京都・「ギャルリー田澤のクリスマス」

『ギャルリー田澤』は私にとってずっとずっと憧れの場所でした。
お店の前を行ったり来たり・・・
京都は私を骨董の世界へと導いてくれた場所。
10代のころ京都に降りたったとき、思わず立ち尽くしたのを私は覚えています。そこには日本の美しく繊細な街並みが広がっていました。
木造の町屋がずらりと並び表通りには、昔ながらの看板やたたずまいを残したお店がつづいていました。
鴨川の流れが日差しに反射してキラキラと光っていました。
橋を渡り二条通りを歩いていたら「ギャルリー田澤」に出逢いました。
店の入り口のしつらえ、そのセンスの良さに目を奪われました。
それから数年はお店の前をやはり行ったり来たり。
ある夏の日、美しく打ち水がされた店内へと足がひとりでに向くのです。
にこやか迎えてくださる田澤ご夫妻。
そこには『和魂洋彩』を唱えるご夫妻の美の世界が広がっていました。


ガラス・ランプ・古伊万里やラリック・バカラのお皿やグラス・・・
卓上ランプに灯りがともり「なんて美しいの・・・」とつぶやいていました。
赤褐色のバカラのランプの肌にひじょうに細かく描かれた文様を見ているだけで、心が静かになごんできます。
和室には絨毯が敷かれ洋風のしつらえ。
お茶をなさっているからこその美意識。
世界で一番美しいギャルリーだと思います。
「西洋では、アール・ヌーヴォーあるいはアール・デコと決めたら、食器から家具まで全部を統一します。洋食のテーブルセッティングだって全部同じスタイルでフルコースをそろえますが、日本にはそういうのを嫌って、ちがうものを組み合わて、そこに調和のあるテーマを見出すという感覚を大事する傾向があります。これは日本独特の文化です」と、今は亡き田澤長生さんは語られました。
クリスマスの季節が来るのが毎年楽しみです。
美しく飾られた花々・・・昼間と夜とでは表情が変わるセッティング。
胸がぽっーとあたたかくなった気がする午後から夕暮れの時間でした。

北海道・置戸(おけと)町への旅

羽田から女満別空港に向かいます。
上空から見る釧路湿原、阿寒湖。
神秘的です。穏やかな午後の陽射しをあびまもなく迎える凍てつく冬を感じさせてくれます。こうゆう瞬間を天からの贈り物・・・と感動を戴きます。


今回はオケクラフト30周年記念「暮らしと文化を楽しむサロン」に招かれました。


農林業の振るわない過疎化の著しい町村に、住民自らが「心豊かな暮らし」をめざし、町おこしとして、置戸の町にクラフトを・・・と内外の100人以上の人々が学んできました。工業デザイナーの故秋岡芳夫の町づくりの提案がオケクラフトの誕生へと繋がっていきました。


とにかく”美しい町”なのです。
面積の87%が森林に囲まれた自然豊かな町です。
清らかな流れの川。
建物、一つ一つは個性的ですが、町全体に気品を感じます。
人口3300人という規模がちょうどいいのでしょうか、看板も木彫りでセンスよく掃除の行き届いた町。
住民が自分たちの暮らす町を愛しているのがよく分かります。
・・・風。ではなく「どま工房」にはどこか人の匂いと温かさが感じます。
オケクラフト共同工房では研究生が自立するまでサポートをしています。
工芸館で拝見した素晴らしい作品のかずかず。


1983年には「町民憲法推進大会」が開かれ秋岡さんが「木と暮らしのデザイン」をテーマに講演され、それ以来町づくりに貢献なさってきました。


工芸的な視点での町づくり・・・簡単なようで実はとても難しいことを全国をまわってきた私にはよくわかるのです。
得てして同じような駅、道路沿いの看板、田んぼの真ん中に大きな看板。
工場が丸見え。そのことを考えると、この置戸の町の何と美しいことか。
そして、美味しいのです。
NHK「プロフェショナル仕事の流儀」で話題になった”日本一”置戸の給食。40年味覚を育てるプロの技・佐々木十美さんを中心に素敵な器に数々の料理が盛られ、住民の方々とご一緒に昼食をいただきました。
「食器と食のつながり」美しい料理の数々。地産地消、地元で採れた馬鈴薯やタマネギ、ヤーコンなど秋の味覚。
どれひとつとっても、大人たちが「未来をになう子供たち」へ。という思いが伝わってきます。
豊かな自然があり、豊かな自然から生まれる暮らしがあり、季節ごとの祭りや行事を大切にし、そこに暮らす人の笑顔があり、大きく深呼吸したくなる町。私にとっては「手仕事」のある町に出逢う幸せ。


素敵な一日を過ごさせていただきました。
置戸の皆さま、ありがとうございました。
また春になったら伺いたいです。
買わせていただいたクラフトもさっそく使わせていただいておりますよ!

飛鳥Ⅱの旅・船内での講演

今年はお正月早々、友人達と飛鳥に乗り”お伊勢さん”にお参りに行き今回が2度目の飛鳥での旅でした。
JA新潟女性組織協議会主催のお招きでした。
参加者は650名。
同じ「食・農・環境」に関わっておられる方々、それだけで気持ちが通じ嬉しい出会いをいただきました。
私は名古屋経由で鳥羽港へ。そこで皆さまと合流いたしました。
翌朝2回の講演でした。


『明日を素敵に生きる』というテーマでお話をさせていただきました。


以前、歌手の小椋桂さんがテレビ番組のインタビューに答えられておりました。「人生年を重ねれば、坂道を下りてゆきます。ただ、その道を上り坂と捉えるか、下り道ととらえるか・・・」でずい分ちがう・・・「もう・・・なのか、まだ・・・なのか・・・」でも違う、と。
私は、箱根の山を時間が許すかぎり歩いておりますが、ときにはだらだら道を歩いておりますと、足元に咲く可憐な花をみつけたり、急な山道を息を切らしながら上っていると、雲の流れに目奪われたり、その日、その日の自然を体ごと受け止められる自分でありたいと思います。
輝いて「明日を素敵に生きる」とは、いかに自分らしく生き抜くことではないでしょうか。
私は四十歳のときから、演ずることを卒業し、新たな人生の扉を開けました。
30代は子育てをし一緒に旅をし、家作りをし、毎日の食を担い、子供の勉強を見、やれやれと辺りを見回すと、「日本はどこへいこうとしているのだろう」と思いました。
それから勉強を始め、「農」の道に踏み込み、田畑をお借りし10年間米作りを学び農村の女性たちと夜を徹して明日の暮らしを語りあってきました。
農村漁村と都市を結びつけ、生産する皆さんと消費する皆さんが、手をつなぐことの大切さを実感しました。
あれから30年の歳月がたちました。
「農」は自然、、環境、食、伝統、歴史、政治、未来、人間、美、健康、経済、教育などあらゆる方向から考えられるテーマなのです。
私は”明日を素敵に生きる”ための三つの「食・職・飾」を提案させていただきました。
食べることは生きること、食は命そのものです。
職は社会参画すること。
飾は心を飾ること、感動を忘れず、愛する心をもつこと。
そうなのです・・・分かっていても、ああ、今日は、予定通りできなかったわ。
なぜ、あれをこうしなかったのかしら。
そんなことを思いながら、夜、布団にはいることもあります。
なんでも自分でやらなければ、気がすまないし、それがきちんとできなければ、自分に対してイライラ。そのあげく、くよくよしてしまう。
でも、70歳を迎え今の私だったら、今日は考えるのをやめて、ワインでも飲んでゆっくり寝てしまおうと、思えるようになりました。
全部、自分でしようと思わなくてもいい。
完璧にできないことだってある。
この当たり前なことが、あるとき、心の中にストンと落ちてきてくれたのでした。
心の深いところに届くと、なんの抵抗もなく、するりと納得できてしまうんですね。
そんな日常のあれこれをお話させていただきました。
同じ女性として、同じ空間の中で「明日を素敵に生きてゆきたい」との思いを深めることができました。
皆さん、ありがとうございました。
また今度は新潟に遊びにうかがいますね。
幸せな気持ちで横浜港、飛鳥を下船いたしました。

「モネ、風景をみる眼」


樹々が黄色や茶色に色づきかけてきた箱根の山。
朝庭に出てみると、美しい光を感じ思い立って「そうだわ・・・ポーラ美術館に行ってみましょう」というわけで先日行ってきました。
「モネ、風景をみる眼」が開催されています。
ポーラ美術館と国立西洋美術館の共同企画です。
箱根の森でモネの風景を観る・・・贅沢な時間です。
「モネは眼にすぎない、しかし何と素晴らしい眼なのか」
セザンヌの言葉です。
我が家からバスに乗り強羅駅からまたバスに乗り換え「こもれび坂、ひめしゃら林道」のバス停を抜けるとポーラ美術館があります。
私は美術館、神社仏閣などはなるべく朝一番で行きます。
そこには静謐な空気、風、匂いがするからです。
9月に2週間パリに行き、オランジェリー美術館でモネの睡蓮を見て、今回出展されている「サン・ラザール駅の線路」が描かれたその駅に降り立ち、白い煙を上げて走る列車ではありませんでしたが、じゅうぶん雰囲気に浸れました。
あるときは、ジヴェールのモネの家の美しい黄色に塗られた食堂に飾ってある浮世絵をみて、モネの深い浮世絵への興味に心が動かされ、庭を歩きなぜ私はモネにひかれるのかしら・・・と思ったものです。庭には藤や牡丹を植えて日本風の太鼓橋をかけ日本が好きだったことがわかります。
光や風、煌く水辺の風景。
後年、モネは語っています。
「私の眼はしだいに開かれた。自然を理解し、愛することを知ったのだ」・・・と。
私は不思議に思うことがあります。モネは収穫や農耕の風景をよく描きます。
でも、農民や労働を表現している絵がありません。
なぜかしら・・・風景に人物を描かないのは。きっと、光の効果を熟知しているからなのかしら。
見惚れているうちに、感動のこころでいっぱいになりました。
歳を重ねていくにつれて感動のこころが広がるように思います。
11月24日まで開催されています。
http://www.polamuseum.or.jp/

鎌倉への小さな旅

娘のアンティークショップ 「フローラル」が箱根やまぼうしから鎌倉に移転いたしました。
鎌倉にはこれまで何回か海沿い、お寺巡り、花の季節と行っておりますが、四季折々表情の違う街との出逢いがあります。今回はあらためてショップまでの道のり、小さな旅をしてきました。
小田原から東海道本線に乗り大船へ。
車窓から見る湘南の海・・・。息子達が湘南の海近くに住んでおりますので孫と一緒に海まで散歩したり、海岸で砂遊びをしたり・・・。箱根の山では味わえない楽しみがあります。今度はさらに、その先に鎌倉が私のフィールドに入ってきました。
「私の小さな旅」は目的に直行するのではなく、寄り道から旅が始まります。喫茶店であったり、花屋さんであったり、パン屋さんであったり・・・。
けっこう嗅覚には自信があります。あまりハズレ・・・がないのです。と、いうより何というのでしょうか「ウン?何か違うな」と思ったらパス。「気になるな~」と思ったら入る。それだけのことです。では、ショップまでの短い私の旅をご案内いたしますね。
大船駅で横須賀線に乗り換えて北鎌倉を通過します。ここは以前に北条時宗が創建した「円覚寺」でお話をさせて頂いたことがございます。駅から歩いてすぐ。線路沿いを観光客の方々が散策していたり、買い物カゴをさげて歩く人、生活の香りがして好きな沿線です。


二つ目の駅が鎌倉。駅を降りてロータリーを渡り、小町通りは人・人・人。若宮大路を真っ直ぐに進み、まずは「鶴岡八幡宮」へ向かいます。


以前蓮の花の美しい時期に行ったことがあります。石段を上りお参りをし、鎌倉の街並みが見えます。八幡さまで結婚式をあげたカップル・・・素敵ですね。


そして八幡さまの真横に鎌倉彫りの『博古堂』さんがあります。もう25年ほど前でしょうか。手作りの職人さんを訪ねるテレビ番組でお訪ねしたことがあります。木と漆、使うほどに艶をおびて美しくなる鎌倉彫。私はそのときに先代に作っていただいた箱型の鏡台と手鏡は今でも使っています。深い艶が魅力的です。


そして、金沢街道を歩いていると私好みの素敵な喫茶店に出逢いました。散歩途中、喉を潤したくなりました。お店の名前は「Life」。水出しのアイスコーヒーの美味しいこと。伺うとコーヒー好きのオーナーが北海道から自家焙煎した豆を取り寄せ、専用のドリップで7~8時間かけて淹れられるとのこと。美味しいはずです。その後もう一杯、ホットコーヒー「ブラジル」をいただきました。落ち着いたお店で30分近くお邪魔してしまいました。あまり教えたくない・・・などと思ってしまいました。


金沢通りをさらに進み、美味しそうなパン屋さんを見つけました。ドイツパンの「ベルグフェルド」。クロワッサンに「二度楽しめる」と書いてありました。
「ンン?二度?帰りに買っていこう!」・・・と。


そしてちょっと手前の肉屋さんと八百屋さんの間の狭い路地を入ってすぐ右に小さなショップ「フローラル」があります。


彼女はアンティークが好きでイギリスに買い付けに行きます。
アンティーク・ヴィンテージの食器やカトラリー、ティ&コーヒーカップやグラス。世界各国の素敵な手仕事の品。アクセサリーもとても好きです。私はカップ&ソーサーを一客とトレーを買いました。トレーの刺繍の美しいこと。
やっぱり女性は”ラブリー”が好きです。


そうそう、帰りに買ったクロワッサン、サクサクとしっとりが二度味わえるのです。始めて食べた食感。娘に教えてもらいすぐ近くにフランス風のパン屋さんに寄り、やはりパリ風のクロワッサンを一つ買いバスに乗って(バス停は岐れ路”素敵な名前ね。)帰路につきました。
鎌倉にいらしたら「FLORAL」フローラルにお立ち寄りください。
小さな・小さな可愛いショップです。
電話0467-91-5181
OPEN 11:00~18:00
火曜お休み
詳しくはHPをでご覧ください。
http://www.floral-antiques.jp/

土門拳記念館

土門拳記念館の開館30周年記念企画講演会に招かれ山形県酒田市に行ってまいりました。酒田市内から鳥海山を見ながら最上川を渡り、飯森山公園の中を抜けて行くと記念館があります。


酒田で土門拳先生のお話をさせていただけるなんて・・・夢のようです。
    『人の歴史は出逢いの歴史』
誰の人生も、振り返ってみると、いつも偶然のようにして出逢った人に導かれて「忘れられない出逢い」の積み重ねで、その歴史を形作っていくものだと思います。
もし、あの人と出逢わなかったら、今日の私はなかったかもしれない・・・と感ずる人との出逢いの思い出を、誰もが必ず持っているのではないでしょうか。
写真家・土門拳さんとの出逢いは、私にとってまさにその後の人生を決定づけるそんな出逢いでした。
16歳になって間もないときのことでした。
立ち寄った本屋さんでふと手にとった一冊の写真集。「筑豊の子どもたち」と題されたその本が、なぜか私の心を惹きつけました。
昭和三十年代のまだ日本全体がとても貧しい時代でした。
ザラ紙に刷られたモノクロ写真の一枚一枚から、生き生きと表情豊かに何かを語りかけてくる炭鉱の子どもたち・・・。
写真集の表紙は、小学四年生のるみえちゃん。
電灯代わりのろうそくに、マッチで火をつけるるみえちゃんと、それを見守る三つちがいの妹・・・。姉妹のもの憂いた佇まいと無邪気さ、美しさと底知れぬ悲しみ、一枚一枚の写真が、悲しさと子供達の愛らしさを伝えていました。
私はまだ幼く、これらをなんと評していいものか、言葉をみつけることさえできませんでしたが、厳しい現実にさらされて、それをたたじっと見つめ、向かい合う子供たちの姿に、戦後の日本が抱えて、そして忘れさろうとしたもののなにかを、私は感じていたのかもしれません。
それらの写真はその時の私の日常からは遠い別世界のようであり、またとても身近なもののようであり・・・・多感な少女の心に強烈な印象を残したことだけは確かだったように思います。
そして私はそのときはじめて、社会派カメラマンという職業に興味を抱き、また「土門拳」という偉大な写真家の名を、はじめて知ったのでした。
“お逢いしたい”・・・と思いました。
それから間もなく運命の時はあまりにもさり気なく、予期せぬ早さでやって来ました。「婦人公論の表紙撮影で京都に行くよ」。と東宝の人に言われ、そこにカメラマンとして、思いがけない「土門拳」という名が記されていたのです。
あんな写真集を出された方に、この私が撮って貰えるなんて・・・と、女優という仕事に就くことになった幸運を、有難いと思いました。あの頃は、たった一枚しか使わない表紙の写真を撮るのに三日間という予定を組んだ優雅な時代です。
初日は素晴らしい天候でした。
「あ~今日で先生とはお別れだわ」とがっかりしたのですが、イメージする陽の光ではなく中止になりました。
先日の講演のあと、第2部でお弟子さんでいらした藤森武さん、堤勝雄さんから伺うと撮影の場所が苔寺でしたから、晴れていると陽の光が違うとのこと。妥協を許さない先生の仕事ぶりを身近で感じることができました。
「ついて来るかい?」と、京都の町を散歩に出掛けられる気楽さで誘ってくださいました。
連れていってくださったのは四条通の「近藤」という骨董のお店でした。
あの日以来、通い続けた私にとってかけがえのないお店。
『ものには本物とそうでないものと、二つしかない。本物に出会いなさい』と先生のお言葉。
骨董と私の最初の出会いは京都でした。
土門拳記念館では『古寺巡礼』、とっておきセレクションが2013年9月11日~12月15日まで開催されています。

そして出会いの結実「女優と文化財」、婦人公論の表紙になった女優たちの写真展も同時開催されています。


私は信楽の大壷と一緒に、苔寺の庭で・・・と、やく50年前の自分と出逢いました。
「室生寺に始まり室生寺に終わる」
といわれます。
病に倒れられ車椅子での撮影、「室生寺雪の鎧坂金堂見上げ」も大好きな写真。古寺巡礼の写真の一枚一枚に本物の日本人を撮ろうとする土門先生の気魄がせまってきます。風景には穏やかなお姿が重なります。


写真を追って室生寺、京都のお寺・・・と私の旅はつづきます。
四季おりおりの「土門拳記念館」には何度かうかがいました。建築としての記念館も素晴らしいのです。鳥海山を池の水面に映し、土門先生と交友のあった方々。イサム・ノグチの彫刻、勅使河原宏氏の庭園、父上の蒼風氏のオブジェ。飯森山公園の美しい風景。
もっともっとこの空間にいたい・・・そんな思いで帰路につきました。

飛騨路への旅

パリから戻り、4年間つとめた近畿大学の客員教授としての最後の講義を土曜日に終わらせ、大阪から名古屋経由で飛騨古川に行ってきました。
古川は高山から西へ16キロ。
有名な高山の影に隠れていて目立たなかったのですが、私はそのことがとてもよかったなぁ、と勝手に思っているのです。
観光地づれしない、初々しさといいましょうか。
家々の営みが、こんなに美しいなんて!と、感動なさると思います。
城下町として栄えた名残が町並みに残っています。
観光地化されない良さが、旅人をくつろがせると、いつも私は思っています。
住んでいる人たちがその町を愛していないと、町は美しくなりません。
城下町として発展してきた古川の町は、鯉の泳ぐ瀬戸川を挟んで碁盤割りに町内が区画され、出格子の商家や白壁土蔵の造り酒屋が続くしっとりと落ち着いた雰囲気の町です。
飛騨の匠の流れをくむ「木の匠」たちの手による木造建築によって町が構成され、一軒一軒が木ならではの品格と優しさ、強さを秘めた家並みで構成されています。
ご縁ができる土地ってあると思いませんか?
私は全国に何ヶ所か、世界に何ヶ所かもっています。
何度行っても新しく、そして懐かしい所。心からくつろげて、癒される所。
そんな旅先を持っていることが、心の財産だと思っています。
その財産のひとつが飛騨古川なのです。
この地名を耳にすると、私の胸はキュンと高鳴ります。
高山本線に乗り、秋のふるさとを目指しました。
車窓からは、黄金色にかがやく稲穂。
一面に咲いたコスモスが、風に吹かれて軽やかに揺れ、紅色の彼岸花が沿線に咲いています。川の流れも穏やかです。


駅に降り立つと仲間が「おかえりなさい」と迎えてくれます。


私が民藝に目覚めた中学生の頃からの夢の家。
柳宗悦先生の本に触発された匠の技による”美”の実現。
太い柱、使い込んだ床、磨くほど味わいをます道具達。
それらで構成された家を作りたくて旅を続けていた40年ほど前。
そのために廃屋探しで飛騨地方や北陸を旅していたとき、ふと降り立った町。
その町で、ある青年に声をかけられたんです。
「浜さん、ボクたち映画を作りたいのです。タイトルだけは決まっているんです。『わがふるさとに愛と誇りを』っていうんです。」
青年は、私が女優というだけで映画作りもすると思ったわけです。頼まれた私はびっくりしましたが、彼らの熱意に打たれ協力することになりました。そのときの出会いがご縁で、私は飛騨古川の応援団として今でもお付き合いが続いているのです。
知り合いの映画技術者など紹介し、できるだけのことをお手伝いし、8ミリで2時間の大作が完成しました。その日の感動が、以後40年過ぎても、私を古川に引き寄せるのです。
何に引き寄せられるかといいますと、これは何処へいってもそうですが、そこに生きる人々の心映えです。それが旅人である私の最高の魅力なのです。
お付き合いが40余年もの歳月に及ぶと、仲間は親戚のようになり、同世代の仲間ですから、人生の折々の楽しみや悲しみも共有するようになっています。
今回も彼らと旅の話や家族の話・・・これからの町づくりをどう若者に繋いでいくか、などなど。
第二のふるさと・古川の町並みを誇らしく思います。
懐かしい友を訪ねる旅をしてきました。

パリの旅

パリから戻りました。
遅い夏休みを二週間とっていました。
本当はエジプト行きを計画していたのですが、今回は取りやめました。
「さ~て、古希の自分への”ご褒美”はどこにしましょ」・・・と考え、ジャンヌ・モローの映画「クロワッサンで朝食を」を観て「そうだ、パリに行こう」ということでアパートを借りて行ってきました。
「暮らしているような旅」を以前経験してから今回が二度目。


6階の部屋から見える建物が”パリに来た”・・・と思わせてくれます。
まず荷物をとき、自宅から持参した大好きなテーブルクロスをかけ、近くで買った花を飾り「自分の部屋」の出来上がり。
花とテーブルクロスは旅に欠かせません。
近くのスーパーで水・牛乳・果物を買い、そして美味しそうなパン屋さんを見つけるのが最初にすること。パン屋さんはパリっ子がならんでいるところにハズレはありません。
「クロワッサンで朝食を」! ジャンヌ・モローのようにはいきませんがまずクロワッサンとパレオレザンを一つずつ買いました。
一週目はセーヌ川の右側にあるサントノーレ通りの端っこのアパート。
この界隈は美術館にどこも歩いていけるのです。
初日は「オルセー美術館」へ。
1900年のパリ万博の際に建造された鉄道の駅舎が美術館に転用されています。


「落穂拾い」に魅せられ、工業化する社会状況の中で昔どうりの農作業をする人びとが描かれ、なんだか懐かしく、短い生涯を終えたゴッポの自画像、ローヌ川の月星夜・・・。一日中いてもあきません。
翌日はベルサイユ宮殿の庭園などを手掛けたル・ノートルによって造られた「チュイルリー公園」をゆっくり初秋の花々を見ながら散歩し、「睡蓮」のためにモネが構想した光溢れる「オランジェリー美術館」で睡蓮の前に佇み、印象派の絵画を楽しみました。そのままシテ島まで歩き、ノートルの大聖堂のバラ窓のステンドグラスに魅せられ、裏側から観る寺院の優美さにうっとり・・・。


小さな橋を渡って、サンルイ島のカフェでお茶して・・・パリらしい文房具屋さんでは「かわいい~」とエンピツやノートを”自分へのごほうび・ごほうび”と大量に買い込み、セーヌ川に浮かぶシテ島の中にある花市で見つけた花ではなく、アンティークの布で出来た大きな・大きな花のバッグに一目ぼれ。裏の小路を抜け、古本市を見ながらアパートへ。この日は18000歩も歩きました。


右岸では友人に案内していただき「パサージュ」巡りが素敵でした。
ノスタルジックな雰囲気のアーケード街。
19世紀に建設されたガラス張りのアーケイド。
古きよき面影を残すお店が連なっていました。
もっともパリらしい場所です。


二週目からは左岸のアパートに。
コンコルド広場から地下鉄で4つ目。”ラ・モット・ピケ”
(銀座一丁目から恵比寿へ、)というところでしょうか。
友人が引越しを手伝ってくださいました。ありがた~いです。
ここは以前と同じ部屋。
テラスからエッフェル塔、モンパルナスの丘が一望できます。
ワンルームですが、どちらのアパートも快適です。
夜は8時過ぎまで暗くならないし、朝は7時半過ぎにようやく明るくなります。


朝食・夕食は基本的には自炊し、昼食をしっかりとり、夕食はワインとチーズ位がちょうどいいです。水曜・日曜は直ぐ傍にマルシェが開かれるので、さっそく果物、生ハム、チーズなどを買いました。スーパーよりも新鮮でかなり安いです。地元の人びとが買い物カゴを持って買いにきます。
アパートの前が地下鉄駅、バス停も目の前なので共通のチケット(カルネ)を10枚買いどこに行くにも便利です。
朝、下を走る電車で目覚めます。
1週目は動きまわったので、2週目はのんびり過ごしました。
6時ころに起き、まずミルクたっぷりのコーヒーを一杯。
7時前には開く近くのパン屋さんにクロワッサンを買いに行き、出来立ての美味しいこと。朝食をとりながら10時ころまでのんびり本を読んで過ごします。
今回、何冊かの本の中から河合隼雄さんの「”老いる”とはどういうことか」をいっきに読みました。
こんなページに出会いました。
ある六十歳近いご婦人が、次ぎのような夢を報告されたことがある。
「夕陽が美しく沈んでゆくのを見ていて、ふと後ろを振り向くと、もう一つの太陽が、東から昇ってくる」。この夢はこの方の置かれている状況をあまりにもよく表現しているように思われた。これから老いてゆく、ということは「落日(らくじつ)」によって示すのが適切である。しかし、その一方では「私の人生これからはじまるのだ」といわんばかりに、日が昇ってくるのだ。
そうですね・・・。
50代までは、家庭・育児・仕事・・・など、自分のことなど考える余裕がなかったのかもしれません。私自身は多くの旅をしてきましたが、心からの解放はできなかったのかもしれません。二つの太陽のイメージは、まさに、私にぴったり!と思わず大きくうなずいていました。
一日一ヶ所・のんびり旅です。
バスに乗り、モンマルトルの丘が終点(裏側に着くので静かな住宅街を抜けていけます)。途中下車して常設市場に寄り、モネの絵と同じ駅の風景をみて、ルネ・ラリックゆかりの地旧ラリック邸も訪ねました。ラリック作の扉も素晴らしくうっとりしてしまいました。映画人の多い住宅街、Montmartreで下車し、丘の上からパリの街を一望し、歴史に名を残すアーティストの集まった時代に思いを馳せ、ゴッホが弟テオと過ごした家も見学し、モンマルトルのカフェでいただいた「オニオンスープ」の美味しかったこと。

ある日はビオカフェで友人とランチをいただきながらのんびりとおしゃべりを。今回、オーガニックマルシェなど、スーパーでもビオの商品の多さに驚きました。食品だけでなく生活まわりの品々、市民がビオに深い関心を持っていることを知りました。

エッフェル塔までは歩いて30分ほど。
周辺はカフェやレストランの他、おしゃれなショップも充実しています。
近くから見上げても、遠くから前景を見ても、その美しさに圧倒されます。
いつか階段で・・・と思いながらまだ実現していません(いえ、もう無理でしょうけれど)。日曜日はパリジェンヌマラソン大会を見に行き、セーヌ川でランチクルーズを楽しみました。(思いっきり観光客になりました)

私のお薦めは、エッフェル塔から歩いてすぐの「ケ・ブランリー美術館」。
アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ大陸の美術、文化を中心としたコレクションが見事です。庭も自然に作られていて、カフェも素敵。
最後の日はやはり大好きな サンジェルマン・ドゥ・プレ界隈の散策。
たくさんギャラリーや本屋さんもあり素敵なカードを見つけました。
かつてフランス文化の中心地として多くの芸術家が集まった場所です。
まずは、サンジェルマン・ドゥ・プレ教会へ。
教会の正面にあるカフェ「レ・ドゥ・マゴ」はかつてピカソや詩人ランボーをはじめ、文化人や芸術家が出入りしてしていたところ。私も椅子にすわりエスプレッソを飲み幸せな気分を味わいました。
私はフランス語が話せません。
でも、このごろでは英語で会話してくれます。
「ひとり歩きの会話集フランス語」を片手に身振り・手振りでの旅です。
一番の楽しみは教会の横の小路を入ったところにあるアンティークショップに行くことです。15年ほど前にブラっと入りマダムと話をしていて、手縫いのベットカバーから始まり、毎回、ひとつずつ、大きな赤のクッションカバー、次ぎは花がらのカバー・・・と、今箱根のベットの上においてあるものはここで見つけたものです。
パリに来て思うことは、年を重ね70代、80代になっても、果物屋さん、パン屋さん、アンティークショップのマダム、ギャラリーのマダムなど、誇りをもって仕事をしていることです。そして、おしゃれも忘れません。下町のお母さんたちの元気は日本も一緒。誇りを持って生きることと頑固なことはちょっと違うかもしれませんね。
「老いる」とはどういうことか。
老いが多様的であるように、私は私でありつづけたい、死がくるまで。
そんなことを感じながらの二週間の旅でした。
そして、”美しいもの”を見ることの大切さも実感しました。

クロワッサンで朝食を

ジャンヌ・モロー主演の映画「クロワッサンで朝食を」を観てまいりました。
彼女の存在そのもの、その生き方が女性の憧れであり半世紀を超えて第一線を走り続けています。
ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」、「恋人たち」、「危険な関係」、トリュフォーの「突然炎のごとく」でふたりの男の間で揺れる女を。「黒衣の花嫁」のジャンヌ・モロー。1968年トリュフォー監督作品。私が25歳の時に観た大好きな映画。
老いすら美しい彼女。
誇り高く、背筋を伸ばし、女であることを捨てない・・・いえ捨てずに生きることの大切さを感じさせてくれる映画。「クロワッサンで朝食を」のストーリーはあえて書きません。
ただ、パリのような大人の街、環境だから可能なのでしょうか。
監督のイルマル・ラーグが、ある実話にもとずいて描かれた作品です。
今回の映画の中で着ているシャネルのスーツ・バッグはすべて自前だそうです。その空間はまるで彼女自身の自宅のよう。
60年間にわたって女優を続けてなお輝きをますジャンヌ・モローに乾杯!

学生たちと若狭でのフィールドワーク

近畿大学・総合社会学部の客員教授をお受けして4年目。
今年ですべての講義が終了いたします。
初回に「この美しいキャンパスを港として、どんどんフィールドワークに出かけましょう」と毎年、答志島と若狭へ出かけてきました。
「自分らしさの発見ー暮らし・食・農・旅がもたらすもの」をテーマに学んできました。
“この目で見て、この耳で感じる”・・・それを何度も繰り返してきました。
その中から人の暮らしが見えてきます。
「現場を歩く大切さ」
「食は命」
講義を担当させていただき、学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直すことができました。
TPP交渉も始まりました。
国家百年の計・・・と安倍総理はおっしゃっています。
農業の衰退は国を滅ぼします。
農業をはじめとして、私たちはどんな国を目指そうとしているのでしょうか。
“美しい日本の暮らし”
私たちが生きて暮らしているこの日本という国を、「誇りに思っている」と胸を張っていえる人がどれだけいるでしょうか。
私たちの子の世代に、孫の世代に、一体何を、誇りを持って受け継ぐことができるのか・・・。「物」と「お金」を必死で追い求めた時代。それを得ただけでは心から幸福にはなれないことに、若者は気づきはじめました。
この4年間、若者から多くのことを学ばせてもらいました。
ありがとう。

今回の若狭での経験を簡単ですが、感想文として寄せてくださいました。
私は今回の大飯町でのフィールドワークに参加して普段大阪にいるだけは感じることや、学ぶことのできない多くの体験をすることができました。様々な人との出会いもあり、お話を聞けたり、体験もでき、私にとってはとても貴重な経験になりました。大飯町の人はどの方もあたたかい人ばかりでまた交友関係が広くみんなが仲の良いように感じました。これも大飯町の魅力なのだと思えました。お世話になった方々、貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。機会があればまた大飯町に訪れたいです。
【植田 直弥】
今回のインターンシップで多くのことを学びましたが、その中でも最も感じたことは、食の大切さです。農家の人たちに関する映像を見たり、実際に農家の人の話を聞いたりして、とても苦労して作っていることを知りました。そんな国内の農家のために私たちができることは、できるだけ国産のものを買うことにあると思います。また、それは私たちにとっても安心を買うことにつながると思うので良いことだと思います。
【川端 達也】
今回の福井県でのインターンシップでは多くの貴重な経験をする事ができ、またとても楽しかった。竹紙作りや畜産農家の方に聞いた、苦労話やTPPへの思い。ほかにも多くの事を学ぶ事ができた。松井さんのおっしゃった「何にもないけれど、探せば何でもある」ということをしっかりと理解し学べたと思う。
【橋本 拓也】
私は、大阪に住んでいるのであまり自然と触れ合う経験があまりなかったのですがフィールドワークで見渡す限りの田園風景、山々の中を自転車で駆け巡り、様々な場所に行きそこで滝に打たれたり竹で紙を作ったりなど、たくさんの体験ができました。そしてたくさんの人たちの出会いもありました。訪れた場所でお話を聞き、バーベキューにいらっしゃった人たちとの交流や、案内してくださった松井さんの農業やおおい町の話を聞かせてもらい良い経験ができました。このフィールドワークは私にとってとても貴重な経験になりました。
【濵口 洋平】
今回の体験を通して、どれだけ自然が大事なものであるかということと、人と人との関わりの大切さを学んだ。三日間という短い日数の間だったけれども、その間にたくさんの新しい人と関わりを持つことができたし、松井さんからたくさんのことを学ばせていただいた。三日間本当に楽しかった。ありがとうございました。
【古川 恵里那】
今回のフィールドワークでは自然の素晴らしさを感じるだけではなく、現地の方々からお話を伺うことで自分の知らないことが数多くあることに気づきました。そのなかでも特に畜産や農業の一部を実際に見学することが出来、興味深く感じました。この2泊3日の経験を通して学んだことをしっかりと受け止め、考えることでこれからに生かしていきたいです。
【森田 勇佑】
おおい町では、目にするもの、食するものすべてが都会とは大きく異なっていました。若州一滴文庫を訪れたり、滝を見たり、畜産農家での見学、釜の見学、渡辺淳先生のアトリエにお邪魔させていただくなど貴重な体験を数多くさせていただきました。食べ物も新鮮でとてもおいしかったです。ぜひまたおおい町を訪れたいです。
【渡邊 絵梨奈】
やまぼうしのフィールドワークは、都会ではできないことを体験することができました。また、のどかな風景を自転車で進むのは爽快でした。ここでの体験は今後の人生の糧になると思います。最後に、楽しく、スムーズに過ごせたのは、松井さん家族をはじめ、若狭のお世話になった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
【塩澤 洋佑】
今回のフィールドワークは去年に引き続き二回目で、お手伝いとして参加させて頂きました。去年の内容には無かった椎茸工場の見学や紙すき・絵付け体験など、二回目の参加でもとても学ぶことの多い機会だったと思います。今回のフィールドワークに関わって下さった多くの方々、誠にありがとうございました。
【仲 勇至】
授業では二回目、実際に訪れるのはもう何回目かわからない福井県おおい町ですが、行く度に新たな発見がある素敵なところだと感じます。自転車で風を感じながら、おおい町で様々な体験をすることができました。今回は特に地元の方たちとお話できたのがすごく印象的でした。貴重なお話を聞くこともできてこれからのことを考えるよい機会となりました。ここでの出会いを大切にしていきたいと思いました。
【井實 彩嘉】
都会から離れ、大自然のなかで過ごした三日間は心身ともにリラックスできた時間になりました。おおい町は、見渡す限り山と田んぼで何もないように見えたが、学びがたくさんありました。それは地元では見れない農家を営むひとたちであったり、自分が知らないおおい町の文化です。この三日間は非常に濃く、考え、感じる三日間になりました。
【高本 典愛】