季節の変わり目に~変わらぬものを

長い間の夢が、ようやく叶ったのです。 ご尊顔を拝する!梅雨の終わる頃、心ときめかせながら上野の山に向かいました。

観音さまは凛々しく、堂々たる姿で出迎えてくださいました。「十一面観音菩薩立像」1300年もの間、奈良の山から人々の安寧と救済を、ひたすら祈り続けてくださいました。会場に入り、一歩ずつ歩み寄りました。2メートルを超す身の丈。目も耳も口も、極めて意思的で明瞭でした。後ろ姿を含め、前後左右から拝見できるのは、”十一面観音”のありがたさですね。

この立像(りゅうぞう)には勿論、逞しさや厳しさを感じますが、それと同時に、瞳の奥の優しさに気づかされました。

これまでも、数多くの方々がこの観音さまに心奪われています。写真家の土門拳さんは、「観音像を何時間も見つめているうちに、菩薩の慈悲というより、神の威厳を感じさせた」と書かれています。(古寺巡礼)

また、随筆家の白洲正子さんも、「観音の姿は、今この世に生まれ出たという感じに揺らめきながら現れた」と表現されています。(十一面観音巡礼)

そうした本を読み、自分も行こうと思い立ち、奈良県の聖林寺に向ったことがありました。しかし、鳥居の前まで来ると足がすくみ、前に進むことができなくなりました。「まだ早い!」という声が聞こえたような気がしたのです。20年近く前のことです。一度は諦めたものの、諦めきれない気持を抱え続けていたのですね。そして今回、観音さまが初めて出座される(奈良を離れる)ことになりました。

今度こそ、お会いしたいと思ったのです。

国宝、天平文化の傑作。そうした歴史的価値を学びながら、同時に心の平穏を実感することができました。

聖林寺の近くに三輪山があります。この山は昔から自然信仰の聖地とも言われていました。草木山河、身近なもの全てに神が宿るという考えは、神仏が共に祀られていた長い時間を経て、今に至ります。「十一面観音菩薩」もそのような時代を過ごされてきたのですね。

人数制限や2時間という時間的制約には、何の不自然さも感じませんでした。会場には静かな感動の時が流れていました。

入場するときは、空一面に梅雨の雲が広がっていました。そして心満たされ退館するとき、上空には久しぶりの青空が顔を出していたのです。季節の変わり目の頃、時は足早に進んでいました。しかし、観音さまの立ち続ける館内には、時間の流れを超越した空気が穏やかに漂っていたのです。

やはり、お会いできて良かった!
この展覧会は9月12日まで開かれているとのこと。もう一度、国立博物館をお訪ねするつもりです。また、観音さまにお会いしたいのです。

国立博物館・特別展サイト
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2013

映画『ベル・エポックで もう一度』

「ベル・エポック」、華やかで、何となく心ときめくような雰囲気です。

19世紀末から20世紀初めにかけて、パリが繁栄し輝いていた頃、その時代や文化を懐かしみ、今でも耳にする言葉です。”良き時代”、つまり、”古き良き時代”というイメージがそこにはあります。でも、映画『ベル・エポックで もう一度』は、単なる懐古趣味の”昔は良かった!”という物語ではありません。

かつて、主人公は売れっ子のイラストレーターでした。しかし、今は時代の流れに取り残され、ネットやスマホを決して受け入れようとしない老人になってしまいました。そんな彼に妻は愛想をつかし、三下り半を突きつけます。

追い詰められた主人公ですが、そこに救いの手が差伸べられました。息子からの素敵なプレゼント、「タイムトラベルサービス」。自分が望む、過去の”ある時期”に連れて行ってくれるというものです。しかし、これはSF的な話しではなく、デジタル技術満載の夢物語でもありません。”手作り”そのものの、”アナログ”企画なのですね。

主人公が希望したのは1974年5月16日、フランス・リヨンの「ベル・エポック」というカフェでした。その場を映画の大掛かりなセットのように精密に再現し、そこに主人公が舞い戻るのです。本人が覚えている会話や光景がそのまま忠実に再現されます。主人公を除けば、登場人物は全て役者が演じてくれるのです。

なぜ、元イラストレーターはこのカフェに戻りたかったのか?それは主人公が素晴らしい女性と出会った、まさにその時、その場所だったからです。そして、ストーリーは除々に思いもよらぬ展開を見せ始めます。

”古き良き時代”を単に懐かしむ映画ではありませんでした。男女の触れ合いや心模様が繊細に描かれ、大人向けのエスプリもふんだんに盛り込まれたお洒落な時間と空間が広がっていました。

この作品は、ニコラ・ブドス監督が脚本や音楽も担当しました。40代の彼は4年前に監督デビューするまで、俳優として活躍していました。とても多才で早熟?な方ですね。

そして、元イラストレーターを演じたのは、ダニエル・オートゥイユ。フランス映画界を代表する名優です。重厚で細やかな男性の振る舞いを、じっくりと見せてくれました。

彼の妻で、精神分析医の役は、ファニー・アルダン。ジャンヌモロー亡き後、成熟した大人の女性を演じられる、文字通りの”女優”さんです。なぜなら、70代になってもあれだけ”女”を演じられるのですから。魅力的で意思的な姿に、奥深さを感じました。

こうした若手やベテランたちが力を合わせて、とても勇気付けられる映画ができたのです。”新しい良き時代”を目指そうよ!年齢は関係ないですよ!!前を向いた、そんな元気宣言と受け止めました。

そしてそこには、高度化されすぎた情報化社会への、痛烈な皮肉も含まれているのでしょう。

さすがフランス映画でした!

映画公式サイト
https://www.lbe-movie.jp/

向田邦子さん

今年の8月22日で向田邦子さんが亡くなって40年になります。

向田さんは突然、私たちの前から姿を消してしまいました。昭和56年(1981)取材旅行の台湾で航空機の墜落事故に巻き込まれてしまいました。51歳という若さで。私は向田さんの大ファンでした。小説、エッセイ、そしてテレビドラマの脚本など。もう、40年になるのですね。

テレビドラマ「阿修羅のごとく」(NHK放送)、「あ・うん」など。「阿修羅のごとく」は四姉妹(加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンさん達が出演)と老父母。父親役は佐分利信さん。誠実な人柄、しかし父親には実は愛人と子供がいた。

当時のホームドラマでは衝撃的な展開を見せるこのドラマのシナリオに私は魅せられてしまいました。何気ない日常の会話の中に、繊細な表現、人間の業、決め細かい感情描写。当時としては斬新的なドラマでした。仕事を終えると私はまっしぐらに帰宅しテレビを見た記憶があります。

先日亡くなられた小林亜星さん演じる「寺内貫太郎一家」は昭和のガンコオヤジが主役で、今までにないホームドラマでしたね。エッセイもとても好きでした。「父の詫び状」(後に単行本になる。文藝春秋)1978年。実父の話がベースになっていて、ユーモアを交えながら日常のひとコマの切り口など”スゴイ人だわ~”と思いました。ノスタルジーではなく”昭和の香り”が感じ取れました。食べることが大好きで料理上手。料理の話しなど随分学ばせていただきました。

小説では「思い出トランプ」で第83回直木賞を受賞されます。と、言うわけで没後40年になる向田邦子さんの文章に触れたくて、エッセイや料理本、小説などを読もうと思っていたら、素敵な、とても素敵な本を見つけました。

『少しぐらいの嘘は大目に・向田邦子の言葉』(新潮文庫)を出された方が碓井広義さん。

向田邦子さんの全作品の中から、碓井さんが「男と女の風景」「家族の風景」などのジャンルに分けて、370余りの名言、名セリフを選ばれました。多くの方々に向田さんの作品が今も読み継がれているのはどうしてか。

知りたくなり碓井広義さんにラジオにリモートでご出演いただきました。素敵なセリフはご一緒している寺島尚正アナウンサーが読んでくださいました。

碓井さんは1955年、長野県のお生まれ。1981年、番組制作プロダクション「テレビマンユニオン」に参加し、以後20年、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わり、去年3月まで上智大学文学部新聞学科の教授をお務めでした。

現在はメディア文化評論家です。今回のご本の資料書籍一覧を見るだけでも「脚本」「エッセイ」「小説」「対談集」「アンソロジー」「全集」など等、膨大な資料からまとめられました。

『向田邦子さんの世界』に没入できる本です。

ぜひ、碓井さんから直接お話しをお聞きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」 放送日 7月18日
日曜日 9時半~10時

写真家・土門拳

先日電話で 朝日新聞の取材をうけました。

内容は1960年1月に出版された土門拳写真集「筑豊のこどもたち」についてです。私が2009年2月1日発売の「別冊太陽」(平凡社)に「土門拳ー鬼が撮った日本」の中で「本物を見る目を教えてくれた土門拳先生」というタイトルでエッセーを書かせていただきました。

「土門拳」という名前を始めて知ったのは「筑豊のこどもたち」を手にしたときでした。涙がとまりませんでした。それを読み、今回お声をかけてくださいました。出版から60年以上たって、写真集が現在なお、評価される理由など・・・詳しくは7月28日の紙面をお楽しみに!

京都の骨董の店「近藤」での出会いから60年以上がたちます。

「本物に出会いなさい、モノには本物とそうでないモノと、ふたつしかない。自分の目でしっかりとみつめること」。

あの日からずいぶん月日が経つのに、まだ耳元に先生の低い声が聞こえてきます。それから、土門先生の後を追い続けるように原爆写真集「ヒロシマ」、ライフワークとなった「古寺巡礼」などを見ました。最後の第5集を完結するまでに12年の歳月がかかったそうです。

途中二度目の脳出血に倒れられ、不死鳥のようにたちなおり、再度、倒れられ車椅子に乗っての撮影を続けられました。

私の好きな「室生寺」。

40年にわたってレンズを向け車椅子生活になってからもつづきます。平安時代初期に創建された室生寺の五重塔が平成十年(1998)9月22日、近畿地方南部に上陸した台風七号により甚大な被害を受け樹齢六百五十年の杉の大木が五重塔を直撃し破壊されたとニュースで知った時には「どうしよう・・土門先生が心血を注いだ塔が」と言葉を失いましたが、国宝の五重塔は全国から早期修復を願う手紙が殺到し見事に蘇りました。

桜吹雪の舞う中、うっすらと雪をかぶった鎧坂石段の写真に魅せられ、また土門先生が「日本一の美男子仏」(釈迦如来座像)と語った写真に感動し、春夏秋冬何度通ったことでしょう。

気にいらなければ撮らない。「真の美しさとは何か」を学びました。

山形・酒田の「土門拳記念館」には何度も足をはこびました。かつて画家になろうとして果たせなかったからでしょうか、古美術とくに古信楽には造詣が深く、写真集は京都の近藤のご主人と一緒に世にだされました。

魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーとこたえるまで相手をじっと見る。見れば見るほど具体的にその魅かれるものが見えて来る。よく見るということは対象の細部まで見入り、大事なものを逃がさず克明に捉えるということなのである。(土門拳『私の美学』あとがきより)

ドキュメントも古寺も骨董も、土門さんにとっては、ひとしく、美たりうるものであったのでしょう。

車椅子の不自由なおからだになった土門さんが、必死の思いで訪ねた骨董店が飛騨古川の「駒」。店主は京都「近藤」で学び お父さまの骨董店を継いで店主となられた方です。

その駒に『遂に来たぞ』と、土門さんが書かれた色紙が飾ってありました。車椅子生活になられた土門さんがここまでたどりついたという思いを、まさに心血を注ぐようにして書いた文字です。骨董に対する思い、生きることへの強靭な思いが、色紙から伝わってきます。

そして、座敷の囲炉裏の上にかかった自在鉤から目が離せなくなった私。「これ、いいですねぇ」「いいでしょう、これはおゆずりすることができないものです・・・土門さんが、これはいいものだねぇ、と気にいってくださったものだから」と。納得でき、嬉しくもありました。「土門さんと同じものに魅かれた」ことに。

何年か後に、京都の「近藤」で「あ、これ・・・」私はしばし呆然としました。土門さんが「いいものだねぇ」とおっしゃった、あの自在鉤と同じようなものが見つかりました。亀甲竹でできたフォルムがとても美しいのです。

自在鉤は箱根のわが家の囲炉裏の中心にかかっております。これから何代にもわたって使われていくことでしょう。

朝日新聞のインタビューを受け、土門拳先生にお会いしたくなりました。

映画「ファーザー」

国際的な名優が”老い”をテーマにスクリーンを徘徊し、フアンを2時間近くも座席に縛り付けてしまいました。

ロンドンで介護人の手助けを得ながら生活する80代の認知症の老人。この男性には40代の娘がいて、頻繁に様子を見に来てくれます。父親の症状は徐々に進行していきますが、その中で事実と幻覚の交差が頻繁に発生します。

これが、、映画「ファーザー」のストーリーで、老人を演じるのはアンソニー・ホプキンスです。ある日、娘は父親に告げます。「愛する人と出会った。彼の住むパリに行く」。ギクシャクを繰り返し、苛立ちを募らせることも多い親子ですが、娘は父を見捨てることはできません。「週末には帰ってくるから」。親への最大限の心配りです。

しかし、話は複雑に絡み合います。ある時、見知らぬ男が家に居座り、自分は娘の夫だと主張します。彼以外にも、別の人たちが次々と現れ、父親を混乱させます。揺れ動く父親の心理が主軸となり、苦悩し動揺する彼の表情をカメラは執拗に追い続けます。そして、虚と実が入り乱れたスクリーンは、それを見つめる者の思考をも次第に翻弄していくのです。

この作品は9年前にパリの舞台で上演され、高い評価を得ました。脚本を書いたフロリアン・ゼレールは今回それを映画化し、初めて長編映画の監督に挑みました。その際、最もこだわったのが老人役にアンソニー・ホプキンスを起用することでした。

監督は物語の場所をパリからロンドンに移し、主人公の名前もアンソニーに変えました。すっかり惚れこんだのですね。期待に応えたアンソニー・ホプキンスは誰もが思い浮かべる認知症の患者像とは異なり、現実と幻想の間を、あたかも意志を持って行き来するような老人になっていました。そこには、演技の範疇を超えた、俳優という仕事のすさまじさが溢れ出ていました。

今年のアカデミー賞で、”主演男優賞”と”脚色賞”を獲得した「ファーザー」は、娘役を演じたオリヴィア・コールマンの、引きずり込まれるような心情表現が加わり、作品に強烈な説得力をもたらしました。彼女も2年前、「女王陛下のお気に入り」でアカデミー主演女優賞を獲得しています。

スクリーンに繰り返し流れるビゼーのアリア、「耳に残るは君の歌声」が今も心を揺さぶります。

人生の終末に向う戸惑いや恐れを抱えながら、老人は女性の胸に母なるものへの安らぎを見つけ出したのかもしれません。エンディングで見せた老人の表情は、正常と錯乱の境界線を乗り越えた、真実の姿を映し出しているようにも思えました。

映画公式サイト
https://thefather.jp/