。
1,500名のホールは満席。まだまだ落語の聴き手としては10年ほどですので感想はひかえますが、この季節、この時代に「長屋の花見」を聴けるなんて。
人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのではないでしょうか。若者も会場には多く見られました。そんな若者にも師匠は話かけます。
そして、ホールの隅々の方にも心をくばられて・・・。
数いる噺家の中でも、最初に出会った噺家が小三治師匠であったことも、私にとっては本当に幸運でした。今は60代半ば。最高の噺家・小三治師匠に巡り会えたご縁を大切にしたいと思います。目で、耳で、一心に師匠の世界を堪能させていただいた桜満開の昼下がりでした。これからも追いかけ続けます。

浜美枝のいつかあなたと ~前田美波里さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)の
ゲストに女優の前田美波里さんをお迎えいたしました。
(放送日 4月25日・5月2日)
前田美波里さんは1948年、神奈川県・逗子のお生まれ。
15歳の時にミュージカル「ノーストリングス」で舞台デビュー。
66年、18歳のとき「資生堂」のポスターに抜擢され一世を風靡。
一躍、日本中の話題をさらいました。このブログをご覧頂いている、
私達世代では強烈な印象が残っていることでしょう。
「積極的な強い女性」というイメージが一人歩きをしましたが、
ご自身は内向的な性格で戸惑いもあったとか・・・。
番組では幼い頃の生い立ち、若くして結婚・出産・離婚・・・なども伺いました。
スタジオに登場した美波里さんは、若々しく、背筋をシャンと伸ばし、内面的な美しさをお持ちの方・・・でした。現在、「ニュージーランド」の先住民族である「マオリ」の人びとの交流を通し「自然との調和」や「先祖への敬い」など、今、私達日本人が失ったものを学んでおられるとか。
今回は2本分を収録させていただきましたが、私は美波里さんの「美しく齢を重ねてこられたこと」「自分自身を保つために、自分と対話する」・・・といったお話、など等。同じ女性として伺いたいことが沢山ありました。
時には涙ぐんだ美波里さん。本当に美しいと思いました。
「今、とても幸せ・・・孫のひと言で活躍の場もひろがりました」と。
人は誰でも寂しがりや、孤独なもの。だから、人恋しく 愛しく 共に感動し、
人と楽しみ、ひとりの時間を大切にするのですね。
ますます大好きになった美波里さんのお話、ラジオでお聴きくださいね。

「クロマグロに思う」

ワシントン条約会議でモナコ提案は否決されました。
地中海を含む大西洋産クロマグロです。
これは予想を上回る大差でしたね。
皆さんは今回の問題をどのように考えられますか?
たしかに資源が絶滅するとは思えませんが、「枯渇」することは十分考えられます。漁業で生計を立てる人々のことを考えると、安堵いたしましたが、日本がクロマグロの80%を消費しているのはたしかですし、「なくなる前に食べておかないと・・・」と言い寿司屋に飛び込んだ友人もおります。
そこで思うのです。
「トロ大好きな日本人」ですが、現実には魚離れが進んでいる食卓。
日本にはいろいろな魚があります。もっと色々な魚を食べませんか?
今回のことをきっかけに、「食のあり方、暮らし方」を考えてみませんか?
そして、国内に目を向けると三陸のマグロ漁業が危機に陥っています。
河北新報社では連載企画で「漁場が消えるー三陸・マグロ危機」を発表しました。海外の人たちに頼らざるを得ない、後継者不足の漁業。
今回の「クロマグロ」から日本の未来、世界の環境を考えるのは
他人事ではないと思うのですが・・・。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~、岐阜県高山市・荘川町」

こんばんは、浜美枝です。3年続いたこの番組も今夜が最後です。番組でこうしてお話をするので、追体験のように訪ねた村・町でまたたくさんの方々との出逢いをいただき、新たな「日本のふるさと」を再発見した3年間でもありました。
今夜は桜のお話です。
桜の季節になりました。ようやく春がきたと、今年は感慨ひとしおです。本当に今年の冬は日本列島、大雪で大変でしたね。私には東北や北陸、山陰の過疎地にも知り合いがいて、テレビニュースなどで雪下ろしや雪かきで疲れ果てた人びとの様子が映るたびに、そのご苦労を思い、胸をつかれました。
桜は春の訪れを告げる特別な花。それに桜ほど、日本人に愛されている花はないですよね。私も桜が大好きです。1月の下旬には日本列島で一番早い沖縄の寒緋(かんひ)桜。いつだったか沖縄の友人たちと本部町で”お花見”をしました。寒緋桜は、濃い紅色の花で枝にちょこんと乗っているように咲く愛らしい桜です。そして九州、四国、関西、さらに東京、東北、そして北海道と桜前線は北上していきますけれど、山桜、大山桜、大島桜、河津桜、深山桜など、他にもいろいろな桜がありますよね。
箱根では、東京からおくれること2~3週間でソメイヨシノが咲き、さらに1週間ほど遅れて山桜が咲いてくれます。我が家にも豆桜が一本あります。小さな花で恥ずかしそうに、下を向いて咲くのです。その下でゴザを敷き子供が小さいころなど、大きな籠におむすびや卵焼きなどでお花見です。
東京のお花見も楽しいもの。友人とお互い忙しくしているし、桜の開花は予想通りにはいかないので、当日、パッと電話して、パッと会います。桜並木の下をゆっくり歩いて、帰りにワインを一杯味わって。私たちの年齢になると、一緒に今年も桜を愛でることの出来た幸せをかみしめます。
満開の桜の下に立つと、何故か不思議なことに、その下で眠りたいと思うことがよくあるのです。
「何故そんなことを思うのかしら、不思議ですね」
と、作家の水上勉先生に伺ったことがありました。
「桜は、散って咲くからね。生命が長いと思わせますね。春がめぐってくれば必ず咲く。そういう生命の長さというものに安心するのじゃないかなあ。散るはかなさでなく、散ってまた咲くということに、憧れるんですよ」
とおっしゃられました。花の命ははかなくて・・・などという言葉もありますが、たしかに人間の生命のほうがずっとはかない。桜の花は毎年春が来れば必ず生き返って咲きます。
「散る」とは「咲く」こと。
樹齢何百年という木々の桜が花を満開に咲き誇らせている姿に、私たちは生命の永遠を感じ、そのことに深く安堵するのだと思います。

お花見の季節になると、行ってみたいなと思い出させてくれる桜の木が日本全国にいくつかありますが、水上勉先生の「櫻守」という小説にも登場する、御母衣(みほろ)の荘川桜もそのひとつです。桜へのひたむきな思いによって樹齢四百年の桜の移植を成功させた男たちの姿を、小説「櫻守」に書かれました。そして私がはじめて御母衣ダムに荘川桜を見にいったのは、いまから三十年ほど前、移植されてから十数年が経った春のことでした。
岐阜と石川の県境にある御母衣ダム。荘川上流の山あいの静かな美しい村々が、巨大なロックフィル式ダムの人造湖の湖底に沈むこととなり、三百五十戸に及ぶ人びとの家や、小、中学校や、神社や、寺、そして木々や畑がすべて水没していく運命のなかで、その樹齢四百年を誇る老桜樹だけがその後も生き残り、毎年季節がめぐるたびに美しい花を咲かせつづけているのです。
湖のそばにひときわどっしりと立つ老い桜。(アズマヒガンザクラ)
ああ、これがあの桜・・・と佇みました。樹齢四百年の老樹とは思えないほどの花が初々しかったのが、とても印象的でした。4月25日頃から5月10日頃まで、荘川桜の荘厳に咲き誇る姿は、その木に秘められた歴史を知る者には格別感動的です。
ふるさとは湖底となりつ移し来たし この老桜咲けとこしへに
                                高崎達之助
木の傍らに刻まれた、ふるさとを偲ぶ歌碑が胸に迫ります。満開に咲く桜の、その花弁のひとひらひとひらが見る私に何かを語りかけてくれます。何度目かに行ったときも、満開の桜の木の下でじっと座り続けているおばあちゃんを見かけました。あの時、おばあちゃんは先祖が育てた木を見ながら、桜の木を相手に、村の思い出話を語りあっていたのかもしれません。
桜の花は散っても、それから芽吹き、緑の葉を茂らせ、さくらんぼをずっと小さくしたような実をつけて、やがて紅葉、そして眠ったようになり、また春がくると、再び花をまとってくれる・・・散るというのは、季節が巡ることであり、花の満開に咲き誇らせている桜に、命の永遠を感じ安堵させてくれるのですね。
荘川に住む方々はおっしゃいます。「今では失われつつある、自然の大切さ、ものへの愛情・尊さをあらためて教えてくれる私たちの大切な宝なのです」と。
今年も行ってみたくなりました、荘川桜を見に。
荘川桜は岐阜県天然記念物に指定され、現在は根が傷まないように・・・と周りを柵で囲まれています。岐阜県高山市 荘川町(旧荘川村)中野の国道156号沿い、御母衣ダム湖岸にあります。高山駅からはバスも出ております。

花のように~ふたりのコラボレーション展

箱根では早朝、小鳥たちのさえずりが「おはよう、朝ですよ」と私を起こしてくれます。そして、早朝の山歩き。朝の光がスーッと差し込んで、とても気持ちよいのです。歩きながら、箱根の山のエネルギーをもらっているような気がします。
山があり湖があり、自然環境が素晴らしい箱根に住みはじめて30年がたとうとしています。日本が高度成長まっしぐらの時代、住みにくい、維持が大変、跡継ぎがいない・・・などの理由でつぎつぎに捨てられていった古民家。悲しい時代でもありました。
土地のおばあちゃんたちに、「なんとか、この家を守ってほしい」と、手をあわされ、断りきれなくなってしまい、結局、十二軒の家をゆずってもらいました。その木々は私たちの家族の住む家を形造り、第二の命を生きることになりました。柱や梁には、長いあいだ人びとを守りつづけてきた優しい表情があります。
自然にも物にも魂があるように思えるのです。
骨董と出会い、ルネ・ラリックの作品などガラスの器に出会い、窓に広がる風景を見つめながら、一生懸命子育てをして、仕事をし、たくさんの素敵な人との出会いに支えられてきた私のこれまでの人生。
この空間を仲間と共有したい・・・そんな思いで、最初は私の大好きな京都「ギャルリー田澤」の素敵な展覧会から落語会、コンサート、闇笛を聞く会、などを楽しんできました。昨年春からは正式にMie’s Livingとして「箱根やまぼうし」がスタートしました。
今年も春から素敵な展覧会が始まります。
4月17日~22日まで「花のように」と題して「たかはししょうぞう・永順のふたりのコラボレーション展」を開催します。
省ちゃんの器は永順さんの花を優しく包みこむような、料理の味を引き出してくれるような素敵な器です。永順さんは、いつも花と呼吸しているような、のびやかな美の世界が広がります。今回はシルクスクリーンの絵と花。
さあ、春の到来、我が家の木々が待ち望んでいる展覧会のご案内です。
詳しくはHPでご覧ください。

浜美枝のいつかあなたと ~木の実ナナさん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)のゲストに
女優の木の実ナナさんをお迎えしました。(放送日3月21、28日)
木の実ナナさんは1946年、東京・向島のお生まれ。16歳で芸能界デビュー。72年、劇団四季の「アプローズ」に出演し、本格的にミュージカルの女優の道を歩み始めます。「ショーガール」は大ヒット作品。ほかにも出雲の阿国をモデルにした「阿国」など、舞台やテレビなど幅広くご活躍されています。5月15日からは、ナナさん主演のミュージカル「いかれた主婦」がテアトル銀座で上演されます。
文化放送のスタジオに現れたナナさんは、舞台に備え普段でも”パンク”スタイルとか。「これからギターのレッスンなの!」と。
私はナナさんの大ファンなのです。
詳しいお話はぜひラジオでお聴きくださいね。
ナナさんは、今の年齢になってから「木の実ナナ」ではなく、本名(池田鞠子)に戻る時間を持つようになったと仰られます。頑張り屋さんのナナさん。頑張りすぎて「救急車に乗った回数ナンバー1の女優」と言われているとか。
同じ東京・下町生まれということもありますが、ナナさんに親しみを感じるのです。そして、なんと”チャーミングな女性”・・・なのでしょうか。ナナさんは素敵に齢を重ねてこられました。力強さ、優しさ、妥協を許さない信念、それでいて愛らしい。
でも・・・ナナさんは、これまでの人生たくさんの問題をくぐり抜けてきたのではないかと想像します。舞台の後など、魂の抜けた人のようになり、茫然自失していまうこともあるでしょう。
私自身、同じ世界に身をおいた人間として想像するしかないのですが・・・
そんな時、どのように心の泡立ちを静めるのでしょう。
“太陽のような人”、”ひまわりの花のよう”・・・とも言われます。
でも、私はナナさんは「野に咲く”ひなげし”のよう」とその日感じました。
いつだったか、スイスをローカル線に乗って小さな駅に降り立った時、一面の麦畑が広がる風景の中で、”ひなげし”がポーン・ポーンと音をたてて咲いていたのです。野にあるひなげしは、一輪一輪が違う顔。一輪一輪が毅然と立っているのです。野にあるひなげしを切って生けると、どの花もしらんぷりして、光の方向を見て同じ顔。やはり、野にあって素敵な花なのです。
ナナさんってそんな女性(ひと)だと思いました。
あとはラジオをお楽しみくださいね。

夢を入れる筥(はこ)

春が近づくと心がウキウキしてきます。
「さあ~何を入れましょう・・・」
それは、「箱」と書かずに「筥」と書きます。薄紅色に染めたガラスの表面に、金箔を桜の花びらを散りばめたように貼り込んだ六角形の飾り筥。私が大切にしているものたちのなかでも、特に気に入っている宝ものの一つです。
そういえば、遠い昔の少女の頃にも、そんな風に大切にしていた宝ものの箱がありましたっけ。
季節の花々を形どった色とりどりの練り菓子は、どれもきれいで美味しかったけれど、私にはそれ以上にお菓子の入っていた箱の方が、もっと魅力的だったのでした。幼い日、私の家を訪ねてきたあの美しい和服姿のお客さまは、いったい誰だったのでしょう。
きれいな和紙でできた、淡い桜色の箱。
おはじきや、千代紙や、ビーズの首飾りや・・・自分がほんとうに好きな物、
美しいと思える物だけを詰め込んで、大事に、大事に持っていたのです。
嫌なことがあって気が沈だときなど、その箱を開ければ幸せになれたの。
そして大人になって、ある時ガラス造形家の藤田喬平先生の桜色をした飾り筥が私を待っていてくれたのです。私は、その筥の美しさにみほれているうちに、子供の頃の和紙の宝箱のことを思いだしました。
もうすっかり大人になった私にも、ただ眺めているだけで嫌なことが忘れられるような、心に潤いを取り戻させてくれるような、そんな宝の筥が必要に思えたのです。
出会った瞬間に私は藤田喬平先生に
「これは何をいれるための筥ですか?」
とたずねました。
「あなたの夢を入れてください」・・・と。
先生はきっと、箱は物をいれるもの、そして、筥は、美意識とか思いを閉じ込めておくもの、と区別していらしたのかも知れません。
三月三日が近づくと、だからウキウキするのです。一年に一回だけ”夢”を入れる筥に料理を盛り、お雛さまをします。
今年は何を入れましょう。
すっかり大人の私は女友達とシャンパン・・・。筥には”いちご”、いえいえ、
やはり食いしん坊の私は料理を入れ夢を語りあいましょう。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~、新潟県村上市」

今回ご紹介するところは、新潟県村上市です。
村上は新潟県最北の市。村上藩の城下町として栄え、城跡、武家屋敷、町屋、寺町が残る、かつての面影を感じさせるしっとりとした町でもあります。人口は約7万人で、鮭で有名な三面川が流れています。実は、私には村上にはひときわ深い思いがあります。村上はかつて、私の心の宝物である村、奥三面の玄関でした。

話は30年以上も前に遡ります。
奥三面というマタギの村がダム建設で湖底に沈むという小さな新聞記事を見つけました。深い山の懐に抱かれた村の写真も載っていました。私は、なぜか、その村に強くひきつけられ、奥三面に行ってみたいという気持ちが抑えられなくなってしまったのです。やがてその村を記録していた民族文化映像研究所の姫田忠義さんにお会いすることができ、私はその村を訪ねることになりました。
以来、奥三面を何度お訪ねしたことでしょう。夏には、子供たちを連れて3週間過ごしたこともありました。そこには、はるか遠い昔から続けてきた日本の、厳しくも美しい暮らしがありました。自然と共に生き、自然に生かされた暮らしでした。
そして私が村に通うようになって3年目の1985年の11月1日。閉村式が行われました。その日、私はキイばあちゃんと呼ばせていただいていた伊藤キイさんとともに8時間、キイばあちゃんの家の茅が外され、梁が倒され、柱が倒されるのをじっと見守りました。
「前山がかわいそうだ、川がかわいそうだ、これからどうやって生きて行ったらいいんだろう」
キイばあちゃんはそうつぶやきました。しかし、最後にきっぱりとおっしゃいました。
「まあ、子供たちの幸せのためなら我慢するよ」
そしてお孫さんが運転する車に乗り、私に「遊びにおいでね、村上に」と大きく手をふり、去って行かれました。今でもまぶたを閉じると、美しい奥三面の風景が浮かびます。芽ぶきの春、深緑に囲まれ、カンナやダリアが軒先に咲く夏、赤や黄色の色づく秋。さらさらと流れる三面川の透明な水、頬をそっとなでる春風、澄み切った夏の光、リンと冷えた秋の朝……。
先日、村上を訪ね、奥三面ゆかりの矢部キヨさんとお会いしてきました。キヨさんは創業天保10年という大きなお茶屋さんに、同じ町内から嫁がれて55年。教壇にも立たれ、多くの人々を導きつつ、町民文化・民族研究を続けていらした女性です。ちなみに、村上でとれるお茶は北限のお茶であり、北前船で運ばれていったそうです。
キヨさんは「奥三面の人たちが今、村上にすっかり溶け込んでいること。山の厳しい生活を知っているためなのか、奥三面の人々は辛抱強くがんばりやで、村上の人々に高く評価されている」ことなどを語ってくださいました。
また、奥三面がダムに沈む前の話もしてくれました。毎年、1月10日の十日市には、奥三面から村人が山の幸をいっぱい背負ってキヨさんのお茶屋さんに遊びに来て、飲み、食べ、語り、ときには泊っていったというのです。そして三面川が秋、上ってくる鮭で川面の色が変わるほどだったとも教えてくれました。今は3~5万匹ほどですが、大正時代は15万匹を超える鮭がとれたのだそうです。
「村上は三面の川の恵み、森のめぐみをいただいていた」
とおっしゃる表情が、とても懐かしそうでした。

現在、村上には「町屋人形巡り」と「町屋の屏風まつり」があり、年間10万人もの方々が訪れます。そのまつりの担い手のおひとり、小杉イクさんにもお会いしました。イクさんは多い時には700~800人も見えるお客様に「お茶でも飲んできな」と気さくに声をかけます。お客様……旅人を、イクさんはごく自然にお客様と呼ぶんですね。
イクさんは次のようにいいます。
「人と出会えるから楽しい。偉い先生も見えるし、勉強になる。ためになる。ふるさとに帰ってきたみたいといわれると本当に嬉しくなる」と。家にある屏風が良寛さんの筆であることも、「町屋の屏風祭り」がきっかけでわかったともおっしゃっていました。
キヨさん、イクさん、ともに80歳。おふたりとも素敵に年を重ねられた女性です。
お話を伺った後、私はまた村上の町をそぞろ歩きました。歩きながら、キイばあちゃんのこと、奥三面のことを思い出しました。キヨさんとイクさんの笑顔も思い出しました。この町は奥三面とつながっていて、ここに奥三面が今も息づいていると感じました。そして今も、新たな歴史がこの町で綴られているとも感じました。
旅の醍醐味は人との出会いだと私は思います。目と目を見て話し、ふれあい、笑い、うなずき、肌でそこに住む人の営みを知ることこそ、旅の最大の楽しみではないか、と。
女性たちが、自分たちの文化を、歴史を、自分の言葉で語り継ぐ村上は、そんな旅の醍醐味を、誰もが味わえる場所なのではないでしょうか。そして、この土地のように、日本のどこにも暮らしの語り部がいてほしい。暮らしの担い手である女性の語り部がさらに育ってほしいとも感じました。
町を歩いた後、松尾芭蕉が奥の細道の途中で2泊したというゆかりの宿に併設されたクラシックなカフェに入りました。この宿は国の登録有形文化財でもあり、明治期の町屋の風情を味わうことができます。そしてもちろん夜には、旅をさらに思い出深いものにしてくれる、美味しい地酒もいただきました。

東京からは新幹線を利用し新潟駅経由で、JR羽越本線に乗り換え、約2時間30分です。
本日は、新潟県村上市をご紹介しました。

わが人生に乾杯

1月末にNHKラジオ「わが人生に乾杯」の生放送に出演いたしました。
司会は山本晋也監督、パートナーは出光ケイさん。(20:05~21:25)
なにしろ生放送です。箱根の山から渋谷のスタジオへ。1時間前に入り、打ち合わせを兼ねてのおしゃべり。さすが、山本監督、映画時代の話からこれまで歩んできた私の人生、緊張を和らげてくださりながら、番組は進行していきました。
子供時代の私。小さい頃から、家事を手伝い、親に甘えることの下手だった事、貧しくとも心豊かに過ごせた時代。少女時代の私は、男の子みたいにおてんばで、気が強く、でも泣き虫でした。かまどの炎を見ながら、ふっと寂しくなり涙がポトポト。そんなとき、昔の人たちや昔のことを知りたいな・・・と思ったこと。
そして、中学生で出会った「柳宗悦の民芸」の世界。
バスの車掌から女優へ。女優をしながらも「このままやっていけるのかしら?」と才能のなさに途方にくれた日々。そんな時に出会った写真家・土門拳先生の「本物に出会いなさい」というひと言。
10代でのヨーロッパひとり旅。
「007は2度死ぬ」出演のエピソードやそこで出逢った俳優さんたち。
ショーン・コネリィーさん。スタジオでお会いしたシドニィー・ポアチエさん。
偶然ホテルでお見かけしたオードリィー・ヘップパーンさんの美しさ、など等。
私の青春の一ページです。
そして、40代からの「日本の食・農・環境問題を考える中で、日本古来の手仕事や暮らし」への思い。食の安全や安心に関心をもつ人も増えてきた時代、生産者、消費者の垣根を越えて「食・農」を考える時代になり多くの若者が取り組み始めたこと。
私は自分の足で現場を歩き、自分の目で見、自分の肌で感じ、農に生きる人たちと語りあってきたこと、などを話させていただきました。
「自然は寂しい、しかし人の手が加わると暖かになる その暖かなものを求めて歩いてみよう」

宮本常一のこの言葉に背中を押されての旅。そして、この番組ではゲストが、自分の人生を振り返り、その気持ちを文章に綴り読むことになっているのです。
「私にとって人生とは、自分というものを探す旅のようなものかもしれません」
多くの人に導かれ、先人にも教えをいただき、あるいは骨董や民芸に手を携えてもらいながら、これまで歩んできました。たくさん笑い、たくさん勇気をもらい、たくさん楽しい時間を過ごし、たくさん学び・・・辛さも悲しみもエネルギーに換えてきました。
ひとつ山を乗り越えるたびに、新しい自分を発見したような気がしました。経験を積み、年齢を重ね、知恵も少しずつ身につけました。大きな山を目の前にしても、以前のようにたじろがなくなったのはそのせいかもしれません。がむしゃらに乗り越えるだけではなく、回り道をしたり、時に休んだり、ときに人の助けを借りたりすることも覚えたからです。
そして、旅の道程がもっと深く楽しいものにと変わって行きました。私はこれからも明るい光が差し込む方向に歩いていきます。道端に咲いている野の花の可憐さや頬に受ける風に微笑みながら、一歩一歩、明日、どんな自分に出会えるのかを楽しみに、丁寧に生きていきたいと思います。
こんなことを話させていただきました。
そして、山本監督から
「浜さん・・・貴女のわが人生とは」の問いかけに
「限りある命だということを、実感としてわかる年齢になったからこそ、自分が本当にしたいことを探し、納得できる人生を過ごしていきたいと思います」
と申し上げました。
山に戻ると星が輝いていました。そして「わが人生に乾杯」とグラスをかたむけ、今回も幸せな仕事との巡り会わせに感謝した夜です。