「青春18きっぷ・ポスター紀行」  飛騨路への旅

待っていた一冊の本がやっと届きました。
JR「青春18きっぷ」ポスター紀行(講談社)
25年分のポスターが一挙に掲載!されているのです。
皆さんは旅をなさる時、もちろん新幹線や飛行機が多いでしょうね。
私も使いますが、時間が許せば普通列車でのんびり旅がいいですね。
とくに無人駅のようなローカル線に乗り、お互い旅人同士、目があい挨拶を交わす・・・列車がホームに入り、その列車もどこか遠くから旅してきたようなそんな感じ。駅や渡り廊下に貼ってあるポスターに旅情をかきたてられてずい分旅をしてきました。
青春18きっぷ
本を眺めていたら、高山本線も出てきました。


「そうだ、飛騨に行こう!」と思い立ち2泊3日で行ってまいりました。
小田原から名古屋までは新幹線で。そして高山本線で高山まで。沿線の景色をぼ~と眺めながら。7割は外国の方には驚きました。奥飛騨から乗鞍のほうまで足をのばすのでしょうか。


「円空さん」に逢いたくて、高山の街のはずれ車で20分ほどの千光寺に向かいます。旅先には宝ものがあります。その宝物に逢いに行く旅もあると思います。飛騨路の旅の宝物は円空さん。飛騨びとの心に住む円空仏は、まさに木から生まれた仏さま。人々はエンクさんエンクさんといって親しんでいます。
円空さんは1632年、岐阜の羽島の生まれといいます。少年期は大飢饉のさなかであったり、美濃の洪水にみまわれて母を亡くしたりで大変不幸でした。幼くして寺に奉公を余儀なくされたのもそんな事情が重なったのでしょう。その寺を後に出奔するのですが、恋愛がからんでいたという説もあります。そのあたりが青年円空の人間くさい一面を想像させえて、私はあれこれと思いを巡らすのです。
生涯12万体の仏像を全国で彫ったといわれています。辺境の地、離れ島、山間僻地・・・人々の貧困、病苦を救おうと一心に彫りつづけました。想像を絶する旅を続けて、村を訪ね、人と出逢い、交流の中で仏の教えを説いたのでしょう。素朴な仏像はおもちゃとして用いられたかもしれません。
千光寺の宝物殿には円空が立木に梯子をかけてそのままオノをふるって造仏したとされる「立木仁王像」。そして、私の大好きな「おびんずるさん」無病息災を願う千光寺のなで仏。表情の優しさは人の心を抱きしめるような安らぎに満ちています。そうなのですね・・・旅の先には宝ものがあります。ここ千光寺の円空さんに会う他に、こちらの住職さんも会いたい人なのです。端正なお顔立ちと良い声の持ち主で、大下住職は12歳のときにこの寺に入られ修行をつんでこられた方。
以前伺ったことがあります。
『人は一生のうち三度ほど生命の無常を感じます。私は12歳のときに死について考えました。つまり生について考えるということです。それが仏門に入ったきっかけです。寺から中学に通い、やがて高野山へ修業にでました。』
今回もお話を伺うだけで何だかとても心が落ち着きました。
“また、おびんずるさん撫でにきます”と心の中でつぶやき千光寺を後にしました。
そして、旅の空の下には友がいます。私を待っていてくれる人が・・・。
秋の陽射しを浴び萩や薄が遠来の客を迎えてくれます。


私には心の故郷と呼べる土地がいくつかありますが、この飛騨古川の街に引き寄せられるように、何十回とこの街を訪れ、今ではこの町に着くと、「帰ってきた」という感慨が胸に染みわたります。
地方創生・・・という言葉さえない時代に若者たちとの町づくりに夢中になり40年が経ち、若者へとバトンタッチされています。
『ふるさとに愛と誇りを』という8ミリ映画が完成して40年。
端正な町並み、人々の優しい振る舞いややわらかな言葉、美味しい山の幸の数々。水の清らかさ。町を流れる川には鯉が泳ぎ、遠くを見れば乗鞍岳、さらに日本アルプスの山々が町の背景に悠々とそびえています。
『青春18きっぷ』から半世紀がたっても心は変わりません。
「旅情は距離がつくる」と書かれています。
旅先で自分の過去の記憶が現在いまこうして暮らしている私の心を刺激してくれます。
やっぱり旅は素敵です。

「「青春18きっぷ・ポスター紀行」  飛騨路への旅」への4件のフィードバック

  1. 初めて、青春18きっぷが発売されたのは私が16歳のころだった
    と思います。「青春18のびのびきっぷ」と言っていたと記憶して
    います。私もなんどか使用しました。
    私も明日、19日からのシルバーウィークを利用して、飛騨古川
    を3泊4日で訪問します。心臓の手術から回復し、もとの生活に
    戻りましたが、それでも飛騨でのサイクリングや里山の景色は
    何よりの癒しです。飛騨の秋を満喫してくる予定です。
    天生のカタクリ

  2. 浜様
     飛騨古川への旅、又、心に残られた事と思います。
    未だ、飛騨には行った事が有りませんが、母が旅していたことを思い出します。
     私も、青春切符を何回か利用しました。中央線、飯田線、飯山線、篠ノ井線、大糸線、大阪、仙台迄。。全て宝物になっています。
     青春切符のポスターを見ると、旅に出たくなります。
     先日の小田原での「深夜便の集い」のお話しも心に残りました。
    有り難うございました。「ざりかな」の言葉を心しています。
     松本のまるもさんは、私も寄りたくなる処です。
     いつも、ブログで、本、映画の紹介、日々の暮らしに刺激を受けています。
     深夜便の集いの帰りに小田原駅で、「COMO LE VA」持ち帰りました。
     浜さんの載っている、バックナンバー、№、7、№8が昨日届きました。
      楽しみに読ませて頂きます。
                                       郁代

  3. 天生のカタクリ さん
    コメントありがとうございました。
    お互いに青春時代に旅をしていたのですね。
    やはり、旅はいろいろ刺激を与えてくれますし、
    しかも青春時代はなおさらですね。
    今頃は、飛騨古川にいらっしゃるのでしょうか。
    落ち着く素敵な街ですものね。
    自然も満喫なさってください。
    またお話聞かせてくださいませね。
    浜美枝

  4. 郁代さん
    ブログいつもお読みいただきありがとうございます。
    自分自身の思い、を綴り日記(週記?)がわりです。
    日々の暮らしの中での発見、「、「青春きっぷ」のように
    旅での思い出、過去と未来をつなぐ大切な時間を郁代さん
    はじめ皆さまと時を共有できるのは幸せなことです。
    今回の飛騨・千光寺で円空さんや、ご住職との出逢いも
    今の私には必要なことでした。
    小田原での「深夜便の集い」にもお越しくださりありがとう
    ございました。
    日々、小さな幸せを積み重ねてまいりたいですね。
    どうぞ、お元気で。
    浜 美枝

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