浜美枝のいつかあなたと ~ ミッキー・カーチスさん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
素敵なお客さまをお迎えしました。
今回のゲストはミッキー・カーチスさんです。
自叙伝『おれと戦争と音楽と』(亜紀書房)が発売中です。
ミュージシャン・俳優として活躍されているミッキー・カーチスさんは1938年のお生まれ。幼少期を上海の租界で過ごし、1945年、第二次大戦の終戦とともに帰国。
15歳のころからカントリー音楽の演奏で舞台に立ち、米軍キャンプ廻りなどもされました。1950年のロカビリー・ブーム以降さまざまな分野で活躍されてきました。
スタジオに現れた彼は黒のセーターにおしゃれなジーンズ姿。胸には多分ご自身が制作なさったペンダント。73歳・・・なんて信じられません!スタジオには奥さまの陽子さんとご一緒でした。
彼女の姿がちょっと見えないと「うちの奥さんどこに行ったの!」と。愛妻家なのですね。
本の表紙には『明日のことは考えてもしかたない 今夜死ねば、明日はない 人生 ダメでもともと』と書かれています。
幼い頃の「アイノコ」ミッキー時代。たくさんのご苦労があったことでしょう。戦争が日常にあった時代。それでもお母様の百合子さん(リリーさん)は当時はめずらしいバイリンガルで、平和主義者で、なぜあの明るさを通してこれたのかは謎・・・とミッキーさんはおっしゃいます。
詳しくはぜひラジオをお聴きください。
(放送2月26日日曜10時半~11時)明後日です。
私も同時代を共有させていただいた世代です。
皆さまはいかがですか?
あの有楽町の「日劇ウエスタン・カーニバル」にはいらしたかしら?
ロカビリーブーム、鮮烈な印象として私の青春時代の思い出です。
もちろん女優時代ですが。
そして、「東宝」と会社もご一緒でしたが、なぜか共演は一本もしていません。
1950年代後半から60年代前半の日本は高度経済成長期。
なにもかもがめまぐるしい程変化した時代でした。
そして「ベトナム戦争」
「音楽の力」についても語っていただきました。
反戦ロックや反戦フォーク、デモ・・・。
「自分達の音楽で変えられると思った」・・・と。
結局紛争のない世の中にはなっていないのですね、いまだに。
それからの彼の人生が素晴らしいのです。
私には少しだけ分かる気がします。
「自分のことを誰も知らない世界へ行きたい」
そこから人生の旅が始まります。
『いつまでも不良として生きたい』とおっしゃいます。
窮屈な現代社会の中で、若者たちに圧倒的な人気を得ています。
「最近は子供からも”カッコいいジ~ジ”なんて言われていますよ(笑)」ですって。
ラジオと本であなたも私と同世代でしたら、ご自分の青春時代を思い出してみてください。胸がキュンとし、自分が愛おしいと思うはずです。
素敵な出逢いでした。

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『森は海の恋人』

畠山重篤さん、この度の「フォーレストヒーローズ(森の英雄たち)賞」の受賞おめでとうございます。
気仙沼のカキ養殖家・畠山さんに国連賞が授与されたのです。
『森は海の恋人』(北斗出版)という素敵な本にであったのは20年ほど前でしょうか。この本は、宮城県の唐桑町と岩手県の室根村を舞台に、海の美しさを取り戻すべく立ち上がった地元の人々の運動を描いたものです。
主人公は畠山重篤さん。
父親から継いだ牡蠣やホタテ貝の養殖をしていたのですが、昭和40年頃から、目に見えて海の力が衰えてきたことに気がついたそうです。魚の漁獲高が減り、貝の成長も悪くなり、多くの生命を育む海の力がすっかり衰退してしまったのです。
「直接お話を伺いたい」・・・そんな思いで文化放送にご出演いただきました。
それ以来何度かシンポジウムでもお話を伺ってきました。
「なぜ、海がこんなに力を失ってしまったのだろう」と考えた畠山さんの脳裏に浮かんできたのが、かつて牡蠣の養殖の視察で訪ねたフランスのブルターニュ地方の風景でした。
ブルターニュ地方には、フランス最長の河川であるロワール川が流れています。そのロワール川の河口には、見事な牡蠣が育っています。干潟にはカニや小エビ、ナマコがたわむれていました。その海を見たとき、畠山さんは「これはかつての宮城の海だ!」ととても感激したのだそうです。
畠山さんはそれから一心に考えました。
宮城の海と、一体、何が違うのか。
そして、ひとつのことに思いあたったのです。
“それは、森”・・・と。
海の源は川であり、川の源は森ではないのか。
宮城の海を生き返らせよう、そのために山の森を再生しようという運動が始まりました。「牡蠣の森を慕う会」が生まれ、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に集い、広葉樹の植林を行ってきました。その村こそ、岩手県の室根村でした。海を取り戻そうと、海で働く人々が山に登り、木を植え始め、今や全国から人々が集まり植林をしています。
私も実際にその森を見に伺いました。広葉樹の木々でした。これらの木々の1本1本が、森となり、土を育て、水を育て、その水が川に、そして海に注がれていくのだと思ったとき、胸が震えたのをよく覚えています。
3月11日、東日本大震災がおきました。
畠山さんは震災でお母さまを亡くされ、養殖施設も失いました。
震災3ヶ月後に東京で行われたシンポジウムには駆けつけ、私たちの前で『大丈夫、海は生きています』と力強く語られました。『恨んでなんかいませんよ』・・・とも。
毎年6月に行われる植樹祭には約1200人が参加し、港や養殖施設の復興にも多くのボランティアが駆けつけてくれているそうです。
『森の栄養が川や海の命を育てる』と教えてくれたのは畠山さんです。
畠山重篤さん この度の受賞まことにおめでとうございます。
そして、困難のなかこれからも頑張ってください。

イギリスへの旅

イギリスを旅してまいりました。
今回の旅の目的はヨーロッパ最大のアンティークフェア。
「やまぼうし」のスタッフに同行してきました。
昨年はイベントの時などにアンティークショップをオープンしておりましたが、この春からはネットショップもオープンする予定ですのでどうぞご期待ください。詳細はHPにてお知らせ致します。

ロンドンから北へ約250キロ。初日は小雪舞う寒い日でしたが、朝は8時半からゲートに並んでの入場です。素敵な商品の数々に出会えました。
45年ほど前に「007は二度死ぬ」の撮影で半年近くロンドンに滞在していました。週末になると市内の骨董市巡りが楽しみのひとつでもありました。「西洋骨董」と呼ばれるアンティークからもっと身近な「生活骨董」にいたるまで、とても奥の深い世界です。私たちが買ってきたものは日常に使えるアンティークばかりです。
かねがね不思議に思っていたことは「よくこれだけのものが残っているわね・・・」ということです。枯渇しないのかしら。でも会場に来る人たちを見ているとよく分かります。イギリス人は本当にアンティークが好きなのです。
日常の台所まわり。椅子やテーブル、絵画、そしてアクセサリーなどなど、多くのものが人から人へと代々受け継がれていきます。そして、歴史的にはさすがかつての大英帝国、供給される品の量が豊富です。

そして最終日はロンドンから150キロほど離れたところにある「ライ」の街に行きました。
その途中で、私がどうしても訪ねたかった「ピーターシャムナーサリー」に寄りました。ここはもとは温室だった所をレストランにかえた場所。足元は土のまま、雑貨も置いてあります。可愛らしい長靴もあったのですが、持ち帰るのに大変なので諦めました。ロンドンから30分ほどのところで、予約を取るのが難しいレストランです。私たちはオープンに合わせて訪れ、カフェで紅茶だけをいただきました。
いつか余裕のあるときに、ここでシャンパンでも飲みながらランチをするのが私の夢です。

イギリスの食事は「美味しくない」と言われていますが、私はそう思いません。ロンドンでは「オーガニックレストラン」が根付いていますし、地方のレストランでも美味しい料理が食べられます。あの安くて、しかもボリューム満点のフィッシュ&チップスも良い油を使っているレストランで食べれば絶品です。美味しい・・・イギリス滞在中には必ず一度は食べます。
英国の伝統と異文化の融合で、美味しいイギリスを味わえます。
そして念願だった「ライ」に到着。
この街は2度目ですが、可愛らしいショップがいくつもあり、石畳の美しい街です。
あっという間の8日間でしたが、イギリス人の「日々、丁寧に暮らすことが心豊かなこと」だとも教えられたような気がする旅でした。
これまで暮らしの技や知恵を教えていただくために世界中を旅してきました。箱根に古民家を建て、子育てをし、そして今こうして美しいモノ達を「やまぼうし」を通して皆さまと共有できる幸せをかみしめております。

浜美枝のいつかあなたと ~ 小倉美惠子さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
素敵なお客さまをお迎えいたしました。
『オオカミの護符』(新潮社)の著者・小倉美惠子さんです。
今話題の本で12月15日に発売し、現在3刷だそうです。
小倉さんは1963年、神奈川県・川崎のお生まれ。
シンクタンク勤務などを経て、2000年から、自らの生まれ育った町「土橋(つちはし)」の調査を開始。
2008年、「土橋」の映像記録を映画化した「オオカミの護符~里びとと山びとのあわいに」をプロデュース。文化庁の文化記録映画優秀賞などを受賞しました。
発売中の本は映画と同じく、地元・土橋に伝えられた信仰や生活について記された一冊です。
小倉さんは古くからの農家のご出身。
かつては50戸ほどの寒村だったそうです。
その人々によって守られてきたのが「オオカミ信仰」。
まず驚いたことは現在の田園都市線、「鷺沼」と「たまプラーザ」の中間あたりにある「土橋」にいまだに「オオカミ信仰」が脈々と受け継がれていることです。
関東地方に多く見られるというオオカミ信仰。地元の人は「オイヌ様」ともいうそうですが、小倉さん自身も御嶽講の代表者と一緒に、御嶽山詣りをし、「オイヌさま」を追って旅を続けます。
小倉さんはおっしゃいます。
「今でこそ人は山を離れ都市へと向かうが、かつては山は人々を惹きつけて止まない場所であった」と。
「お百姓」は単なる「農民」ではありません。「素朴な農民の手によって何の底意もなくいわば天真自然に作られたときのみ、真に独創的な従ってまた適な質をもち得る」と語ったのは「日本の美を発見」したドイツの建築家ブルーノ・タウトでした。
小倉さんは、お百姓をしていた、おじいさま、あばあさまに大きな影響を受けられたそうです。そんな子供時代のお話も伺いました。
なぜ、この本がこれほど注目を浴びているのでしょか。小倉さんは、高度経済成長期の時代に「何か大切なものを置き忘れてきたかもしれない」とおっしゃいます。
今では行政や専門業者に任せてしまう私たちの暮らし。もう一度足元を見つめなおしたい・・・と思う人々がこの本を手にしているのでしょうか。
じっくりラジオをお聴きください。(放送・2月19日(日曜・10時半~11時)
小倉さんのお話を伺いながら民族学者の宮本常一の言葉を思い出しました。
「人が歩いた後を歩いてもやることは必ずある」

風にそよぐ草

神保町の岩波ホールで映画を観てきました。
開演30分前から列が出来ていて満席でした。
アラン・レネ監督の「風にそよぐ草」
レネ監督といえば、私がまだ女優になりたての頃のヌーベルバーグ全盛時代に数々の作品が発表されましたが、若い私には哲学的すぎ、難解でよく理解できませんでした。
それが、今年86歳で撮った作品「風にそよぐ草」のなんと瑞々しく軽快で、モダンで、イキで「大人のための恋愛喜劇」と書かれています。
ヒロインのマグリット演じるサビーヌ・アゼマは1946年パリ出身。
私生活では、アラン・レネ監督のパートナーでもあります。
相手役の初老の紳士ジョルジュを演じるのはアンドレ・デュソリエ。
1946年仏・アヌシー出身。
アスファルトの亀裂に生えている雑草が風になびく様子がバックにクレジットタイトルが流れ、人々の足・足、足音。
中年の歯科医。
彼女はパリの街角でひったくりにあいバックを盗まれてしまいます。
捨てられた彼女の財布を拾う初老の紳士。
ストーリーはそこから始まります。
財布に入っていた飛行機操縦免許の彼女の写真を見て恋に落ちます。
美術、照明、なによりも中年女性の美しさ、艶やかさのクローズアップを見事に映し出すカメラワーク。
私は「なぜひび割れたアスファルトから草がそよいでいるのかしら?」と思い続けて映画を観ていました。
分かりました、ラストシーンで。
制作意欲は衰えず、すでに最新作の撮影も終えているとか。
軽やかで、艶やかで、ウイットにとんだ大人の映画。
『人生の終わり方』・・・は「生きる処方箋」とでもいうのでしょうか。
久しぶりに観た大人の恋愛喜劇でした。
アラン・ レネ監督は人生のパートナー、サビーヌ・アゼマに最大の愛を告白したように私には思えました。
“映画ってやはり素敵です”

新潟フレンズパーティー

都内のホテルで開催されたパーティーに出席してまいりました。
新潟市は市長をはじめ、住民が一体となりさまざまな企画をたて魅力ある都市づくりに取り組んでいます。
当日は「開港都市にいがた・『水と土の芸術2012』での鼎談」を聞きました。
そしてパーティーでは「のっぺ汁」をはじめ、新潟の豊かな食材をふんだんに取り入れた料理のかずかずを堪能させていただきました。今が旬の長芋をつかった「スモークサーモンとながいものロール仕立て」や、そしてなんといっても「おむすび」の美味しかったこと。
これからの新潟は東アジアへ、いえ世界へ向けて発信し、着実に拠点都市として歩を進めています。それには都市住民とその地に暮らす人との対流が重要です。北前船で栄えた港。歴史や文化の見直しと新たな芸術が融合し、地方が「心の豊かさ」を提供してくれます。
私もこの40年、民族学者の宮本常一、民芸運動創始者の柳宗悦の足跡を訪ね新潟に足繁く通っています。ダム建設のために湖底に沈む村にもずいぶんと通いました。佐渡には素晴らしい文化が残されています。
北国は冬が一番素敵です。
“旨いお酒・料理”
「にいがたの冬・食の陣」に出向いてみては如何でしょう。
詳しくはHPで。
新潟の冬の魅力に出逢いませんか?
新潟市公式観光情報サイト

浜美枝のいつかあなたと ~ 笹公人さん

『浜 美枝のいつかあなたと』 文化放送(日曜10:30~11:00)
1月1日・元旦に放送した番組のお客様は短歌作者・笹公人さんです。
笹公人さんは1975年、東京のお生まれ。
高校生の頃から短歌の創作を始められ、2003年に初めての歌集『念力家族』を発表。斬新な内容で注目を集めました。これまで書かれた本には歌集『叙情の奇妙な冒険』、イラストレーターの和田誠さんとの「連句」作品集『連句遊戯』などがあります。
まったく短歌には疎い私ですが、笹さんからお話を伺っていると日本人のDNAには『短歌』の感覚が誰にでもある・・・と思わせてくれます。
日本人のお正月と短歌は昔から深い関係がありますよね。
上の句を聞いて、下の句をとる「百人一首」。
子供の頃を思い出します。
「百人一首」はなぜお正月に遊ぶかも伺いました。
百人一首は鎌倉時代の藤原定家が私撰したもの。
木版技術が発達した江戸時代に庶民に広がり「遊び」として定着し、お正月の遊びとして親しまれたそうです。
宮中の「歌会始」も鎌倉時代中期にはすでに記録があるとか。
日本人は恋愛、戦(いくさ)、亡き人への回顧、そのほかさまざまな「思い」を短歌に託してきました。
笹さんに百人一首の中でお好きな短歌をご紹介していただきました。
『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関』(蝉丸)
『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける』(紀貫之)
またご自身の歌もご披露してくださいました。
『鳥占の鳥を逃した老師いてきらめく正月の中華街』
『春雨に濡れながらゆく青年もとりもどせない景色のひとつ』(原発事故)
お正月はこのように歌が詠めたら素晴らしいですね。
そこで、今回ご一緒してくださっている寺島尚正アナウンサーが詠んでくださました!
『末吉の末の横棒書き換えて 未来の吉と思い込む僕』
なかなか素敵ですよね。
私?・・・う~ん。
来年にはご紹介できるよう勉強いたします。

私のお正月

1月1日、元旦の早朝夜明け前に箱根神社への初詣で私の新年は始まります。真夜中より人も比較的静かでお参りができます。
2011年は多難な年でした。
今もなお終息していない原発事故・・・その爪痕の深さを思うと、体が震えます。東日本の痛みは私たち日本人の痛みです。恐怖や苦しみを味わうことなく、平和に暮らせる日が早くきますように、と祈願いたしました。そして、家族や友人達の健康も。
穏やかな年の始め、神社から芦ノ湖の湖畔を歩きながら、また樹木の中を歩きながら考えました。かつては人々の暮らしの中に当たり前のようにあった文化や、自然の理に適った習慣、四季の移ろいによって美しく変化する国の景観など・・・そうしたものこそが尊く、人々の心の拠りどころであったはずなのに、私たちは知らぬ間にそれらを軽んじてきたのではないか・・・と。
私たち世代は「美しい日本の暮らし」の片鱗を、幼いころに経験してきました。それを次世代に受け継ぐべき大事な使命を担っているのではないかしら。そんなことを思いながらの元旦でした。

2日はいよいよ『箱根駅伝』のスタートです。
私の住む箱根町は往路ゴール、復路のスタート地点です。
大手町からこの箱根町まで。駅伝には毎年ドラマが生まれます。
圧倒的に強かった東洋大学。
新・山の神、柏原竜二選手が自らの区間記録を29秒更新しました。
1年生の時にはゴールし、初々しく笑顔満面の顔が、今年は引き締まり、まさに「山の神」の風格がありました。「昨年のくやしさがあるので嬉しい」(21秒差で2位)と酒井監督は語っています。チームワークの素晴らしさ。”くやしさ”からこの1年の努力は並大抵の事ではなかったはずです。
若者のひたむきさに涙がでます。
3日は早朝、夜が明け始めた6時半ころには町に下りていきます。
もう各大学の応援団が懸命に応援しています。
やはり東京農業大学の姿が際立っています。
昔は「ダイコン」を持っての応援でしたが。
湖畔の観光船の部屋が東洋大学の控え室になります。
監督がインタビューに答えたり、復路を走る選手達が調整したり、キャプテンの柏原選手が皆んなに声をかけている姿を見ながらスタートを待ちます。
そして、8時花火が打ち上げられ選手たちはスタートしていきます。私はいつも交差点のところで応援します。斜め前には文化放送のクルーが実況放送しているので声が聞けます。そして、家でゴールまでを楽しみます。
“今年も感動をありがとう”
4日は恒例の上野「鈴本演芸場」へ。
平成24年正月初席・吉例落語協会初顔見世特別公演『新春爆笑特別興行』。第三部のトリは大ファンの柳家小三治師匠。お正月らしい風情を堪能いたしました。
お正月は『笑門来福』
つらいことがあっても、”笑う門には福来る”
皆さま・・・みんなで乗り越えたいですね、今年を。
そして、佳い年にいたしましょう!

謹んで新春のご挨拶を申し上げます

今年も私は「農・食・美しい暮らし」をテーマに活動いたします。
農は命。
未来を拓く農家の人々と共に歩んでいこうと決意を新たにしています。
また、近畿大学の客員教授として3年目を迎えました。
若い力を信じ、フィールドワークの大切さをさらに伝えていきます。
皆さまのおかげでカルチャーの発信地として根づき始めた箱根の
「やまぼうし」も新たな企画をたくさん用意しています。
どうぞお楽しみに。
そして何より、多くの人に笑顔が戻る、希望にあふれた佳き年で
ありますようにと、祈り続けてまいりたいと思います。
2012年1月1日 浜 美枝

沖縄への旅

沖縄へ通い始めてかれこれ45年がたとうとしております。
きっかけは『沖縄こそが民芸のふるさと』と、柳宗悦の本に書かれていたからです。民芸はもちろんのこと、なぜ私がこんなに沖縄に魅力を感じ、沖縄を訪ねると第二の故郷に戻ってきたかのような安堵感を覚えるのでしょう。
その理由は人だと思うのです。
特に沖縄の女性たちの、辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。面倒見が良くて、働き者で健康的な気質。そのすべてに強くひきつけられているのです。
12月も押し迫り、明日はクリスマスイブ。
沖縄タイムス「タイムス女性倶楽部」の会に招かれ講演を24日にいたします。
今年は沖縄にとっても政治に翻弄された大変な年でした。
同じ日本人として、心から申し訳なく思います。
沖縄の痛みは私たち日本人全員の痛みです。
沖縄に住む人々が恐怖や苦しみを味わうことなく、平和に暮らせる日が早く来ることを願っております。そうしていかなければならないと念じております。
沖縄は食文化の宝庫でもあります。
沖縄料理の世界は深く優しいです。
たとえば、うちなーぐちの「くすいむん」や「ぬちぐすい」という言葉がありますが、私はこのふたつの言葉を口ずさむと、すっと背が伸びるような気持ちになります。この言葉は、生きることの根っこに食べることがあるということを教えてくれます。そこには感謝の気持ちも含まれています。
生きるために食べる。大切に食べる。命を大事にする。
沖縄が昔から暮らしの基本として守り伝えてきた、こうした言葉を、そして、言葉の奥に秘められた謙虚な生き方を大切に守り、次の世代につなげていかなくてはならないと思います。
沖縄調理師専門学校校長である新島正子先生に、以前、沖縄の食文化についてお聞きしたことがありました。
「苦闘の歴史を経てなお、人々の記憶の底に郷土の味が残っていた。
文化は滅びない。占領されない」との新島先生の言葉は忘れられません。
沖縄には4日間の滞在です。
私を温かく迎えてくれる
美しい島(チュラジマ)
沖縄の(ウチナーヌゥ)
ネーネー。アンマァ。オバァ。
待っていてくださいね。