ラジオな日々 (文化放送4月15日放送分)

今回ご紹介させていただくのは、脚本家で作家の藤井青銅さんの最新刊「ラジオな日々」です。会社員時代に「星新一ショートショートコンテスト」に入選したことをきっかけにラジオの放送作家として大活躍することとなる藤井さんの自伝的な小説であり、大変素敵なゲストをお迎えすることができました。
-80’s RADIO DAYS-
サブタイトルにもあるように80年代はラジオ全盛の時代でした。放送作家出身の作家や文化人が綺羅星の如く顔を揃えており、ラジオは多くの人にとって憧れであり、青春そのものでした。そんなラジオの世界の真っ只中にいらしたのが藤井さんです。
「夜のドラマハウス」「オールナイトニッポン」あの時代を共有する世代にはドキドキするほど懐かしい響きです。当時のラジオは、手作りでした。喫茶店を転々としながら手書きで原稿を仕上げ、それをラジオ局に持ち込んで番組が作られていく様子が生き生きと描かれています。IT化が進んだ現在では考えられないような暖かい空気感がそこにはありました。IT化により双方向型のコミュニケーション手段が発達したと言われますが、電波の先には、たくさんのリスナーがいて、その声がハガキや電話で帰って来ます。ハガキや電話の声には豊かな表情がぎっしり詰まっているのです。
私もそれを日々感じながら、長年ラジオの仕事を続けさせていただいています。そして、それを支えてくださっている、放送作家をはじめ、スタッフの方々の奮闘を見ると、その精神はあの頃と変わらない。そう嬉しく感じるのです。これからも、それを忘れずにいようと思うのです。

ラジオな日々 ラジオな日々
藤井 青銅

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植木等さん追悼

 3月27日、植木等さんが亡くなられました。私は、10代の終わりから20代の半ばにかけての7年間に、植木さんの14本の映画にご一緒させていただきました。植木さんの訃報を聞き、いろいろな思いが胸にこみあげてきました。
 
 植木さんと初めてご一緒させていただいたのは、東宝入社3年目、18歳のときのことでした。テレビの「シャボン玉ホリデー」で活躍され、「スーダラ節」が大ヒットし、映画「ニッポン無責任時代」でスターとしての地位を確立した植木さん。
 
 しかし、その素顔は違いました。私は仕事場での植木さんしか存じませんが、植木さんは他の俳優やスタッフとお酒や食事を共にすることもなく、撮影が終わった「じゃ、また明日」とさっと家路につく人でした。また撮影の合間には、撮影所のセットの片隅ですっと背筋を伸ばし、腕組みをしたまま、目を閉じて静かに佇んでいらっしゃいました。その姿を見て、ふと仏像に似ていると、感じたこともありました。無責任男が「動」ならば、素の植木等は「静」だったのです。
 
 ときどき、植木さんは目を開けて「浜ちゃん」と新人女優だった私に声をかけてくださいました。決して言葉数は多くはなかったのですが、そのひとことひとことに心にしみるような滋味がありました。私がいただいたギャラで、お釈迦さまの生涯を辿るためにインドを旅した話をすると、植木さんは驚いたように目を開き、「お釈迦様もそんな風に旅をして歩いたんだよね。仏教とは難解な思想じゃなく、とても人間的なものなんだよ」とうなずいてくださいました。そして仏教の教えや生命に対する考え方を、小さな声で、まるでひとり言葉をかみしめるように、語ってくださいました。
 
 植木さんは三重県の浄土真宗のお寺の生まれで、お父様は平和や差別解消を説かれ、投獄されたこともあったほどの信念の人物だということを後に知りました。植木さんが口癖のように私に何度もおっしゃったのが、まさにそのことでした。「浜ちゃん、人間はね、心が自由じゃなければいけないよ」 今、この原稿を書きながら、あのときの植木さんの声が聞こえるような気がします。
 
 そんな植木さんでしたが、監督の「よーい、スタート!」でカメラが回りはじめたとたん、軽妙なしぐさと高笑いで無責任男を演じられるのでした。その変わりようは天才的でした。当時の東宝では、黒沢明さんや成瀬巳喜男さんといった巨匠が活躍しておられ、大ヒットしていても娯楽作品は格下に見られるような傾向がありましたが、そのことについても植木さんは私に「やっていることはばかばかしくても、それで他人様が喜んでくれるなら、いいじゃないか」といって、私を励ましてくださいました。つたない演技ではありましたが、これらの映画に出演させていただいたことを今、私は心から誇りに思えるのは、植木さんのあのときの言葉もあってのことだと感じます。「多くの方に喜ばれ、大声で笑ってもらう。それもいいじゃないか」 植木さんの言葉に、私はどれだけ勇気づけられたでしょう。
 
 最後に植木さんにお会いしたのは数年前、私がパーソナリティをつとめるラジオにお招きしたときでした。「やぁ、浜ちゃん、元気?」とスタジオに入ってこられて、近況を穏やかな口調でお話くださいました。素敵に年齢を重ねてこられた姿に胸が熱くなりました。そして収録が終わると「それじゃぁ、またね」とおっしゃって、植木さんはすっとスタジオを出られました。かつてとまったく変わりませんでした。
 人は生まれ、いずれ去っていきます。これはどうしようもないこと。それでも寂しさを感じる気持ちは心の奥底から湧き上がってきます。
 植木等さん、ありがとうございました。
 植木さんに会って教えていただいたことが、私の人生に豊かさをもたらしてくれました。これからも多くの言葉を心に刻み、歩んで行きたいと思います。
                       

食べる落語

脚本家であり、伝統芸能のジャンルで多くの作品を発表されている稲田和浩さんをお迎えしました。
最新刊「食べる落語 いろはうまいもんづくし」をご紹介させていただきます。
落語に登場する食べ物に焦点をあて、それぞれを落語の面白さとともに解説していらっしゃいます。食べ物に興味のある方はもちろんのこと、落語にまだ馴染みのない方にも是非読んでいただいて落語への入門書としていただきたいと思います。また、江戸の文化風習を知る本としてもおすすめです。
落語に出てくる食べ物、有名なところでは、やはり蕎麦、鰻、秋刀魚、メザシといったこころですよね。それ以外にも、鍋焼きうどん、羊羹、焼き芋、そして、「はんぺん、はす、芋を甘辛く煮たものを丼に二杯」。。お腹がすいてきそうです。
江戸には、精米屋がいて、白米を食べていたこと。それ以外のおかずは味噌汁や漬物ぐらいで質素だったこと。住宅事情により、意外にも外食産業が発達していたことも知りました。ベトナムやタイ、インドネシアなどの国々を訪れると、今でも同じような路地の風景に出会います。
「早朝は、あさり・しじみ、豆腐、納豆。朝になると八百屋、昼間は飴屋、ゆであずき屋、それから屑屋なんかも来て、夕方にはまた旬の食材を売りにくる。夜中は、夜鷹そば、鍋焼きうどん、深夜には稲荷寿司。こうして長屋の一日が過ぎていったのである。」
現代より質素な食事でも、そこに豊かさを感じます。旬の食べ物と地産地消。今私たちが必死に取り戻そうとしていることが、当たり前のようにそこにあったことを思い知らされます。

食べる落語―いろはうまいもんづくし 食べる落語―いろはうまいもんづくし
稲田 和浩

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山歩きと地球温暖化

この冬は、箱根も雪が少なく、快晴の日が続いています。おかげさまで、ツンツンと地面から飛び出した霜柱をシャキッシャキッと踏みしめながら、毎朝、山歩きも楽しんでいます。真っ白に雪化粧した富士山もそれはそれは美しく見えます。
以前は1時間歩くと、たっぷり歩いたという気持ちになったのに、このごろではもっと歩きたいと思う自分がいることに、嬉しい驚きも。毎日続けていくうちに、体に力ができてきたのかもしれません。いくつになっても、筋肉は鍛えられるといいますが、本当にそうなんだわ、と感じます。
でも、こうも暖かいと、地球が変わり始めているという事実を、つきつけられているようで、やはり、不安を感じずにはいられません。
先日、アメリカの元・副大統領で大統領候補でもあったアル・ゴア氏のドキュメンタリー映画「不都合な真実 (An Inconvenient Truth)」を見てきました。この映画は、ゴア氏の講演活動を追い、具体的なデータとともに地球温暖化対策の必要性を訴えたものです。 二酸化炭素などの温室効果ガスが増えたために、地球の気温が上がる地球温暖化現象。地球温暖化は、海面の上昇や異常気象、生態系の変化といった事態を引き起こし、やがては植物や動物、そして人類は危機的な状況という事態に……。
環境のために、そして地球のために、この日このときから、私たちは自分たちがやれることをやっていかなくてはならない。それが、スクリーンを通してひしひしと伝わってきました。映画のエンドロールにもあったように、「変わる勇気を持つ」ことが、何より大切なのではないかしら。
時間にゆとりがあるときには、私も小田原から我が家までタクシーではなくバスを利用するようになりました。タクシーなら30分で着くところを、バスは1時間以上もかけて登っていきます。過ぎ行く風景をのんびりと眺めたり、途中のバス停で乗降するおばあさんやおじいさんの様子を垣間見たり。それもなかなか楽しいんです。部屋の暖房の設定温度もさらに一度、下げました。箱根の冬は、そうはいっても寒いけれども、あったかいソックスとセーターがありますもの、大丈夫。

不都合な真実 不都合な真実
アル・ゴア 枝廣 淳子

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寒中お見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。
箱根の我が家から、冬、白くなった富士山がきれいに見えます。
朝日を浴びた富士山はそれは美しく、心が洗われるような気がします。
昨年、拠点を箱根の家ひとつに決めました。東京のマンションがないと出張のときなど不自由かもしれないと思わないこともなかったのですが、逆に楽しみも増えたように思います。
まず、暮らしがすごくシンプルになりました。
朝は日の出と共に目覚め、時間に余裕があるときには箱根の山を歩いています。すっかり寒くなったので、マフラーを首にしっかりとまいて、手袋をはめて。
清涼な山の空気を呼吸しながら、山道を歩くと、いつのまにか体もあたたまって、1時間が過ぎる頃にはもっと足を伸ばしたくなっています。
また、東京にマンションがあるときは、いつでもどこにでも行けると思っていたために、うっかり展覧会や映画を見逃したりしたこともありましたが、今ではすべてスケジュールに組みこむようになり、これはというものを見逃すことがほとんどなくなりました。
秋から年末にかけては例年通り、とてもいそがしく、仕事の合間を縫うようにしてプライベートのスケジュールをほんの少し入れるくらいだったのですが、これからは美術展を楽しむためだけに東京に足を伸ばすような、贅沢も少しずつ味わってみたいと思っています。
今年は、箱根の暮らしを楽しみつつ、じっくり自分と向き合っていくつもりです。
そして、仕事の面では、課題山積みの日本農業のサポーターとして活動を続ける一年にしたいと思っています。
いい年になりますように。
みなさまのご健康とお幸せを祈りつつ
               
浜 美枝

地域の絆-琉球新報「南風」

2006年がもうすぐ終わる。この時期、いつも暦とは不思議なものだと思わずにはいられない。大みそかが近づくと、過ぎし1年を思い、そして時計の針が0時をさすと同時に、気持ちが新たになるのだから。
長期不況から脱出したといわれて久しいが、地方をまわることの多い私にとっては、今年も、それがどうもピンとこなかった。多くの駅前商店街がシャッター通りになり、高齢化・過疎化の進む村の中には村自体の存続さえ危ぶまれているところが珍しくなくなっている。
先日、”椎野アジサイロード”で知られる九州・高千穂の北郷村を訪ねた。約3万本のアジサイが道路沿いに植えられ、季節には1万人もの観光客が訪れる。「村を通る人がきれいだなぁと思ってくれたら嬉(うれ)しいと思って。こんなに喜ばれるなんて思いませんでした」。アジサイを植え育てている村の人の言葉から、日本に古くからある”もてなしの心”を感じて胸が熱くなった。
近ごろ、日本の美しさが話題になることが増えたが、暮らしの延長線上にある “もてなしの心”のような美意識にもまた、光があたるような社会であってほしいと切に思う。そのためにも、こうした美意識が残る地域の絆(きずな)が失われていない場所、つまり地方を大切にする社会をつくっていかなくてはならないと思う。その意味でも今後、沖縄がはたす役割は大きいと私は思う。若者は年寄りを敬い、老若男女みな地元を愛し、共同体としての絆が今もしっかりと生きている。
日本が美しくあるためには、東京だけではダメで地方が元気でなくてはならない。沖縄の人々にはこれからも誇りを持ってがんばってほしい。07年の沖縄の繁栄を祈りつつ、筆をおきたい。
琉球新報「南風」2006年12月12日掲載

沖縄ベンチャー-琉球新報「南風」

なぜ私がこんなに沖縄に魅力を感じ、第二の故郷に戻ってきたかのような安堵(あんど)感を覚えるのか。その理由は人だと思う。特に沖縄の女性たちの、辛(つら)いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。そのすべてに強くひきつけられている。
職業は旅人かと思うほど、私はこれまでに多くの土地を旅してきた。国内だけでもお訪ねした市町村は1200にものぼる。そこで感じるのは、出会った人たちの印象で土地への親しみ度が決まるということだ。
私が親しくさせていただいている仲間に沖縄ベンチャークラブのOGたちがいる。ベンチャークラブはボランティア団体・国際ソロプチミスト沖縄に認証された、働く若い女性たちのボランティアグループだ。「冒険なくしては何物も得られない」をスローガンに、月1回の早朝清掃をはじめ、子どもの入院施設やアメラジアン・スクール・イン・オキナワへの訪問、ラオスやフィリピンに絵本を贈る活動、さらにはチャリティー講演会の収益金で那覇市にリフト付きバスを寄贈したり、ペルーに幼稚園を建設したりと活動は多彩だ。私はベンチャークラブ主催の講師に招かれたのがご縁でおつきあいがはじまり早17年となる。
彼女たちは夢を語り、その実現に向かい真摯(しんし)に努力を続けている。長い年月の間には山も谷もあっただろうに、希望の光が消えることはなかった。その女性たちが今年、沖縄をアピールする事業を始めると聞き、応援したいと切に思った。というわけで、私はこれまで以上に沖縄を訪ねることになりそうなのである。応援といいつつ、こちらも彼女たちから多くの喜びをいただいているわけで、こうして逢瀬(おうせ)を重ねるうちに文字通り、沖縄が第二の故郷になりそうな予感もしている。
琉球新報「南風」2006年12月12日掲載

かりんとう-琉球新報「南風」

粟国島を訪ねてきた。農林水産省と財団法人農村開発企画委員会の共催で毎年、開かれている食アメニティ・コンテストに、粟国島の「きびもちかりんとう」が推薦され、私はその調査のために伺ったのだった。
きびもちかりんとうを作っているのは、粟国農漁村生活研究会の女性たちだ。粟国に特産品をという思いから生活改善活動が始まり、かりんとうだけでなく、ソテツの実を使った「そてつ実そ」や特産の小粒小豆を原料にした「あぐにようかん」を商品化。生産加工、販売活動を行っている。02年に琉球新報活動賞も受賞した元気いっぱいのグループだ。かりんとうの製作現場をご案内いただいた。成形したきびを油で揚げ、直火式製造の黒糖をからめる。すべてが手作業だ。普通のサクサクッとしたかりんとうとは異なる、カリッという食感、香ばしさ。そして黒糖の豊かな風味に驚いた。
かりんとうにかける思いや今までのご苦労などをうかがっているうちに、すっかり彼女たちに魅了されていた。今、沖縄は観光ブームに沸いているが、こうした小さな島はなかなかそうした恩恵に浴することはできない。しかし、過疎と高齢化が進む中でも、島と家族と仲間を愛し、特産品作りに精を出して、ちゃんと後継者をも育成している女性たちがいてくれるのだ。
沖縄には、きびもちかりんとう以外にも、さまざまな島に素晴らしい特産品があると思う。そして、それらを欲しいと思う人は全国にいるはずなのだ。沖縄のアンテナショップは全国で人気があるが、それに加え、さらなる流通のシステムを作り上げることが必要ではないだろうか。かりんとうをおみやげにさしあげたら、友人の間で今、大変な評判で、「どこで買えるの?」と私は質問攻めにあっているのだから。
琉球新報「南風」2006年11月28日掲載

もずく-琉球新報「南風」

数日前、箱根の我が家にどっしりとした包みが届いた。開いてみると、中には塩をしたもずくが『うちの前の庭でとれたもずくです』との言葉と共にぎっしり入っていた。うちの前の庭? まるで庭のように身近に海と接する暮らしぶりも、その文面から香ってきて、二重に嬉しくなってしまった。
このもずくを送ってくださったのは、沖縄の南部農業改良普及センターで働く安次富和美さんである。安次富さんは農業普及指導員として、農村女性たちの特産品開発のサポートや地域の活性化の支援し続けてきた。私が主催している「食アメニティ・ネットワークの会」のグリーンツーリズム・ヨーロッパ研修旅行に、安次富さんが参加してくださり、それがご縁でおつきあいがはじまった。今、安次富さんは、粟国村の「あぐにようかん」などの支援を行うだけでなく、アットホームな沖縄の魅力を伝えたいと、グリーンツーリズムの実現のためにも少しずつ動き出している。
早速、彼女のもずくでスープを作っていただいた。磯のかおりと食感の愉しさ、豊かな味わい。翌日は三杯酢で、またその次の日にはもずくスープに。こうして久々に沖縄のもずくの美味しさを堪能させていただいた。
もずくを味わいながら、昨年の食アメにティ・コンテストで優良賞に輝いた小浜島の細崎さわやか生活改善グループもずく加工部の大城ユミさんたちの顔が浮かんできた。シママースと天然もずくにこだわり小袋入りにするなど工夫もして、もずくを島の特産品として育てた女性たちである。
安次富さんも大城さんたちも、自分たちの住む土地を愛し、自分たちのまわりにあるものの魅力を見出し、アクションを起こした女性たちだ。地元を愛する心と強い意思がなければ続けられないことだと感じる。私はこうした女性に出会うと、エールを送らずにはいられなくなる。
琉球新報「南風」2006年11月14日掲載

京須偕充さんをお迎えして

お父様は東京で二代目、お母様は四代目の江戸っ子。というわけで、京須さんは足して二で割っても、四代目の、つまり生粋の江戸っ子です。
本職はCDの録音制作のプロデューサー。特に落語には造詣が深く、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」をはじめ、古今亭志ん朝、柳家小三治などの録音も担当なさり、本職以外でもTBSの「落語研究会」の解説もつとめ、「古典落語CDの名盤」などの著書もしるされていらっしゃいます。
そんな京須さんがこのたびお書きになったのが「とっておきの東京ことば」。この本の中には、懐かしい東京ことばがぎっしり入っています。
「自分の家で炬燵に入ったまま、相撲の本場所を見られるなんて夢にも思わなかったよ。いい世の中になったもんだ」
「遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道って言うけど全くだね。五分ぐらいで着くっていうからそのつもりで歩いたんだがね、どうしてどうして、たっぷり十五分もかかるんだ。一杯食っちまったよ」
  
「このごろは、どういうものか挨拶が変わってきたね。玄関開けて、『こんちは』だの『おはようござい』っていうのはまァ悪かァないんだが、『ごめんくださいまし』ってのを、ついぞ聞かなくなったねぇ」
「そう言えばそうだねえ。大威張りで入って来るってわけでもないんだろうが、ごめんくださいぐらい言えなくちゃ、ま、お里が知れるってもんさ」
「儲かるそうだよ、やってみるかい」
「ごめん蒙りましょう。うまい話は危ないから」
目で読むだけでなく、声に出してみてください。耳に心地よく、いいまわしが本当に洒落ているでしょう。
話し手がどんな暮らしをしている人なのか、どんな考え方をしている人なのか、どんな心意気を持っているのか、などなど、これらの会話から、伝わってくるような気がしませんか。
昭和三〇年代、東京オリンピックくらいまでの東京では、こういう豊かな言葉を生き生きと人々がやりとりしていたのですね。
今、東京で話されている言葉は東京ことばではなく共通語。やはり、比較すると、暮らしの肌触りがするりと抜けてしまっているような感じがします。暮らしから自然に生まれてきたことばと、そうでないものとの違いでしょうか。
東京ことばは「べらんめぇ」口調だと思っている人が多いことを、京須さんはとても残念がってもいらっしゃいました。
江戸東京の本来のことばは、相手を気遣い、尊重し、まずは柔らかく繊細丁寧にやりとりするもの。ことをあらわにせず、お互いのことを察しあい、譲り合い、必要があれば相手を傷つけることなく断り、きれいにことをおさめる……それが洒落や粋に通じていくのだとか。それでも通じなかったときには、辛らつな皮肉やちょっとした悪態をつき、それでも通じなければ、はじめて「べらんめぇ」に至るのだそうです。京須さんいわく、「朝から晩までべらんめェじゃ、「江戸文化」が聞いて呆れらァね」
東京ことばが失われていくのは、東京がかつてもっていた人と人とのおつきあいのあり方が消えていくというのと同意義だとも感じさせられました。なんとかして、東京ことばを残し、復活させられないものかしら。下町育ちの私としては、いてもたってもいられないような気持ちになってしまいました。

とっておきの東京ことば
とっておきの東京ことば 京須 偕充

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