『森は海の恋人』

畠山重篤さん、この度の「フォーレストヒーローズ(森の英雄たち)賞」の受賞おめでとうございます。
気仙沼のカキ養殖家・畠山さんに国連賞が授与されたのです。
『森は海の恋人』(北斗出版)という素敵な本にであったのは20年ほど前でしょうか。この本は、宮城県の唐桑町と岩手県の室根村を舞台に、海の美しさを取り戻すべく立ち上がった地元の人々の運動を描いたものです。
主人公は畠山重篤さん。
父親から継いだ牡蠣やホタテ貝の養殖をしていたのですが、昭和40年頃から、目に見えて海の力が衰えてきたことに気がついたそうです。魚の漁獲高が減り、貝の成長も悪くなり、多くの生命を育む海の力がすっかり衰退してしまったのです。
「直接お話を伺いたい」・・・そんな思いで文化放送にご出演いただきました。
それ以来何度かシンポジウムでもお話を伺ってきました。
「なぜ、海がこんなに力を失ってしまったのだろう」と考えた畠山さんの脳裏に浮かんできたのが、かつて牡蠣の養殖の視察で訪ねたフランスのブルターニュ地方の風景でした。
ブルターニュ地方には、フランス最長の河川であるロワール川が流れています。そのロワール川の河口には、見事な牡蠣が育っています。干潟にはカニや小エビ、ナマコがたわむれていました。その海を見たとき、畠山さんは「これはかつての宮城の海だ!」ととても感激したのだそうです。
畠山さんはそれから一心に考えました。
宮城の海と、一体、何が違うのか。
そして、ひとつのことに思いあたったのです。
“それは、森”・・・と。
海の源は川であり、川の源は森ではないのか。
宮城の海を生き返らせよう、そのために山の森を再生しようという運動が始まりました。「牡蠣の森を慕う会」が生まれ、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に集い、広葉樹の植林を行ってきました。その村こそ、岩手県の室根村でした。海を取り戻そうと、海で働く人々が山に登り、木を植え始め、今や全国から人々が集まり植林をしています。
私も実際にその森を見に伺いました。広葉樹の木々でした。これらの木々の1本1本が、森となり、土を育て、水を育て、その水が川に、そして海に注がれていくのだと思ったとき、胸が震えたのをよく覚えています。
3月11日、東日本大震災がおきました。
畠山さんは震災でお母さまを亡くされ、養殖施設も失いました。
震災3ヶ月後に東京で行われたシンポジウムには駆けつけ、私たちの前で『大丈夫、海は生きています』と力強く語られました。『恨んでなんかいませんよ』・・・とも。
毎年6月に行われる植樹祭には約1200人が参加し、港や養殖施設の復興にも多くのボランティアが駆けつけてくれているそうです。
『森の栄養が川や海の命を育てる』と教えてくれたのは畠山さんです。
畠山重篤さん この度の受賞まことにおめでとうございます。
そして、困難のなかこれからも頑張ってください。