映画『ニューヨーク公共図書館』

先日、素敵な映画を見てきました。上映時間は何と205分!つまり、3時間半ですね。そんな長い映画を見たのは、もちろん初めてです。途中、伸びをするための10分間の休憩時間も、ちゃんと用意されていました。

映画のタイトルは「ニューヨーク公共図書館」。

図書館とは多くの老若男女が行き来し立ち止まる、文字通りの公共空間だということを丁寧に記録した、重厚なドキュメンタリー映画でした。

ここに描かれた図書館は、なぜ「公共」なのでしょうか?それは、一般市民からの寄付金などが、運営費の半分を占めていることもその理由です。単なる「公営」ではないのですね。今から108年前にオープンしたこの図書館は、現在では90を超える分館と6000万点の蔵書を誇る巨大な組織に発展しました。

映画の中で強調されたのは、図書館は単なる本の置き場所や書架ではないということでした。本を読みに来る人、借りる人。調べて資料を作成する人。そこには赤ん坊の泣き声が飛び込み、図書館職員の日常的な息遣いも交じります。

そして、この空間には様々なゲストも訪れます。パンクの女王、パテイー・スミス、英国のミュージシャン、エルビス・コステロ。彼らが講演会やトークショウなどを繰り広げるのです。職員の間では、経済的理由でネット環境に対応できない市民への対応策まで話し合われます。彼らは活字に限定された世界を飛び越えようとしています。

この映画の特徴は、会話やナレーションの翻訳を除けば、それ以外の字幕説明がないことです。有名歌手が話をしても、名前の紹介は字幕上はありません。図書館の利用者も職員も、そして高名なゲストスピーカーさえも、皆、この知的空間を支える参加者の一人だという、製作者の強い思いでしょう。

監督のフレデリック・ワイズマンさん。来年の年明けに90歳を迎える伝説の巨匠は、自国の文化と民主主義を心底愛し、誇りに思っているのですね。

3時間半、全然、長く感じませんでしたよ。
神保町 岩波ホールで上映中

イギリスへの旅のつづき~スリップウェア

日本にスリップウェアを広めるきっかけは一冊の洋書「クエント・オールドイングリッシュポタリー」(古風な英国陶器)だったそうです。1913年(大正2年)、日本橋丸善で同書を見つけた民藝運動の創始者、柳宗悦は当時まだ大学生で心驚かせたもののその洋書は高くて買えなかったそうです。

スリップウェアとは、やわらかく、穏やかで、親しみ深く、使いよさそうな器です。私がひと目惚れしたのが、25年ほど前に益子にお住まいだった濱田庄司先生の奥さまをインタビューのためお訪ねしたときでした。

角皿に細長い筍を湯葉で包み油で揚げて出して下さったときです。それまで日本民藝館でバーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉など、日本民藝を支えた方々の作品を拝見していました。

富本憲吉は柳宗悦より少し前にその洋書を入手し、前金を払い残りは友人に借金をしたそうです。「金は貸すがしばらく預けろ」と言って聞かなかったのが陶芸家バーナード・リーチ(1887~1979)でした。

1920年(大正9年)、リーチは濱田庄司と一緒にイギリスに帰国して、セントアイビスで窯を築き、作陶をはじめます。そしてある日、近所の家にお茶に招かれた際、45センチほどの黒字に白い縞模様の大皿にお菓子が入っているのを目にして、その日常の美の美しさに驚きます。のちに多くの日本人の心をつかむことになります。

古くは古代ローマがもたらしたスリップウェアといわれています。

これは私の個人的な考えですが、柳宗悦はじめ民藝運動の方々によって、それまでは”飾りようの器”が中心だったものが、日常に使う「用の美」であるスリップウェアを世に送りだしたのだと思います。オープンでも使える器。イギリスでは低温1000度位で焼き、日本は高温で焼くためニュアンスが多少ちがいます。

スリップウェアがつないだご縁

濱田が皿をイギリスより持ち帰り神戸港に着いた足で京都の河井寛次郎家に直行し、そして柳もスリップウェアに出逢います。リーチは日本を訪れた折にスリップウェアの技法を広めます。

トットネスの町から南西へ車で2時間ほどのところにセントアイビスの街があります。繁華街を抜け、急な坂道を上っていくと住宅街の中に煙突が立つ三角屋根が見えます。

そこがリーチの工房跡、一度は老朽化が進み解体の危機もあったそうです。でも、工房は再建運動を経て、2008年(平成20年)にリニューアルオープンしました。

「どこもかしこも石、石、石のほか何もない」と濱田は綴っています。作陶ができるようになるまでには1年もの月日が過ぎ、ようやく本格的にスリップウェアがつくれるようになりました。

私はその工房に立ち当時の二人の苦労を思うとき、濱田先生の奥さまが私にその器もてなしてくださったことから、ついこの間のことのように思えて胸が熱くなりました。奥さまの影の支えがあってこその濱田先生。その時のお話でよくわかりました。

”この地を一度は訪れたい・・・”と想い続けてはいたものの最南端のセントアイビスには今までいけませんでした。道具も、登り窯も、土をねかせていた場所もそのままです。おふたりの真剣な作陶する姿が目に浮かびます。幸せで、幸せで・・・はるばる訪ねられたことに感謝いたしました。

最後はロンドンに戻り、朝は澄んだ空気の中、リージェントパーク内のクイーン・メアリーガーデンに薔薇の花を見に行きました。

春から夏にかけて咲く誇る薔薇はとりわけ美しく広い公園内を色とりどりに咲くバラ。香りがあたりを包みます。「ドリス・デイ」と名前のついた黄色の美しいバラもありました。

心ゆくまで緑豊かな公園を散策し、午後からはヴィクトリア・アンド・アルバード博物館のコレクションを観ました。ウィリアム・モリスがデザインした布やタイル、家具、そして他の美術、服飾、工芸品などを堪能した午後でした。

そして、ロンドン最後の夜は英国伝統の味「フィッシュ&チップス」(14ポンド・2000円くらい)を食べました。

街でよく見かけるファストフード的なお店とは違う「ザ・メイフェアー・チャッピー」で。魚の鮮度、衣の配合、使用する油などオーナーのこだわりがロンドンナーにも人気な小さなお店です。

黒白のタイルと木の組み合わせインテリアも素敵。混むので予約していったほうがいいかも知れません。お薦めです。イギリスは移民が多く受け入れているので、インド、タイ、マレーシア、エジプト、中華などそれぞれ美味しいレストランが多いのですが、やはり最後は「英国伝統の味!」美味しかったです。

こうして14日間のイギリスの旅を終えました。

私にとってイギリスは特別な国です。有意義で考え、感じ、よい旅ができました。

イギリスへの旅

初夏のもっとも美しい季節、花々が咲き、風が爽やかで、でも突然の雨に樹木が喜び・・・そんな頃の旅は久しぶりです。

今回の旅の目的のひとつはイギリスに住む息子家族に会うのがひとつ。孫たちはそれぞれ小学校、幼稚園にもずいぶんと慣れて元気いっぱいでホッとしました。

家族の住む街はロンドンから列車で約3時間のトットネスという町です。人口は約8000人。街の中を河が流れ、石だたみの道、シックな建物で緑豊かな美しい小さな街です。

私は箱根と同じように早朝のウォーキングをしました。川沿いを歩き、小さなパン屋さんで焼きたてのパンを買ったり、歩いて7,8分のところのショッピング通りではウィンドウショッピングを楽しんだりしました。朝の町には朝の匂い、生活の様子がよく分かり、私は好きです。

10時過ぎると町は活気づき、以前来たときに見つけた古い建築のカフェでティータイム。素朴なスコーンと紅茶。時にはひとりで。そして、ここもお気に入りのベジタリアンが通うビュッフェ式のお店でランチ。おかわり自由でたっぷり野菜料理がいただけます。7ポンド(980円位)で大満足です。

いつもイギリスで思うことは、日本は湿度の問題もありオーガニック栽培はむずかしい部分もありますが、ヨーロッパでは品揃えがとても豊富なことです。パッケージなども洗練されていて、日本も普通にこの位になるといいな~と思います。

映画の撮影でロンドンに8ヶ月くらい滞在しましたが、私はやっぱり田舎が好き。イギリスではカントリーサイドを訪れるとその風景の美しさに心奪われます。

目障りな看板や電柱もほとんどなく見渡すかぎりのなだらかな丘陵地帯。可愛らしい家々。しかし、そんなカントリーサイドの景観美は初めから存在していたわけではありません。

「ナショナルトラスト」(環境保護運動)が大きな役割を担っています。市民の手により守られてきた歴史があり、英国の美しい自然や貴重な歴史的建造物を市民が自ら寄付や寄贈によって保存してきたのです。

聞くところによると、現在ナショナルトラストの会員は約520万人。イギリスの人口が6600万人。11人に1人が会員というわけです(子供も含む)。会費はたとえば4人家族で年間120ポンド(18,000円程)で、全国に500以上ナショナルトラストはあります。

入場料、ショップやレストランの売り上げなど収益は約5億ポンド(750億)にもなるようです。スタッフは約12,000人。ボランティア61,000人。メンバーズシップの収益は1億6000万ポンド(250億)であとは寄付だそうです。

私も息子家族と一緒に一日のんびり過ごしました。イギリス人は歩くのがとても好きなようです。カフェのランチもスープとパンかサンドイッチくらい。どちらかとゆうとイギリスの庶民の生活は質素で堅実です。

なぜこれほどまでにナショナルトラストがイギリス国民に受け入れられ、社会的なうねりになって人々の支持を受けているのでしょうか。「ピーターラビット」の物語りの舞台が当時のまま残っていますし、英国の人々の憧れの地、コッツヴォルズ丘陵も、湖水地方と並んで、その多くがナショナルトラストの管理です。

この理念は人々の郷土愛。自らの国土を美しいまま次世代に残してゆく・・・・そのような思いが強くあるように感じます。

現在イギリスは多くの問題を抱え、国が揺らいでいます。

しかし、人々の暮らしは堅実であまりお金をかけずに自然の中でのピクニックや散策などとても自然体です。国土を愛する心を強く持っています。

どうか、良い方向に進み、歴史や文化を守りつつ若者が未来を託せるようなそんな国になってほしい・・・と旅をしていて切に願いました。

日本に暮す私たちも「美しい日本」を次世代に手渡すために今、何をなすべきか・・・学ばなければならないことがあるかも知れません。

来週は、もうひとつの私の旅の目的「バーナードリーチさん」の工房跡をお訪ねしたのでご報告いたしますね。

いい人みつけた

先日、目黒のホールに柳家小三治師匠の独演会を聴きにいってまいりました。この十数年師匠の”おっかけ”に夢中です。でも中々チケットが取れず・・・でも今回は2階の後ろの席でしたがラッキーにも入手できました!

双眼鏡を持参し、師匠の細やかな表情、しぐさなど落語は聴くだけでなく観るもの、と実感いたしました。おしゃべりとしぐさだけで、舞台の上にドラマが生まれ、また師匠の”まくら”は最高です。

何度かお仕事で対談はさせて頂きましたが、ふっと35年ほど前のTBS(東京放送)のラジオ番組でのお話を思い浮かべました。私が40歳になった時にスタートした番組です。

毎日、月~金の10分番組を13年つとめさせていただきました。当時の番組を「浜美枝のいい人みつけた」で本にし、師匠のページをめくりました。よみがえりました。35年前が。

そうそう・・・スタジオに現れた師匠の格好!ヘルメットをかぶってオートバイで。あの格好をみたら何とお呼びしていいものか分からなくなりました。「なんとお呼びしたらいいかしら」「小三治です。大三治はお断りしています(笑)」と。落語家とバイクはちょっと結びつきませんでした。師匠、いいお話を沢山して下さっているのです。

”力入れすぎちゃうとうまくいかない。落語もオートバイもゴルフも”と。私のそのときの印象は「悠悠マイペースで独自の噺の世界をいく少年の心を持った人」という印象でした。

噺家らしからぬ噺家っていっても、私たちファンはとうに35年前から小三治さんの個性、そのらしからぬというところに魅かれているのです。噺家ひとりひとりの芸、それを生み出す噺家の人生とか生活とか感性とかは、みんな違います。

人間国宝・柳家小三治師匠。
まもなく80歳になられるそうです。私、やっぱり”追っかけ”はやめられません。

本の中からお二人の方をご紹介いたします。

淡谷のり子さん

スタジオに入っていらしたら、すごくいい香りがしたんです。「黒水仙が好きなんです」と。音大出て、世の中にでました。クラッシックやってましたけど、レコーディングすることになって、もちろん流行歌ですが・・レコード会社で少しまとまったお金をいただいたので、まず買ったのが香水なの、あ、そうそうあと帽子。54年間歌い続け壁にはぶつからなかった、悩まなかった。もし、壁があるならば戦時中ですね。警察と軍隊にずいぶん始末書を書いたりいろいろありました。ほら、おしゃれしちゃいけない、モンペはけとか、いろいろね。そんなみっともない格好してステージ出られませんから。ちゃんとイブニングドレスで、最後まで。何を言われても。非国民だとか言われましたよ、ずいぶん。

”クラッシックをもう一ぺん勉強したい。それが私の夢なの・・・”と。ちょうど『生きること』。という本を出されたときでした。生きることはそれを愛すること。愛されるということよりも、愛することって幸せじゃないかと思うんです。とも。歌って歌って歌いぬいてなお学びたいという意欲に脱帽!

女性としての大先輩、淡谷のり子さんに大敬服するとともに、その美しさへのひたむきな努力と歌にかける情熱のかけらを、私なりに頂戴したいなと当時思いました。コンサートで淡谷さんが歌い終わった瞬間、怒涛のように拍手がわきおこり、拍手するその手で涙をぬぐっている人が大勢いました。もちろん私も。

安野光雅さん

”こどものときに虹を見たんです。津和野の虹。それが私を絵描きにしたのかもしれません”と。

安野さんの絵本は単純に「絵」だけの世界ではなく、「考えさせる」力を持っているような気がして・・・作家の原点はこどもの頃の津和野ですか?と伺うと「小さな頃の思い出という思い出を全部集めてね、たぐり寄せた結果、どうも子どものときに虹を見たときの思い出が、一番最初だった気もします。四つか五つの頃の。津和野という所は盆地ですから、周りじゅう全部山、山、山。ですから、山の向こうはどうなっているんだろうと強く思いますね。山に囲まれて育った人間でないと、ちょっと分からないかもしれない。山に囲まれていることは、ほんとに限りなく山のかなたへの夢をふくらましてくれるものなんです。気持ちは盆地の中になく、外へ外へと行くような気がするんです。」と。

「子どものときに見たもの、驚いたものを、大人は摘んじゃいけないね。あ、いけません。子どもの好奇心ほど強いものはありません。絵描きさんと思うとそうではなくて、偉大な科学者か哲学者か、はたまた天文学者、数学者かとの思いにかられました。アメリカを東から西までうろうろしたときのアトランタ。あの街は南北戦争の激戦地でした。キング牧師の家もあります。あの人の言葉で、僕は読むと涙が出てきてしょうがない演説があるんです。浜さん、読んでいただけますか。読ませていただきます。」

「私には夢がある。
いつの日かジョージアの赤い丘で
かつての奴隷の息子たちと
かつての奴隷所有者の息子たちが
兄弟愛のテーブルに共に座るという夢が・・・
私には夢がある。
いつの日か私の四人の子らが
その肌の色ではなく
その品性によって評価される国で
生活するという夢が。」
キング牧師の演説より

「アメリカ史とは、差別の歴史だったような気もする。インディアン、黒人問題など、いまだに差別意識を持っている人もいるし。でもね、そういう人がいることを知り、またもうそういう人が少なくなったことを知るのも旅なんでしょうね。行って、見て、感じてわかることがいっぱいあるんです。」と。

インタビューから35年がたちました。安野さんは、かつて津和野の彼方の空遠くに見たものを、追い続けているのでしょうね。

たまに、こうして20年、30年前のお話を現代社会で読み返すと、はたして心の豊かさってなんだろう・・・とおもいます。齢を重ねるのもいいものです。

玉村豊男『私の好きな、箱根風景』展

玉村豊男さんのライフアートミュージアムに”箱根風景”を観に行ってまいりました。

草や花は現物を目の前に置いて写生するそうですが、今回の箱根の風景は写真に撮りアトリエで製作したそうです。

私にはどの絵も見慣れた風景。旧街道、箱根神社の鳥居、本殿、そして、山の頂上からの湖、芦ノ湖に浮かぶ船、関所など・・・毎朝の早朝ウォーキングで出会う風景です。優しい筆致で描かれています。

元箱根の「芦ノ湖テラス」の内にあるミュージアムの名称は「ライフアート」。

玉村さんはおっしゃいます。

「その土地に生きる人々の暮らしの情景を描くことにもよるのですが、私の絵が家の中にさりげなく飾られて毎日の暮らしに少しでも潤いを与え、私自身も自分の暮らしそのものをアートとして表現できたら、と思い、美術館にこんな言葉を冠することにしました」と。

そうなのです。私も一室に玉村さんの絵を4枚飾らせていただいておりますが、パリに暮す人、野の花、ブドウ、アルルの女性。心をホッとしてくれ癒してくれる絵画なのです。

玉村さんご夫妻とはもうかれこれ30年ちかいお付き合いをさせていただいております。

1945年・東京生まれ。1971年東京大学仏分科卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に2年間留学。通訳、翻訳業をへて、文筆業へ。エッセイスト、画家、ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリーのオーナー。

1991年東部町(現・東御市)に移住しハーブや西洋野菜を栽培し、ガーデンの花々は四季折々美しく咲き誇っています。そして、広大なブドウ畑。最近は東御市内にワイナリー、パン屋さん、チーズ屋さんなど素敵なお店が次々にオープンしておりますが、玉村さんがこの30年間にまいた種が育ってきたのですね。

湖畔のミュージアムでこのような”箱根風景”を拝見すると自分の住む街を再発見いたします。

箱根では噴火警戒レベルが1から2に引き上げられましたが、黒岩祐冶知事は「立ち入り規制は広い箱根のごく一部。安全を最優先としつつ丁寧で正確な情報発信に務める」とおっしゃっています。

26日の箱根関所の開設400年を祝う大名行列も予定通り行われ大勢の見物客で賑わっておりました。

箱根はツツジ、石楠花が終わり、これから紫陽花の季節です。そして私の大好きな”やまぼうし”の花が全山、真っ白い帽子をかぶったように咲き始めます。初夏の爽やかな箱根に小さな旅にお越しください。

そして、玉村豊男さんの”箱根風景”に出逢ってください。

玉村豊男ライフアートミュージアム
http://www.ashinoko-terrace.jp/museum.html
4月15日~8月31日
平日 10:30~17:00
土・日・祝 9:00~17:00

入館無料・無休
バスは「箱根神社入口」下車、徒歩2分

飛騨路を旅して

木曾川と一緒に山々を分け入って進む高山線は、木の国へと人を誘うルートです。

豊かな水の流れ、芽吹きの葉の美しさは輝くばかり。木は誇らしくそびえ、枝を広げています。季節は春がすぎ初夏。緑濃く葉を茂らせて、まもなく実りの時を迎えます。

人にたとえるなら気力にあふれ充実した時代というところでしょうか。田んぼには苗が植えられ水面はキラキラ太陽の光が射して、それは美しい景色です。車窓からのこの風景に最初に出会ったのは、もう半世紀も前のことです。春夏秋冬このルートを何度旅したことでしょう。どんな風にもみぞれにも雪にもひるむことなくひたすら走り続ける列車。

多く旅をしていると多くの木々にであいます。あの木げんきかしら、あの木はどんな顔になったかしらと、再会を楽しみにする木が私の旅先には何本もあります。

新潟の山、山形の、石川の、富山の、北海道の、熊本の、山々、そして樹々。また逢ったときの嬉しさは、懐かしい人々に再会したときのうれしさに似ています。

岐阜と富山の県境に、御母衣(みほろ)ダムがあります。その傍らに樹齢500年とも言われる庄川桜が今年も見事に咲き誇ったことでしょう。村が湖底に沈む直前に移植されました。作家、故・水上勉さんの「桜守」でしりました。

庄川上流の村々の家、小・中学校、神社、寺、木々や畑がすべて水没していく運命の中で500年もの樹齢を誇る老桜樹は幾人もの男たちの桜へのひたむきな思いによって移植され、今もなお季節がめぐるたび美しい花を咲かせてくれます。

”桜守”木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。ずいぶん前に行ったとき、その桜の木の下で、水没した村のおばあちゃん達がお花見をしていました。木の幹にさわり『あんた、今年も咲いてくれたの~』とつぶやいている姿に胸が熱くなりました。

今回は「ITC-J飛騨高山クラブ30期記念」に招かれての講演でした。岡山、大阪、京都、名古屋そして飛騨の女性たち。「育み そして育まれ」をテーマに女性の方々と語りあいました。

せっかくの久しぶりの高山、前泊し高山市内を散策したのですが、インバウンド、人・人・人・・・海外からの観光客で中心地は人で溢れていました。でも、古い町並みや日本で唯一残る陣屋は当時の姿そのままに、”飛騨匠の心”が息づく技を見ることができます。


心落ち着く「飛騨国分寺」は1250年の昔、聖武天皇の勅願によって建立されました。本尊薬師如来御像、そして円空上人作の弁財天など拝観させていただきました。樹齢1200年のイチョウの木は天をつくかと思えるほどの高さです。

最後は私のお気に入りの蔵を改造して作られた素敵な喫茶店で、手づくりの黒蜜でくずきりをいただき、そしてコーヒーを。ご主人との会話も楽しく充実したひとときでした。

往古(おうこ)と現在(いま)をつなぐ飛騨路への旅でした。

お二人に ぞっこんです!

私は今、二人の男性に惚れ込んでいます。こんなことは、もちろん初めてです。

お一人は坂本長利さん。今年の1月11日、このブログに書かせていただきました。坂本さんは1時間半近いお芝居を、たった一人で演じきる舞台俳優です。

土佐に住む盲目の馬喰が、自分の半生を悔悟と誇りを込めて振り返る「土佐源氏」。1967年の初演から半世紀以上、国内外で公演を積み重ねてきました。

今年の1月は東京の高円寺、そして平成もカウントダウンの先月29日には、川崎の新百合ヶ丘で1210回目の舞台がありました。両方とも、私は”追っかけ”ました。

何という舞台!坂本さんが寸分の隙もなく、時間と空間を従えていました。盲目の元馬喰は、言葉だけではもどかしい、微妙な心のざわめきや迷いを、手足の指先までも動員して演じていました。円熟味などという表現を、軽々と飛び越えていました。

ちなみに坂本さん、この10月には90歳を迎えられます。「百歳までやりますよ!」と。とても小柄な方が、舞台では何故あれだけ凛として、大きくみえるのでしょう。

新百合ヶ丘の会場を出るとき、私の背筋がピンと伸びました。私、”追っかけ”はこれからも続けます!

https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

二人目は、ジャン=リュック・ゴダールさん。

言わずと知れたフランスの天才映画監督で、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手。私が「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」に初めてお目にかかったのは、もう50年以上も前のことになります。

旋風、いえ台風。若かった私など、彼の強烈なイメージやメッセージに訳も分からず煽られ続けました。

その昔、指揮者のカラヤンを「かっこよすぎるカラヤン」と表現した詩人がいましたが、私にとっては「かっこよすぎるゴダール」でした。初の長編作品「勝手にしやがれ」では監督と出演者を兼ねていましたね。

そのゴダールさんの4年ぶりの最新作が公開されるというので、取るものもとりあえず行ってまいりました。

題名は「イメージの本」。衰えない感性というものが世の中には存在するのですね。この映画の特徴は「コラージュ」。”糊付け”と訳すそうです。様々な映画や絵や写真、そして文章などを引用してつなぎ合わせる。90分近く、そのセンスと感覚にまたまた振り回されました。ちなみに映画の字幕では、「イメージ」を「映像」と訳していました。

ゴダールさん、今年の12月には89歳を迎えるとのこと、これからも作品を作り続ける!と話しているそうです。

こうして、二人の素敵なおじいちゃまに惚れてしまった私。今よく、「人生100歳時代」などと言われますが、それは単なる目標ではないですよね。

「そこまでに何をやりたいのか?プロセスが大事だよ!頑張りなさい」と叱咤された思いで、平成の終わりの街を大股でシャンと歩きました。

映画公式サイト
http://jlg.jp/

東寺~空海と仏像曼荼羅

間もなく端午の節句、菖蒲の花が美しい季節。葉は細長く剣型で、独特の芳香を放つので、邪気を祓うといわれ菖蒲湯に入り、邪祓いをいたしますね。

皆さまはゴールデンウイークはどのようにお過ごしでしょうか。ちょっと遠出をなさる方、近場で楽しむ方、仕事を休めない方、それぞれですね。

私はラジオの収録があるので東京に出かけました。そして、念願の『東寺~空海と仏像曼荼羅』展を上野の東京国立博物館へ観に行ってまいりました。

国宝の数々、まさに密教の世界へと誘ってくれます。まるで密教の森の中へとさまよっている感覚です。

弘法大師・空海が構想した立体曼荼羅を21体のうち15体が京都・東寺から博物館へ。端正なお顔立の国宝「帝釈天騎象像」など東寺で拝顔するのと違い仏像と仏像のあいだを回廊のように、自由に歩きながら360度観られるのです。

中国から伝わったといわれるエキゾチックな毘沙門天。国宝「両界曼荼羅図」は彩色なされている最古のものだそうです。曼荼羅の外側には星座の十二宮が描かれていてギリシャからインド、中国へと伝わったといわれます。

広々とした空間に一体一体と対峙でき、照明がゆったりと当てられ、台座が低いので細部まで観られます。仏を見上げるのではなく、すべてを受け入れ癒してくれるような仏さま。

国宝「天蓋」は仏像の頭上に揚げられていた飾り。ヒノキ材を蓮華の形に彫刻されている美しいもの。密教美術の奥深さを感じ、密教の世界感を体で感じることのできる特別展でした。空海の直筆の手紙の前では多くの方が見入っていました。

秋になったら高野山に行きたいな~と思いました。そうそう、伏し目のイケメン国宝「帝釈天騎像」はフラッシュをたかなければ撮影可です。私の大好きな仏さま。

今読んでいる本が 「荒仏師運慶」(梓澤要著)なのですが、鎌倉時代の仏師、運慶は21体の仏像を数十名の仏師を引き連れて修理にあたったといわれています。空海の構想に運慶の息吹。ロマンを感じます。(6月2日(日)まで)

天皇陛下の30日の退位に伴い時は「平成」から「令和」へと移り、『令和元年』となりました。上皇さまのお言葉を拝聴し国民への感謝と次代に向けた思いを伺い胸がいっぱいになりました。これからは上皇后さまとご一緒にゆっくりとお過ごしください、と祈り1日は夜明けとともに歩いて箱根神社に参拝いたしました。平和で災害のない令和でありますように。

東京国立博物館公式サイト
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1938

ノートルダム大聖堂

皆さんもニュースなどでご覧になったことと思いますが、パリ・シテ島にあるノートルダム大聖堂が火災のため一部が焼け落ちました。

私はパリ在住40年以上の友人にお見舞いのメールを差し上げたら、たまたま火災の2日前に八重桜が満開の寺院に行きその美しさを写真に収めて私に送ってくださいました。

『夕食をしている時に尖塔の燃え落ちる映像が飛び込んできて大聖堂がどうなるか不安になったわ、貴重な一枚になってしまった』ということです。

ゴシック建築を代表する建物。パリのシテ島にあり、周辺の文化遺産とともに1991年ユネスコの世界遺産に登録されています。フランス語で「我が貴族」つまり「聖母マリア」を指します。

私もパリ滞在中は小さな台所つきのアパートを借り、オルセー美術館やオランジェリー美術館などをまわり、ノートルダム寺院の裏側にまわり小さな公園で大聖堂の美しい姿を観ながらひと休み。そばのカフェでオニオングラタンスープかサンドウィッチとカフェオレなどをいただきお気に入りの散策コースです。

火災では大聖堂の屋根と尖塔が崩落しましたが、有名な薔薇(ばら)のステンドグラス・パイプオルガンなど数々の貴重な文化財は消失をまぬがれました。多くの宝物は運びだされたのです。

マクロン大統領は「ノートルダム寺院をさらに美しく、再建する。今から5年以内に完成させたい。我々はできる」と語りました。

世界中の文化遺産は地球に暮す私たちの宝です。一日も早い復活を祈ります。

ポーラ美術館×ひろしま美術館 印象派、記憶への旅

寒暖の差が激しい初春、私の住む箱根は先週はいきなりの真冬日。雪が一日降り続きましたが、それでも日差しが徐々に増してきて、吹き渡る風も穏やかになり、柔らかな風に誘われて一日ポーラ美術館で『印象派、記憶への旅』展を楽しんでまいりました。

今回の展覧会は、絵画を鑑賞する以外にもとても興味深い展示がされています。

「箱根の自然と美術の共生」をコンセプトに、2002年に開館したポーラ美術館は都心から車で約1時間半。強羅から、ひめしゃら林道を通り、木漏れ日坂を抜けたところに建っています。

建物を取り囲むように670m遊歩道が延び、四季折々の景色が楽しめます。私が山暮らしを始めて40年ちかく経ちますが、箱根の風景はもちろんのこと、こうしていくつもの美術館に囲まれて、ふっとその気になったらバスで訪れることができる・・・最大の魅力です。

モネ、ゴッホ、マティス、ピカソ、ルノアール、シスレー、スーラ、ロートレック、ゴーガン・・・などなど。19世紀の画家たちの旅と記憶、都市や水辺の風景に向けられた”画家たちのの視線、風景の印象や移ろいゆく光の変化”などが楽しめます。

ポーラ美術館は3点のゴッホ作品を収蔵していますが、今回私がとても興味深くぜひ知りたい!と思ったのは同館と東海大学との共同でこの3作品について科学調査を行ったのです。

赤外線、紫外線、X線、蛍光X線、透過光写真などを使って、絵画に残された筆跡や制作の痕跡をたどり、「記憶への旅」で作品がもつ記憶をカンヴァスの裏側から読み解いていく、というものです。

ゴッホの『草むら』。ゴッホは耳切り事件の後、アルルの病院に入院し、病院の庭で見たと思われる草花や、草の茂みを色鮮やかに緑、黄色を用いて、強いタッチで描いています。

展覧会では写真でカンヴァスの裏に残った謎のサイン。サインのような文字。そして本来ならば「裏打ち」されているのにこの作品はなされていません。謎!です。そして、今回の調査で、「草むら」の下に緑色の葉がある「黄色い花の野原」のような作品の上に「草むら」を描いたことが分かります。なぜなのでしょうか・・・精神を病んでいたゴッホ。弟テオに作品を送るさい木枠から外して送ったといわれます。その裏側に秘密が隠されているのでしょうか・・・。

37年という短い生涯を終えたフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)。

南仏アルルに到着して手掛けた『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』は喜びが伝わる作品です。

橋の上の人物、その奥の低木、洗濯女たちの輪郭は赤が使われ明るい陽光に満ちた絵。浮世絵に影響を受けたとされる作品ですが、赤い絵の具などに「水銀」が含まれていることが今回の調査で分かりました。

絶頂期から死の一カ月前に描かれた『アザミの花』。斜光写真から「草むら」などよりかなり厚塗りされているとのこと。こちらも「裏打ち」されておりません。ゴッホがどんな絵の具を使い、どのように描き、そのときの心情を想像し、画家ゴッホを身近に感じ、絵画を楽しむ。

今回の展覧会は見どころがいっぱいありました。変わりゆく街、パリを描いた作品、光の新しい表現、水辺の風景・・・画家たちの「記憶への旅」を体感しながら私も一日の”旅”を経験してまいりました。

この展覧会では一部を除いてフラッシュをたかなければ写真撮影が可です。

残念ですが、ゴッホ、ピカソなどは不可でした。写真で存分に味わってください。でも、できたらこれからの箱根はゴールデンウイーク後位に満開に咲く山桜、そしてコブシ、紫陽花、初夏にま真っ白い大きな帽子のように咲く”やまぼうし”などをご覧になりながら本物の絵画と出逢いにいらしてください。

帰りには間もなく新緑を迎える庭をうららかな陽光を浴びて散策し、家路に着きました。

美術館公式サイト
https://www.polamuseum.or.jp/