先日、大分県湯布院で『第39回湯布院映画祭』が開催され行ってまいりました。「東宝映画特集」でした。
かつて助監督で活躍され、その後湯布院に戻られ、お父さまの跡を継がれ名旅館「亀の井別荘」のご主人として、また町づくりの中心的存在で活躍された中谷健太郎さんからご案内状が送られてきました。東宝の60年代から70年代の映画19本が上映されるとのこと。「懐かしい・・・行ってみたいわ」と思いました。60年安保、ヌーベルバーグの嵐。
私は、10代の終わりから20代半ばにかけての7年間に、「日本一のホラ吹き男」「ホラ吹き太閤記」「日本一のゴマすり男」など14本の映画に、植木等さんの相手役としてご一緒させていただきました。前夜際では広場にシートを敷いて、湯布院駅前に大きなスクリーンを設置して・・・映画を観る。”懐かしいわ~”皆さんご記憶にありますか?野原の大きなスクリーンを座り込んで観た映画。私は多分「路傍の石」だったと記憶しております。その前夜祭で「日本一のホラ吹き男」が上映されました。
暗くなってから8時スタート。
周りの商店街では上映に協力し全ての照明を消してくださいます。
「映画館のない町、湯布院」での映画祭。皆さん町のボランティアの方々で運営されています。素晴らしいですね。60年代、70年代・・・60年安保を撮影所の食堂で見つめていたり、ヌーベルバーグの嵐、等など。50年前の自分自身に対面しました。映像というのは、時空を超えるものなのですね。
実はあのころの私は、いつも居心地の悪さを感じていたのです。演技の勉強をしたわけでもなく、女優志願でもなく、スカウトされるまま映画に出ることになってしまって、これで私はいいのか、私がいるべき場所はここではないのではないか・・・。けれど、画面の中の私は、そんな愁いのようなものは全く感じさせず、つたない演技を、ぴちぴち弾けるような若さで補って輝いていました。あのころの私も、精一杯頑張っていたんだなぁと胸が熱くなりました。そんな風に若かった自分をいとしく思ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。約半世紀という時間のおかげで、ようやく客観的になれたのかもしれないと思います。
ばかばかしいといわれればそれまでですけれど、人のかわいさ、おかしさをお客さまも喜んでくださり、映画を観ながらお腹を抱えて大声で笑ったりできる時代でした。無我夢中で生きたあの頃に胸が熱くなりました。「せっかくですから、シンポジュームにゲストとして出てください」と、事務局からのお誘いに、同時代を一緒に映画作りをした監督やシナリオライターの方、中谷さんとお話をさせていただきました。公民館のホールには全国から映画好きの方々が会場をうめて和やかな一日でした。
翌日は仲代達矢さんもお越しになられました。早朝には宿屋の周り金鱗湖や裏道などを散策し、幸せをかみしめました。
ボランティアの方々が湯布院駅に見送りに来てくださいました。
湯布院の皆さま”ありがとうございました”
私の『追憶の旅』はこうして終わり帰路につきました。
【お知らせ】
先週のお伝えした「徹子の部屋」は9月25日の放送になりました。
ぜひご覧下さいませ。
湯布院いい街ですよね、訪ねてから大分年がたってしまいました。この地にふさわしい、映画祭ましてや浜さんも見えて皆さんお喜びになったことでしょう当時は映画が唯一の娯楽私も同年代としては映画を楽しんだ一人です、徹子の部屋楽しみにしています
中沢良子さま
湯布院は落ち着いた良い街ですね。
町民が一体となりあらゆる文化の発信をしておりますね。
良子さまも同世代でしょうか・・・。映画が唯一の娯楽だった
子ども時代を思い出し、また映画は私自身の青春でもありました。
ブログへの投稿ありがとうございました。
浜美枝
今年の湯布院映画祭のゲストは浜美枝さんでしたか、
僕も参加したかったあ。(以前は毎年、参加していたのですが)
ブログのお写真を見るといつまでもお綺麗ですね。
この前、TSUTAYAで成瀬巳喜男監督の「乱れ雲」を見たのですが、
ショートカットが似合ってて、浜さんって本当に綺麗ですね。
東映の女優さんが和の顔に対して、東宝の女優さんは洋の顔って
感じがします。
個人的には「青島要塞爆撃命令」の浜さんが好きで
キュートな魅力が出ててよかったです。
中島ノリヒコさま
ブログへの投稿ありがとうございました。
湯布院映画祭のメインゲストは仲代達矢さんでした。
私はブログへも書きましたが、「青春時代の追憶」の旅でした。
始めて参加した湯布院映画祭。町の方々が熱心に映画を愛して
いらっしゃるのには胸が熱くなりました。
「乱れ雲」は私も好きな映画でした。
どうぞお元気で。
浜美枝