「須賀敦子の世界展」を見に神奈川近大文学館に行ってまいりました。
横浜からみなとみらい線に乗り元町駅下車、アメリカ公園を抜け、外国人墓地を見ながら海の見える丘公園へ。公園から横浜港が一望できます。その先に文学館があります。
私が須賀敦子さんの文章に出逢ったのは2001年11月だったと記憶しております。「ミラノ 霧の風景」を手にとり「なんて美しい世界・文章・そしてご自分で歩かれ描いたミラノ、人々なの」と感動したことを鮮明に覚えています。今回はそんな須賀敦子さんの人生と文学を紹介する本格的な展覧会です。
1929年(昭和4年)生まれ。大家族に囲まれ、何不自由なく育った幼少期。野山を駆け回って過ごしたといわれます。大学卒業後パリ留学。そしてローマ留学。ご主人との出逢い、結婚、新たな家族、そして死別。1998年に69歳で死去。
「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞。61歳でのデビューです。
解説に大庭みな子さんが書かれています。
「今まで馴染みのない人の作品に、突然深い霧の中から見たことのない山肌が清々しく立ち現われたというようなものがあった。知識がすがすがしい感性をまとって立ち現われているといった魅力にうたれた」と。
私が初めてイタリアに行ったのが1962年11月、19歳のヨーロッパ一人旅でした。お金もなく南回りでまずローマへ。そしてアッシジ・フィレンツェ・ミラノへ。ミラノから日帰りでコモ湖までの列車の中からは霧が深く、幻想的な湖でした。「なんて、霧の深い国なの・・・」と多少のため息をもらしながら。その後も何度かイタリアを訪ねましたが、ミラノからモモという穀倉地帯の小さな村では「カエルのリゾット」が美味しくて・・・。でもやはり霧が深かったです。今はそうでもないようですが、11月は霧が出るため欠航便がでます。
そんな私の旅と須賀さんの文章が重なり、今まで生きてきた自分自身と出逢った気がしました。翻訳家としても素晴らしいお仕事をなさり、私は今回はじめて「コルシア書店の仲間たち」を読んでいます。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた小さな本屋さんに迎い入れられ、人々との交流を描いたエッセイ。どの人物も魅力的です。何だかわかりませんが、熱いものが溢れてきます。
そんな須賀敦子さんに生前にお逢いしたかった・・・。
でもわかりました、今回の展覧会で。
手紙の文字の美しさ。戦時下に青春を送った人の学問への飢え、夫との別れ、そして仲間達との強い絆。
「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いまも
あの霧が静かに流れている」
会場には写真、手紙などを熱心に目をこらして眺める人たちが大勢いらっしゃいました。ファンが多いのですね。人はそれぞれ孤独の中にいます。その孤独は私が初めて旅をしたミラノでは理解できなかったことを教えてくれる・・・そんな展覧会でした。
11月24日まで。


















