原三渓の美術

横浜美術館に「原三渓の美術展」を観に行ってまいりました。

横浜・本牧の三渓園には何度か足を運び、四季折々の美しい庭園や三渓自身が京都や鎌倉などから移築した古建築や茶室など楽しんでまいりました。

これらの美の世界を構築したのが原三渓自身であったこと。その美意識に感嘆し、庭を歩き「原三渓」という人物にとても興味をもっていました。

なによりも私利私欲を超え将来有望な画家たちを物心両面で支援した本当の意味での”パトロン”であったことなどは良く知られていました。その「芸術のパトロン」は明治・大正期の精神風土が生み出したものです。この時代にはそうした本物のパトロンが存在していたことは他でもみかけられますが、今回の展覧会ではその全貌を観ることができました。

原三渓は慶応4(1868)~昭和14(1939)、本名・富太郎。生糸貿易で財をなした実業家です。古美術コレクター、茶人、そして近代美術を支えたパトロンでもあります。広大な土地に「三渓園」を造園し、自らも書画など描いたアーティストでもあります。

そしてその三渓園を市民に無料で開放しました。『美術品は専有するものではなく他者と共有するもの』との考えがあり、その審美眼で集めた作品は5千点以上といわれます。

1923年の関東大震災が起き横浜が焼け野原になった時には一切の収集を止め復興に私財を投じ心血を注いだといわれています。関東大震災が起きなければ「原の美術館建築」が実現していたのでしょうが、今回の展覧会でそれらを一堂に観ることができました。

今に伝わる名品の一つ、孔雀に座る明王が静かなまなざしをむける「孔雀明王像」(国宝)。色彩がよく残っていて荘厳。私がびっくりしたのは宮本武蔵の「「眠り布袋図」です。構図といい、穏やかな布袋といい宮本武蔵像がかわりました。

尾形光琳の「伊勢物語図・武蔵野・河内越」。平安時代の「古今和歌集巻第五」。茶器では朝鮮時代の井戸茶碗の「銘・君不知」。「信楽茶碗」。そして本人の描いた「白蓮」。三渓愛蔵の名品の質の高さに驚かされます。

そして三渓が支援した近代の日本画家の作品が並びます。横山大観、下村観山、今村紫紅、速水御舟の「京の舞妓」など。これら三渓はすべて高い値段で買い上げ、生活費を渡し、それだけではなく新進画家や美術史家らを自宅に招き夜を徹して芸術論を戦わしたそうです。

この時代に素晴らしい絵画、美術品が海外に渡りました。今回の展覧会では『日本美術』を守り育て、そうした情熱と審美眼を知ることができました。

コレクターでありパトロンであり、自らも筆をもち、才能を支援し、岐阜の豪農の家に生まれながら、”芸術にたいする愛”を惜しみなくそそいだ『原三渓』に敬意を表しました。

秋になったら紅葉した美しい三渓園を歩きたいと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です