戦後の、もののない時代に、育ちました。我が家はかつて段ボール工場を営んでいたのですが、空襲ですっかり焼けてしまい、私が覚えているのは、家族が肩を寄せ合うように暮らしていた長屋での暮らしです。
リンゴ箱ふたつを並べた上に、藍染の木綿の布をかけたものをちゃぶ台代わりにしていた時期もありました。使い終わった布は洗濯板でごしごし洗い、物干しざおにかけ、お日様と風にあててきれいにして……高価なものではなく、もしかしたら大きな風呂敷だったのかもしれません。けれど何度も水に通した布は柔らかく、風合いが優しげで、私は大好きでした。
振り返ると、藍染のその1枚の布に導かれ、私は布に強く惹かれ、人生の大いなる楽しみを与えてもらったような気がしています。
ガンダーラ美術に興味を覚えて最初にインドに行ったのは、19歳のとき。それから10年間、インドに通い、多彩なインドの布にも魅了されました。さまざまな刺繍、模様、色、素材も綿、シルク、カシミアと豊かで、その一枚一枚に、人々の暮らし、風土、歴史があると感じさせられました。
先日、東京ステーションギャラリーで開催された展覧会「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」を見てきました。カルン・タカール氏はインド出身の更紗の世界的コレクター。氏のコレクションが日本で紹介されるのは初めてです。

数千年前にインドで誕生した「更紗」は、茜や藍などで細密な文様を描いた色鮮やかな染め物です。紀元1世紀には早くも東南アジアやアフリカへと渡り、17世紀に東インド会社が設立されると、ヨーロッパをはじめ世界中に輸出されるようになりました。
物語『ラーマーヤナ』の主人公・ラーマの戴冠式が描かれた掛布、長さ約8メートルにも及ぶ9世紀の南インドの詩聖マニッカヴァカカルの人生譚を伝える掛布、タイ王室が発注したというタイの守護神とヒンドゥー神話の神を描いた上衣、聖母子像を描写した儀礼用の布、岩山に力強く根を張り、大輪の花を咲かせた立木が中央に描かれたヨーロッパ用と思われるベッドカバー、オランダ女性の伝統衣装の胸飾りなど、展示作品は見事なものばかりでした。
世界をめぐる物語とタイトルにあるように、更紗がいかに人を魅了し、世界にと広がっていったのか。その先々でどう変化していったのかということも、よくわかる展示になっていました。
神話や聖人の物語を描き、宗教という人々の祈りと深く結びついていたインド更紗は、アジアでは儀礼用の布などに、ヨーロッパでは装飾品やインテリアにも。日本にやってきた更紗は、茶人に愛され、国内でも模倣・創作がはじまり、和更紗を生み、人々の暮らしに入り込んでいき、19世紀のイギリスではウィリアム・モリスらが更紗の美意識を継承し、アーツ・アンド・クラフツ運動へとつながっていったのです。
二時間ほどかけてゆっくり作品を見て歩きました。更紗とともに、世界中を、時代を超えて旅したような気がしました。
安価な商品が大量に流通し、スマホひとつで買い物ができ、翌日には手元に届く時代。そうした便利さ、簡単さを否定するものではありません。
けれど、職人たちが時間をかけて手で仕上げるものには、やはり感情や記憶に訴える力が宿っている気がしました。名もなき職人たちが作ったものです。でもそこには唯一無二の存在感がありました。作り手、使い手の思いも存在の中ににじんでいました。こうして作り続けてきたからこそ、技術や美意識が継承され、広がり、今にとつながっているのだとも実感できました。
どんな時代が来ても、人が手で作った美しいものを大事にしてほしい。そう願わずにはいられません。
※「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」は東京ステーションギャラリーにて、11月9日(土)まで開催されています。東京ステーションギャラリーは東京駅の中にある美術館。JR東京駅丸の内北口ドームから中に入ります。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202509_india.html
東京ステーションギャラリーは空間もとても素敵です。丸の内駅舎の北端に立つ八角形の塔の1つが展示空間。この美術館では、レンガにも注目してください。




2階の展示室には、駅舎が創設された当時の、つまり明治後期に製造され、大正時代に積まれた構造レンガがそのまま使われています。螺旋階段の壁面の黒くなっているレンガは、東京大空襲による火災で炭化したものだとか。レンガを間近で見るだけでも、東京駅が歩んできた歴史の重みが伝わってきます。