韓国の旅

「食アメニティーを考える会」の第15回「韓国で農村女性グループと交流する研修旅行に9月4日から8日まで行ってまいります。ヨーロッパを12回、韓国は3回目です。
共通点の多い日韓の農業・もっとも近い国で、文化の共通点も多くあります。帰国したらご報告いたします。
私が韓国に通い始めて15年がたつでしょうか。
きっかけは津田塾大学の高崎宗司先生のご著書「朝鮮の土となった日本人」(草風館)を読ませていただいて、淺川巧の偉業を知ることができたのです。
このご本は民藝ばかりか、人はどう生きるべきかを知らされる本として、心に響きました。
韓国の山と民藝に身を捧げた日本人、淺川巧の足跡をわずかでもたどりたい・・・との思いから始まった旅です。最初はコスモスの咲くころでした。
旅先で知り合った、巧の墓をお守りしてくださる方、韓(はん)さんにお話をうかがいました。
「私は淺川巧とは会っていませんが、彼がいかに朝鮮を愛し、朝鮮人ばかりか、朝鮮の美術、言葉、生活、文化のあらゆることを大切にした人だったとゆうことは、みんな知っています。いろいろなお話を大人から聞いているからです。たとえば、韓国では人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があります。淺川巧が亡くなった日、大勢の方々が見送りにきてくださったために、ソウル中の煎餅がなくなったという話は、未だに語り草です」
お墓を守っていてくださる韓さんは、この話をお父さんから聞いたそうです。
それほど、朝鮮の人々に敬愛された日本人がいたことを、私は書物で知って以来、気になり旅が続いております。
朝鮮白磁の美しさを目にして、まあ、キレイというのは簡単ですが、その美しさに秘められたものをたどっていくと、そこに関わった人間が現れてくるのです。
韓国は、確かに不況なんだなあと、目に見える様子も見えますが、日本だって同じようなもの。
生活は待ったなし。庶民は日韓ともども、いろいろな工夫でどんどん新しくなっているんですね。
ソウルの町には、新しいセンスのいい店がふえたなあと、思います。
ときには泣きたくなるほど、完璧なカタチを与えられた壷の前では言葉を失います。感動のあまり、動けないことさえあります。ソウルの美術館で、あるいはさりげない骨董屋の前で、最近できたと思われる道具屋さんでも、すぐれたカタチに会えます。
韓国、そして韓国の人々も元気いっぱい。日本も負けてはいられません。
暮らしの変化がいろいろ起きていますが、”美しく暮らす”気持ちだけは捨てたくないですね。
不況でも、”美の国”の文化はしなやかに健全”であってほしい・・・と願います。
今回は総勢40名の旅です。
トゴミ村、ヨンホリ村の皆さんが待っていてくれる・・・村の市場で真っ赤な唐辛子の粉を買いましょう。キムチの漬けかたも教えていただきましょう。
おみやげ話を楽しみにしていてくださいね。

「第4回東北サミット」

読売新聞東京本社主催の「第4回東北サミット」が19日、秋田県横手市で開催されました。
今年のテーマは
「発信!東北ブランド」。
約700人の来場者。6県の知事によるパネルディスカッション。
そして私は「東北―農の王国」をテーマに1時間の講演を致しました。
東京の蒸し暑さと比べて、やはり空気はおいしく、空は広く高く、遠くに見える山々の深い緑は爽やかでした。そうした東北ならではの、澄んだ環境が空気を循環し、浄化してくれるのでしょうね。
本論に入ります前に、先日の岩手・宮城内陸地震で被災なさった皆さまにお見舞いを申し上げました。土砂崩れで全壊したハウス、地震で隆起・沈降し傾いてしまった水田、畜産農家ではバルククーラー自動給餌機が破損したところもあると聞きました。それでもJA女性部の方々が避難所で自ら炊き出しを行い、地域の人を心身ともに元気づけてくださったそうです。
私はそのことを知り胸がいっぱいになりました。今、日本から失われつつある地域共同体が、こうした人々の手でしっかりと引き継がれているのだと感じさせられました。
農業は、太陽、水、土など自然のすべてがうまく調和してはじめてなりたつ生業です。
それだからこそ、地震で大きな被害をこうむってしまったのですが、自然の力を知っているからこそ、きっと、これからたくましく復興してくださるでしょう。
この困難を乗り越え、もう一度日本の農業のためにも立ち上がってください。
皆さま、がんばってください。
以下が読売新聞秋田版・地域欄に掲載された講演内容・要旨です。
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国際的な穀物高騰や中国の冷凍ギョーザ中毒事件などの影響もあり、東北の農業に対する期待はますます高まっている。東北は食料基地にほかならないからだ。
東北に、おいしくて豊かな食文化があることは、共通認識。例えば、青森ではリンゴやニンニクが有名だが、長芋もおいしいし、ゴボウやサクランボもある。東北にたくさんあるそうした特産品をもっと多くの人に知ってもらうには、ブランド化することが必要だ。
ブランド化の条件として、三つのポイントがある。まず、地域で長年愛された名産品であること。次に生活の中で日常的に使えるものであること。実際に使うために「どう調理したらおいしいか」などの情報も届けてほしい。最後に、一定の生産量があり、安定供給できること。
首都圏をターゲットにするのも大切だが、同時に、地元でブランドを確立することにも力をそそいでいただきたい。地元の人がこぞって選んで食べ、太鼓判をおすことこそが力になる。
東北には、美しくて懐かしい村や町が残っているが、住んでいる人たちは自分たちの暮らしの素晴らしさに気付かないもの。まず、「ここにこんな素敵な場所がある!」と声を上げて全国に知らせてほしい。
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このような話をさせて頂きました。
今やマーケットのカギを握るのは女性です。
車、家電、インテリア・・・これまでは男性が決定権を持っていたといわれるものまで、今や女性の意思をないがしろできない時代となりました。
ましてや、食卓に何を乗せるかという決定権を持っているのは女性です。
女性のことは女性に聞くのがベストです。
さらに、女性ならではのきめ細やかな視点が、ブランドを作る意味でも不可欠だと、私は思います。これまでも、長年、農村女性たちと語りあってきました。そうした農業に携わる女性たちと話すと、いつも感激することがあります。
それは彼女たちが、命の輝きを暖かく見守るような優しさで農業や食のことを考えているということ。
女性という性は、命をはぐくむ性だからでしょうか。
自分自身が家族に安心して食べさせたいと思うような、確かなものを、作って、販売したいという気持ちが・・・男性にこういっては申し訳ないのですが、女性のほうが強く思っているような気がします。
そして・・・
グローバルに考えることはもちろんですけれど、大切なことは、足元をきちんとみることです。
いってみればグローバルに考え、ローカルに、ドメスティックに行動することだと思います。
それが、ブランド化するために必要不可欠なことだと、私は思います。
困難なことも多いでしょうが、あせらずたゆまず、一歩一歩、大地をふみしめるように歩んでゆきましょう!
横手から奥羽本線にのり大曲、新幹線に乗り換え箱根の山に戻り、皆さまの真剣なお顔を思い出しました。
「食べることは生きることにつながる」心にとめておきたいですね。
尚、本日(29日)の読売新聞全国版にも掲載されております。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~宮崎県綾町」

今夜ご紹介するのは 宮崎県綾町です。
綾町は、宮崎県のほぼ中央部に位置し、宮崎市の西北約23kmのところにあります。面積の約八割は森林の中山間地域です。
あれは、何年くらい前でしょうか・・・宮崎県綾町からそれはそれは美味しそうな野菜がいっぱい我が家に届きました。ナス・キューリ・トマト・ゴーヤに人参。どれもこれも土の匂いのする野菜ばかり、懐かしい匂いがする野菜です。「とにかく食べてみて・美味しいから」と友人からの手紙がそえられていました
綾町が「自然生態系農業の町」宣言を昭和63年にしたことを知りました。送られてきた野菜には「綾手づくりほんものセンター」の名前が書かれておりました。それから、この町が気になって気になって。
今回、サライ増刊「旅サライ」の取材で伺うことができました。(発売9月26日)
綾の町は「照葉樹林の町」としても知られています。照葉樹林とは、カシ・シイ・タブ・クスなど一年中緑の葉をつけている広葉樹で葉は厚く光沢があります。
かつて日本列島には広葉樹林がたくさんありました。しかし、いつしか間伐され姿を消していきましたが、綾町には太古のままが残っています。その広さ約2,000ヘクタール(山手線に囲まれた地域の約30パーセント)だそうです。
「名水百選」にも選ばれた綾南、綾北川の流れに連なっています。春には若鮎が群れをなし、秋には落ち鮎のくだる清流は町のシンボルとなっています。その照葉樹林には長さ250メートル、高さ142メートルの「照葉大吊橋」を渡っていきます。
私は高いところは大丈夫!です。大吊り橋から見る樹林は陽を浴びキラキラと光っています。渡り終えると、照葉樹林の中へ入っていく散策路につながります。なんだか足元がフカフカしていて土のやわらかなこと。この森には希少なクマタカ・イヌワシ・ヤマネ・ムササビなどが生息しているそうです。
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このような豊な土を通して地下水へ、さらに川に流れ町・そして畑へと流れ美味しい野菜や果物が収穫されるのですね。
しかし、今回お訪ねしてこの「広葉樹林都市」宣言するにあたり大変なご苦労があったことを知りました。かつて人口が激減し、「夜逃げの町」とまで言われた町が見事に甦ったのです。
高度成長期の60年代、その広葉樹林の伐採計画が推進されようとしたのです。その時、当時の町長が先頭に立ち、町民とともに計画に猛反対をしました。
全町長の長女、郷田美紀子さんから一冊の本を頂戴しました。
「結いの心」子孫に遺す町づくりへの挑戦・・・です。
お父様の郷田前町長(平成12年他界)が語られています。
「本物とは地球を汚さないもの。人をだまさないもの。自分の良心に聞いてはずかしくないもの」・・・と。こうして自然生態系農業で育った野菜や果物は美味しいはずです。
今回の旅では畑にも伺いました。「早川農苑」には元気な早川ゆりさんが迎えてくれました。ゆりさんはかつて宮崎市内で種などを扱う資材会社を営んでいたそうです。
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「身体にいいものを食べてほしい」との思いから有機農業をはじめ、娘さん、そのご主人も一緒に作業をしています。「家族がみんなで農業が出来るって幸せです」・・・と。
早川農苑では季節の野菜や果物をいっぱいに詰め合わせたセットを地方にも発送してくれます。
旬の野菜セットは3,500円  
電話0985-77-3485
他にも有機農業で野菜づくりをしておられる方々はいっぱいいらっしゃいますし、その他にも、家族で「養豚業」を営む押田明さんは、1,800頭の豚を愛情そそいで育てています。
大山食品では伝統の発酵食品を昭和5年より造りはじめ「綾の名水」古式醸造法で屋外の巨大カメでつくられている黒酢。1年かけて発酵・熟成されます。お酢大好きな私は今回、アミノ黒酢と玄米黒酢を買いました。こちらも綾町産(85%)有機JAS玄米と焼酒粕(100%)を伝統的な製法で仕上げています。
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町中が体に優しい、美味しいモノであふれております。
お昼を食べるなら、お勧めは「薬膳茶房・オーガニック・ごうだ」。「医食同源」をもっとうに、出来る限り無添加・無農薬のモノで料理されています。漢方薬膳は五味調和”酸・苦・甘・辛・鹹・・を重要に考えた食事です。店主は郷田美紀子さん。薬剤師でもあります。
色あざやかな五穀米に、具沢山のそば汁、おふくろの味がそれぞれ、持ち味を生かして満腹!とにかく味付けも美味しく残さずすべて頂きました。
電話0985-77-0045
定休日・火曜日  昼食は11時30分から20食限定
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宿泊は綾町に流れる綾北川のほとりにたたずむオーベルジュ「風水ファームガーデン・綾の食卓」オーナーシェフの香川文徳さんは宮崎市内から食材の豊富な綾でのオープンを決心し敷地内の畑で収穫された野菜の一部はレストランでの食事につかわれます。オーナーの手による愛情のこもったひと皿・ひと皿も大満足。優しいお人柄に話もはずみます。
夜は満天の星空が眺められる露天風呂。朝のガーデニングの散歩も清清しい。心身ともに癒される宿でした。
一部屋2~5名 一泊2食つき 1万3,750円 ペット可(室数限定)
電話0985-30-7115
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公共の宿もいろいろございます
綾町は歴史・文化の町でもあります。縄文遺跡や古墳が出土する綾は、遥か古代から人々の営みがあったといいます。今をさかのぼること670年前の山城が見事に再現されています。
そして、多くの工芸作家が住んでいることでも知られる綾。
町のあちこちで匠の技を目にすることができるほか、気楽に工芸体験ができる施設も整っています。ガラス工芸・陶芸・織物・染色・木工・竹工・・・私はガラスに挑戦。
綾国際クラフトの城」でも体験できます。(いずれも一人1,000円~)
電話0985-77-1223
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乗馬をなさりたい方は乗馬クラブ「馬事公苑」があります。サイクリング、スポーツキャンプ、楽しみ方はいろいろです。
詳しくは綾町観光協会へお問い合わせください。
電話 0985-77-3464
==旅の足==
JR・バス
JR南宮崎駅下車~(徒歩5分)~宮交シティ(バスターミナル)~国富・綾線~綾町(60分)
空港・バス
宮崎空港~(バス12分)~宮交シティー(バスターミナル)~国富・綾町(60分)
自動車
高原IC~国道268~高岡町~綾町(60分)
宮崎市~国富町~綾町(50分)
都城市~国道10~高岡町~綾町(60分)
まだ充分に整備されてるとは言えない森ですが、だからこそ楽しみ方はいろいろあると感じました。
美しい自然・やさしい風・笑顔いっぱいの人々。”からだに優しい綾町”を楽しんでください。
なお、ラジオ放送にあたりましては、公共性を保つため、お店などの詳しい情報は控えさせて頂きました。

“もう一度 お逢いしたい”・・・貴女に。

立秋もすぎ暦の上ではもう秋。
雨かと思えばカッと晴れ間がきたり、突然の大雨で被害が出た地域もありで・・・。被害が出た地域の皆さまにはお見舞い申し上げます。
お盆を迎えると、ふと、あの人を思い出します。
ああ。あの人にもうお手紙を書く住所はないんだわ。そんな思いが唐突に私をおそって・・・。なぜか、ものすごく悲しくなります。
その人は、森瑤子さん。
現代の女性を魅了した作家・森瑤子さんは1993年夏に亡くなって、15年も経つんですね。
あの日、東京・四谷の聖イグナチオ教会の裏側の小部屋の棺に安置され、あのいつものあでやかな瑤子さんとは違い、お化粧もなく、少女のような透明な肌にモナリザのような穏やかな笑みを浮かべた瑤子さんの最期は、いえ最期というより、私には始まりではないかと、そんなふうにも見えたのです。
たった数分間のお別れでしたのに、たくさんの思い出が頭の中を駆け巡り、いくつかの旅を思いだしました。
瑤子さんはいつも口癖のように、出会いって不思議ね、と仰っていました。
「人はいつも会うべくして会うのよ、偶然じゃないわ。あなたとだって、きっと今日、こうして会うように定められていたのだから、出会いを大切にしましょう」そうおっしゃって、お会いしたその瞬間から、もう何年来ものお友達のように接してくださったのです。
私にとって忘れられないのは、瑤子さんの与論島の別荘をお訪ねしたときのこと。
瑤子さんはお仕事をかかえていて、一日遅れで与論にいらっしゃるとのことでした。私と作家のC・W・ニコルさんご夫婦とで先に与論島に行きました。与論島の海の青さはそれはそれは美しく、引き込まれそうになるくらい魅力的です。二コルさんが先に潜り、私も水深7~8メートルほど潜ったとき、私はその海の中に見つけたのです。
誰かが、彫刻を置いていったのではないかと思ったほどの、2メートルはあろうかという女性の胸像に似た岩を。その横顔がなんとも瑶子さんにそっくりだったのです。翌日、瑤子さんにそのお話をすると、瑤子さんは「まったくしらないわ」とびっくりされて「一度見たいものね」とおっしゃいましたが、再び海中のその地点に私は戻ることができないと思いました。
その次の夜。
彼女の別荘の続きにあるプライベートビーチで、真夜中。月が煌々とあたりを照らす海で泳ぎました。水着をつけず。
瑤子さんはキレイなクロールで静かに水をかき分け、ときおり肩や背中が月明かりを受け輝いて見えたのが、未だ私の目の中に残っています。
海から上がり、夜更けまで二人でぽつりぽつりとお話をしました。瑤子さんは自分のことはさておいて、必ず「あなた、どお?」とまず、こちらにホコ先を向けます。つい甘えて、おしゃべりして、じゃあ、もうやすみましょうとなるのです。
ふと気づくと、私は何も瑤子さんのお話を聞いてさしあげられなかった、後悔したものでした。繊細で感受性に富んだ感性の人であったし、揺るぎない人という認識でしたから、彼女の内心に抱える苦悩など思い至らなかったのでした。
今なら・・・少しは大人になれた私なのに。
優しさのかたまりのような森瑤子さんでした。
私が、自分探しのエッセイ「花織の記」という本を書き上げたとき、瑤子さんにあとがきをお願いしたことがありました。お忙しい売れっ子作家にあとがきをお願いするのはためらわれましたが、ふたつ返事で書いてくださることになりました。締め切りぎりぎりの真夜中、我が家のファックスがカタカタと鳴り、瑤子さんからのファックスが届きました。
瑤子さんはワープロを使いません。特徴のある太字の万年筆で原稿用紙の升目からはみ出るようではみ出ない、躍るようなその文字が原稿から立ち上がるような気がしました。
その文章を引用させていただきます。
時に私は、講演会などで一時間半も人前で喋ると、身も心も空になり、魂の抜けた人のように茫然自失してしまうことがある。あるいは一冊の長編を書き上げた直後の虚脱感の中に取り残されてしまうことがある。そんな時、私が渇望するのは、ひたすら慰めに満ちた暖かい他人の腕。その腕でしっかりと抱きしめてもらえたらどんなに心の泡立ちが静まるだろうかという思い。
けれども、そのように慰めに満ちた腕などどこにも存在しないのだ。そこで私は自分自身の腕を胸の前で交錯して、自分で自分自身を抱きしめて、その場に立ちすくんでしまうのだ。
おそらく、美枝さんも、しばしばそのように自分で自分を抱きしめてきたのではないかと、私は想像する。今度もし、そんな場面にいきあたったら、美枝さん、私があなたを抱きしめてあげる。もし、そういう場面にいきあったら。
私にとって、この文章がお別れの文章になりました。
15年がたつのですね。
もう一度、お逢いしたい・・貴女に。
今でも町でお帽子をかぶった女性を見かけると、ハッとします。帽子が似合う人でしたから・・・

鳥取を訪ねて

因幡の白うさぎ・・など民話のふるさとでもある鳥取に行ってまいりました。
これまで何度もお邪魔している鳥取。
今回は県民カレッジの講座に招かれました。
自然・歴史・温泉・食と酒・そして、人の温もりが宿る民藝。
何度伺っても多くの自然を残した雄大な風景は日本の宝です。大山のブナ林は動植物の宝庫ですし、鳥取県の約7割は森林です。森を守るため、「森林環境保全税」を導入しているとのこと。
素晴らしいですね。
四季折々の花も楽しめます。
有機・特別栽培物の生産など「環境に優しい農業」にも積極的に取り組んでおられます。
そんな、鳥取で忘れられない村に出会ったのは今から17年前のこと。
「香取村」大山北面の中腹、標高350mから1,000mにも位置する高原開拓村の美しさは、この目で見られる理想郷です。
かつて大正浪漫主義が希求した「新しき村」が芸術家、文学者によるイメージの村であったことが思い起こされました。
大山山ろくの香取村を訪れ、当時香取開拓農協組合長、三好武雄さんにお話をうかがいながら、私はふと先にあげたロマンチスト達の新しき村を思い起こしていました。
皆んなが等分に働き、汗の中に生の歓びをしるという。それが生きていることの証しと新しい村を興した詩人や文学者の夢はあえなく消えてしまいましたが、それが決して夢物語ではないことを香取村の人々は示してくれました。
昭和大不況の折の満州入植。敗戦と生き地獄のような脱出行、そして戦後の再出発・・・三好さんは昭和21年の夏、香取村のある場所に探査にたどりつき、「この場所だ」とひらめいたそうです。
戦後、食べることに四苦八苦していた時代に「金の欲しい経営より、生活が楽しめる経営へ」をスローガンにした香取村づくりのスローガンに、まさに村づくり百年の大計があるように思いました。地道なご苦労を支えたのも夢と理想があったからこそ。
百年の大計の中での村づくり・・・。
国家は果たしてそのような大計があるのでしょうか。
このごろ疑問に思います。
日本国土も又、一人一人私たちが夢と希望を託し、参加できる開拓の地であらんことを。

浜美枝のいつかあなたと ~ 姜尚中さん

毎週、日曜日の10時半から11時まで文化放送にて、素敵なゲストをお招きしております。
やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客さまを、我が家にお招きいたします。で始まります。
今回は、政治学者の姜尚中さんです。
姜尚中さんは1950年、韓国からの移住者であるご両親のもと、熊本県のお生まれ。早稲田大学の大学院で政治学を学ばれたのち、ドイツ留学などを経て、現在は東京大学大学院情報学環教授。
政治学、政治思想史の研究者としてお仕事をされるかたわら、マスメディアでさまざまな社会現象について発言されています。
現在発売中の最新刊が「悩む力」。現代社会に生きる人間達へ向けて、姜尚中さんがさまざまなメッセージを投げかけた一冊です。
「考え方」「生き方」のヒントが示されています。
日本の小説家、夏目漱石とドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの文章が引用され、姜さんご自身はこの二人からさまざまなものを学んだそうです。
1時間半ほどお話を伺いました。
熊本の子ども時代、「在日一世」の皆さんとの思い出。
お母様(オモニ)との思い出。
姜さんは、人間の知性には「ブリコラージュ」という形があると仰っています。
「伝統的な生活の知恵」
その知恵が現代社会では希薄になっているのかもしれません。
「自己チュー」と「自我」の違い。
「自分の城」を守ることは成長につながらない・・・・とも。
若い人たちが希望を持てる社会にするにはどうしたらいいか。
そして、姜さんご自身40代末ごろ、年を取ることが恐ろしい時期があったそうです。現在は「死」を引き受けて、「怖いものなし」と。
以前、姜尚中さんとは「姜尚中対談集-それぞれの韓国そして朝鮮 」で対談をいたしました。
韓国の道具、美、そして人々・・・・。
「白磁の陰影に感じるものがあった」と。
この番組も300回を超えました。
毎回、毎回、素晴らしいゲストのお話に、学ぶことが多々あります。
今回はご一緒に出演している寺島尚正さんが北京オリンピックの取材で日本を留守にされるため、早めに収録いたしました。
放送日は8月31日、9月7日の2回です。お楽しみに。
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“福本潮子 しつらえの布 展”

“福本潮子 しつらえの布 展”
を我が家の箱根で7月21日から30日まで開催いたしております。
恒例となった、京都 ”ギャルリー田澤“の主催です。
今回の展覧会に寄せて、福本潮子先生は「私は民藝を新しい感覚でとらえて、現代生活の中で生かしたいと考える。日本の風土から生まれた伝統的な感覚を、コンテンポラリに展開したい」と仰っておられます。
“ギャルリー田澤”の西洋骨董と布、そして我が家、三者のコラボレーションは胸の高ぶりを抑えられないほど魅力的です。「民藝」はたえず進化しつづけております。
 
私の憧れの京都は祇園祭も終わった夏の夕暮れとき。風もはたと止んで、明るくもなく暗くもなく、倦んだような空気があたりを埋め尽くす時間があります。空気や木の葉、人影、川の流れすらも、そこに佇んでいるような・・・だれも動かない午後。
京都に住む人は水やりの加減と時間についても、一家言持つ人が多いのです。
へたな時間に水を、それも不細工に撒いてはいけないのです。その辺りの息づかいをみだすと、たぶん、江戸でいう「野暮」というような、無言の非難がどこからともなく押し寄せるのでしょう。
余所者の私達が地団駄ふんでも追い付けない領域・・京都。それが今回の展覧会です。
今回の展覧会は潮子先生の布への想いと、田澤ご夫妻の何層にも重なった「美」への感性は息をのむほどです。
「美」を価値とするところには平和があることを、芸術家はそれを使命としているにちがいありません。
愛は美を呼び、美は愛を生む・・・そんな展覧会です。
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NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド・ラリックに咲いたシーボルトの”和の花”」

箱根の山がふんわりと山ぼうしの花でおおわれる夏、
見事な開花は十年に一度とか。
我が家の庭のヤマボウシ・・・今年は見事に咲き誇っております。
そして、秋には実がイチゴのように赤く熟します。特にヤマボウシは芦ノ湖周辺に多く見られます。
今夜ご紹介するのは箱根。
たしか、昨年の夏もご紹介したと思うのですが、今年は春から夏にかけて素晴らしい企画展が開催されております。
箱根ラリック美術館では今、
『ラリックに咲いたシーボルトの「和の花」』という企画展が開催されています。
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江戸時代後期に来日したオランダの医師フランツ・フォン・シーボルトは、日本の植物を広く海外に紹介した人物。弱冠27歳のシーボルトは鎖国下の日本にやってきました。
そして、シーボルトは来日して3年目、陽春4月7日、沼津から、美しい富士山を眺めながら箱根越えをしたとか。その箱根でも植物採集を満喫したようです。
植物採集するシーボルトの姿が目に浮かびます。
一方、19世紀末にはジュエリー作家として、20世紀に入るとガラス工芸家に転進したのがルネ・ラリックです。
この企画展では、シーボルト時代から70年を経て、ラリックが日本の植物をどう開花させたか・・が見事に読み取れる素晴らしい企画です。
日本の美しさは”大人の目”があってはじめて花開きます。今回の企画展はそれにじゅうぶん答えてくれます。
ラリックの作品が大好きな上に、同じ箱根に住まいとする私にとって、今回の企画展は皆さまに、是非ご紹介申し上げたいと思いました。
ラリックがお好きな方はもちろん、植物やジュエリィーに興味のある方、ヨーロッパと日本の関係に関心のあるかたなど、多くの人に様々な角度から楽しんでもらえるはずです。
展覧会の主役は日本原産のテッポウユリ、がまどろむような表情・女性を包み込むように咲いている姿をブローチにした「ユリの女」。7月下旬から8月にかけてこのユリを箱根で見ることができます。
そのほかにも菊や藤、桜、松・・・など、日本の植物をモチーフにした繊細な作品数多く展示されています。解説によると、デザインされているものであっても、それぞれの種を特定できるほど明確に植物の特徴をとどめているのだとか。
ラリックが日本の植物をじっくりと観察し、作品を作りあげたであろうこと、ジャポニズムと呼ばれる日本文化が流行していた当時のヨーロッパ、さらにはそのラリックの作品を今日本で見られる不思議さ。そんな風に想像を広げながら作品に接するのも、味わい深いものです。
企画展示室ではお気づきになられるかもしれませんが、ほのかな香りがただよってきます。テッポウユリ、ウメ、フジの花から天然のエキスを抽出して会場はとてもよい香りがします。
今回の企画展は箱根町立箱根湿生花園とコラボレートしており、湿生花園内25箇所にラリック作品の写真と解説がついたプレートが設置され、作品に登場する花々が実際に咲く姿をみることができます。
そして、この夏の箱根では、長かった梅雨も明け、様々な色鮮やかな花に出会えます。コオニユリ、ヤマユリ、レンゲショウマ、ミソハギ、シシウド、コバキボウシ、等など。可憐な花を見ることができます。
不思議ですね・・・。こうした可憐な花を愛でるときの皆さんのお顔には笑みがたえません。
そして、この時期は箱根全山”フラワー美ジェットキャンペーンが開催されております。数ある花の名所を訪ね、美術館を訪ね、箱根の奥深さを堪能していただきたいのです。
箱根湯本駅からあじさい電車で(箱根登山電車)強羅までも素敵です。車窓からあじさいをお楽しみください。約10、000株のあじさいが咲き誇っております。
箱根美術館箱根強羅公園彫刻の森美術館箱根ガラスの森、そしてラリック美術館湿生花園、お時間のある方は、観光船に乗って元箱根へ。
成川美術館では「花物語・極上の名画たち」が9月11日まで開催されています。
旅の足
箱根へのアプローチはさまざまです。
新宿から箱根湯本まで・・・小田急ロマンスカーで85分
新宿から箱根桃源台まで・・小田急箱根高速バスで約130分
湯河原から箱根町まで・・・箱根登山バスで約55分
三島から箱根町まで・・・ 沼津登山東海バスで約50分
箱根強羅・仙石原地区の観光スポットを施設めぐりバスが便利です。ただし夏の箱根は渋滞があり、そこはご理解ください。  
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緊急報道スペシャル~食料危機~あなたは生き残れますか

TBS緊急報道スペシャル ~ 食料危機 ~ あなたは生き残れますか
7月16日夜放送(18時55分~20時54分)に出演いたします。
司会:関口宏さん
コメンテーター:涌井雅之さん(桐蔭横浜大学特任教授)
ゲスト:
立松和平さん、永島敏行さん、
田中義剛さん、高木美保さん、
大桃美代子さん、そして私 浜美枝です。
自給率39パーセント(カロリーベース)のわが国。
なぜこのような低さになってしまったのでしょうか。
世界中で食料の争奪戦がはじまりました。
そして、環境破壊が論じられています。
私達の住むこの地球はどうなるのでしょうか!
国民ひとり一人の問題として考えてみましょう・・・という番組です。
久しぶりのテレビ出演で緊張しておりますが、私も40歳で演ずることを卒業し、子育てをしながら全国を旅し、毎日の家族の食を担い、辺りを見回すと、
とんでもない時代になっていたんですね。
日本はどこへ行こうとしているのだろう?そんなわけで私なりの勉強を始め「農・食」の道に踏み込みました。
田畑をお借りし、10年間米づくりも学びました。
そんな経験の中での今回の番組出演。
「農・食」をテーマにテレビが取り上げてくれるのは、現場を回っている私には大変ありがたいことです。
皆さん、共に考えてみませんか。 
戦後日本の食の歩み、日本の農村風景の変化、
養鶏・酪農・水産の現場、
原油高の影響が地球にもたらす事、
原油高騰の背景にあるものは「食」を揺さぶる市場経済。
食料危機が迫っています。
ぜひ来週、水曜の夜の番組をご覧ください。 

何か変ですね

何故こんなに食べ物の値段が高くなるのでしょう。
何故こんなに偽装が発覚し、人々の暮らしをおびやかすのでしょう。
食料の争奪!・・・がはじまった。など等、輸入に頼りきっている私達の台所が大変な事態になっています。
第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品をだれもが当たり前に手にいれられるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。
ですから、わたしにとって、近年続出した食をめぐる数々の事件は、本当に衝撃そのものです。
なぜ、こんなことが起きてしまうのでしょう。
モラルの低下や対応の遅れが指摘されていますが、わたしは何より、笑顔で食卓を囲み、健やかに暮らすために食事を味わう・・・当たり前のことが欠落しているのではないしょうか?
本当の「本物の時代」を、自分たちの手で切り拓いていく時期にきているのではないでしょうか。
では、本物ってなんでしょう。
私は共生共栄ということではないかと思うのです。
「損得」でビジネスを考えるのではなく「善悪」という視点からとらえ、展開していくようなお互い信頼関係がきずけないものでしょうか?
切磋琢磨できる関係を作りあげられないでしょうか?
 
「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」
そんなこと、夢物語でしょうか?
なぜ、命と直結している食品と、ガソリンに代わるエタノール用のとうもろこしを奪い合うのでしょうか。
資源の乏しい日本はこのままでいくと、安心して暮らせなくなります。
こうした時代、カギは「女性の視点」にあります。
子を産み育み、健やかな命を次世代につないでいこうとする女性、そして命を丸ごと抱きしめることができる女性ならではの視点を、真ん中に据えて、常にその思いに立ち戻りながらものごとを進めていけば、”何か変”は解決できるのではないでしょうか。