希望を照らしてくれるもの

能登半島の地震から5か月がたとうとしています。復興に向けた歩みは始まっているものの、倒壊家屋の解体などは緒に就いたばかりで、今でも、大勢の方々が避難所で暮らしていらっしゃいます。

当たり前にあると思っていた普通の暮らしが、どんなにかけがえのないものであるか。そして、いかにたやすく奪われるものであるか。この間、深く感じさせられました。

能登だけではありません。世界に目をはせれば、ウクライナやパレスチナでは戦いが続いています。爆発物を積んだドローン、そうした無人兵器が引き起こす爆発、奪われていく命……死者何人と数えられるひとりひとりに名前があること、愛する家族や友人との現在と未来が永遠に奪われていく重さと非道さに、胸が痛んでなりません。

「どのようにささやかな人生でも、
それぞれがみずからのいのちを、
精いっぱいに生きるものは、
やはりすばらしいことである。
生きるということは何か
いろいろの意味があるのだろうが、
一人一人にとっては
その可能性の限界をためしてみるような
生き方をすることではないかと思う」

(宮本常一著『民俗学の旅』より)

宮本さんのこうしたまなざしが、今こそ、求められているのではないでしょうか。

役者・坂本長利さんは、宮本さんのこの言葉を愛したひとりでした。

私と坂本さんは、大切にしているものが同じだったからでしょうか、魂が触れ合うような、心に染みる時間を重ね、長年にわたり、よきおつきあいを続けさせていただきましたが、残念なことに、先日、94歳で旅立たれました。

「一本の蝋燭が灯る舞台に、かすかな水音、祭囃子、御詠歌が重なり、やがて薦をかぶった老人があらわれ、閉じられた目を静かに客席に向ける――坂本長利さんの独演劇『土佐源氏』を初めて拝見した時の驚きを、今も鮮やかに覚えています。親の顔も知らず、一人で生きて来た馬喰の悲しみ、切なさ、やさしさ、喜びが幾重にも重なり、心を激しくゆさぶる感動の名演でした。

『土佐源氏』は私の敬愛する民族学者・宮本常一先生の著書『忘れられた日本人』の中に収められた、高知の元馬喰から聞き取った話をもとにしているというご縁で、以来、坂本さんとのおつきあいが始まりました。

坂本さんは38歳から、この作品を演じられ、モデルになった男性の80歳という年齢を超え、ようやく落ち着いてやれるようになったとおっしゃるような、根っからの役者でした。おしゃれで、コムデギャルソンを着こなし、さりげなく色香を漂わせるダンディーな男性でもありました。

「浜さん、箱根のこの家、素晴らしいですね。宮本常一先生に影響を受けて建てたこの家の広間で、『土佐源氏』をやってみたらどうだろう。何か新しいものが生まれるかもしれない」

我が家においでくださったとき、坂本さんはそうおっしゃり、意気投合し、私もその日を心待ちにしておりました。コロナのためにそれが実現しなかったことが残念でなりません。

「元気で100歳を迎えられたら、這ってでも『土佐源氏』をやりたいんです」

ともおっしゃり、毎朝、木刀を100回振って、身体を鍛えていた坂本さん。

今は宮本先生と土佐源氏の話をなさっているのでしょうか。そちらでも、民の生きざまを演じていらっしゃるでしょうか。

強靭な役者魂と、土に生きる人々へ温かいまなざしの持ち主であった坂本さんとの、長年のおつきあいに心から感謝いたします」(坂本長利さんを『偲ぶ会』に寄せて、寄稿)

能登の人々の営み、育んできた豊かな文化を、これからも私なりに見つめていきたいと思います。同時に、戦いで傷つく人がなくなるようにと願い続けていきます。その内なる希望を、宮本さんの言葉が、どんなときもそっと励まし、照らしてくれるような気がしています。

箱根の山は、真っ白なヤマボウシの花でふんわりとおおわれる初夏を迎えました。

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