テレビ朝日 『徹子の部屋』にお招きいただきました。
(放送日は9月25日になりました)
9年ぶりの出演です。
1週間ほど前にお声をかけてくださった局のMデレクターが箱根の我が家に打ち合わせにお越しくださいました。「あのとき、10年後の浜さんをお招きしたいと思っていました」と。
子ども時代の空襲で焼け出されたこと、川崎での長屋暮らしのこと、戦争がやっと終わり、ものはないけれども、みんな貧しかったけれど、元気に働いて・・・・・。
昭和がすべてよかったなどとは思いませんし、戦争にとられて死ぬ人がひとりもいない平成には、それだけでかけがいのない素晴らしさがあると感じる・・・こと。
子供たちが社会へと巣立っていき、ハッと気が付くと、60代に。65歳になったとき、今後のことを考え、自分のスペースのリフォームに着手したこと。70代に入ってからいっそう丁寧にくらしたいと思うようになったこと。これからも人々と出会い、ものに教えられ、思索し、旅に出たいです・・・・とそんなお話をさせて頂きました。
当日、スタジオで徹子さんに久しぶりにお目にかかりました。ひとつの番組をあれだけ長く続けておられるのには大変なご努力があられるでしょう。相手を気遣い、”本音”を引き出す話術はやはりプロです。どんな内容が放送されるかは、な・い・しょ!
ただ私は40歳で演ずることを卒業しているので、テレビ出演はやはり緊張いたします。あんなにテレビにお世話になっていたのに・・・。
久しぶりのテレビ出演、ご覧くださいませ。
あ~~終わってよかった。
ホッとしてその日はひとりワインで乾杯!しました。
春の庭
デビューして15年、4度目の候補で芥川賞を受賞した柴崎友香さんをラジオのゲストにお招きいたしました。
スタジオではいつもあまり打ち合わせはせず、お話をうかがうことにしております。スタジオに入っていらして、ご挨拶をさせていただいた印象が”なんてチャーミングな方なの”でした。
お話もとても素敵でした。柴崎さんは1973年、大阪市生まれ。
大阪府立大学を卒業後、機械メーカーに勤務していた1999年、
短編「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」でデビュー。
翌年、初の単行本「きょうのできごと」を発表。
2007年「その街は今は」で第57回芸術選奨・文部科学大臣新人賞。
2010年「寝ても覚めても」で第32回野間文芸新人賞。
そして先月「春の庭」で第151回芥川賞を受賞なさいました。
私は7年ほど前に読んだ「その街の今は」がとても好きです。今回お目にかかるので読みかえしてみました。大阪を舞台に作中の人々のさり気ない暮らし、人の気配・・・。けっして大げさではなく「時の流れ」のようなものを感じ、あやうさの向こう側にあるものを描いているのが「その街の今は」でした。
今回の「春の庭」は、取り壊しが決まった世田谷のアパートが舞台です。元美容師の主人公「太郎」は、ある時、同じアパートの住人が塀を乗り越え、隣りの家の敷地に侵入しようとしているのを目撃し、そこから物語が展開されていきます。カギになるのは、写真集「春の庭」の存在です。
柴崎さんは高校生のころから小説家になることを志し、大学でも書き続け、就職して3年目に本格的に小説の道に進み、「どこでもよかったのですが、環境を変えたくて知り合いのいる東京にと生活の場を移しました」と。小説の中と同じで4回の引越しも全て世田谷区内。この小説で柴崎さんが描こうとしていらっしゃるのは「時の流れ」そのものではないかと感じました。でも、時間は目に見えません。見えないものを書くのは・・・作品の構想を練るうえで、街を歩くことも多いとか。そこでも人の暮ら、人の気配の感じる場所がお好きとか。街の息づかい、色、匂い・・・『小説が現実世界にはみだしてくる。そんな感覚を味わってもらいたい』とおっしゃいます。
でも、可愛らしく(失礼!)そそっかしい一面も。芥川賞選考当日は浅草のバーで編集者の方と待機。受賞の電話があった時、焦ってスマートフォンの操作を間違えて電話を切ってしまったとか。ひとり旅も不安でできません、と。ただ古地図など見ながら100年前にこの道を誰がどんな思いで歩いていたのかしら・・・と想像するとワクワクします、と。いろいろなお話を伺いました。ほんとうに”チャーミングな方”でした。ぜひご本を読んでください。そして、ラジオをお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時
放送日は8月24日と31日の2回です。
銀座の学校・新宿の授業
「笑っていいとも!」「今夜は最高!」など、テレビ番組の構成作家としても活躍し、ステージ・ショーや芝居の演出、インタビュー、本や雑誌の編集といった多彩な仕事を手掛けていらっしゃる高平哲郎さん。ラジオのゲストにお迎えいたしました。
久しぶり・・・そう30年振りぐらいでしょうか、お目にかかりました。
恥ずかしい・・・ほんとうに恥ずかしいのですが「笑っていいとも」そして「今夜は最高!」ではこの音痴の私が番組の中で歌わされて?しまったのです。
口説き役は高平さん(笑)思い出しても赤面です。
さて、この度高平さんが素敵な本を出版されました。高平さんが愛した銀座や新宿、映画、そして赤塚不二夫さん、タモリさんとの出会いなど、本の中にはまだ銀座に都電が走っている頃の写真も掲載されています。明治生まれのご両親、昭和8年生まれのお姉さま。映画、落語、歌舞伎、まだ5歳の頃から連れられてご覧になられたとの事。お医者さまだったお父上は大の映画ファン。高平さんとは世代が同じくらいなので、同じようなラジオを聴き、「とんち教室」「二十の扉」など、かつての日劇や宝塚劇場・・・そして、天才的な喜劇役者の三木のり平さん、八波むと志さんのお話など、私も東宝時代にご一緒させて頂いておりますので懐かしかったですし、新宿時代の赤塚不二夫さんとタモリさんとのエピソードなどは抱腹絶倒。
映画、そしてテレビ時代。
私たち東宝撮影所の人たちは、どちらかといえば渋谷・銀座(私はほとんど渋谷)で育ちました。高平さんの「銀座の学校・新宿の授業」を読みながら、戦後文化の変遷を読み解き、懐かしさと、当時のペーソスを感じながら30年ぶりの再会いでした。
ご本は『 銀座の学校・新宿の授業 』(YOSIMOTO・BOOKS)
ラジオは文化放送「浜美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時
放送日 9月7日と14日 2週続けてです。
美食仲間のための美しいテーブル
箱根やまぼうしにて京都のギャルリー田澤とのコラボ展が9月6日から14日まで開催されます。
今は亡き田澤長生さんの審美眼にどれ程私は学んだことでしょうか。
お店に足を運びお話をうかがうだけでなく、展覧会をご一緒したり、ご夫妻とお食事をともにしたりしてまいりました。
これだけの審美眼を育ててきた人は、いったいどんなことに興味を持たれ、どんな風にものをごらんになっていらっしゃるのかしら。そうした好奇心ももちろんあります。
でも、なんといってもお二人は話し上手で仲睦まじく、温かなお人柄でほんとうに素敵なのです。”一期一会”という言葉を実践するかのように、その一瞬の出会い、一瞬の時間に、すべてを凝縮して人をもてなしてくださいます。その組み合わせの素晴らしいこと。器、ガラス、花器、花、布、料理、ワインまですべてが、田澤ワールドです。
「もっとも大切なことは、普段、日常のなかで、季節感ととりあわせを考慮して、好きなもの、とっておきのものを使うことだと思います。その上で、お客さまに喜んでいただけるなにかを考えるんです。それが楽しいですわ」と。
ギャルリーの奥のガラス戸から光が差し込み、アンティークのラリックやバカラが思い思いにささやきはじめる黄昏。一幅の絵画、あるいは音楽のような素敵なセッティングを前に、私は何度ため息をもらしたことでしょう。シャンパンをご一緒しながら、そのたびに至福の時間をすごさせていただきました。
田澤さんの美意識は、優しくあたたかく、大胆で同時に繊細で、常に心にしみわたるようなもてなしの粋を感じさせえくれます。
私のテーブルセッティングは、田澤ご夫妻と出会ってから、すこし変化したように思います。それまでは、整った美しさや、しっとりした組みあわせを心がけていたのですが、”遊び” ”発見” ”感動” のようなものが感じられる組みあわせにしたいと思うようになりました。お客さまにそれを楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
今回の展覧会では「美食仲間のための美しいテーブル」がテーマです。
和魂洋彩を唱える美の名プロデューサー田澤さん。
秋草の花が咲き乱れる会場にぜひお越しくださいませ。
お待ち申し上げております。
展覧会の詳細は公式HPをご覧下さい。
http://www.mies-living.jp/events/2014/gallerytazawa.html
-高野山
念願がかない高野山に行ってまいりました。
宗教を深く勉強しているわけでもなく、なぜ高野山なの・・・と自分に問うても分かりません。『お大師さまを慕って』の旅でした。
14、5年前になるでしょうか。一冊の本に出会いました。「空海・日本人こころの言葉」(村上保壽著)です。現代語訳つきでしたので読みやすく心に響く言葉がちりばめられていました。
『人は必ず何かのご縁にめぐりあう』
『現状が変わる時節は必ずくる』
『そもそも冬枯れの樹木は、いつまでも枯れているのではありません。春になれば、芽ばえて花が咲きます。厚い氷でも、いつまでも凍っていることはありません。夏になれば解けて流れだします』(現代語訳)
『生あるものすべてが親である』・・・など。
「この世にいるのも今や残り少なくなった。そなたたちよ、よく暮らして慎んで仏法を守るがよい。わたしは永く山にかえるであろう」と弟子たちに言い残し、御年62歳で高野山奥之院に入定されます。
大阪・難波から特急に乗り1時間20分、終点の極楽橋に着きます。そしてケーブルカーに乗り換え高野山駅までわずか5分。特急は深山幽谷の深い山間を抜け、ケーブルカーは800m、勾配は急なところで30度。車窓から永年の風雪にたえたヒノキの巨木林・高山植物などを見ながらのぼります。冬はその険しい道を修行僧は歩いて登るとか。日本語の案内の後フランス語での案内。ケーブルでもフランス人が家族でいらしていました。大自然にかこまれた高野山駅。夏の涼風が身体の疲れを包み込んでくれます。弘法大師をここで身近に感じます。きっと今も昔も変わらないのでしょうね、駅って。駅からはバスでそれぞれの宿坊に向かいます。周囲1000メートル級の峰々にかこまれた曼荼羅浄土。
宿坊に着くと若いお坊さんが「お風呂にはいられますか、それとも夕食を先になさいますか」と丁寧にたずねられましたが「すみません大門まで行ってきます」と、早々に歩いて行きました。夕陽に映える壮麗な大門を見たく、坂を駆け上りました。
「わぁ~間に合った!」数秒ごとに違った色を映し出す大門。千年の昔からこの絶妙な夕陽を目にした人々。高野山の街並みの西端に国の重要文化財大門。両脇に配置された仁王さまは江戸の名工・仏師による大作、三百年近くの永きにわたり参拝者を温かくお迎えしてくれているのですね、睨みをきかして。ここが『聖地への入口』ということを感じさせてくれます。
人口約4000人、そのうちお坊さまが1000人。
暮六つを告げる六時の鐘の音を聞きながらの夕食は高野山名物の精進料理。翌朝は宿坊での勤行、そして朝ごはん。東西6キロ、南北3キロの盆地に117の寺院、役場や銀行に学校、そしてコンビニもあります。「一山境内地」、総本山の境内に全てが存在します。
まず向かった先は「壇上伽藍」。ここはお大師さまが高野山を開いたときに最初に整備した神聖な場所だと聞きました。そして「金堂」裏堂の曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」。まだ参拝客も少なく森厳な空気がひろがります。そして「根本大塔」。巨大な朱色の外観だけでなく燦然と輝く大日如来、まわりを取り囲む四仏、柱の十六菩提。壇上伽藍を抜け、通りにでると左手に金剛峯寺など見どころがたくさんあります。天皇・上皇の応接間である書院上段の間、四季の花や鳥、弘法大師入唐の模様が描かれています。豊臣秀次が自決した柳の間、そして2千人分の食事をまかなう台所。奥へ進むと「ひと休みなさいませ」とお茶とお菓子をいただきながら庭をながめ、次は高野山1200年の至宝が見られる「霊宝館」へ。世界遺産高野山に現存する貴重な仏像・仏画をはじめとした文化遺産が収蔵され、一般公開されています。
商店街の酒屋へ寄り道し「地酒は何がありますか?」と聞き、本場のごま豆腐や高野豆腐などなど帰りに買うお土産の下調べ。
さぁ~いよいよお大師さまのおわします奥之院へと向かいます。
奥之院に通じる表参道は静寂そのものです。見上げればあたりを埋め尽くすような杉。あたりはひんやりとした空気に包まれ静寂のひとこと。一歩一歩歩いていくと両側には苔むした石塔が延々と続きます。石塔には皇族や公家、大名などに加え企業の名まであります。始まりの一の橋はたった数メートルの橋ですが、ここから聖地がはじまる・・・と思わず帽子を取り一礼し、歩くことおよそ40分。いよいよ御廟に到着です。合掌、礼拝し、橋を渡り灯篭堂を抜け、お大師まの御廟の前へ。私はここに辿りつくまで何年の月日が経ったのでしょうか。
観光客や外国の人もいらっしゃるし、遍路姿の人、そしてお年寄りや若者も。
私は今回なぜ高野山に行ったのでしょうか。
空海という方はどんな方だったのでしょうか。
宗教を超えプロデューサー的な役割を果たした方・・そう思えました。
「空海・日本人のこころの言葉」の最後にこう記されています。
空海の祈り 高野山万灯会と入定
八三二年(天長九)八月二十二日、空海は、思いをこめて「高野山万灯会の願文(がんもん)」を書き、弟子たちを率いて万灯万華会を修法します。
『虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん』
(生きとし生けるすべてのものが悟りを得て幸せになれば私の願いも尽きるであろう)
人は自らの心に迷う、と空海は述べていますが、迷いの原因が自らの心の中にあることを知れば、人生ってけっこう面白く、興味深く、また優しく生きることができるかも知れません。
行きと同じようにケーブルカーに乗り、特急に乗り、大阪から箱根の山に戻りました。同じ杉の木立をバスの車窓から眺めていたら、”お大師さまを慕って”の旅が身近な旅に感じられ”理屈”はどうでもよく、心の中を心地よい風が吹いていました。
紙つなげ
パリ行きの飛行機に乗り込む時、一冊の本をバックに入れ機上の人となりました。
『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている。再生・日本製紙石巻工場』です。
パリまで13時間のフライト、一気に読みました。正直に申し上げて困りました。何度も何度も涙がこみ上げてきてハンカチで目を押さえました。機内は暗くライトをつけて読んでおりましたから・・・なんとかなりましたが。感動・・・そんな簡単な感情ではありません。
考えてみるといつも読んでいる本、書店にはたくさんの本が並び、それが当たり前のように思い、眺め手に取る。「この本の紙がどこからきたのか」・・・考えたこともありませんでした。『この工場が死んだら、日本の出版は終わる・・・』と表紙に書かれています。絶望的状況から、奇跡の復興を果たした職人たちの知られざる闘い。とも書かれています。
著者はノンフィクションライター・佐々涼子さんです。
佐々さんは、1968年生まれ。
早稲田大学法学部を卒業後、日本語教師を経て作家に転身。
2012年、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」で第10回開高建ノンフィクション賞を受賞。この本も知らない世界を丹念な取材で世に送り出してくれました。今回の本は東日本大震災で甚大な被害を受けた日本製紙石巻工場の復興を追ったものです。震災当日、日本石巻工場で何が起き、その後工場がどう復興したのかは私をふくめ知る人は少ないと思います。佐々さんご自身もそうだったそうです。出版界と製紙業界を襲った未曾有の大惨事。そこから立ち上がり、工場のため、そして出版社と読者のために力を尽くした人々を佐々さんは丹念に密着取材しました。
プロローグに「2013年4月12日。各地の書店の前に長い行列ができた。この日発売される村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をいち早く手にいれようとする熱心なファンの列である。発売日に花を添えるように、三省堂書店神保町本店の売り場には「多崎つくる」タワーが出現して、人々の注目を集めた。報道によると、これは前夜のうちに入荷した1000冊のうち200冊を積み上げて造ったもので、高さ140センチあるという。」と書かれています。書店の人の思いと使命と愛情を感じます。
壊滅的な被害に遭いながらも奇跡的な復興をとげ、「けっして美談にしないで」と言う彼ら。生半可な復興ではなかったでしょう。犠牲になられた方々も多くいらっしゃる。『今日も、がんばっぺ、がんばっぺ』っと言いながらの復旧作業。私が手にしているこの本も彼らが復興し造ってくれた紙。1ページ1ページめくると何とも優しい手ざわりがします。ノンフィクションですから本の内容は読んでいただくしか伝わりません。私は心から佐々涼子さんに「ありがとうございました。」と申し上げたいです。機内で流れた涙は「生きる力・・・東北の人が持つ特有のもの・・・」表現のしようのない涙でした。
本の中で書かれています。
作家森村誠一は震災後一年を詠んだ
立ち腐るままに終わらず震災忌
本の帯には
「いつも部下たちにはこう言ってきかせるんです『お前ら、書店さんにワンコインを握りしめてコロコロコミックを買いにくるお子さんのことを思い浮かべて作れ』と。小さくて柔らかい手でページをめくっても、手が切れたりしないでしょ?あれはすごい技術なんですよ。一枚の紙を厚くすると、こしが強くなって指を切っちゃう。そこで、パルプの繊維結合を弱めながら、それでもふわっと厚手の紙になるように開発してあるんです」 本文より。
職人魂をみることができます。
直接お話を伺いたくてラジオのゲストに佐々涼子さんをお招きしました。
ぜひお聴きください。
そして、本を手にとってください。
「文化放送 浜美枝のいつかあなたと」日曜日10時半~11時
放送は8月10日です。
普段着のパリ
パリから戻りました。
昨年は9月に遅い夏休みをアパートを借りパリで過ごし、とても快適だったので、今年は少し早い夏休みを昨年同様アパートを借り9日間過ごしました。着いたらすぐに荷物を置き近所のスーパーで、水・ミルク・くだもの、パン屋さんでクロワッサンとパン・オ・レザンを買います。これは大好きなパンです。今回見つけたコーヒー豆屋さんで1週間分の豆を挽いてもらい、日本から持参したテーブルクロスをテーブルにかけてできあがり。そうそう、お花屋さんで一輪のバラを買えば幸せな気分になれます。
翌日からはまず美術館めぐり。パリにいると一日、5~6時間はあるきます。20世紀初頭の印象派の殿堂「オルセー美術館」はかつての駅舎を再利用した美術館。ポール・セザンヌの「りんごとオレンジ」、ミレーの「落穂拾い」、ゴッホが療養のために過ごした村の教会を描いた「オーヴェルの教会」などなど。見逃せないのがアール・ヌーボーの家具。時間が経つのも忘れ4時間たっぷり見てからセーヌ川に沿ってシテ島へ。
ゴシック建築の傑作「ノートルダム寺院」は観光客でいっぱいなのでパスし、裏側から見る寺院の美しさにいつも感動します。そして、サンルイ島に渡りウィンドーショッピング。お昼はオニオングラタンスープが美味しかったです。
私はパリでは友人と会っての会食はお昼。早寝早起きで快適です。最後の日の夕食をのぞいて、もったいないかもしれませんが夕食は抜き。軽く部屋でチーズと赤ワインを一杯でじゅうぶん。
翌日はオランジェリー美術館へ。オープン30分前に並び一番で入るようにします。静謐な空気の中で絵と向き合うと心が豊かになります。今回もモネの「睡蓮」の前でイスに座り「水平線も岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を表現したといわれる絵の前で、かつて戦争に傷ついた人々に自然の前で瞑想へと誘う安らぎの場を提供したモネ。淀んだ水に花咲く睡蓮の佇む風景には心が穏やかになり、私も疲れが肩からスーと抜けていきます。幸せ・・・。
帰りの骨董屋さんや、ギャラリーのお店が並ぶサンジェルマンデュプレまでの散歩も落ちつきます。
日曜日はオーガニック専門のビオマルシェへ。石鹸、ナッツなどをお土産に買いました。
パリに来たら1度は行くレトロな雰囲気漂うアーケード街、パサージュ。ガラス張りのドーム天井や足元のタイルのモザイクが美しいのです。今回は1826年にオープンしたギャラリー・ヴィヴィエンヌへ。
そして7月14日の革命記念日にパリにいたので、凱旋門からコンコルド広場までのパレードを見るために、アパートから1時間近く歩き(周辺は地下鉄もストップ)シャンゼリゼ通り沿いの柵の近くでパレードが見れました。パリ人、地方からパレードを見に来た人、私のような観光客、人で溢れています。騎馬隊の美しい行進が大統領を乗せた車を護衛します。上空には戦闘機がフランスの国旗、三色の色を轟音とともに駆け抜けていきます。今年は第一次世界大戦から100年目の大きな節目の年。テーマは「戦争と平和」でした。各国からパレードに参列していましたが、日本も自衛隊が3名参加したことに私は少なからずショックを覚えました。初めての参加とのこと・・・。
夜は暗くなる11時からエッフェル塔を中心に花火大会。私もエッフェル塔が良く見える友人の家に招かれ花火を見学しました。テーマはやはり「戦争と平和」でした。夜空に月も美しく輝いていました。打ち上げられる花火を見ながら、”どうぞ、紛争のない平和な世界になりますように”と祈りました。
この季節はセールの時期でもあります。私はとても気にいった手袋を買いました。秋が来るのが楽しみです。今回の旅も移動はほとんどバスでした。外の風景を眺めながら楽しめました。疲れたらひとやすみ。カフェーでコーヒーを飲みながら街行く人を眺めながら時間が止まったような不思議な気分にしてくれるパリ。時に中世の路地の残る街に迷いこむと「ここがパリ?」という信じられない静けさに出逢います。
今回の旅は、平和について考える旅でもありました。日常生活に埋没しているとついつい忘れがちのこと・・・。
そして、長年の友情にも感謝した旅でした。
英国ポタリーへようこそ
今回も素敵な一冊に出会えました。
「英国ポタリーへようこそ」。
世田谷区深沢にある、現代イギリス陶芸専門店「ギャラリー・セントアイヴィス」店主、井坂浩一郎さんが「英国ポタリーへようこそ カントリー・スタイルの器と暮らし」を上梓なさいました。
井坂さんはかつてはロンドンのアメリカ系金融会社で働いておられました。
ロンドンで暮らしていた1998年初め、休暇を利用してはイングランド南西部へ車で出かけたとのこと。90年代後半は日本の銀行や証券会社が倒産し、日本企業担当だった井坂さんは突然解雇。金融業界にもどるよりも、イギリス陶芸の魅力をそれまで感じていたので、迷わずこの道におはいりになりました。
イギリスには2000以上のポタリー(陶芸工房)があり、ヨーロッパ随一の陶芸大国だそうです。この本は”窯元めぐりの旅”です。イングランド南西部やウェールズなどの息をのむような美しい田園風景の中で暮らす20人の陶芸家を訪ね、伝統的なスリップウェアをはじめ、日本人が馴染みやすい温かみのある陶器の数々が紹介されています。
不思議ですね、日本民藝館で開催されている「濱田庄司生誕120年展」をご紹介いたしましたよね。今から約100年前、英国の陶芸家、バーナード・リーチは東京で民藝運動の中心となった柳宗悦や河合寛次郎らと知り合い、そこで濱田庄司とも出会い、その濱田と一緒に帰国し、イングランド南西部の港町、セントアイヴィスに登り窯を築いたことなどお話ししましたね。その『リーチ工房』は今でも見学可能です。彼らからの影響を受けた陶芸家が数多く誕生し、現在にいたっています。
「日本の美の哲学」は、海を越えて英国にわたり、そして日本との交流によって進化し続けているのですね。使ってこその器、日常の暮らしを豊かにしてくれる器。美しい田園風景の広がる景色の中に工房があります。イギリスを旅して感じることはその農村風景の美しいことです。
このご本では陶芸家の手作りの暮らしを美しいカラー写真でみることができます。やはりお話が聞きたく、ラジオにお招きいたしました。井坂さんはおっしゃります。
「私が英国ポタリーのとりこになった理由は作品の魅力・陶芸家の人柄・多くの陶芸家が風光明媚な田園風景の中に住んでいること・・・など等、そしてもっとも魅力を感じるのは「無理のない暮らし」「ゆったり自分のペースで暮らしていること」「古いものを大切にする暮らし」です。」
そうですね、現代の日本での暮らしは少し忙しすぎますし、自分の物差しでは暮らし辛いこともありますね。ぜひご本を手にとりイギリスの田園を旅してください。そしてラジオをお聴きください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」8月3日(日)10時半~11時です。
それにしても、いつか窯元(ポタリー)めぐりの旅にでたいです。
「花咲く ラリックと金唐紙」
箱根ラリック美術館 特別企画展で素敵なルネ・ラリックの作品と金唐紙作品のマリアージュ。
ご案内には「花咲き、鳥たちが歌う。「花鳥風月」の世界あふれるルネ・ラリックの作品。それは自然をこよなく愛する彼がたどり着いた美の境地でした。明治時代、西洋に日本からもたらされた日本工芸の粋、金唐紙。自然の草花から生まれたきらびやかに浮きたつ文様は、まるでラリックに直接影響を与えたかのようです。洋と和の名品が織りなすハーモニーをお楽しみいただけます。」
金唐紙については漠然とは知っていました。江戸末期から明治にかけて日本で発展した工芸和紙。旧岩崎邸や旧前田公爵邸などに使われていて海外に輸出品としてイギリスなど海外でも高く評価されていた和紙。日本国内でも鹿鳴館や国会議事堂といった建築物の壁紙としても使用されていましたが、アール・ヌーボーの衰退、ライフスタイルの変化、その後はあまり見かけることはなくなりました。
もともとはヨーロッパの金唐皮(ギルトレザー)をルーツとしてその皮の質感を手漉きの和紙で表現された高級和紙。1873年にウイーン万博で話題を集めたとの事。その後その金唐紙がどのような道をたどったのでしょうか。
今回の展覧会で謎がとけました。二十世紀半ばに生産が途切れた金唐紙を見事に復元したのが今年80歳になられる上田尚さんです。30年の歳月をかけ復元に取り込まれてきました。明治、大正期の金唐紙は上田氏によって新たな命を吹き込まれました。
強羅から施設巡りバスに乗り、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けるとポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森ミュージアムを経てラリック美術館に着きます。我が家からバスを乗り継いで約1時間。「花咲く ラリックと金唐紙」展に行ってまいりました。梅雨の日の合間の晴れた日、木漏れ日が心地よく「幸せだわ~」とつぶやいていました。室内に入ると「花鳥風月」の世界。ルネ・ラリックの花器「きんぽうげ」と金唐紙「鳥とアイリス」。春夏秋冬の上田氏の作品の前にラリックの花器。西洋と日本、和と洋がこんなに似合うなんて・・・明治時代にタイムスリップしたかのようです。
ラリック美術館の企画展にはいつも魅了させられます。ゆっくり時間をかけ拝見できました。そして・・・その後のお楽しみ。年に数回ではありますが、美術館に併設されてある”カフェ・レストラン LYS”でのひととき。遅いランチをいただきます。ひとり庭を眺めながらのシャンパン。至福のひとときです。「明日からの仕事頑張ろう~」などとかってにつぶやき、冷製トウモロコシのポタージュ、和牛フィレ肉グリエ香草マデラソース、そして・・・普段めったに頂かないデザートはタルトフロマージュ”ル・リアン”美味しいのです、とてもとても。チーズケーキでこんな美味しいの始めてです。山本シェフ、ご馳走さまでした。ティータイムも素敵そうですね。
美しい作品に出逢い、美味しい食事ができて・・・本当に幸せです。70代に入ってからはこのような時間を大切にしたいと心から思うようになりました。「本物と出会う」ことの大切さをしみじみ実感できた”小さな旅”でした。
皆さまも箱根ラリック美術館にお越しになりませんか。
期間 2014年6月14日(土)~12月7日(日)
夏の箱根、紅葉の箱根、初冬の箱根、どの季節でも素敵です。
http://www.lalique-museum.com/
生誕120年記念 濱田庄司展
駒場東大前の「日本民藝館」で濱田庄司 生誕120年を記念して展覧会が開催されており、初日に行ってまいりました。
作家言「個人の作家の仕事には香りが欲しい」 濱田庄司
民藝運動の創始者・柳宗悦は「私の解する限り、濱田ほどすべてに均整にとれた人物はすくない」と濱田を賞し、濱田自身は「自分は或技術を修得するのに十年みっしりかかった。しかし、それを洗い去るのに二十年でも足りない」と語る。「このという事こそ作家としての大きな良心だと言って良い」と柳宗悦は語っています。
十代で民藝(民衆的工芸)運動に出会い、民衆の(地方の)日用雑器の中から美を見出した民藝運動。柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどその友情は生涯続き、民藝館の初代館長が柳宗悦。そして柳亡き後二代目館長を務めたのが濱田庄司です。
民藝館の玄関に立つとそのざわめきが聞こえてきます。
生前濱田庄司の奥様を益子に訪ねたことがあります。「夜遅く、からころからころ・・・と下駄の足音でお客さまの人数が分かり大忙しで酒のつまみを用意したものですよ」と優しく微笑みお話してくださったことが忘れられません。
濱田は二十二歳の時に河井のいる京都へ。そしてリーチとともに渡英。セント・アイヴィスという古い小さな港町の丘に日本風の窯を築き、リーチと共に作陶生活を三年半にわたり続けます。陶芸家というよりご本人は「陶工」と称していたそうです。沖縄・英国・京都・益子・・・それぞれの土地でその土地の土・空気・水で作られた作品の数々。蒐集した作品。それらは無垢の美に裏打ちされています。観るものの心にその美がどれほど大切か・・・を語りかけてくれます。暮らしの大切さを教えてくれます。
時間をかけてのんびり民藝館にいらしたらいかがでしょうか。椅子にかけ吹き抜ける風の爽やかなこと。
五十年、慕いつづけてきた民藝の世界。幸せなひとときでした。
2014年6月17日(火)~8月31日(日)まで
開館時間 10時ー午後5時(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌日振替休館)
京王井の頭線駒場東大前西口から徒歩7分






























