樹木医 和田博幸さん

今年は全国的に桜の開花が早かったですね。
みなさん、おひとりお一人に桜についての”想い”があるのではないでしょうか。

私もず~と昔、岐阜と富山の県境に400年もの樹齢を誇る老桜樹がダム建設のために水没してしまう・・・ということになり、数人の男たちの桜へのひたむきな想いによって移植され、今もなお季節がめぐるたびに美しい花を咲かせてくれる桜を何度も見に行きました。

『桜守(さくらもり)』という小説を読んでのことでした。自ら土になって木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。私にそういう男たちの存在を教えて下さった・・・作家、水上勉さん。

初版は昭和43年。御母衣(みほろ)の桜を初めて見たのは移植して何年も経っていましたから、もうしっかり根づいている印象でした。

“あ、これが、あの桜・・・”と、小説世界とだぶらせて思い入れもひとしおでした。老樹とは思えないほど花が初々しかったのが印象的でした。あれから何度も何度も御母衣の荘川桜を見に旅にでました。

そう、40年近く前のことです。ある時、仕事で水上先生と対談をさせて頂く機会に恵まれ「桜守」の話になりました。小説の中には、木と人間の様相が重なったり、木で人を語ったり木の中に人の真実をみたりで、大変興味深く拝読しました。と申し上げ、なぜ私たち日本人はこのように桜に惹かれるのでしょうか、と伺いました。

「散る」とは「咲く」こと。
桜の生命の長さに私たちはひきつけられるのです。・・・とおっしゃられました。

そうですね、散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに憧れるのですね。人間の生命のほうがはかないかもしれませんね。桜は日本の国花ですね。と申し上げたら、先生はこうお話になられました。

「そうです。国学者の第一人者であった本居宣長さんが、『敷島の大和ごころにたとうれば、朝日に匂う山桜』とうたいました。そこからきていると思います。万葉の歌人たちはみんな桜を愛し、西行も含めてこの世の諸行無常をいう人たちも、無情のひとつのヒロインとしての桜を愛でた人が多いのですね。」

「桜というのはせっかちな日本人の気質にも合っています。360日辛抱して、六日ほど咲いて、見に行ったら雨で、二~三日おくれたらもうあかんしな。一生に一度めぐり会えるかどうか。素晴らしい桜とはそういうものだと思いますよ。」と。

お花見が終わると、どうしても私たちは桜のことを忘れてしまいがちです。咲き終わった後の桜の木の手入れはどうされているのか・・・。とても興味がありました。そこで出会ったのが、樹木医の和田博幸さんです。

和田さんは、山梨県北杜市の山高神代桜を復活させたことでも有名です。ぜひお話を伺いたくラジオのゲストとしてお越しいただきました。貴重なお話でした。

和田さんは、1961年、群馬県のお生まれ。東京農業大学卒業。最初は草むしりのアルバイトがきっかけだったそうです。「草むしりはとても奥深い」とおっしゃいます。「丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。」そんな仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員を経て、たちまち桜に魅了されていきました。

2015年には、和田さんが手がけた神奈川県座間市の緑道(りょくどう)の桜再生プロジェクト「相模が丘 仲良し小道さくら百華の道」が完成しました。他にも数々の桜のお医者さんとして、全国をめぐっておられます。

私も人生一度は行きたいと思っている鹿児島県・屋久島の屋久杉などのお話。樹齢1000年を越す木が全国にありますが、長生きする木とそうでない木のお話などなど時間を忘れて伺ってしまいました。

みなさん、ご記憶ございます?
2010年に鎌倉の鶴岡八幡宮のオオイチョウが倒れてしまいましたが、倒れた後に根元から新しい芽が出てきた、と報道されましたよね。その生命力に私は感動致しました。

今日もまた、桜の再生請負い、日本全国を飛び回る和田さん。

「手を差伸べれば桜は応えてくれる」とおっしゃいます。
お花見で桜が終わっても、散った後にも想いをはせたいですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
5月13日 放送
10時半~11時

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