九州私立保育園研究大会

先日、「九州私立保育園研究大会」が小倉で開催され、
お招きをいただき講演がありました。
大会テーマは「生命(いのち)のつながり 家族の絆」
   ~誰がまもる 子どものいのち~
九州・沖縄から1100名の方々が集まり、分科会に別れさまざまなテーマで議論がなされました。
私は「生命のつながり~今、私たちにできること~」と題し、
農や食を通しての子供たちの環境や、私たち大人に何が
出来るかなどについて話しました。
『子どもは国の宝』
国の未来の宝である子どもの豊かな育ちを支えることが、とても難しい環境にあることも学ばせていただきました。専門職集団の現場の声を伺い、利益を優先させる市場化、産業化の中での子育ては難しいとも思いました。
この度の「東日本大震災」では保育関係者の方々が命がけで子どもたちの命を守り、そして今も大変困難な状況の中で懸命に保育を継続してくださっています。
あらためて「人の絆・そしてコミュニティー」のありようを考えさせられました。
かつてのように地域での子育て、大家族ではない中での子育て。
子育て中のお母さんたち”がんばって”・・・とエールを送ります。
そして、日々、保育に携わる先生方に改めて敬意を表します。
北九州での素敵なご縁に感謝申し上げます。

直島・瀬戸内アートに暮らす人々

10月初旬、雑誌「サライ」の「瀬戸内の国宝と美術を巡る旅」(11月10日発売)の2泊3日の撮影の際に「直島」にも行ったのですが、「地中美術館」だけのわずかな滞在で、どうしてももう一度直島に行きたく、仕事で岡山に行った帰りに足をのばしました。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島、直島。
現代美術と自然、そこに暮らす人々がアートしているのです。
高齢化、過疎に苦しむ島々が多いなかで、ここの人々(特にお年寄り)が元気なのです。
岡山駅からバスで宇野港まで約50分、そこから船に20分乗ると直島に着きます。驚いたことに海外からの人が多く、アメリカ・フランス・オーストラリアとむしろ海外に良く知られているのかもしれません。若い人たちもガイドブック片手に島内を散策しています。

企業(ベネッセ)がこのようなカタチでこの島を見直し「直島にしかない作品」、「観ている人にすべてを委ねたい」との思いでつくられた美術館。
建物はすべて地中に埋まっています。(建築・安藤忠雄)
クロード・モネはじめ現代アート作家の作品の数々。
そして、心に残った「オープン・スカイ」。
きり取られた空は自然の状態で見ることができます。
天候によっては雨が落ちてくるでしょう。
ナイトプログラムで、刻々と変化する雲を45分観ていました。
日没には、壁が光りで染められていきます。
ただただ・・・空を眺めていました。

島のバスに乗り島内を回り、若い人がやっている民家を改装したハンバーガ店でビールを飲み、お年寄りと道端でのおしゃべりをする、そう、皆さん”もてなしの心”があるのです。
人工的に作られた町づくりではなく「人間優先」の島、それが直島でした。自然を大切にしながら現代アートと人が共存する島。こうした環境に配慮した町づくりがこれからは求められていくでしょう。なによりもお年寄りが元気・・・は素敵です。
また、ゆっくりお邪魔し、犬島や豊島にも次回はまわりたいです。
日本列島は本当に美しいです。
その分、「東日本のこれから」に思いを馳せた旅でもありました。

大地の恵み

札幌に住む友人から「じゃが芋」が届きました。男爵&メークイン。
“わ~ぁ美味しそう”・・・と蓋を開けたら、北海道帯広市・美栄町外山農場からのじゃが芋でした。
まず目に入ったのが「ゴムの手袋」!でした。
まあなんて、ご親切に、でもなぜ?
「大地の恵みに添えて 2011 晩秋」と書かれたお便りが同封されていました。
「本格的な収穫期を迎えた9月上旬から長雨に始まり、雨、また雨、そして台風15号とおもうように畑に入れず、収穫作業に苦戦を強いられました。乾いた土から堀り起こすじゃが芋とは異なり、土付きの多い産物となり誠に恐縮ですが、同封の手袋をはめ、箱の中でよく土を取り除いてください。来年は、じゃがいもの磨き機を導入し、お手数をおかけしないようにしますのでご了承ください。」
と書かれていました。
有機物やミネラルのバランスの良い土作りをされているご様子。
生産者の方の愛情と大地の恵みを有難くいただく私たち、土は付いていて当たり前です。生産者にそんなご苦労を私たち消費者は強いているのかしら。じゃが芋の磨き機の出費をお願いしなければならないのでしょうか?
貯蔵の方法なども丁寧に記されていました。
なんと優しい外山農場の方々。
皆さまはどう思われますか?
私たちは少し土から遠のいておりませんか?
台所が汚れるからかしら。
手が汚れてしまうからかしら?
コロッケ・肉じゃが・ポテトサラダ・グラタン・・・など美味しくいただきました。
外山農場の皆さま!大地の恵みをありがとうございました。

片岡鶴太郎展~こころ色

本日、4日が最終日になりました。
おかげさまで大勢の方がここ箱根やまぼうしにお越しくださいました。
女性同士、ご夫婦、若い方・・・鶴太郎さんファンの幅の広さを感じました。
併設している「カフェ&アンティーク」にもお立ち寄りいただき、楽しい語らいの輪にも入れていただいた期間でした。皆さま、ありがとうございました。
こうして古民家を再生して造り上げた我が家に人々が集うとき、12軒の家々の歴史を共に生きていらした人々の喜ぶ声が聞こえてきます。

日曜日はオープニングパーティー。
鶴太郎さんも夕方に「やまぼうし」にお越しくださいました。
会場をうめる素敵な作品のかずかず。絵画・陶器・そしてガラス。
どの作品からも、鶴太郎さんの作品への情熱と、同時にご本人の優しいお人柄を感じとることができます。
床の間には、鶴太郎さんの画家としての原点「椿」と、私が17歳で出逢った古信楽(蹲)を描いてくださった「蹲二椿」が、それは素晴らしい空間を飾ってくださいました。
来年はどんな作品と出逢えるのでしょうか・・・。

昨年の作品、山中塗りの盆にデザートを置いてみました。
『こうして使ってもらえて嬉しいです。用の美ですね』・・・と仰る鶴太郎さん。
今年も素敵な展覧会が開催できました。
感謝申し上げます。

『片岡鶴太郎~こころ展』と『箱根三三落語会』

『片岡鶴太郎~こころ展』を明日10月29日から11月4日まで
箱根「やまぼうし」で開催いたします。

今回の展覧会は鶴太郎さんと私、お互いに「椿」が重なります。
彼は寒さ厳しい2月の早朝、お隣の庭に鮮やかに咲く朱色の
「椿」に出会い、その美しさに感動し、
「この花が描けるようになりたい」と思われ、
それが画家としての原点となったそうです。
私が17歳の時に出逢った古信楽の壷。
それから50年以上を共に歩んできたこの壷には「寒椿」が
よく似合い、毎年冬になるとそっと椿をいけて楽しんでいます。
今回の展覧会にこの壷に椿を活けた「蹲二椿」を描いてくださいました。
絵画、ガラス、陶器と素敵な作品の数々が出品されております。
ぜひお越しをお待ちいたしております。
http://www.mies-living.jp/events/2011/kokoroiro1110.html

そして来月12日は「箱根三三落語会」を開催いたします。
30名様限定のとても贅沢な落語会。三三師匠の素晴らしいお噺に加え
落語終了後に師匠とご一緒する食事会もまた魅力の一つです。
“まくら”を聴いているような、素顔の師匠のお話を伺うことができます。
http://www.mies-living.jp/events/2011/hakonesanzakai1111.html

『瀬戸内の”国宝と美術”を巡る旅』

雑誌「サライ」(小学館)の撮影で瀬戸内を2泊3日の旅をしてまいりました。
このごろは時間が許す限り飛行機よりも新幹線。
新幹線よりも在来線で・・・が多くなりました。
“寄り道”の旅が心地よいですし、車内での時間が至福のひとときです。
スタッフとは広島で合流し宮島口からフェリーで厳島神社へと向かいます。
海を渡る風が心地よく、旅の始まりの素晴らしい予感がいたします。

何度も訪れているのに発見はありますね。
前回は、裏の路地のちいさな”もみじ饅頭”のお店を見つけて一休み。外国人も何人かご一緒でした。
旅の発見は裏道にあり・・・が私のモットーです。
今回は、牡蠣のおいしそうな焼ける匂いに誘われて見つけたお店。
さっそく入り白ワインと焼いた牡蠣で乾杯!
なんて・・・国宝の厳島神社のことは「サライ」を是非お読みください。

尾道では、国宝の寺「浄土寺」へ。
ここは映画「東京物語」のロケ地にもなっています。
目の前を山陽本線が走っています。


直島の「直島・地中美術館」
この美術館はかねてから訪れたい・・・と思い続けていた場所です。
自然と融合した、島の人とアートが一体となり、訪ねた人を迎え入れてくれます。現代アートも自然光に優しく包まれていました。
いつか、夢ですがこの島にしばらく滞在し心置きなくこの空間に身をあずけたいと思いました。
美術館の屋外には、草木や睡蓮が浮かぶがモネの庭をイメージして作られていました。約200種類以上の草花が一年中咲き誇っているとのこと。パリ郊外のモネのアトリエも訪ねましたが、直島も素敵です。

倉敷の「大原美術館」
ここにはたくさんの思い出があります。
10代のころからどれほど訪ねたでしょうか。
今回も「エル・グレコの受胎告知」に出逢えました。
悲しいこと、辛くて耐えられないほどの悩みを抱えていた時、幸せに胸を震わせていたころ・・・この絵に支えられました。
最後は道後温泉。「正岡子規記念博物館」へ。
ここは30年ほど前、オープンの時におじゃまして以来、何度か訪ねています。
漱石と子規がどんな会話を交わしていたのでしょうか、座敷に座り想像します。
平安時代に想いを馳せ、また美しい美術に魅せられ、美味しい料理とお酒を堪能。素敵な旅ができました。
詳しくは是非「サライ」をご覧ください。11月10日発売です。

柳家小三治師匠

皆さまは三連休はいかがお過ごしでしたか。
私は日曜日に上野・鈴本演芸場に落語を聴きに行きました。
柳家小三治師匠の追っかけを始めて12年になります。
連休の真ん中、箱根の山から下りるのはさぞ混んでいるのではと思い、新道経由のバスで早めに小田原に向かったのですが、意外にスイスイと着き、新幹線に乗り、東京駅で時間まで少々のビールと一緒に遅いランチをいたしました。
地下鉄に乗り、上野広小路駅の階段を上ると、演芸場の前の道にはすでに長蛇の列。でも、30分並んで座れて聴くことができました。立ち見も出る満員御礼。
鈴本演芸場、新宿末廣亭、独演会にも、可能な限り駆けつけます。
前売り券は電話をひっきりなしにかけ続け、気合でとります。
立ち見で聴くこともありますし、当日券を求めて今回のように窓口に並ぶこともあります。
人生半ばを過ぎてから、これほど胸をときめかせることに出会えるとは思いませんでした。
なぜ、これほど小三治師匠に惹きつけられるのかしら。
心が震わせられてしまうのかしら。
これまで何度も自問してきました。
師匠が登場しただけで、さっとその場の空気の色さえ変わってしまいます。
派手なしぐさもありませんし、見せ場を強調することもありません。
気がつくと落語の世界に心地よく誘われ、そこに人々の姿が生き生きと見えてくるのです。
そしてすするお茶の熱さや風の冷たさまで肌で感じ、人々の暮らしのさんざめきを聞き、夕餉の匂いまで胸いっぱい吸い込んでいるような・・・。
橘連二さんの写真集『柳家小三治 』(河出書房新社)を開いた途端、その答えが改めてわかったという気がしました。
ため息がもれそうに美しく神々しいといいたくなるほどです。
後姿や、膝の上で握られた手の写真に、胸をつかれました。
そう、人間・柳家小三治師匠の深い魅力がにじみでているのです。
だからこそ、その横顔がふっとのぞける”まくら”にも私は魅了されるのでしょう。
たった12年の落語愛好家にすぎない私には難しいことはわかりません。
いえることはただひとつ。
これからも小三治師匠の追いかけはずっと続けるということ。
写真集ご覧になってください。
きっと私のこの想いを分かってくださるはずです。
そして、寄席でお逢いできたら嬉しいですね。
幕が下りるまで、頭を下げ続けていらした姿が目に焼きついております。
美しい日本人の姿、カタチ・・・
素敵な休日でした。
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幸せパズル

素敵な映画を観ました。
“日本から一番遠い国”アルゼンチンの映画です。
監督はこの映画がデビュー作となるナタリア・スミルノフ、女性監督のオリジナル脚本。
何気ない日常の暮らし中から見えてくる、女性のふとした戸惑い、悩み喜び。女性監督ならではの機微が表現されていて、2010年のベルリン国際映画祭で「傑作!」と大絶賛を受けたそうです。
パンフレットには
「自分だけの時間が、妻でもなく、母でもない、”本当のわたし”を教えてくれる。」とあります。
南米・アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。
主人公のマリアは専業主婦。夫と2人の息子の幸せを生きがいに暮らしている女性。ジグゾーパズルの才能に目覚め生活が一変します。
現代アルゼンチン、およびラテンアメリカ社会の女性解放について 監督のナタリア・スミルノフはインタビューに答えています。
「誰にでも自由は必要で、誰もが正当に扱われなければならない。しかし我が国では未だに、”マチスモ神話”が根強く残り、家庭内暴力が多く、人々の文化や結婚生活に大きく影響しています。
女性が生活できるだけ収入を得て、自立し、大人の人間として生きられる環境が必要です。家族が皆去った後の人生がどれだけ悲劇的か。ひとり残され多くの女性達は50歳を境に発狂するほどの苦しみを味わうのです。情熱の対象をひとつも持っていない専業主婦がたくさんいます。専業主婦であることが間違いではないのに、バランスをとるのは難しいのです。”母親たちが幸せなら、世界はもっと良くなりますよ。”」・・・と。
主人公のマリア(マリア・オネット)は夫・ファン(ガブリエル・ゴイティ)に愛されています。
マリアの微妙な心のひだを完璧に演じています。
表情だけで演じきる主人公マリアに共感し、ひとりの人間の揺るぎない生き方に感動を覚えます。
笑顔が美しい・・・
涙が美しい・・・
ラストシーンはその表情が見られるでしょうか。
小さなことでもいい、自分だけの充足の瞬間を持つこと・・・の大切さを教えてくれる素敵な映画でした。

寒川神社

神奈川県寒川町の教育委員会と青年会議所のお招きで講演会に行ってきました。
寒川・・・といえば「寒川神社」。
まず駅に降り立ち神社に向かいました。


相模川の河口から約7キロ遡ったところに鎮座する神社です。
歴史は古く承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授かるという記録(続日本後記)があります。
境内は夕方でもお宮参りの赤ちゃんを抱いた若いお母さんやおばあちゃまなどで幸せムードが溢れていました。
私は旅に出て、その地に神社があるとなるべくお参りをさせていただきます。
静謐な中に心が浄化されるようで心が落ち着きます。
そして会場に向かいました。
大勢の方が出迎えてくださいました。
同世代か少し先輩、また50代の方も。
講演のテーマは『明日を素敵に生きるには』です。
以前、歌手の小椋桂さんがテレビ番組のインタビューに答えられておりました。
 「人生年を重ねれば、坂道を下りてゆきます。ただ、その道を上り坂と捉えるか、下り道と捉えるか・・・」「もう・・・なのか、まだ・・・なのか」でも違う、と。
私は中学を卒業するとバスの車掌に。そして16歳で女優デビューしました。それからずっと働いて、今に至っています。大学や高校に進学しておりませんので、学校という学び舎で勉強をする機会にはめぐまれませんでした。でも、本や映像、また社会に出てから出会った多くの先輩方から、たくさんのことを学ばせていただくことができたと、思っています。
会場の皆さんと時代を共有してきたからでしょうか、お互いうなずけることがたくさんありました。
『明日を素敵に生きるためには』
これは、誰にとっても、これからの第一のテーマではないでしょうか。
具体的なお話もさせていただきました。
心と体は常に変化し続けています。
限りある命であることを正面から受け止めなくてはならない辛さもあります。
それゆえの深い孤独とも、向き合わざるをえないこともあります。
でも、そうして孤独もつきつめていくと、その奥には、生きていることに感謝する気持ちが隠れている・・・それに私は気がついたとき、それまでよりもいっそう人を恋しくいとしく思えるようになった気がします。
寒川町の皆さま、ありがとうございました。
あたたかく迎えてくださった温もりを今も感じております。
『自分の生命を丸ごと慈しみ、おもしろがり、楽しんでいただきたい』
そんな思いで会場を後にしました。

藤田嗣治~手しごとの家

遅い夏休みをとってパリに8日間行ってまいりました。
ある日・・・箱根のポーラ美術館に「藤田嗣治展」を見にゆきました。
そこで知った「藤田嗣治・手しごとの家」(林 洋子)
藤田の絵画に魅せられたのはいつのころでしょうか・・・。
広島美術館の「裸婦と猫」だったように思います。
今回の箱根での展覧会では「人間・藤田」が感じられ3度も見に行きました。
そこで新しい藤田嗣治に出逢えたのです。
ずい分前にフランス国立近代美術館で見た「カフェにて」は強烈な印象を受けました。日本を去り、フランス国籍を取得し晩年を小さな田舎町で暮らした藤田嗣治・レオナール・フジタ。その藤田の生涯を想うとき、彼ほど暮らしを豊かに、充実させ自ら「手しごと」にこだわった人はいないと思いました。


今回の旅では、パリの下町ラ・モット・ピケ・グルネルにアパートを借り、自炊をしながらの旅でした。日曜の朝、アパートに着きすぐに近くのマルシェで、ハム・野菜・果物を買い近くのスーパーでワイン(赤・白)2本、そしてパンなどを買ってスタートしたパリ。


翌朝、最初に向かったのが”サンジェルマン・アン・レー”
パリから30分ほどの丘。
セーヌの流れとパリが一望できる場所です。
ルイ14世生誕の地。
城や庭園そして続く公園。
この国を終の棲家とした藤田嗣治に想いを馳せました。


そして、向かった先、郊外にある藤田晩年の旧宅・「メゾン・アトリエ・フジタ」
エソンンヌ県の小さな村ヴィリエ・ル・バクル。
迎えてくれた猫からもうフジタの世界がはじまります。
足元に咲く可憐な花。
「ここをどうして知ったのですか?」・・・県の担当係員。
この建物は藤田が死の直前まで君代夫人と暮らした家。
ポーラ美術館で「藤田嗣治の手しごと」で知りました、と答えました。
今は県に寄贈された家をまもる女性が丁寧に案内してくださいました。
けっして大きくはない家、むしろ想像していた家よりはるかに小さな家でした。
表通りからは2層、庭に回ると地下がキッチンに改装されアトリエのある3層建の家。
そのインテリアの多くが本人の手による作品です。
キッチンの下の棚には当時めずらしかった日本の炊飯器。となりには食堂。吊るしてあるランプや棚や陶器などなど。階段をのぼると居間には手づくりのクッション、そして寝室のベットカヴァーも彼の手によるもの。
壁にかけられた画家自身による小作品のかずかず。
最後に藤田のアトリエを目の前にして言葉を失いました。
“美しい”
画材、ミシン、壁に描かれた絵画。
全ての品々には藤田の愛したモノたちが居心地よさそうに存在しています。

空き家となった石造りの農家を1年以上かけて改装して住んだ古い民家。
私の住む箱根の家も古い農家を改装して住みつずけています。
2011年はたくさんのことを考えさせられる年です。
アパートの窓からはエッフェル塔やモンマルトルの丘が遠くに見えました。
今年は『祈りの年』・・・そんなことを考えながらのパリ滞在でした。