「日経新聞-あすへの話題」

海に生きる人たちを訪ね、鳥羽市の答志島に行って参りました。来週のNHKラジオ深夜便の取材です。答志島は風はあったものの、穏やかな海でした。日本列島は寒波に覆われていますが、島の優しい人達との触れ合いの旅でした。この島には「若者宿・寝屋子」とよんでいる制度が現在も残っているのです。詳しくは来週の放送後にご報告いたします。
半年間続いた日経新聞土曜日の「明日への話題」の残りを掲載いたします。正直にいって結構なプレッシャーでした。「身辺雑記でいいですから」とのお申し入れでしたが、私自身、このコラムのフアンでしたから「私にできるかしら・・・」と不安でした。しかし振り返ってみると自分の足元を改めて見つめ直す良い機会を頂くことができました。
日経新聞 第22回 11月28日掲載 「年齢というもの」
時間を見つけては書庫の整理をしている。仕事がら、読まなくてはならない本がたくさんある上、いつも本がそばにないと落ち着かない。そして本には魂がこもっている気がして捨てられない性格である。しかし収納できる冊数には限りがある。
けれど、これが遅々として進まない。おもしろそうな本を見つけると、つい読み始めてしまうからだ。懐かしさを感じる本、内容を忘れてしまった本、かつて読んだときとはまったく違う感想を抱く本。時間をおいて本に向き合うおもしろさがあることにも気がついた。高田宏さんの著書はまさに後者だ。例えば「還暦後」(清流出版)は出版された00年に読んだのだが、実際に還暦後になった今になって読むと、しみじみと実感を伴って言葉が沁みこんできて、こんな深いことが書かれていたのかと、驚いてしまう。
旅のあり方が少し変わってから2,3年になる。それまでは目的地から目的地への旅だった。仕事や用事をすませた、ほんの1~2時間でも町を散策できれば満足。子育て期間中は、長く家をあけられないという事情もあり、とんぼ帰りが当たり前だった。けれど今は、自由になる日が続いていたら、緩やかな時間の流れに身をまかせるようにその町に滞在し、その近くの、いつか行ってみたいと思っていた場所などに足を延ばしたくなる。
肉体や心の変化とともに、暮らしも、旅のあり方も、少しずつ変わる。年齢を重ねるということは、今このときをいとおしく思う気持ちが強くなることなのかもしれない。人にも、自然にも、時間に対しても丁寧に穏やかに接したいと思う気持ちが深くなっている。
日経新聞 第23回 11月5日掲載 「今、若者に伝えたいこと」
来年の4月から近畿大学に新設される「総合社会学部」で客員教授を務めさせていただくことになった。「農・食・美しい暮らし」をテーマに活動しているため、これまでお会いするのはもっぱら、農家の女性や子育て世代のお母さんたちが多かった。私も4人の子供を持つ働く母親であることもあり、出会いは公的な場であっても、互いに悩みを共有したり、個人的な友人関係に育ったご縁も少なくない。大学では、農業の現実や食の問題をテーマに、私が経験してきたことなどを伝えるとともに、我が子より若い学生さんたちと一緒に考えていく場にしたいと思っている。
私は、中学を卒業後、バス会社に就職したが、1年後にスカウトされ、女優になった。そして多くの人との出会いに導かれるように、民芸・骨董・絵画・建築などを独学で学び、その奥深さに触れると同時に、農業と食を自分の問題として考え続けてきた。机の上の学問だけではなく、現場に赴き、この目で見、耳で聞き、肌で感じながら多くのことを学んできた。高等教育を受ける機会を持つことができなかったという無念さが、私のバネになり、だからこそ向上心を持ち続け、学び続けなければならないと自分自身を励ましながら歩いてきたような気がする。
コミュニケーション力が不足した若者が増えていて、せっかく社会に出ても、心を病んでしまったりする人も少なくないと聞く。考える力としなやかな心を育てるために、人と人の絆が生まれる現場に赴くことの大切さも伝えたい。そして学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直すことができたらと、今から胸をわくわくさせている。
日経新聞 第24回 11月12日掲載 「山歩きに思う」
めっきり空気が冷たくなった。箱根の家では、毎朝1時間ほど山を歩くのだが、息の白さに、冬が来たと知らされる。寒くなったけれど、木々は葉を落とし、山道は明るくなった。これまでに何度かジムでマシン相手のウォーキングに挑戦したことがあるが、馴染めなかった。箱根で山歩きをはじめて、その理由がわかった。人工的な環境の中をただ歩くという行為は、私にとって退屈なだけでなく、大げさにいえば、私の生き方と反していたのだ。
山道の途中には、触れずにはいられない木もある。ごつごつとした木肌だが掌を押し当てると意外なほど心地よく、木が水を吸い上げる音さえ伝わってくるような気がする。数年前には、大きな木が雷に打たれた無残な姿も目にした。今は大きな切り株になったそこには、ぽっかりと空があいている。小さな木が芽吹き、太陽の熱と明るさとともに命の循環を感じさせる。貯まった落ち葉が数十センチにもなり、踏み入れた足がずんと沈む場所もある。これらの落葉は微生物たちの働きでじわじわと熱を放ち、やがてふかふかの土に帰る。土や草、風の匂いがいっそう濃くなる場所だ。
山は私の五感を研ぎ澄ましてくれる。木々の記憶を思い、遠い昔に想像が及ぶこともある。何よりひとり、山を歩いていると、自分が本来いるべきところにいるという安らぎに包まれる。だから歩くのが楽しいのだろう。山や森は豊かな命を生み育む、聖なる場所であり、私たちもまた山や森の一部なのである。けれど、残念ながら、日本の多くの山が手入れ不足で荒れている。取り返しのつかない事態になる前に、本当に大切なものを考え行動する必要があるのではないだろうか。
日経新聞 第25回 12月19日掲載 「働く女性たちに」
役職を持つ40代の女性が増えている。かつては仕事か結婚かと二者択一を迫られた女性たちがその両方を手にし、活躍している姿を見ると、いい時代になったと思う。40代は働き盛りであり、前も後ろも見渡せる年代でもある。仕事の責任は大きくなるし、親の介護など家庭の役割が増える場合もある。これからの生き方を改めて考える人も少なくないはずだ。
私にとっても、女優として演じることをやめ、農や食の問題に本気で取り組もうとしたのが、40代だった。この方向転換は予想以上に大変だった。女優という肩書きのために本気にされず、出鼻をくじかれることもしょっちゅうだった。しかし20代から農と食に関心を持ち、一生のテーマとして取り組もうと暖めてきたのだ。女優の仕事を続けるよう迫る人をも説得して、今こそターニングポイントだと、一大決心でスターとしたのだ。あきらめるなんてできない。学べるものは何でも学びたいと、手探りで多くの研究会に参加し、農村を歩きまわった。一方、家では4人の子どもたちのために、毎日5合のお米を炊いていた。
人生は順調なときばかりではない。大きな波が押し寄せ、立ちすくむこともある。もし困難に直面したら「自分がやりたいことが何か」を探り当て、それを胸に刻もう。悩みを打ち明けられる人や手伝ってもらえる人に「応援」を頼み支えてもらうのもいい。そして、とにかく「焦らずあきらめず、働き続け」、自分がやりたいことができる日に備えてほしい。辛い時期を乗り越える時は必ず来る。そしてその辛い時期をいかに過ごすかで、次に見える風景がきっと変わると思うのだ。

寒中お見舞い申しあげます

皆様には佳き年をお迎えになられたことと存じます。
昨年二月に義母が旅立ちました。一世代下の私を常に温かいまなざしで応援し続けてくれました。そんな義母に背中をおされるように、私もこれから若者を応援したいと思うようになりました。
「食と農、美しい暮らし」というテーマでの活動、そして昨年スタートした「Mie’s Living」に加え、この4月から近畿大学の客員教授という未知の世界にチャレンジいたします。
もちろん全国の農山漁村の女性たちとのネットワークの輪をさらに広げていきたい考えております。目をつぶると、全国を歩く中で出会った大勢の女性たちの顔が浮かびます。昨年もたくさんの人との出会いがありました。優しく、たくましく、しなやかな女性たち。厳しい現実にも負けずに、将来の夢を語る彼女たちの表情の、なんとまぶしかったことか。今年はさらに生活者の方々との交流もできたら・・・と願っております。
部屋には山形県の”みちのく初桜(啓翁桜)が満開に咲いております。
春まであと一歩。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしております。

大晦日の停電 (日経新聞12月26日掲載分)

箱根の家に暮らすようになって数回目の大晦日の晩、我が家の電気が突然消え、闇に包まれた。停電だった。子供たちが悲鳴をあげ、私がいた囲炉裏の間に集まってきた。あわててラジオをつけ、手元にあった和蝋燭に火を灯した。和蝋燭の光は、最初は不安定なものの、やがて静謐な光を放ち始める。四隅の明かりがようやく定まったとき、ラジオのスピーカーから除夜の鐘が聞こえてきた。いつにもまして、厳粛な気持ちになった。
約25年前のことだ。以来、大晦日の晩には、家の電気を消し、和蝋燭を灯すのが我が家の習慣になった。それから私は、蝋燭の下で囲炉裏の神様に感謝を捧げ、火種に灰をかぶせる。そして日付が変わり新年を迎えると、飛騨から取り寄せた豆ガラに火を移し、「今年もマメで元気で暮らせますように、不滅の火のように頑張れますように」と願う。再び電気をつけるのはそれからだ。
こんなちょっとした不自由さが、現代の豊かさと、豊かさにより弱められてしまうある種の感受性があることを教えてくれる。過ぎし一年を振り返り、新たな年に思いをよせる大晦日に、電気ではなく蝋燭の光に包まれてきたことで、我々もまた自然の中で生かされている一生命であるという思いを深くしてきたと感じるのだ。
電気を消す。蝋燭をつける。ただそれだけで、深い闇が私たちのすぐそばにあることを、そして炎が暖かく、原始的な安心感を呼び覚ましてくれることを感じ取ることができる。自然への畏怖と文明への感謝の念も沸く。1年に1度くらい、電気を消す日を持ってはみてはどうだろうか。
良き新年をお迎えくださいませ。

メリークリスマス

091225christmas.jpg
皆さまはクリスマスをどのようにお過ごしでしょうか。
私は、箱根の森の静寂な中で迎えております。
我が家に住むたくさんの柱や梁、床や戸棚、多くの木とおしゃべりします。
木々たちは、何百年も生きているからものしりで、私のわからなさを諭したり
ときには眠ったふりをして答えてくれなかったりするけれど、
木々とのおしゃべりは本当に楽しいのです。
素敵なクリスマスを!

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~京都府・大江町毛原」

今回ご紹介するところは、京都から福知山をさらに40分ほど山間に入った鬼伝説で名高い大江山。そのふもとに広がる大江町・毛原集落をご紹介いたします。
北は宮津市、南は綾部市、東は舞鶴市に隣接しています。丹波路の最難所、大江山の峠越えの麓に毛原集落はあります。この毛原集落は奈良~平安~鎌倉にいたる中世の時代に形成された集落といわれ、大江山越えの裏街道として宮津(天の橋立)まで旅する人に親しまれていたそうです。今は幻の峠となっていますが、昔の人はどんな思いでこの難所を行き交っていたのでしょうか。大江の里は中央を由良川が流れ、その山中には聖霊が宿っているような静けさがあります。
“大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立”
歌人・和泉式部の娘が詠んだ歌だといわれます。
さて、毛原集落は「日本の棚田百選」にも認定された、山に囲まれた小さな美しい村です。人口30人、13戸。ここはかつては、千枚以上の棚田があり、千枚田とも呼ばれていた集落ですが、担い手の高齢化が進むととともに、農業への従事が困難になり、その結果、田への植林が増え、また、農地の荒廃化が進み、棚田は、約600枚に減ってしまったそうです。
そこで、毛原の集落の人たちは 「みんなで守ろう・心のふるさとを」との思いから、人口が減り、高齢化してしまった「ふるさと」を守っていくには、都市住民の力が必要!との結論に達しました。現在「毛原の棚田」では「棚田農業体験ツアー」や「棚田オーナー制度」を導入し、都市住民と積極的に交流をしています。
散策路・水車の復元、集落を歩いているだけで心が休まります。私は庭に葉の落ちた、柿の実のなる風景を見ると懐かしさで胸が熱くなります。晩秋の一日、私は村の方々から「ふるさと」を想う気持ちを伺いました。
ビオトープの池、また女性が中心となり道端、法面に水仙の球根を植えておられました。民間企業が参加し、里山を守るためにボランティアで活動も行なってもいます。冬は30cmくらいの雪が積もるそうです。春にはみつ葉つつじの群生が美しく、5月は昔ながらの手植え、秋には稲刈り、さつま芋掘り、また遊休農地ではそばの栽培が行なわれて、真っ白なそばの花が咲き乱れます。

「自分たちの故郷を守る活動が未来に繋がると信じてやっています」・・・と。
美しいふるさと・・・それは、私たちの先祖が、一生懸命山を切り開いて田んぼを作り、そして山や川をまもってきたことの証なのですね。
棚田は美味しいお米を作るだけの場所ではありません。水を貯えるダムとして、洪水や地すべりなど災害から私たちを守ってくれます。そして生き物の王国でもあります。田んぼの微生物たちが、ゴミや汚れを浄化し、田んぼにたまった水は太陽に照らされてゆっくり蒸発するので気温を調節し、森林や作物など植物の働きで、空気をきれいにしてくれます。
そして、美しい”ふるさとの景色”を守ってくれます。
この毛原集落からほんのちょっと奥に入ると二瀬川渓谷にいけます。大江山連峰・千丈ヶ嶽を源にした水が、勢いよく流れ落ちる二瀬川渓谷。大小の岩と美しい紅葉。きっと四季折々の美しい光景を見ることができるでしょう。山の中、心身ともにやすらぎ、深い緑に吸い込まれそうです。周辺は鬼伝説の遺跡群があり、新童子橋をわたり、散策をお進めします。そして、毛原をはじめとした大江地域で栽培された酒米で作った地酒「大鬼」が今、アメリカで人気になっているとか。

私は毛原・大江の帰りに福知山市内に戻り、江戸時代には城下町として栄えた町並み、明智光秀が丹波の拠点として築城した福知山城(石垣は光秀時代の面影が残されています)、臨済宗南禅寺派の寺「長安寺」を訪れました。ここは四季折々の景観と枯山水の庭、特に秋の紅葉は見事で「丹波のもみじ寺」として知られています。臨済宗妙心寺派の天寧寺は室町時代の名刹で自然に囲まれ、こちらも四季折々の風情が楽しめます。

今夜は福知山、大江町・毛原集落をご案内いたしました。

今年の紅葉もそれはそれは美しかったです。私の住む箱根はもう冬景色・山歩きのときに、息の白さに、冬がきたことを知らされます。
【旅の足】
京都からJRで福知山駅へ・・・KTR(北近畿タンゴ鉄道)で大江駅へ、そこから市営バスかタクシーで毛原集落へ。
詳しくは「毛原の棚田ホームページ」か、福知山市大江市所内「棚田農業体験ツアー実行委員会」まで
TEL: 0773-56-1101
FAX: 0773-56-2018

「日経新聞-あすへの話題」

日経新聞 第19回 11月7日掲載 「テレビドラマ雑感」
箱根の家では、夜、音楽を聴くことが多い。クラシックからジャズまで、そのとき自分が求めているものをCDラックから取り出しては聴いている。音楽を聴きながら、ゆっくり本を開くこともある。
夜、テレビドラマをほとんど見なくなってからどのくらいになるだろう。テレビCMの対象が個人視聴率の集計区分でF1層と呼ばれる女性20~34歳、M1層と呼ばれる男性20~34歳向きのものが多く、それゆえテレビに若者向け番組が多いという事情はわからないではない。けれど、大人が待ち遠しいと思えるドラマが少ないのはさびしいと、ずっと思っていた。
だが、今年になってちょっと変化が起きた。夜、テレビの前にときどき座るようになったのだ。フジテレビ開局50周年記念ドラマ「不毛地帯」がおもしろい。もう終了したがTBS「日曜劇場 官僚たちの夏」も見ごたえがあった。どちらも生きること、働くこと、国家や組織と人など、大きなテーマを持つ大作だ。同時に、理想と現実の間で悩み、挫折を繰り返しつつ、厳しい時代を必死で生きた先人の姿が胸をうつ。私の周りではこれらのドラマの話題で盛り上がることもある。
このことだけをとりあげ、結論づけるのは気が早いかもしれない。が、こうした鮮烈な生き様のドラマが多くの人々に歓迎されているということは、閉塞した状況を打ち破りたいという現代の思いを彼らの姿に重ねようとしているからではないか。そうした人々のエネルギーが集まり熟成されれば何かがきっと変わる。変えることができる。とすれば今は変革の前夜、過渡的な時代といっていいのではないか。そんな風に考えるのは、飛躍し過ぎだろうか。
日経新聞 第20回 11月14日掲載 「百年の村づくり」
食べ物には、美味という表現だけではおさまらないものがある。私にとって、鳥取・香取村の「香取村ミルクプラント のむヨーグルト」は、そんな飲み物のひとつだ。搾り立ての新鮮な生乳を7時間以内に加工し、長時間低温殺菌処理を施して作られるヨーグルトなのだが、口に含むと、大山の上に広がる青空、吹き渡る風、そして人々の笑顔がふっと浮かび、心身がす~っと浄化されるような気がする。
香取村は、中国から引き揚げてきた第8次樺林開拓団を中心にした「香取開拓団」(現在は「香取開拓農業協同組合」)が昭和21年、入植して作り上げた村だ。香川県出身者による開拓村であったため、香川県の「香」と鳥取県の「取」をとって香取村と名づけたといわれる。その団長を務めていらした三好武男さんと以前、お会いしたことがある。「香取の村づくりは、百年計画。三世代かけての大事業です。金やものを追うのではなく、人間中心の、まっとうで、喜びのある社会を取り戻さないと。村づくりは精神の開拓でもあるんです」
  
その信念の元、未開の山林原野を切り開き、約60年かけて畑作畜産大型酪農業の村を作り上げた。今、霊峰・大山の高原にヨーロッパを思わせる牧場が広がる。「まだ村づくりは折り返したばかり」とおっしゃっていた三好さんは05年95歳で亡くなられたが、2代目、3代目の人々が後を継いで、村の歴史を紡ぎ続けている。
村づくり、国づくりに必要なものは、こうした百年の計画、それを支えるヴィジョン、信念ではないだろうか。「自分達が死んでもいつまでも実をつけるように」と三好さんたちが植えた香取村のくるみや梅などの苗木は今、大木にと育っている。
日経新聞 第21回 11月21日掲載 「伝統野菜の復権」
全国にはそれぞれの気候風土に適し、代々受け継がれてきた伝統野菜がある。それら伝統野菜を売り出し、地域農業を活性化しようとする動きが高まっている。
以前、2度ほどイタリアの「食の祭典 サローネ・デル・グスト」に参加したことがある。「アモーレ、カンターレ、マンジョーレ(愛そう、歌おう、食べよう)」の国イタリアでもこの30年間に150種類ものチーズが姿を消したといわれる。スローフード運動も食の祭典も、伝統の食が消えることに危機を感じたことから生まれた。
食の祭典にはイタリア各地から集められたチーズ、ハム・ソーセージ、オリーブオイル、野菜、果物、パスタなどが一堂に会する。けれど、ただのお祭りではない。消費者はブース巡りやワークショップを通して生産者を知り、様々な味に出会い、「おいしくやさしく公正な」という観点から自らの味覚を鍛え磨く。この祭典には「食品購入の際に質の高い食品に働きかけ、良い方向へ導き、支えることができる消費者=共生産者」を増やすという明確な目的もあるのだ。
私もこれまで食アメニティ・コンテストなどを通じて、伝統食・伝統野菜を伝える活動を続けてきた。個人的に三浦大根のサポーターもかって出たりもしている。スーパーに並ぶのは病気に強く、大きさの手ごろな青首大根ばかり。そこで私は煮崩れしにくく、大根本来のほろ苦さも味わえる三浦大根は農家から直接取り寄せているのだ。大根ひとつとってもこのような状況である。日本の農を守り、食のバラエティを保つために、イタリアと同様、公正な観点を持ち、味覚に優れた消費者を地道に育てていく場が必要ではないだろうか。

箱根のクリスマス

12月2日~3日にかけて主婦の友社「ゆうゆう」のオリジナルツアーで、ここ箱根の我が家に、遠く北海道から九州まで、70名の読者の方々がお集まりくださいました。
雑誌「ゆうゆう」では4年間の連載を受け持ちました。連載開始当時60歳になったばかりの私の経験を少しでも参考にしていただけたら同じ女性として嬉しいと思ったからです。
「ゆうゆう」では、一人の人間として、ありのままの自分を語ってきました。私も読者の皆さんと同じように、人生の中で、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、 苦しかったことや悲しかったことなど・・・を共有してきました。だからでしょうか、初めてお会いした方ともすぐに仲良しになれます。
親子でのご参加、50代、60代、70代の方々。皆さんのお顔が輝いています。
女性の人生は、家族を精神的に支えることが求められるだけに、男性より悩みが複雑かも知れません。けれども、その大変さを乗り越えることで、より豊な自分になれるのではないでしょうか。今回の皆さんのお顔を拝見していると、そんな美しい輝きがありました。
家のことはしばし忘れ「ご自分へのご褒美よっ!」とお話すると大きくうなずく彼女達。 素敵な箱根の初冬の午後の一日でした。

亜麻の花咲く里づくり

10月下旬、北海道当別町に行ってきました。
この町は札幌都心部から約15~25kmに位置しています。当別町では、明治初期より始まった亜麻の栽培が、化学繊維の普及により除々に減少し、やがて姿を消してしまいました。その美しい景観をもう一度取り戻し、地域の活性化につなげようと復活に取り組んでいます。
(亜麻とは、中央アジア原産でアマ科の一年草のこと)
約40年も栽培が途絶えていたこともあり、亜麻の栽培方法の研究から始まり、海外の文献などを参考に試行錯誤を重ね、8年目の現在は約8haの作付けをするまでになりました。生産者の輪も広がり、商品開発も進み、フォトコンテストや亜麻まつりなどで町は賑わいます。亜麻の種子から抽出される「亜麻仁油」は身体によいといわれています。

初夏には薄紫の亜麻の花が咲き乱れ、収穫時期を迎える秋には、一面黄金色に色づき美しい風景を作り出すそうです。
廃校となった小学校を亜麻の資料や木工家具のアトリエなどに使われており、何だか懐かしい光景がよみがえりました。

「亜麻の花咲く町」・・・今度はぜひ夏に行ってみたいです。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県・勝山」

今回ご紹介するところは、岡山県北部に位置する真庭市勝山です。
勝山は、瀬戸内と山陰を結ぶ交通のかなめにある美しい町です。
町を囲む蒜山(ひるぜん)三山をはじめ、山々が檜や杉など森が深く、日本の滝百選に選ばれた、神庭(かんば)の滝は、湯原奥津県立自然公園の一角にあり、落差110m、幅20mの勇壮な滝です。

てっぺんから流れ落ちる滝の姿はなんと美しいことか。滝の水しぶき、樹木の匂い、辺りに漂う樹齢の空気に清清しさを感じ、思わず深呼吸をたっぷりしました。きっとマイナスイオンが身体中にいきわたったでしょう。一帯には約180匹の野生の猿が生息し、訪れる人に愛嬌をふりまいています。私が訪ねたのは10月でしたので、今頃は紅葉が一段と美しいことでしょう。
勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは木材で賑わっていたそうです。けれども時代が経るにつれ、その賑わいは失われていきました。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつあります。勝山の何が人々を惹きつけているのでしょう。
3月の「勝山のひな祭り」の頃は3万人ほどの人が集まるとか・・・。どこの家々もお雛さまを飾って観光客を楽しませてくれるとのこと。そんな暖かい気持ちが伝わっているのですね。
さらには、白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情でしょうか。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めの暖簾。商店はもとより個人の住宅にも暖簾が揺れています。一軒ごとに違う大きさや柄、たとえば自動車修理工場の軒先にはモダンな自動車の絵柄、幾何学的な自転車柄、タイヤのわだち、野菜、野の花、櫛模様・・・まあ、にぎやかな事。でも全体がシックにまとまっています。今では110軒中92軒が暖簾を揚げています。

約13年前、東京・女子美術大学でテキスタイルを学び教えていた草木染め作家・加納容子さんが、家業の酒屋を継ぐためにUターン。店に自作の暖簾をかけたのがきっかけで、その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」と暖簾をかける家が増え、今の姿になったといいます。
私が訪ねた時には、どの暖簾の下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれます。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられました。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかったのです。

そして、私にとっての旅の魅力のひとつに地酒があります。
ここ勝山には創業二百年余年の、この町にただ一軒残る酒屋があります。
辻本店の酒です。
旭川の伏流水がまろやかさを醸し出します。仕込みの陣頭にたつのは辻家のご長女。酒蔵は女人禁制の世界でしたが、現在では見事に長女の麻衣子さんにより酒造りが行なわれているといいます。歴代の杜氏が惜しみなく技を伝えてきたのでしょう。
この勝山には水のよさから、美味しい蕎麦屋もあります。当日私は残念ながら休日にあたり食べられなかったのですが、この蕎麦やは何でも倉敷から、この水のよい勝山に食道楽の人たちの求めに応じてやって来たとのことです。
酒蔵・蕎麦や・そうそう・・・美味しい饅頭屋さんもあります。
もう、これだけあれば、すっかり旅気分。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのです。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山まつりでも、それで、まちは少しも汚れないといいます。
勝山は旅人と町の人がお互いを慮り、理想な形で交流ができているのではないでしょうか。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山の人々。そして、訪ねる観光客もけっして土足で入らない・・・理想の町をみました。
勝山の見所はいろいろあります。神庭の滝 町並み保存地区では暖簾や土蔵や格子、旭川沿いには往時を偲ばせる高瀬舟発着場後が残っています。郷土資料館には、縄文時代からの民族資料、旧藩主・三浦藩に関するもの、戦時中に勝山へ疎開していた谷崎潤一郎の資料も展示しています。入り口を入ると、休憩所があり暖かいお茶で迎えてくれます。武家屋敷は往時の姿で現存しています。
のんびり、ゆったり・・・勝山の町を散策してください。
岡山駅前から直通のバスが出ていて便利です。勝山まで約2時間の旅です。
JR岡山駅から伯備線で新見駅へ。姫新線に乗り換えて中国勝山駅下車。
岡山駅から津山線で津山へ向かい、姫新線に乗り換え勝山駅で降りる方法もあります。
どちらも所要時間は約3時間。
駅を出て左方向に「檜舞台」と書かれた門をくぐると暖簾の町並み保存地区。
小さな町なので歩いて充分愉しめます。
【お問い合わせ】
真庭市役所勝山支局総務振興課まで。
TEL 0867-44-2607
今夜は暖簾が風にゆれ、暖かなおもてなしで迎えてくれる勝山をご紹介いたしました。

「パリに咲いた古伊万里の華」に寄せて

日経新聞 第18回 10月31日掲載
旅先で、知らない町を歩くのと同じくらい楽しみにしているのが美術館巡りだ。何度も通ううちに、親しみを感じるようになった美術館もある。東京にもお気に入りの美術館がいくつかある。そのひとつが、1933年に建てられた朝香宮邸をそのまま美術館としている東京都庭園美術館だ。

建物の存在自体が美術品といっていい。日仏のデザイナーや技師が総力をあげて作り上げた独特の格調高いアール・デコ建築で、すみずみまで美しい。さらに名前の通り、美術館は東京都心では珍しいほど豊かな緑の庭園に囲まれている。

今、こちらでは「パリに咲いた古伊万里の華」(~12月23日)が開催されている。オランダ東インド会社が日本の磁器に注目し、公式に輸出された1659年から今年で350年、それを記念した大展覧会だ。仕事の合間を見つけ、駆けつけた。
当時のヨーロッパの王侯貴族たちを魅了した有田の磁器がこれほど展示された例はない。乳白色の素地に施された色絵、金襴手の豪華な大皿や大鉢…どの作品からも精進して作成した先人の思いが伝わってくる。ヨーロッパの厳しい注文に応え、技術を磨き、高い評価を得るまでに成長していく過程も見て取ることができた。と同時に、作品と建物が交感し、共鳴しあっているようにも感じた。遠く海を渡り、時を越えて里帰りした古伊万里を、建物が優しく迎えているような、そんな雰囲気が会場に満ちていたのだ。
帰りに秋風を頬に受けながら庭を歩き、カフェでお茶を飲み…心が充実し、活力がみなぎるのを感じた。力ある芸術は、人を勇気付けてくれる。秋が深まった午後の昼下がりにでも、足を運んでみてはどうだろう。