台所という響きに、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
料理や笑顔が生まれる場所、あるいは見られたくないという人もいるかもしれませんね。
東京の台所
台所の数だけ、人生がある。
お勝手から見えてきた、50人の食と日常をめぐる物語。
朝日新聞ウエヴマガジン「&W」で大人気連載が書籍化されました。
収納の工夫・料理道具・便利食材・・・などどれも魅力的です。
著者の大平一枝さんにラジオのゲストとしてお越しいただきました。
どこか昭和の香りのする台所。
作家でエッセイストの大平さんは長野のお生まれ。編集プロダクションを経て、1995年、ライターとして独立なさいました。女性誌などを中心に、大量生産・大量消費社会とは対極に生きる人々のライフスタイルや人物ルポを執筆。
著書も多く、「もうビニール傘は買わない」「日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ」など多数。
若いカップルから高齢者の暮らし。東京暮らしは楽しさだけではなく、孤独もつきまとうとか。ある75歳の女性から言われたそうです。
「豊かな孤独は大事。でも孤立はだめ。とくに年寄りにはね。」
私も我が家の台所を思い出しました。
下町の亀戸でダンボールの箱を作るささやかな工場を営んでいた我が家。父は出征し、空襲の続く下町で、乳飲み子の私と兄、祖母。戦火がはげしくなり、人々がどんどん疎開を始め、私たち親子も神奈川の長屋へと疎開し、工場も全て失いました。
母は仕立ての仕事が忙しく、家事の多くを5~6歳の私が担いました。お米のとぎ方、かまどの火のこと、おかずの心配・・・貧乏のつらさにうちのめされそうになると、母は私に聞かせたものです。
「亡くなった女工さんたちの尊いいのちとひきかえに得たいのち、それが、あなたのいなちなのよ。大切にしなければ・・・・」
6畳一間と板の間。かまど、水道は外の共同水道。みんなの台所を預かることは誇らしく、一日30円の生活費。それを上手にやりくりし、家族で囲むちゃぶ台での食事は幸せでした。
でも、今でも記憶に残る不思議な思いでがあります。夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減みていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいとないたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみを、よく覚えているのです。その時は自覚はなかったけれど深い深い寂しさのようなもの。
夕方になって日が暮れて、お母さんはまだ帰らない。このこと自体、子どもには切ないものだけど、私はこのことより、炎の奥のほうにみたものに心が突き動かされたのです。後になって知る孤独感。かまどの火をみて泣いたという女性の話しを私はずいぶん聞いています。
ごはん焚き、湯わかし、風呂焚き。女の人はいつも火の前にすわりこんで、火に思いの丈を打ち明けているかのように丸く炎と対しています。火に語りかけています。
そんな時代の我が家の台所。お勝手。
現代はシステムキッチン。
明るくて美しくて・・・
この「東京の台所」を読み、お話を伺っていると何だか時代は変わっても、そこに「人間の匂い、営み」がみえてきて幼い頃の自分に出逢い、胸がキュンとしてきました。
放送日:7月5日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 10時半~11時
過日は素敵な時間をありがとうございました。寺島さんとともに、それぞれ深く読み込んでくださった様子が伝わり、大変感銘を受けました。番組も、ブログも、私には過分な言葉、大変嬉しく、今後の大きな励みになります!
かまどの火。炎との対話。ゆらめくそれを通して、ご自分自身や来し方行く道を内観していたのかもしれないですね。きっと便利で安全なIHにはない貴重で、静謐な時間。戦争や生活の哀しみを、お勝手から語ることもがでくるのだな、と書き手として学ばせてもいただきました。
胸にせまる文章。改めて御礼申し上げます。
ネイルとブラウスが素敵でした! 白っていい色ですね。
楽しみに拝聴いたします。ありがとうございました。
大平一枝様
その節にはお世話になりました。
とても素敵なお話で、大切にしなければならないこと・・・が
とても深く理解できました。
私たちは多くのことを得た代わりに、とても大切なものを
失ってきました。人々の暮らしの中に当たり前のようにあった
文化や、自然の理にかなった習慣。
人々の心の拠りどころであったはずなのに・・・
そんなことを考えさせられるお話でした。
ありがとうございました。
”かまどの火” は私の原点なのかもしれません。
どうぞお元気でますますご活躍くださいませ。
浜 美枝
浜様
先日のやまぼうしでのイベントでは大変お世話になり有り難うございました。
かまどの話で私も思い出しました。母が勤めに出ていて、弟、3人、長女の私は母の代わりに食事の支度をしたり、かまどに付き切りでご飯を新聞紙だけで炊いた事がありました。その場から離れる事は出来ませんでした。
ちゃぶ台の下に、父が、「このお膳は、全て家族の事を見ています。~~~」と、書き貼ってありました。
学校から帰宅した時、台所の灯りが点いていると、母が戻ってきて
居るのだと、嬉しく思ったものでした
あれから、60年、色々の事が走馬灯のように思い出されました。
温かいご飯、弟達の笑顔、懐かしい日々、若き日の父母の顔。
「東京の台所」 読みたいと思います。 お忙しい中、お身体ご自愛下さいますように。
郁代
郁代さん
雨に洗われた庭の木々の緑が美しく風にそよいでおります。
ブログへの投稿、ありがとうございます。
そうですね・・・郁代さんとは同世代なので「台所」には様々な
思いでがございますね。
お父さまのちゃぶ台の裏に書かれた文章に、あの時代の懐かしさ
や、時代の厳しさ、でも家族の愛を感じますね。
幸せな子ども時代だったとおもいます。
”誰かに求められている、役にたっている”と思えるのは
子ども心に誇らしい気持ちになりましたものね。
10日ほど娘の買い付けに付き合って、イギリスの田舎を
周ってまいります。
暑い日も続きます。
御自愛くださいませ。
浜 美枝