ミラノ 霧の風景

「須賀敦子の世界展」を見に神奈川近大文学館に行ってまいりました。


横浜からみなとみらい線に乗り元町駅下車、アメリカ公園を抜け、外国人墓地を見ながら海の見える丘公園へ。公園から横浜港が一望できます。その先に文学館があります。


私が須賀敦子さんの文章に出逢ったのは2001年11月だったと記憶しております。「ミラノ 霧の風景」を手にとり「なんて美しい世界・文章・そしてご自分で歩かれ描いたミラノ、人々なの」と感動したことを鮮明に覚えています。今回はそんな須賀敦子さんの人生と文学を紹介する本格的な展覧会です。
1929年(昭和4年)生まれ。大家族に囲まれ、何不自由なく育った幼少期。野山を駆け回って過ごしたといわれます。大学卒業後パリ留学。そしてローマ留学。ご主人との出逢い、結婚、新たな家族、そして死別。1998年に69歳で死去。
「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞。61歳でのデビューです。
解説に大庭みな子さんが書かれています。
「今まで馴染みのない人の作品に、突然深い霧の中から見たことのない山肌が清々しく立ち現われたというようなものがあった。知識がすがすがしい感性をまとって立ち現われているといった魅力にうたれた」と。
私が初めてイタリアに行ったのが1962年11月、19歳のヨーロッパ一人旅でした。お金もなく南回りでまずローマへ。そしてアッシジ・フィレンツェ・ミラノへ。ミラノから日帰りでコモ湖までの列車の中からは霧が深く、幻想的な湖でした。「なんて、霧の深い国なの・・・」と多少のため息をもらしながら。その後も何度かイタリアを訪ねましたが、ミラノからモモという穀倉地帯の小さな村では「カエルのリゾット」が美味しくて・・・。でもやはり霧が深かったです。今はそうでもないようですが、11月は霧が出るため欠航便がでます。
そんな私の旅と須賀さんの文章が重なり、今まで生きてきた自分自身と出逢った気がしました。翻訳家としても素晴らしいお仕事をなさり、私は今回はじめて「コルシア書店の仲間たち」を読んでいます。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた小さな本屋さんに迎い入れられ、人々との交流を描いたエッセイ。どの人物も魅力的です。何だかわかりませんが、熱いものが溢れてきます。
そんな須賀敦子さんに生前にお逢いしたかった・・・。
でもわかりました、今回の展覧会で。
手紙の文字の美しさ。戦時下に青春を送った人の学問への飢え、夫との別れ、そして仲間達との強い絆。
「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いまも
あの霧が静かに流れている」
会場には写真、手紙などを熱心に目をこらして眺める人たちが大勢いらっしゃいました。ファンが多いのですね。人はそれぞれ孤独の中にいます。その孤独は私が初めて旅をしたミラノでは理解できなかったことを教えてくれる・・・そんな展覧会でした。
11月24日まで。

お散歩付きヨガとインドスパイスランチ in 箱根

箱根の仲秋から晩秋へとかけての季節はもっとも美しい私の好きな季節です。そろそろ朝夕は、吐く息も白くなります。紅葉の最盛期は11月上旬。箱根は全山紅く染まります。上からだんだん染まって山を下り、下の湯本付近に下りた頃、上では落葉が始まります。
先日富士は初冠雪でそれはそれは美しかったです。一年中で山歩きに最も快適な季節です。散策をしながら、自然の豊かさを体ごと感じ、マイナスイオンをたっぷり吸い込みながらのヨガ、そして体にやさしいインドのスパイスランチでこれからやってくる冬に向けて体のメンテナンスをしましょう!という企画が「箱根やまぼうし・森から海へ」主催で行なわれました。


私も参加しました。まず皆さん元箱根で集合。ヨガの先生のご案内で樹齢400年を超える神秘的な杉並木を歩きます。旅人を守ってくれた杉並木。夏には暑さをさけ冬には寒風を防ぎ、旅人には休息の場として、今では四・五メートルもある巨木。かつては東海道沿いにもっと長く続いていましたが、いまでは芦ノ湖湖畔に残るものだけになってしまいました。足元にはまだアジサイが可憐に咲いています。老化が目立ち始めた杉並木、大切に守らなければ・・・と思いました。我が家の子供たちは、この杉並木を毎日学校に歩いて通っていました。35年近く前のことです。


そこから二百階段を上り恩賜箱根公園へと向かいます。芦ノ湖に突き出た半島が恩賜箱根公園です。半島全体が一つの小山のようになっていて、私の朝の山歩きのスポットでもあります。頂上からは芦ノ湖の水面、緑の外輪。そしてお天気がよければ富士山が絵のように眺められます。その頂上でヨガマットを敷いて約40分のレッスン。森公子先生の静かで心地よい指導のもと体を伸ばし、深い呼吸をします。秋の太陽が体を温めてくれます。無理のないヨガ。心身がリラックスし気持ちの良いこと。お仲間の顔も幸せそうです。園内の林にはウグイス、ホオジロ、シジュウカラ、コガラなど、夏にはキビタキ、クロツムギ、ホトトギスなど、冬にはオシドリ、マガモ、、コガモなどの渡り鳥がやってきます。ハコネバラ(サンショウバラ)、ツツジなど手入れの行き届いた公園は私のオアシス。


ヨガを終え公園を後にし我が家「やまぼうし」へと20分ほど歩きます。到着すると家中にスパイスのいい香り。秋から冬にかけてはアグニ(消化力)が強くなり食欲が増えやすい時期、とスパイス講座講師のミシュラ・京子先生はおっしゃいます。繊維質を摂り消化を助けるスパイス、冷えから守り体を温かくしてくれる根野菜野菜やスパイスを活用して上手にバランスをとりましょうね!と教えてくださいます。京子先生は東京生まれ。様々な国へのひとり旅を経てインド人とご結婚。インド・ボンベイへ渡り毎日がカルチャーショックな生活だったといいます。現在は生活の場を日本に移しておられます。前の日から泊まりがけでの下ごしらえ。デモンストレーションとスパイス講座。フレッシュなスパイスって香りがぜんぜん違うのですね。医食同源ではないですが、理にかなった食べものです。

~ランチメニュ~
・サフランライス(サフランとナッツで見た目もあたたか)
【香りのスパイスはクミンシード】
・里芋のドライカレー
【香りのスパイスはクミンシード・アジワインシード、ターメリック、チリ、コリアンダー ガラムマサラ】
・レンコンのコフタカレー~すりおろしたレンコンにベースン(ひよこ豆)、ガラムマサラ、コリアンダーが絶妙な味。
・大根のカチュンバ~マスタードシードとグリーンチリ(ししとう)、チリパウダー
・最後はインド式のチャイ~カルダモン、シナモンパウダー、ジンジャー、たっぷりの牛乳(豆乳でも)
昔、インド通いをしていたころ、列車で旅をしていると列車が構内に入ると「チャイ・チャイ!」と子どもが素焼の器に作りたての熱いチャイを売りに来てくれ、そのチャイの美味しかったこと。旅の疲れがいっぺんに飛んでしまいます。懐かしい思い出です。
野菜だけのインドカレー。美味しい!美味しい!と 皆さんおかわり。私も2回もおかわりしてしまいました。箱根の豊かな自然の中で仲間と語り合い・ヨガをして、体にやさしいカレーをいただき幸せな一日でした。来年も季節ごとにこんな会を企画たててのんびりしたいです。その時にはご参加ください。
~心も身体ものんびりリラックスな一日~でした。

露木清高展『箱根寄木細工の伝統と未来』


皆さまは箱根寄木細工、というとどのようなイメージをおもちになられますか?
「お土産屋さんで見かける箱や手鏡」などでしょうか。
たしかに素晴らしい箱もございます。
露木木工所・3代目の清勝さんのつくられる箱もの、また清勝さんのお爺さまの清吉さんの「市松寄木伸縮式文机」の素晴らしさは思わずため息が出てしまうほほどのものです。
平安の昔、都から木地師たちは小田原を木地引きの里と定め仕事をはじめたそうです。それだけ箱根・小田原地域の自然が豊かだったということですね。
常に伝統を踏まえながらもその時代に合った新しいモノ作りへの精神は、四代目の清高さんにしっかりと受け継がれています。
私は驚きました。
以前ラリック美術館で清高さんの作品とルネ・ラリックのコラボレーションがありました。その作品を拝見したときに『ラリックは箱根寄木細工を見ていたのに違いない!』と思うほど影響を受けていました。
今回の清高さんの作品はさらに進化しています。
「伝統と未来」を感じ、日常の暮らしの中に取り入れていただきたいと思います。紅葉の深まる箱根の森にぜひご覧においでください。帯留とかんざし、テーブル、トレイなどきっと暮らしを豊かにしてくれるはずです。
お越しをお待ち申し上げております。
http://www.mies-living.jp/events/2014/yosegi.html

『50歳からの勉強法』童門冬二さん

50歳からの勉強法』   童門冬二
 「死して朽ちない」ために何をまなぶか
    第一章 柔軟で、型にはまらない勉強法
    第二章 頭をやわらかく、心をゆたかにする思考法
    第三章 人生の余白を広げる学び方
    第四章 「終身現役、一生勉強」の行き方を貫く
童門冬二さんは、1927年、東京のお生まれ。
今年86歳。明後日19日に87歳を迎えられます。
人生の先輩に失礼ですが、「なんてチャーミングな方なの」がお会いしての第一印象です。お顔もツヤツヤ、包容力のある笑顔。1944年、海軍・土浦航空隊に入隊し、特攻隊志願。終戦後、東京都庁に勤務し東京都立大学・事務長、知事秘書などを歴任。1979年、美濃部都知事の退任とともに都庁を去り、作家活動に専念。「小説 上杉鷹算山」「小説 西郷隆盛」、「戦国武将に学ぶ、危機対応学」など、数多くの著書があります。今の視点から歴史をとらえ直し、組織のありかたや人材育成をテーマに、これまで多くの読者の心をつかんできました。
それにしても、お元気です!
朝は4時ころ起床。7時まで新聞やテレビ、朝食。その間に30分ほど散歩にでる。執筆は午前中。ナント「休肝日」はないそうです。・・・よかった!私がそうですから。そして「ここが私の書斎でございますとおさまりかえるには、どうも、ぼくという人間は俗気がありすぎるようで、ぼくは家の外のあちこちに「書斎」をもっていて、そこがぼくの勉強法にとって書斎以上の位置をしめています。」とおっしゃいます。
「電車やタクシーの中など世間のあちこちに学びの場所はあります。そして、駅の売店で新聞や週刊誌などたくさん買い込み、勝手知ったる行きつけの飲食店に行き、そこでかなりの長い時間飲み食いをしながら情報収集。気になったとこはビリビリ・・・と破きあとは店に寄付(笑)です。わっはは」・・・いいですね、こういうの。
つまり「学びの姿勢は自由でいい」、「教科書は世間にある」、「孤独を覚悟せよ」 そして「おのれの精神活動を時計ごときにしきらせるな」、「やりたくないことから真っ先に手をつけよ」・・・そうですね!
「怒りは身の毒、腹がたったら一日置け」と。「でも腹がたち一日置いても治まらないことはないのですか?」と私。「そういう時はオールナイト上映を見て、ビジネスホテルに泊まり一人格闘技などをして狂気を放出します、わっはは。」そうですよね、そうでなければ30年近く都庁のお仕事、知事秘書なんて勤まりませんでしたよね。 映画大好き、落語ファン、人間への深い愛情、洞察力はまるで落語の高座をきいているような心地よいひとときでした。そして、「50歳からは人間関係の絞込みをおこなうべし」には大きく頷き70歳の私は10代にかえったような気分になりました。
童門さんにはラジオへのご出演をいただきました。
本を、そしてラジオを是非お聴きください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時まで。
放送は10月26日です。


アンティークフェアーIN新宿

10月10日(金)から12日(日)までの3日間、アンティークフェアが新
宿で開催されます。
娘の鎌倉のショップ「FLORAL」(フローラル)も初めて出店いたします。
FLORALは小さなスペースですが、西洋アンティークから和骨董まで、160もの店舗が出店するそうです。とても楽しそうなので、これから私も店番をかねて行ってみようと思います。今日(10日)はお昼ごろから夕方まで。明日(11日)はお昼頃数時間行く予定です。フローラルはエリア「B」だそうです。
私がアンティークに目覚めたのはいつの頃からでしょうか。
「なぜ骨董がすきなのですか?民芸に惹かれるのですか?」
これまで多くの方から尋ねられました。
私は骨董だからいいとか、民芸だから好きとか、思いこんでいるわけではあ
りません。ただ、私が「いいなあ」とため息をついたり、ちょっと無理してで
もほしいと思うものが、アンティークだったり民芸のものだったりすることが多
いのです。
でも考えてみると、ものが長い年月を、生まれたときの形を保ちながらいきつづけているということは、小さな奇跡ではないでしょうか。そのものに、人を魅了する力があったから、たいせつに丁寧に、グラス・器なら器が人から人へと伝えられてきたのではないかしら。そんなふうに思います。
気が向いたら覗いてみてください。
その前に「FLORAL」のブログをご覧ください。
新宿でお逢いできたら嬉しいです。
http://blog.floral-antiques.jp/

日本酒で乾杯

10月1日、「日本酒で乾杯推進会議」が明治記念館で開催されそのフォーラムに私も出席させていただきました。
テーマは『和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~』です。


基調講演は西村幸夫氏(東京大学副学長)、テーマは「世界文化遺産と無形文化遺産のこれまでとこれから」でした。大変興味深く、世界の文化遺産の知らない世界のお話を聴かせていただきました。
パネルディスカッションのテーマは「祭りと酒菜」。料亭「青柳」のご主人、小山裕久氏と京都大学大学院農学研究科教授の伏木亨氏。コーディネータは民俗学者の神埼宣武氏。そうそうたる方々ですが「和食と日本酒」について楽しく分かりやすいお話でした。
そもそも、この推進会議は私たち”最近のニッポン人には日本が足りない”、”多くの心ある日本人は今日の日本、明日の日本に危惧の念をいだいているのではないか・・・”ということで日本酒造組合中央会を中心に「100人委員会」が10年前に発足しました。各界の方々が参加し、日本文化や良き伝統を守りたい・・・という思いで生まれました。
日本酒は美味しく飲む前にまず、神仏にお供えします。そこから始まる文化ですよね。日本の四季の行事には、やはり日本酒は欠かせません。そういう意味で日本酒は非常に身近であるのと同時に、特別なお酒だという思いが私の中にはあります。だからでしょうか、私は日本酒をいただきながら、「人々の祈り」たとえば「人々の幸福を願ったり」「人とのつながりを大切にしたい」といった「美しい」心みたいなものを一緒に味わっているような気がすることがあります。こんなお酒はほかにはありません。
私が日本酒をたしなむようになったのは民藝の柳宗悦先生の考え方に憧れ、先生の足跡を追うようになった頃からです。美しい暮らしの道具が見られるのは地方が多くお酒の場のお誘いをいただくようになりました。共にお酒をいただくことで、人は非常に親しくなれることを知りました。そのお宅のおばあちゃんがナスやキュウリの漬物をどんぶりにどっさりだしてくれるんですけど、ほんとうに美味しい!こういう酒の肴が最高です。
それから強く印象に残っているのは、30歳のころ、女性6~7人でで金沢を旅して芸者さんにも来ていただいて(女性割引!があるのですよ(笑))踊りやお三味線、笛などをそのお座敷で聞きながら、懐石料理と日本酒をいただきました。日本酒の作法といいましょうか、飲み方の美しさを、そのときに学びました。以来、人と親しく交わり、美しくいただく。それが私の憧れる日本酒の飲み方となりました。
「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。日本人の食生活も大きく変化してきました。日本では、世界中の料理、お酒を飲むことができます。そこでもう一度『國酒』としての日本酒を考えてもいいかもしれませんね。日本の風土の恵みの米と水でつくられているお酒。「地産地消」そのものですものね。日本酒の海外への輸出も増えているそうですが、それは「日本文化」の輸出でもあります。
女性も日本酒を粋に飲んでみませんか。
シャンパン・ビールで乾杯も素敵ですが「日本酒で乾杯!」なんてお洒落ですよね。皆さんのお話を伺いながら、あらためて「和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~」を考えました。

『柳家小三治独演会』

箱根の山から小田原~東京~上野、そして三ノ輪。
サンパール荒川の大ホールに落語を聴きに行ってまいりました。
ネットで必死に取って手に入れた貴重な一枚。今回はなんと前から2番目、端の席でしたが師匠の表情がよく拝見できます。私、浜美枝は落語家の柳家小三治師匠のおっかけに夢中です。「もう恋なのかもしれない」と想うほどの”ときめき”です。
15年ほど前でしょうか、友人に誘われて師匠の高座を拝見したとたんに、胸がときめきました。この年で出会えるとは思いませんでした。新宿末廣亭、上野の鈴本演芸場の高座に上がられるときにはもちろん、独演会にも駆けつけます。人間国宝になられても、あの飄々とした語り口、何ともいえない可笑しみ、師匠がまくらを語りはじめるともう舞台の上には『柳家小三治の世界』が広がります。
24日は「え~又聞きの又聞きのそのまた又聞きの話によるとですね、2050年の世界はえらく変わるそうですよ」からはじまり、目覚まし時計の話、師匠の暮らしぶりから見えてくるさり気ない日常。とにかくワクワクするおかしさ・・・。
会場のファンは古典落語はもちろんですが、この”まくら”も大きな魅力のひとつなのです。いったいいつお考えになるのかしら、と思っていると「何にも考えちゃ~いませんよ、本当に思ったことをこうしておしゃべりしているだけです」と。
そして師匠が落語を話し始めると、登場人物のもつ空気感というものまでじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。高座が進むうちに、こちらもどんどんのめり込んでいき、気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・そして師匠の扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも胸がキュンとしたりして。落語のハつぁん、熊さんの世界は今の時代には貴重ですし、必要なのかも知れませんね。今回の演目は 「小言念仏」と「転宅」でした。
同じようにして山に戻り、しばらくはその余韻に浸り眠りにつきました。
至福の夜でした。

仕事帰りの寄り道 美術館

いつもより早く仕事が終わったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。

(自由国民社「仕事帰りの寄り道 美術館」 プロローグより)
そうですね、私はお気にいりの美術館をいくつも心の中のリストに持っています。ちょっと疲れたとき、何となく鬱々しているとき、美術館の建築をみたいとき、美術館にはオシャレなカフェも併設されていて、ときにはそこでお茶をいただくときも。
私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のような存在が美術館です。素敵な本に出会いました。
それが「仕事帰りの寄り道美術館」です。
たしかに、この20年近くで街にはアートがあふれ身近な存在になりました。
大きな展覧会だけではなく日常的にアートにふれる機会ができました。だから・・・ふらっと寄り道がしやすくなりました。この本には東京の美術館がエリアごとに写真とイラストマップ付きで掲載されています。カフェの情報も素敵です。仕事、仕事、仕事・・・そんな日常、隠れ家的なアートスペースから、明治期のオフィスビルが復元された展示室、新しい才能を発掘しつづける美術館など等、満載です。
つい先日気になっていた展覧会に仕事を早めに終えて娘と一緒に丸の内にある「三菱一号館美術館」に行ってきました。


ここの素晴らしいところは、作品との距離が近く、じっくり作品と向き合えるところ、明治の建築が素晴らしく建物、廊下、鉄筋階段、天井など、まるで個人の館に招かれたよう。
9月23日で終わってしまう『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』です。
1865年ローザンヌで生まれ、一時期フランスに帰化し、「アンダーグランドのスイス人」ともいわれ、20年ほど前にブリジストン美術館で版画作品を観て感動したことを覚えています。けっして、広く知られてはいませんが、今回のこれほど大きな回顧展は日本で始めてです。しかも「三菱一号館美術館」での開催はもっともふさわしい場所のような気がいたします。絵の感想は申し上げません。ただ本にあるように「仕事帰りの寄り道」にはふさわしい美術館です。なぜって、アートの余韻をたっぷり楽しめるカフェがあるからです。


クラシカルな雰囲気の中で、明治時代のハイカラ文化も味わえ、私は”白ワインとナポリタン”をいただきました。陽が落ちての中庭のライトアップも素敵でした。心がとても豊かになりました。


ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」に出版社・自由国民社の徳田祐子さんにご出演いただき企画された意図などお話を伺いました。
『夕方の美術館は、自分を見つめる場所かもしれませんね』というお話が印象てきでした。
放送は文化放送・9月21日(日曜・10時半~11時)
「浜 美枝のいつかあなたと」


鍋島段通展


300年の歴史を誇る鍋島段通。
かつて江戸時代は鍋島藩の御用品として徳川将軍家にも献上されていた日本の伝統工芸の段通。
9月27日(土)~10月3日(金)まで我が家の「箱根やまぼうし」で展覧会を開催いたします。
囲炉裏の間、玄関、座敷に鍋島段通が敷かれると、その織の確かな技術とともに、手ざわりのよさ、温もり、毛足の長い柔らかな風合い、その図案の素晴らしさに魅了させられます。
伝統のもつ豊かさを実感し、どんな思いで織られているのかしら・・・と想像します。
日常の暮らしに優しさや華やぎ、そして日本の美を感じさせてくれます。
秋の夜長、こんな素晴らしい段通に座り、静かに響く虫の音を聞きながら一献!なんて素敵でしょうね。
9月27日には鍋島段通の創り手・吉島伸一さんとのギャラリートークもございます。作品に込めた思いをたっぷりと聞かせていただきます。
ぜひお越しくださいませ。
お待ち申し上げております。
http://www.mies-living.jp/events/2014/dantsu.html

湯布院映画祭

先日、大分県湯布院で『第39回湯布院映画祭』が開催され行ってまいりました。「東宝映画特集」でした。


かつて助監督で活躍され、その後湯布院に戻られ、お父さまの跡を継がれ名旅館「亀の井別荘」のご主人として、また町づくりの中心的存在で活躍された中谷健太郎さんからご案内状が送られてきました。東宝の60年代から70年代の映画19本が上映されるとのこと。「懐かしい・・・行ってみたいわ」と思いました。60年安保、ヌーベルバーグの嵐。
私は、10代の終わりから20代半ばにかけての7年間に、「日本一のホラ吹き男」「ホラ吹き太閤記」「日本一のゴマすり男」など14本の映画に、植木等さんの相手役としてご一緒させていただきました。前夜際では広場にシートを敷いて、湯布院駅前に大きなスクリーンを設置して・・・映画を観る。”懐かしいわ~”皆さんご記憶にありますか?野原の大きなスクリーンを座り込んで観た映画。私は多分「路傍の石」だったと記憶しております。その前夜祭で「日本一のホラ吹き男」が上映されました。
暗くなってから8時スタート。
周りの商店街では上映に協力し全ての照明を消してくださいます。
「映画館のない町、湯布院」での映画祭。皆さん町のボランティアの方々で運営されています。素晴らしいですね。60年代、70年代・・・60年安保を撮影所の食堂で見つめていたり、ヌーベルバーグの嵐、等など。50年前の自分自身に対面しました。映像というのは、時空を超えるものなのですね。
実はあのころの私は、いつも居心地の悪さを感じていたのです。演技の勉強をしたわけでもなく、女優志願でもなく、スカウトされるまま映画に出ることになってしまって、これで私はいいのか、私がいるべき場所はここではないのではないか・・・。けれど、画面の中の私は、そんな愁いのようなものは全く感じさせず、つたない演技を、ぴちぴち弾けるような若さで補って輝いていました。あのころの私も、精一杯頑張っていたんだなぁと胸が熱くなりました。そんな風に若かった自分をいとしく思ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。約半世紀という時間のおかげで、ようやく客観的になれたのかもしれないと思います。
ばかばかしいといわれればそれまでですけれど、人のかわいさ、おかしさをお客さまも喜んでくださり、映画を観ながらお腹を抱えて大声で笑ったりできる時代でした。無我夢中で生きたあの頃に胸が熱くなりました。「せっかくですから、シンポジュームにゲストとして出てください」と、事務局からのお誘いに、同時代を一緒に映画作りをした監督やシナリオライターの方、中谷さんとお話をさせていただきました。公民館のホールには全国から映画好きの方々が会場をうめて和やかな一日でした。


翌日は仲代達矢さんもお越しになられました。早朝には宿屋の周り金鱗湖や裏道などを散策し、幸せをかみしめました。


ボランティアの方々が湯布院駅に見送りに来てくださいました。
湯布院の皆さま”ありがとうございました”
私の『追憶の旅』はこうして終わり帰路につきました。


【お知らせ】
先週のお伝えした「徹子の部屋」は9月25日の放送になりました。
ぜひご覧下さいませ。