能登演劇堂のマクベス

日経新聞 第17回 10月24日掲載
パーソナリティをつとめているラジオ番組『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送・日曜10時~11時)に8月、仲代達矢さんをお迎えした。仲代さんはご存知のように、日本を代表する俳優の一人であり、75年より舞台俳優養成のための私塾「無名塾」を主宰している。
「今は私にとって赤秋の時。真っ赤な秋を真っ赤に生きようとこの秋、石川県七尾市の「能登演劇堂」で能登でしか観られないシェイクスピアの「マクベス」を演ります」
仲代さんは目を輝かせつつ、76歳の新たな挑戦について語ってくださった。
その仲代さんの言葉に誘われ、先日、能登中島の森に抱かれた「能登演劇堂」で、まさしくこの劇場でしか見られない「マクベス」を堪能してきた。舞台後壁が開くや、馬に乗ったマクベスが駆け下りてきてストーリーが展開する。本物の森が動き、舞台装置の一部となるのだ。ダイナミックな演出、そして仲代さんの深みある演技。心にしみる素晴らしい舞台だった。
能登演劇堂は、日本では珍しい演劇専門のホールだ。無名塾が中島町で合宿していたことが縁で、当時人口8,000人の町の年間予算の約3分の1を投じて、1995年に開館した。そこには石川県能登半島を演劇文化エリアとして定着させたいという地元の思いがある。開館から14年、東京など県外からも人が集まるようになり、50日間のロングランの「マクベス」は切符も完売であるという。
芝居を見た帰り、能登七尾から金沢まで1時間45分鈍行列車に揺られた。舞台の余韻を味わうには、特急ではなく各駅停車に流れるゆったりした、そして人の匂いがする時間がふさわしいように思ったのだ。

「日経新聞-あすへの話題」

第13回 9月26日掲載 「現場を歩く大切さ」
農村を歩く中で、私はそこで抱えている問題を知った。農業の実際を知りたいと、福井県・若狭の田圃で10年間米作りを続けたこともある。ヨーロッパの農家民泊に興味を持った時には、やはり10年間毎夏、各国の農家を見て回った。私にとって現場は問題を発見し、その対処法を探すところでもある。
IT(情報技術)時代の今、パソコンさえあれば情報は集められるという人がいる。もちろん客観的かつ論理的な視点は欠かせない。けれどそれだけでは、たとえば臨場感や緊張感、あるいは問題の背後に流れるひとりひとりの思いなど、大切なものが漏れてしまう場合がある。
私が心の師と仰ぐ先人のひとりに民俗学者・宮本常一さんがいる。「七十三年の生涯のうちに合計十六万キロ、地球を四周するほどの行程を、ズック靴をはき、汚れたリュックサックにコウモリ傘を釣り下げて、ただ、自分の足で歩き続けた」(佐野眞一著「旅する巨人」より)人であり、司馬遼太郎さんをして「日本の山河をこの人ほど確かな目で見た人は少ない」(同)といわしめた人だ。宮本さんの足跡を考えるにつけ、私は現場で人々の話にじっくり耳を傾けることこそが何より重要なのだと改めて感じずにはいられない。
政治を司る人たちには、おおいに現場に足を運んでいただきたい。そしてそこに暮らす人々に寄り添い、同じ目線の高さに立ち、ともに問題に向き合ってほしい。傍観者としてではなく、我がこととして問題解決法を模索してもらいたいのだ。
地を歩くことで見える切実な現実から導き出された問題解決法にこそ、真の力が宿ると、私は信じている。
第14回 10月3日掲載 「巡りくる季節に」
秋風を頬に感じると、三十六歌仙の一人・藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌を思い出す。我が家のある箱根は、さらに秋の気配が深まっている。近くの空き地には、黄金色のすすきが風にきらめき始めた。今朝、散歩の帰りにその幾本かをいただき、小さな赤い実をつけた吾亦紅や、いつのまにか庭いっぱいに増えた紫色のホトトギスの花とあわせて飾ると、部屋までもが秋色に染まった。やがて山頂から紅葉が下りてくる。何百年も前の先人と同様に、今も多くの人々が、こうして巡りくる季節に感謝の気持ちを覚えているのではないだろうか。
国連気候変動首脳会合で鳩山由紀夫首相が温暖化ガス削減の中期目標について、主要国のポスト京都議定書への参加を前提条件に「1990年比で2020年までに25%削減を目指す」と表明した。その実現のために日本の負担は際立って大きいといわれ、実現可能性を疑問視する声もある。この点に関しては、どんな負担がどの程度あるのか、どこまで負担を許容できるのかという議論を具体的に進めていかなくてはならないだろう。
しかし、いずれにしても、温暖化をこれ以上進ませないために、私たちは行動を開始しなくてはならないのではないだろうか。人間はこの100年の間に、石炭や石油として地球に封じ込まれていた炭素を掘り出し、大量に消費し、多量の二酸化炭素を放出させ続けてきた。それが地球上すべての生物に深刻な問題を引き起こしている。農と食をテーマにしてきた私はその切実さを肌で感じる。自分たちの未来を開くために、最善をつくす時期が来ている。
第15回 10月10日掲載 「活字の役割」
いつもバッグに本や新聞を入れて持ち歩いている。我が家は箱根にあるので、どこに出かけるのも小さな旅のようなもの。車窓の風景を眺めるのも楽しいが、本や新聞を読むのもまた、忙しい日常の、ちょっとした贅沢のひとつである。
先日、新幹線の中で例によって新聞を取り出そうとして、私たちに今、何が起きているのかという情報を伝えてくれ、ときには物語世界に誘ってくれる文字・活字というものの力と不思議さに思いが飛んだ。なんと便利で愛おしい道具だろうと胸が熱くなってしまったのだ。文字が生まれたのは、紀元前4000年紀後半の前期青銅器時代だという。つまり、人は6000年間というもの、文字とともに生き、成長してきたといえる。
その新幹線で到着した場所で、大学受験を控えた高校3年生と、大学2、3年生と、お話をする機会を得た。自分がこれからどう生きていくか、期待と不安を抱きながらも前向きに歩もうとしている若者たちで、とても好感が持てた。だからなおいっそう、新聞や本をぜひもっと読んで欲しいと思ってしまったのである。今、若者たちの活字離れがいわれている。ネットでニュース記事を読めばいいという声もあるが、新聞は情報の重要性をも面で伝えてくれる。ページをめくり、行きつ戻りつしたりできる本は、ディスプレイを目で追うだけのものより、ずっと有機的な存在だとも感じる。
就職活動が始まると、急に新聞を手に取る学生も増えるらしい。私の4人の子どもたちもかつてその時期、突然、新聞を読みだした。そして息子2人は、特に熱心な読者に育った。活字はこれからの読者をはぐくむ役目も担っている。
第16回 10月17日掲載 「のれんの町・勝山」
岡山県真庭市勝山を訪ねた。勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは材木で賑わっていたという。けれども時代を経るにつれ、その賑わいは失われていた。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつある。
勝山の何が人々を惹きつけるのか。
まずは白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情だろう。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めののれんである。商店はもとより個人の住宅にものれんが揺れている。
約13年前、草木染め作家・加納容子さんが元は酒屋さんだった古い家に一枚ののれんをかけたのがきっかけだった。その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」とのれんをかける家が増え、今の姿になったという。私が訪ねた時には、どののれんの下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれていた。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられた。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかった。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのである。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山祭りでも、それで、町は少しも汚れないという。勝山は旅人と町の人が互いを慮り、理想的な形で交流できている街なのではないだろうか。
そこでふと思った。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山での人々のあり方、これこそが、今、盛んにいわれている「友愛」の真の姿ではないか、と。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~石川県・金沢」

今回ご紹介するところは金沢です。
あまりにも有名な金沢ですが、今夜は「地図を忘れて・・・金沢へ」です。一枚の地図を持って知らない街を丹念に歩く旅の良さ。また、観光パンフレットを持って店々をのぞく旅も良いでしょう。でもあなたがもし、「金沢の旅」をなさるなら、地図と別れて人に出逢う旅、話を聞く旅はいかがでしょうか。
無名の人の話には、その町の匂いが漂い、先輩の話には、その町の(ここだけの話)の面白さがあります。仕事の合間のエア・ポケットのような日こそ、旅に出るチャンスです。一泊の小さな旅を計画しました。
私は朝の便で、石川県の小松空港へ飛びました。約50分のフライトで到着です。私は年に3,4回石川県に行っていますが、ほとんどが講演・シンポジウムなど仕事でいくことが多いのです。仕事の時はどこにも寄り道せず、真っ直ぐ帰ってくるだけですから、これは旅とはいえません。ですから、本当に何も縛られない旅時間は嬉しくて嬉しくてしかたありません。何を食べよう、どこを散歩しようとウキウキします。
小松空港には市内まで直行するバスがあり、これは大変便利です。バスに乗ったら、必ず進行方向左側に座ります。何故かといいますと、理由はすぐ分かります。空港をぬけるとすぐ、雄大な日本海がバスの横に広がります。このバスの中から何十回、いえ百回以上、海を見てきたなあ、なんて一人感慨にふけってしまいました。
一度として同じ海はありません。だから毎回、海が見たいのです。時には時雨模様のもの悲しい海に、胸がキュンとなるような鈍色(にびいろ)だったり、今回のように秋の日本海が晴れ渡り、思わず深呼吸したくなったり。私の好きな海は「じきに雪が降るよっ」と語りかけてくれる色合の時です。

北陸の人たちは、微妙な変化で天気予報をよく行うのです。東京にいたらラジオやテレビの天気予報で、傘の準備をしたり、お洗濯はどうしようと心配しますが、金沢の人は何か、体にお天気を当てるセンサーがついているのではないかと思うほど天気を予報します。
さて、街についたら皆さんは一番最初にどこにいらっしゃいますか?
私は「裏口兼六園」です。正面からはいる兼六園はまさに天下の名園の序章です。でも、もしそのならいにこだわらずに気楽にいくつかの入り口を選んで入ってみたら如何でしょう。
そこにはパンフレットにはない風景が展開します。
樹齢何百年の古木が、根元をむきだしにしたその横を、春なら新芽が出ているのを見つけられるし、秋は紅葉した美しい枝に出逢えます。そんな時、私達は万物の生命のつなぎに感動します。

日本三大庭園の一つ「兼六園」は木々と対話することに気付かされます。ある夜のとばりが降りた頃、金沢城の門のところに佇んでいました。門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや昔の人のワラジ?音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。
その次は大乗寺というお寺です。そこも真っ暗。その時は夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんは出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中、歩いていて、果たしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。
「路地歩き!これも金沢の旅の本命のひとつ」
そうだ、かつて日本のいたるところにあった路地が今も残っているのが金沢の町!家と家との間のせまい一本の道をゆっくりと歩けば、そこから昼や夜の「おかず」を作る匂いが漂います。「茄子とニシンの炊き合わせ」「じゃがいもと玉ねぎの味噌汁」などなど・・・。
これが暮らしというものと一瞬立ち止まる旅人。「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんは、この金沢の路地歩きがお気に入りだったとか・・・。
「庭の千草」を小声で口ずさみながらゆっくりゆっくり歩かれたそうです。

昼のお散歩は「東の廓」。そこは卯辰山の西の麓と浅野川に挟まれた江戸時代からのお茶屋町です。この一角に加賀格子を正面に備えた町屋が軒をつらねています。当時のお客さまは、豪商や文人でしたから、そういう方のお相手をする女性は、茶の湯はもちろん、華道、和歌、俳句、謡曲、舞、琴、三味線などありとあらゆる教養を身につけていなければなりません。今もこの町並みは当時を偲ばせ、黄昏近くになると、細い格子の中から三味線の音や小唄が聞こえてきます。
金沢は職人の住む町でもあります。
「和傘」に手描きで、客の注文の絵を描く老職人
「加賀友禅」に一筆一筆の筆を置く職人。
「金箔」の根(コン)のいる手仕事。
最敬礼!職人の心意気!
ここに日本の職人の原点を見ることができます。

旧制第四高等学校があった金沢の町には、当時の赤レンガの建物が今も大切に残されています。幣衣破帽(ヘイハボウ)、寮歌を歌って歩く若者を町の人々は学生サン、学生サンと呼んでその青春を讃えたそうです。
作家井上靖、中野重治もこの「四校」で学び、その作品の中に「我等二十の夢数う」の精神が生き続けています。現存する教室の古い椅子に旅人のあなたも座れば、一瞬、あなたの「青春」が甦るはずです。
さて、旅の終わりは近江町市場。今が旬の美味しいのど黒、甘エビ、ハタハタ、メギス、カレイなど、これから冬にかけてはズワイ蟹。石川県では加賀と能登地方の名を合わせて「加能ガニ」というブランドで出されています。
それから石川の加賀野菜。金時草、加賀つるまめ、甘栗かぼちゃ、加賀レンコンなどは絶品。私はこれらの野菜と魚などの食材を買って宅配で家に送りました。
結局、私の旅は食べて、人に出逢い、また食べるものを買い込む旅だったようです。

古都・金沢には古い建築物が多いです。
室生犀星、三島由紀夫や吉田健一など、数多くの人々に愛された町が息づいています。
歴史、文化、旧と新、自由自在の旅が楽しめます。
金沢は人の「こころ」が生きているあたたかい町!
今夜はそんな街、金沢をご紹介いたしました。

「日めくり万葉集」

NHKで「日めくり万葉集」が放送されています。
NHK教育テレビ
月~金曜日  午前5:00~5:05
   日曜日  午前6:00~6:25(再放送)
BSハイビジョン
月~金曜日  午前6:55~7:00
私は春にも出演いたしましたが、10月22日(木)に撰者として箱根のいにしえの世界をご紹介いたします。
  足柄の
  箱根の山に
  粟蒔きて
  実とはなれるを
  あはなくも怪し
巻十四・三三六四  東歌・相模国歌
粟を蒔いて無事に実ったというのに逢わないなんておかしいわと、そんな思いで詠んだ女性の住まいが、我が家と同じ箱根の山というところに惹かれました。
番組では実際に竈で万葉時代の農民が主食とした粟を炊いてみました。粟が八で玄米が二の割合です。これが想像よりフワーとしていて美味しいのです。
粟は5月に種を蒔き10月から11月に収穫します。ということは、逢いたい人が半年近く逢いに来てくれない想いを詠んでいるのですね。この女性の突き抜けた大人の魅力、心のゆとりを感じます。そして、もう男が逢いに来なくても気にしないわっていう逞しい女性を想像してしまいます。
恋の歌にして詠む・・・素敵ですね。
どうぞ番組をぜひご覧ください。

広島への旅

台風の前日、紅葉にはまだひと足早いのですが、広島の厳島神社に行ってまいりました。
海に浮かぶ姿が幻想的で、1400年の歴史を持つこの神様に思わず手を合わせました。背後に山をひかえ、前面が海の社殿は神々しく感じ、自然を崇拝して、山などをご神体として祀られている姿はまさに日本の宝、いえ世界の宝・・・だと実感いたしました。

厳島神社は平成8年12月にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
厳島神社の主祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫の三女神です。
自然に神をみる日本古来の信仰をそのまま形にした美しい神社です。宮島は昔から神の島として崇められていたので御社殿を海水のさしひきする所に建てたといわれています。まもなく山々が紅葉し、さぞ美しいことでしょう。

船乗り場までの裏道を散策していたら美味しい「もみじ饅頭屋」を見つけました。小豆の皮をむき、餡子にしているのです。甘さも程よく、店先では饅頭とお茶、またはコーヒーがいただけるのです。外国人2組が美味しそうにお饅頭を食べていたので私も仲間入り。
ふと、今は亡き宮島の「しゃもじ作り」の名人、三宅さんを思いだしました。
あれは23、4年前のことです。テレビの取材でお訪ねしました。そのとき三宅さんは私に向ってこう仰いました。
「浜さん、僕の作るしゃもじは、お母さんのおっぱいと同じですよ、原木から乾燥させ、おしゃもじのカタチを作ります。でも本当のおしゃもじにするのは、お母さんなのです。」
私も4人の乳児は母乳で育てましたが、意味が分かりません。
「何故ですか?」と伺うと
「よそみをしながらお乳をあげていませんか?心こめていますか?私のしゃもじも心を込めて、ご飯をついでほしいのです。」・・・と。
旅って出逢い・・・と、しみじみ思ったものです。

近畿大学でのオープンキャンパス

私は来年、2010年から東大阪にある近畿大学に新たに開設される「総合社会学部」で、客員教授を拝命することになりました。
そこで、私は「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマのもと、授業を担当いたします。
先日オープンキャンパスにお集まりのご父兄、高校生の前で話す機会を得ました。私が講義を担当することになる学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直したいと、今からわくわく胸をときめかせております。
私自身、男の子二人、女の子二人、計四人の子供を育てました。
四人子供がいると、まさに四人四様で、反抗期が激しい子もいれば、黙っていうことをきかない子もいるし、勉強をコツコツやる子もいれば、自分の好きなことしかやりたがらない子だっています。
同じように育てていると思っているのに、それぞれの個性が育っていて、人は実に多彩な大人への道をたどるものなのだと感じさせられることもたびたびでした。
子育てを通して自分の長所にも短所にも気づかされました。
子育ては一筋縄ではいきません。
大学生になる子供に対して何ができるのでしょうか・・・。
私は思うのです。
「親は子供の成長を認める必要があるのではないか」と。
大学に入って卒業するまでの4年間は、子供たちにとっては激動の時代です。息子、娘から小さな大人になるためのステップを歩むときです。
大学時代は、モラトリアムの時期ともいわれます。心理学者エリクソンによって導入された概念「大人になるために必要な猶予期間」。大学時代は、まさにそのモラトリアムを体験することで、自分の輪郭を把握し、これから飛び込む、きびしく、喜びに満ちた社会を生き抜く覚悟と基本的なスキルの芽を育てるときだと感じています。
もし考えにつまった時には、現場に赴きましょう。
現場を歩いて学ぶことも大事だと思います。
自分の足で歩き、目で見、肌で感じ、たくさんの人々と出会うことでの発見。
大切なのはコミュニケーション。
失敗しても試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができます。どんなことがあっても、いつも心に希望を抱き、前に進んでいける、しなやかな心と知性を、大学で身につけていただきたいと願っています。
と、こんなことを1時間お話しし、その後に高校生と語り合いました。
来年の4月、キャンパスでお目にかかれることを楽しみにしております。
 

「日経新聞-あすへの話題」

第10回・9月5日掲載 「孤独死という言葉」
先日、”孤独死”という言葉が話題になった。
「ひとり暮らしの私が死んだら、”孤独死”と報じられると思うとゾッとするわ」
「結婚していても、夫に残される女性がほとんど。ひとごとじゃないわよ」
みな、第一線で働く40代の女性たちである。
孤独死は、ひとり暮らしの人が誰にも看取られることなく、死亡することを意味する。核家族化の進んだ1970年代から使われはじめ、阪神大震災発生後、仮設住宅や復興住宅で相次いでから一般的に使われるようになった。今も、ひとりで亡くなり、死後、長期間放置されるケースは少なくない。また団塊の世代が高齢化と共に、この問題が深刻さを増すことも考えられる。こうした状況を考え、孤独死という強烈な言葉を使うことで、社会の関心を喚起し、警鐘を鳴らそうというマスコミの意図もわからないわけではない。けれど、友人たちがいうように、この言葉には確かに、ややもすれば人の尊厳に触れかねない危うさがある。
女性たちの結論はまちまちだった。
「近隣との交流が大事だというから、ボランティアに参加して、近隣の知り合いを少しずつ増やそうかしら」
「ケアが充実したシルバーマンション、もしくは高齢者に厚い市町村に引越しをするのも選択のひとつね」
秀逸だったのは「近所との付き合いは必要最小限にとどめたい私のような人のために、定年後、老人の見回りを行う会社を興そうかな。見回りも自分でやればこちらの安否も確認してもらえるし」というもの。
それぞれの生き生きした表情を眺めながら、語られるべきは、いかに生きるかであると、改めて感じた。
第11回 9月12日掲載 「井川メンパ」
大井川鉄道井川線に乗り、南アルプスに抱かれた静岡県・井川を訪ねた。井川線は、日本一の急勾配を有する山岳鉄道である。道中、窓から吹き込む風を感じながら、日本一高い関の「沢鉄橋」から見る絶景をはじめ、豊かな自然を堪能させてもらった。
井川では、天然ヒノキを曲げて輪を作り、サクラの皮で縫い合わせ、漆を塗って仕上げるお弁当箱「井川メンパ」の五代目・海野周一さんにお会いした。海野さんは男メンパ、女メンパ、菜メンパ(山仕事に出かける夫婦用で、帰りには入れこのようにひとつに重ねられる)をひとりで作り続けている。私は25年前に4代目にお会いして、井川メンパに魅せられたひとり。今回もまた実用に優れ、温かい木の温もりを伝える日本の工藝の素晴らしさを改めて感じた。
そしてもうひとつ、感じたことがある。井川でも過疎化・高齢化が進んでいるのだが、ご年輩の方々の表情がとても生き生きしていることに驚かされたのだ。「サルに食べられる前に収穫するので、甘くないかもしれないけれど」と茹でたトウモロコシをくださった海野さんのお母さん、畑で汗をぬぐう男性…老後はお金で買う時代になるといった趣旨の広告を数日前に目にし、わだかまっていたものが少しだけ軽くなった。
帰りの汽車の中で、いただいたトウモロコシを味わうと、口の中に広がった優しい甘さに、胸がきゅんとなった。と同時に、都会で老いる不安とは何か、厳しい自然の中、老いてもなお朗らかに暮らし続けるのは何があるからなのかと、考えずにはいられなかった。地域共同体、自然、課せられる役割…そうしたものを蘇らせることが求められている。

第12回 9月19日掲載 「今、落語がおもしろい」

5年前に柳家小三治師匠の落語に出会って以来、すっかり落語に魅せられている。類は友を呼ぶというが、私の周りでも、寄席に通う人が増えている。実際、名人と呼ばれる噺家の独演会はチケット入手が難しいほど、今、落語に人気が集まっている。
落語は会話劇であり、登場人物たちは、顔をつきあわせ、冗談に笑ったり、夫婦の会話を交わしたり、恋人に思いを伝えたり、喧嘩をしたりする。IT(情報技術)の発達によって、直接顔を合わせないコミュニケーションが増えてきた今、対極にあるともいえる、濃厚な生のコミュニケーションで演じられる落語が見直されているのである。
その理由はどこにあるのか、私なりに考えてみた。本来、人間の意思疎通は対面での会話である。非対面の情報伝達が増えてきても、人間の根本まではなかなか変えることができない。深層で人々は生の会話を求めていて、それが落語に向かっているのではないだろうか。
そしてもうひとつ。今は映画もテレビも、CGなども含め、見せる演出ばかりが目に付く時代だ。一方、言葉や表情などから何かを想像することが極端に少なくなっている。言葉を通して、十人十色、それぞれの春の花見の様子や隅田川の風情、夜の町や恋人同士の駆け落ちシーンを思い浮かべる落語に、人々は想像を刺激する新鮮なおもしろさを発見しているのではないだろうか。何でも見えてしまう・見せてしまう時代だからこそ、言葉による想像がいま復権しているのではないかと感じる。
落語は貧乏も失敗も笑いに代えてしまう江戸庶民の生きる力を見せてくれる。と同時に、私たちが生身の人間であることも思い出させてくれる。

リッチモンドへの旅

1週間の休暇を終え帰国いたしました。
今年の夏は「ギャルリー田澤展」と「片岡鶴太郎展」の二つの展覧会が開催され、おかげさまで多くの皆さまに、ここ箱根までお越し頂き感謝いたします。
HPにもありますように、箱根の我が家を大人の方に楽しんで頂きたい・・・
そんな思いで春から本格的に始めた”展覧会”、”コンサート”、”旅”など。
思いのほか若い方々にもお越し頂き、喫茶でのおしゃべりも楽しみになりました。
「正直な作り手たちの味」も立ち上げました。
30年近く全国の農山漁村を訪ね歩き、作り手と語り合い、自分の舌で味わった美味しいもの取り寄せ便です。
四季折々、この国の豊な食材に出合ったときの喜び。
お腹だけでなく心まで満たされる・・・
そして、めぐり合った時の作り手から感じる誇りとこだわり、誠実なお人柄、生きる姿勢、世界観や哲学まで垣間みることができることに深い感動を覚えます。
「間菜舎のコーヒー」に続き、今回は「安曇野の純正アカシア蜂蜜」をご紹介いたします。次回は「新米・浜美枝のひとめぼれ」です。ご期待ください。
詳しくはこちらをご覧下さい。

さて、今回の旅は友人の天沼寿子さんと、リッチモンドの彼女の友人宅に宿泊させて頂きました。リッチモンドは1779年にヴァージニア州の州都に制定された、歴史ある街です。日本からはシカゴ経由で行きましたが、飛行場の大きさにドギマギ。モノレールに乗っての第5ターミナルから第1ターミナルへの移動はちょっとした冒険でした。
滞在させていただいた郊外の「ミドロシアン」周辺は、コロニアルスタイルの大きな家が木立の中に建ち美しいエリアです。
自然を愛するご家族、庭は1エーカー(1,226坪)はあるでしょうか。
どの家も手入れの行き届いた美しい庭です。
早朝散歩をしていると、ゴミ出しをしている家のご主人たちが気軽に挨拶を交わしてくれます。
なにより幸せだったのは、寝起きのままベランダに出てロッキングチェアーに揺られながら女同士のコーヒータイム。小鳥の囀りを聞きながら、植物の話、人生について、大笑いをしながらのひととき。
心から力が抜け開放感が味わえるのです。
観光地めぐりもせず、女主人の美味しい料理を頂きながらの至福の時間。
厳しい世界情勢、海外で日本のことを考えるのも意義があります。
そういえばオールドリッチモンドにも行きました。古い地域で、赤レンガの家が並びイギリスからの入植者が作った街には風情があり、違ったアメリカが味わえました。
自分自身を開放させる旅も時には素敵です。

友情について

皆さんは友情についてどんなお考えをお持ちですか?
私はわりあい慎重な性格なので、人と親しくなるまでには時間がかかることもあるのですが、いったん心を許し合うと、本当に長いご縁になります。長いお付き合いの間には、子育てに没頭したり、仕事がいそがしかったり、いろいろあります。相手だってそうです。ですから、環境が変われば、関係が疎遠になることもありました。子育ても一段落した50代になり、自分の時間が持てるようになってからは、友人とお茶を飲んだり、夕暮れどき軽くカクテルなどを飲みおしゃべりをしたり・・・。
1~2年会わない時期があっても、会えば変わらぬ友情がそこにはあります。
   ”友情は積み重ねていくもの”     だと思います。
長年、私とお付き合いが続いている人を思い浮かべると、みんな「お互いさま」という感覚を持っているような気がします。お誘いをお断りすることがあっても「お忙しいのね。そっち、頑張って。でもまた声をかけるわね」と、笑顔で言ってくれる人が多いのです。同じように私も、相手の状況は「ああ、介護で大変なんだわ」とか、何となくわかりますから「体に気をつけて。またご連絡するわ」と言って、心の中でエールを送ったりします。
「お互いに相手の世界に土足で入っていかない」
「相手の状態を尊重する」
何か他人行儀じゃない?といわれることもありますが、お互いを縛りあって、それが破綻の大きな原因になってしまっては哀しいですもの。
私にとって友人は、いつも一緒に行動する関係ではなく、心の仲間なのです。このごろ、親子関係だけではなく、友情もまた積み重ねていくものだとしみじみ感じます。
そんな長年の友人であり、「カントリーアンティーク」を日本に広めた天沼寿子さんとご一緒に1週間ほどリッチモンドの彼女の友人のお宅に滞在させていただきます。自然豊かな美しい庭、素敵なアーリーアメリカンのインテリア。
とても楽しみです。
私のちょっと遅い夏休みです。
心が満たされるような友人は、心の財産だと思います。
友情に感謝!です。
次回旅のご報告をいたしますね。  

「日経新聞-あすへの話題」

第6回・8月8日掲載 「この汗をみてごらん」
          
人との出会いやすぐれた芸術がきっかけとなり、人生が変わることがある。私にとってマルチェロ・マストロヤンニ氏とゴッホの「馬鈴薯(ばれいしょ)を食べる人びと」の出会いがまさにそうだった。
16歳で女優デビューしたものの、私はずっと居心地の悪さを感じていた。基礎もなく演技することに、不安を感じた。人気という不確かなものにも、怖さを覚えた。私がしたいのは汗をかき、人の役に立つ仕事だという思いを拭いさることができなかった。
女優を辞めようと思い、その区切りにと、18歳で私はひとり旅に出た。イタリアへ。そして大好きだったマストロヤンニ氏の舞台を女優時代の思い出にしようと連日、劇場に通いはじめた。ある日、舞台を終えたばかりの彼にお会いする機会をえた。私が日本で女優をしていると知ると、汗びっしょりの自分の顔を指差してこういった。「この汗を見てごらん。この汗は、お客様が喜んでくれた汗だよ」 このひとことで私の目からウロコが落ちたのだ。十分な努力もせずに女優に見切りをつけようとした自分の傲慢さにも気づかされた。
旅の帰りに立ち寄ったオランダの美術館でゴッホの「馬鈴薯を食べる人びと」に出会った。自らが作った作物を、家族とともに食す喜びが静かに伝わる絵を見つめているうちに、もう少し、がんばってみようという気持ちが確信に変わった。40数年が過ぎても思い出が鮮やかさを失わないのは、それが私の原点だからだろう。
そして思う。マストロヤンニ氏のように若い人たちに何気なく、しかし力強い言葉で真摯に働くことの大切さと喜びを伝えられる大人に私はなれただろうか、と。
第7回・8月15日掲載 「大人の街・銀座」
灼熱の太陽に照らされ白く抜けていた町に色が戻りはじめる夏の夕暮れ。けれど、黄みを帯びた光に包まれはじめた建物からは、日中、蓄えられた熱がゆらゆら放出されているようで、やはり普段の町とはどこか表情が異なっている。時計の針の動きが遅くなり、人の声がことさら遠くに聞こえるような……。
仕事が思ったよりも早く終わったそんな黄昏時、銀座の「テンダー」に立ち寄った。テンダーは名バーテンダー・上田和男さんのバーで、彼のスピリットが隅々まで感じられる。清潔で、嫌味のない重厚さがあり、女性ひとりでも居心地がいい。
以前の私の誕生日に上田さんが創作してくださったオリジナルカクテル「マダム浜」をいただきながら、ふと銀座で始めてお酒をいただいた若き日を思い出した。絵のモデルをしたご縁で、画家・岩田専太郎先生が、文化人が集まるバーに連れて行ってくださったのだった。
静かにジャズが流れる店内。大人の男たちがウイスキーを傾けながら、くつろいだ表情で談笑していた。集う人への敬意とそれぞれの美意識が感じられるダンディな空間だった。「この娘に合うものを何か作ってあげてください」と先生はいい、黒服のバーテンダーは私に甘くて薄いカクテルを作ってくれたのだった。そして先生は9時になると「僕はもう少しいるけれど、君はもう帰りなさい」とタクシーを呼んでくださった。20歳のときのことだ。
スイカのリキュールをベースにした柔らかな香りと美しいピンク色が特徴のマダム浜をゆっくり味わいながら、銀座の洗練と豊かさを思った。あの店は今も、あるのだろうか。
第8回・8月22日掲載 「ラジオの可能性」
ラジオのパーソナリティを務めるようになって、かれこれ30年ほどになる。文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)もスタートしてから約15年になった。先日は、仲代達矢さんに著書「老化も進化 」を中心に、妻であり同士でもあった宮崎恭子さんの思い出や人生の真っ赤な秋を真っ赤に生きようとしていることなど伺った。若い人を育てることに情熱を燃やし、俳優として人間としてひたむきに歩み続ける仲代達矢さん。その生き方に励まされるのは私だけではないはずだ(23日、30日放送予定)。
このごろ、私の周りでラジオ・ファンが少しずつ増えている。メディアが多様化、多極化する中にあって、ラジオは送り手と受け手との距離がとびきり近いからだろう。私はNHKラジオ深夜便で「大人の旅ガイド」コーナーも担当させていただいているのだが、お話しながら、ラジオに耳を傾けてくださっているリスナーの姿が不思議なくらいくっきりと目にうかぶ。
ネット社会になり、上司と部下がメールですべてのやりとりをし、人の声が消えた会社もあるという。メールは便利だが、生のコミュニケーションには存在する温もりは抜けてしまいがちだ。ラジオへの回帰は、その人肌のコミュニケーションが再評価されてのことなのかもしれない。
今、若者のコミュニケーション・スキルの不足が問題になっている。ラジオの一ファンとして、ラジオというメディアは聞き手のコミュニケーション・スキルを磨いてくれるものではないかと、思ったりもする。声と言葉から聞き手が自由に想像力を羽ばたかせる……こんなに風通しがよく、自由なメディアは他にはない。
第9回・8月29日掲載 「米作りと食の問題」
       
農に関わる者として、米作りの実際を知りたいという一心から、10年間に渡り、福井県の若狭に田んぼをお借りして、無農薬の米作りを体験したことがある。
過疎化、老齢化、後継者不足……日本の農業は多くの深刻な問題を抱えている。このたびの選挙で、減反による生産調整に対するいろいろな考え方をはじめ、土地の集約や経営の大規模化を促し農業の合理化を進めようとするもの、あるいは日本の農家の過半を占める兼業農家や小規模経営の零細農家に配慮したものなど、各政党はさまざまなマニフェストを表明した。
けれど忘れていけないことがある。米作りとは米を作る、ただそれだけではないということだ。私は米作りを通して、田んぼが環境を保全すること、集落の共同体が米を中心に作り上げられてきたことなど、多くのことを肌で学ばせていただいた。わが国は瑞穂の国であり、米作りがすべての文化の基本となっているのである。米作りを数字だけで考えては、取り返しのつかないことになる。ましてや政争の道具になどしてはならない。
一方、世界に目をはせれば、すでに世界の穀物消費が生産量を超え、穀物輸出の制限や禁止をする国もでてきている。食料の争奪戦も始まっている。そしてわが国は依然として食料自給率がカロリーベースで約4割という危うい状況にある。
「21世紀は食糧を自給できない国から滅びる」という作家・住井すゑさんの言葉が重く感じられるのは私だけではないだろう。生産者・消費者が共に、50年先の日本の農業、そして食料を、文化まで含めて考えなくてはならないのではないだろうか。傍観はもはや許されないと思う。