『愛されすぎたぬいぐるみたち』

とても素敵な本に出逢いました。

この本は持ち主に愛されてぼろぼろになったぬいぐるみの本です。何十年もいっしょに過ごすうちに、かなりぼろぼろになってしまったぬいぐるみ。”テディ”は78歳。持主の父が1歳の誕生日にもらったもので、おばあちゃんがテディーのために洋服を縫ってくれたのだそうです。

一枚一枚ページをめくると、その横に年齢やエピソードが載っていて最高年齢100歳を超えた子や、手術をされた子も。どの写真も愛おしく、幸せな気持がしてきます。数々の受賞歴のある写真家マーク・ニクソンが撮影した、60体以上の動物のぬいぐるみたち。ぬいぐるみたちが若かったころに関する話と、年をとって劣化した今の姿が結びつき、ユーモラスであり、ほろ苦くもあり、自分自身の人生に重ね合わせてしまいます。


マーク・ニクソン著  金井真弓訳 (オークラ出版)

皆さんは子供の頃はぬいぐるみ派?それともタオルや毛布派?

私はとてもほしいぬいぐるみに出逢ったのですが、買ってもらえるような家庭環境ではなかったので、小さなお店の前を行ったり来たりした子供時代。でも、聞いてください!私が大好きだった”くまのプーさん”のぬいぐるみに出逢えたのは女優になって2年目、17歳の時のこと。ロサンゼルスにディズニーがオープンした時に東宝が連れて行ってくださいました。

そこで40センチほどの大きなプーさんに出逢ってしまいました。『もう、ぜったいに一緒に日本へ帰りましょ!』といって飛行機で一緒に帰国しました。あれから60年あまり、4人の子どもたちは鼻をつまんだり、足の上に頭をあずけてお昼寝したり・・・たくさんの思い出を与えてくれました。

そして、それから旅をする度に出逢ってきた私のぬいぐるみたち。愛おしい気持がこみあげてきます。いまではいつも食事をする横の椅子にみんな座っています。そして孫たちのお相手をしてくれます。

この本の最後に自分のぬいぐるみの写真を貼るページがあるのです。どの子にしようかしら・・・選べないは、と思いつつこの本も一緒に仲間入りしています。

展覧会『ハマスホイとデンマーク絵画』展

上野の東京都美術館でデンマークを代表する画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864~1916年)を中心に、デンマークの近代絵画を初めて本格的に紹介する展覧会が開催されています。

2008年に初の回顧展が開催されたのですが、私は見逃してしまい、後悔をしており、いつか必ず出逢える・・・と信じて待っておりました。その夢がかなったのです。

”北欧のフェルメール”とも評されるハマスホイ。詩情豊かで、静謐と幸福を与えてくれる数々の作品。北欧の美しい自然やそこで暮す人々。そこには人々の何げない日常に隠れたささやかな幸福。静的な構図、モノトーン。19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したハマスホイにひと目で惹きつけられてしまいます。

彼が生きた時代は急速に近代化が進み、街中の古い建物や暮らしが失われてきました。そんな状況を嘆くよりも静かに受け止め、キャンバスに向う画家・ハマスホイ。

今回の展覧会には、ハマスホイの名品37点を含む19世紀デンマークの絵画など約90点が展示されています。

ハマスホイは首都の住まいの静寂の中で数々の素敵な作品を残しています。ほとんどが後ろ姿の女性。人影のない室内。古い室内。静寂な中で彼は何を描こうとしたのでしょうか。

「農家の家屋」、「若いブナ林」、そして肖像画も数々描いていますが、私が心惹かれたのは妻のイーダ・ハマスホイの肖像です。

手術を受け一月半病院のベットで過ごしたあとの不安定な精神状態で、目の下にクマができ、額には血管が浮き出た妻をありのまま描いています。

この肖像画の前に佇むと胸が締めつけられる感動がわいてきます。生死の境を乗り越えた妻へのいたわりが、そして愛情が伝わってきます。ハマスホイにとってかけがいのない女性。モデルとしての信頼、静かな暮らし。全てが表現されているように感じました。

「室内ー開いた扉、ストランゲーゼ30番地」には家具も人影も見えません。

「室内、蝋燭の明かり」には古い時代の簡素で洗練された物にかこまれた空間が描かれています。

これらの作品は、本に『寡黙で慎み深く、思いやりのある人物」と書かれているハマスホイの内面を描いているように思いました。

そして、今回の展覧会でもっとも出逢いたかった絵「背を向けた若い女性のいる室内」はハマスホイの代表作の一つです。洗練された室内、左のピアノの上には、ロイヤル・コペンハーゲンのパンチボールが、女性は左脇にトレイを持っています。

この本物2点が今回の展覧会では観ることができます。パンチボール(直径34cm高さ30cm)はハマスホイが所蔵していたそうです。蓋の破片が鎹でつなぎ合わされており、隙間からその時代、ハマスホイが慈しんでいた姿が浮かびます。このような身近に使われていた作品を見るとご本人の息づかいが、より身近に感じることができます。

展来会場には静かに魅入る観客。コツコツと靴の足音がするだけ。私は一枚一枚の絵と対峙し感動がこみあげてきました。でも、家に帰り”私、何か見落としている”と感じたのです。そして、もう一度会場を訪ねました。

壁にこのような文字が記されておりました。

『私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないことこそ、それは美しいのかもしれません。』 1907年、ヴィルヘルム・ハマスホイ

夕暮れどき、上野公園のはるか向こうに白梅・紅梅が咲き、清らかな香りを感じながら家路につきました。幸せなときでした。

東京都美術館公式サイト
https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_hammershoi.html

映画『男と女 人生最良の日々』

私は、とても幸せでした。

歳を重ねることもいいものだなと、幸せを感じました。映画を観てこんな気持ちになるのは、久しぶりです。

「男と女 人生最良の日々」。

半世紀以上も前に世界的なヒットを記録した映画「男と女」が、同じ監督と俳優でまた戻ってきました。金曜日の午後でしたが、初日ということもあり、会場は中高年の方々でほぼ埋まっていました。

”ダバダバダ♪”

人気のカー・レーサー(ジャン=ルィ・トランティニャン)と一人の女性(アヌーク・エーメ)との結ばれぬ愛を描いた物語から、50年以上が経ちました。彼は今介護施設に入居し、徐々に記憶を失いつつあります。

彼の息子は、父親とその女性をもう一度会わせようと思い、彼女を見つけ出し、再会までこぎつけます。空想、現実、夢。彼の頭の中にはそれらが渾然一体となり、現れては消えていきます。

「他の女は忘れても、あの女だけは覚えている」と。茶目っ気たっぷりに詩を諳んじたりする彼。52年前も素敵だったけれど今のジャン・ルィには大人の男の色気を感じます。

その姿を見つめながら、彼女は静かにそして優しく、思い出を振り返るのです。

考えてみると、このような映画を観られること自体、まさに奇跡です。監督、俳優、皆さんの熱意で改めて完成させたのですね。「今こそ、人生最良の日々だ!」という監督(クロード・ルルーシュ)の制作意図を見事に作品にしたのです。

決して後ろ向きにならない、人生の穏やかな賛歌を伝えたかったのでしょう。この物語はあたかもキャストのその後の、そして今の人生の”ドキュメンタリー”のように感じるシーンもありました。

そのリアリティーは二人の俳優のアップでも感じました。彼らの目の表情は意思的であり、記憶のまばらな彼にさえ、隠された意志が存在することを暗示しているように思えました。

そして、髪をかきあげるアヌーク・エーメのしぐさは、「人生最良の日々」が依然継続していることを強く主張する姿なのかもしれませんね。

「どんな年齢でも愛し合える」という監督のメッセージが伝わってきます。

映画を観た後、乾いたのどを潤そうと行きつけのバーに向かいました。そこは若い女性がおいしいお酒をだしてくださるコーナーです。こんな素晴らしい映画を作った監督に乾杯!でも、シャンパンではなく、私の好きなウイスキー「山崎」をロックで。

私が当時観た「男と女」は52年前。フランシス・レイの音楽に強く魅かれ、「男と女」の心のひだまではとうてい理解できなかったと思います。それにしても当時26歳だったルルーシュ監督。観る私は24歳。フランス文化の違いなのでしょうかね~。

飲みながら、介護施設にいるジャン=ルイに対し、施設の女性は決して幼児言葉を使わなかったことに気づきました。記憶がおぼつかない彼に対しても、人格を認めて接している、これは監督の訴えたいことの一つなのだ、と強く感じました。

ユーモアに満ちていて、心を揺さぶるドラマ。

「素晴らしい俳優によって演じられる、二人の登場人物の旅を通して人生観を描きたかった」と語るクロード・ルルーシュ監督。

”ありがとうございます、感謝です”
やはり「山崎」をもう一杯。

あの頃はこういう時にはシャンパンを飲んでいたのかもしれません。

映画公式サイト http://otokotoonna.jp/

感謝の夕べ

先日、とても楽しい、そして元気づけられる会合に出席いたしました。

「沖縄観光 2020 ~感謝の夕べ~」という集まりで、都内のホテルの会場は1000人を超える参加者で、大変な盛り上がりを見せていました。

これは、沖縄県と(一財)沖縄観光コンベンションビューローが共催する毎年恒例の行事ですが、今回のパーティーには特別の意味合いがあったようです。

当日(1月23日)、沖縄県が発表した2019年の年間観光客数が初めて1000万人の大台を超えました。そして首里城の大火を乗り越えて、更に魅力的な沖縄観光を国内外の方々にアピールしようという熱い思いが、出席者の中に溢れていたことです。

挨拶に立たれた玉城デニー知事も、真っ白の素敵な”かりゆしウエア”を着て、来県する観光客のために共に頑張ろうと、1000万人突破の確かな手応えと首里城の再建を誓っていらっしゃいました。知事の言葉の力強さと明るさは、「新型肺炎」の影響に不安を隠せない観光関係者にも、おそらく頼もしいエールとなったことでしょう。

私は昔からとても大切にしている花織(はなうい)の着物と帯で会場にお邪魔しました。沖縄の工芸や織物などに特別の愛着を感じる私が、参加された多くの皆さんたち、改めて心を一つにしたいと願ったからです。久しぶりにお会いした何人もの古い友人たちともおしゃべりができました。そして、沖縄の誇る工芸品や様々な伝統文化を通じて、多少なりとも首里城再建のお手伝いをさせていただきたいとお伝えしました。

沖縄に伺うたびに感じる人々の”心”それは優しさなのだと思います。伝統工芸の素晴らしさや料理の美味しさなども含めて、”丸ごと”の魅力。そんな私の思いも、重ねて皆さんにお話ししました。

”沖縄わが愛”なのですね。

でもそれは私だけではない、本土の人たちにも是非知っていただきたい素晴らしさなのです。そして、本土の皆さん、首里城のことを忘れないでね。なぜなら、日本全体の宝なのですから!そんな思いも、繰り返しお話しいたしました。

「オキナワ ナイト イン トーキョー」とも名付けられた2時間近くのパーティー。締めはやはり「カチャーシー」でした。沖縄の宴会のクライマックスには決して欠かせない踊りです。知事も参加者の皆さんも喜んで踊りの輪に入り、三線の音と共に沖縄の”元気”を競い合っていました。

会場でいただいた、美味しすぎる泡盛「瑞泉」の味にうっすらと酔いながらの、素晴らしい「中締め」でした。

パーティーの翌日、「コンベンションビューロー」の方々とご相談し、私のささやかなお手伝いをスタートさせることにいたしました。

テーマは「沖縄の旅と工芸」。

これから折に触れて皆様と出逢い、お話ししていきたいと思っております。

遥かなる、心ときめく旅を始めます。

映画「さよならテレビ」

私はやはり、映画を見るのが好きです。年に20回くらいは映画館に行くでしょうか。伝説のロックバンド、クイーンを描いた「ボヘミアン・ラプソディー」から、柄本明さん主演の「ある船頭の話」まで、ジャンルはかなり幅が広いですね。

そんな私が新年最初に見た映画は「さよならテレビ」でした。これまで生番組やドラマなど、テレビにはいくつもの場面でお世話になってきましたが、私の場合は「出演者」という立場でした。

「さよならテレビ」はニュース番組が企画され、制作され、そして放送されるまでの一連の「現場」を、テレビ局員自らがカメラを回し、作品にしたドキュメンタリー映画です。

これまで、テレビに「出演」しながらも、なかなか見つめることが難しかった「現場の真実」を、改めて知りたいと思ったのが映画館に向った理由でした。

映画は冒頭から緊張感に包まれます。報道局の大部屋での場面です。皆が本音をぶつけ合う企画会議や反省会。中身は当然、辛辣なものにならざるを得ません。机の端にマイクを設置して、少しでも明瞭な声を拾おうとする撮影スタッフ。

「いくら仲間でも、いや仲間だからこそ、遠慮してもらいたい」と願う報道局のスタッフ。「ニュースの”現場”に、土足で踏み込まないでくれ」そんな空気も漂います。気まずい雰囲気の中、それでも撮影は続行されます。

なぜ、そんなことをするのか?

そこにはこの映画のプロデューサーや監督が抱えている、テレビの現在と未来に対する、大きな不安があります。かつてお茶の間の人気者として一世を風靡したテレビが、今やその勢いはない。テレビを見ないどころか、テレビを持たない若者が急激に増えてきている。その大きな原因の一つは、ネットの圧倒的な影響力です。

そんな中で「いま本気で番組を作らないと、テレビは見捨てられてしまう!」

このスクリーンには、製作者のそんな危機感が正直過ぎるほどストレートに描き出されています。

視聴者に伝えなければならないこと。
スポンサーと向き合うこと。
視聴率は避けて通れないこと。
理由なく人を傷つけてはいけないこと。

両立しにくい、あるいは矛盾する要素を同時に抱えての苦悩が、内幕として全編に流れます。この映画を製作したのは、名古屋の「東海テレビ放送」でした。製作者の皆さんはテレビの関係者、そして多くの視聴者にも「元気を出して、もう一度頑張ろうよ!」という熱いメッセージを伝えたかったのだと思いました。

そうですよね。テレビは決して「古くなった、時代遅れのメディア」ではないですよね。テレビにも、ラジオにも、そして新聞にも、もう一度エールを送りたくなるような、そんな映画でした。

映画公式サイト:https://sayonara-tv.jp/

新春の旅 沖縄

早いもので、1月も後半に入りました。
私の新年最初の旅は沖縄でした。

毎年2、3度はお邪魔しておりますが、今回は地元の友人たちから”浜さん、ゆんたく(おしゃべり)しましょ!”とのお誘いを受けての訪問でした。皆さんと喋り、笑い、そして食べ、楽しいひと時を過ごしました。

もう50年以上にもなる私の沖縄通い。いつの頃からか、「第二の故郷に戻ってきた!」という安堵感を覚えるようになりました。

私は、織物や工芸品などから「美の王国・沖縄」に触れ始めたのです。柳宗悦さんの書を読み「沖縄は民芸の故郷」という言葉も知りました。

10代にしては、かなり早熟だったのかもしれませんね。そんな私が一番心惹かれたのが「花織」(はなうい)でした。

沖縄には古くから「紅型」や「芭蕉布」、「宮古上布」など”美の極み”が数多くあります。その中でも、織りかたの複雑さ、微妙で奥深い色合いを誇る「花織」の美しさは、”沖縄の手仕事”の真髄とも思えたのです。

そして「花織」の歴史を知ろうと読谷(よみたん)村を何度も訪ね、与那嶺貞さんという素晴らしい女性と出会うことができました。ご主人を先の戦争で亡くし、お子さんたちを抱えながら「花織」の復元に邁進された方でした。

「このままでは花織が忘れ去られ、消えていってしまう」

戦後の食料難で、子供に紅芋を与えながらの苦しい創作活動でした。でもそのような思い出話を語る貞さんは、決して嘆くわけでもなく、気張るわけでもなく、穏やかな琉球言葉でゆったりと話してくださいました。

この逞しさと明るさ!どんなに辛いことがあっても、空を見上げて、すくっと立ち続ける!その立ち居振る舞いに、私は沖縄女性そのものを見た思いがし、すっかり魅了されてしまったのです。こうして沖縄に教えられ、育てられてきた私。

痛ましい首里城の炎上からまもなく3ヶ月が経ちます。しかし、沖縄の皆さんは深い悲しみの中で、時間はかかっても、きっと立派な首里城を再建されるでしょう。

私も何か、お役に立ちたい。

再び起き上がろうと必死で痛みをこらえている首里城に直接激励の声を掛けたくて、新年の旅に出たのです。

先週、淡いピンクが可憐な「カンヒザクラ」が咲き始めました!例年より早いそうです。沖縄の春を代表する花の一つですね。

この春は沖縄にとって、いつも以上に”空を見上げ、そして城を見上げる”季節になることでしょう。

寒椿の似合う壷

「これから知り合いの店に行くんだが、ついて来るかい?」

それは、写真家土門拳さんの何気ないひと言から始まりました。

人生の重大事というのは、いつもそんな風にさり気なく、ほんの偶然という顔をしてやってくるのです。

16歳になってまだ間もない冬のある日、土門さんと私は雑誌の写真撮影のために京都に居ました。天候の関係で仕事は翌日に延ばされることになり、突然できた休日に土門さんは私を四条通りにある馴染みの骨董店に誘ってくださったのです。

「美枝ちゃん、本物っていうのはね、本物なんだよ」

その時の土門さんの顔は、京都行きの目的が私との仕事よりも、その店『近藤』を訪ねることの方にあるように輝いていらした。

「どうかされました、こんな所で」

薄暗い店の片隅、ひとつの壷の前でいつまでも動けずに居た私に、『近藤』のご主人が声をかけてくれました。何故だかは解らない。ただ何気なく見て廻っていた店内の品物の中で、その壷だけが私を強くひきつけ、その場から一歩も動けないようにさせてしまったのです。

この壷は一体どんな人が作ったのだろう、この店に来る前にはどんな所に暮していたのだろう・・・あれこれ興味は尽きず、しまいには「この壷は私のために作られて、ここでこうして待っていてくれたんだわ」と思い込むまでになっていました。

古い信楽焼で作者は不詳、名は”蹲”。

ご主人に説明されて、私は迷わずその壷を買うことに決めた。(東宝から1年分の給料を前借して)。”蹲”というその名が、そのままその時の自分自身のありようを言い当てているような気がして、もう離れられなくなってしまったのです。

中学を卒業後、憧れのバスガールになるためにバス会社に就職した私が、ひょんなことから身を置くことになった芸能界。女優という職業をはじめて、ほんの一年足らず。この世界が自分の居場所だと思い込むには無理がある・・・と、ただ立ちつくし、その場にうずくまっているしかなかった十六歳の私の心。それをそのまま形にして存在してくれているのが”蹲”という壷だったのです。

まもなく私の手元に届けられました。またその日から、仕事以外にもうひとつ、私の人生を賭けるべく”もの”を探し求める旅が始まったのです。

毎年寒椿の咲く季節になると、この壷は一年に一度だけその顔に紅をさし、私の分身として生き続けてくれていることを確かめます。

「この壷には寒椿を一輪だけ活けよう」と頑固に決めたあの日から、ふと振り返れば、早や六十年の歳月が過ぎています。

初明り 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

夜が明けるか明けないか・・・の初明かりの中を箱根神社に初詣に行き、私の元旦は始まります。家族の一年の無病息災を祈ります。そして、二日、三日は箱根駅伝を沿道から応援。

”私は知っています。”まだ夜の明けない暗闇の山道をひたすら走りつづけて練習を重ねてきた選手たちを。「自分との戦い」に挑む選手たちを想うとき、順位よりも何よりも、あのひたむきさに心からの応援をおくります。

そして、松の内に上野の鈴本演芸場の正月初席に伺います。落語・漫才・講談・寿獅子舞・ものまね。紙切りは林家正楽師匠、トリは柳家三三師匠。もちろん私の伺う日は柳家小三治師匠の出演日。思いっきり笑い、お正月気分を味わいます。

お正月から読み始める本は、傘寿を迎え始めて語る、芸、友、人生 柳家小三治自伝「どこからお話ししましょうか」です。まさに現代落語界の至宝。楽しみです。

そして、本年の私の大きなテーマ「首里城」。与那原恵さんの『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』は、大正末期から昭和初期、大々的な芸術調査をし、琉球文化について書かれています。沖縄文化の復興。大変興味深い本、じっくり読み始めたいと思います。

どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。

年の暮れ

令和元年もあと少しで終わります。
今年も私のダイアリーをお読みいただきありがとうございました。台風の被害が相次いだ秋でした。
皆さまの日常生活が一日も早く戻ることをお祈りいたします。

首里城の火災もありました。
来年は沖縄行きが多くなると思います。

サザンカがほころび、冬のはじまりから庭の椿が咲き始め、本格的な冬の到来です。

皆さま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

映画「私の小さなお葬式」

コミカルでチャーミングで、タイトルから受ける印象と全然違っていて、全編に、とぼけたおかしみが漂っている。正直ロシア映画にこのようなウィットがあることが嬉しくなる映画です。

いわゆる「終活」映画。

物語の主人公は長年、教師をして来て、73歳の今は一人で年金暮らしをしているエレーナ。健康に自信があった彼女に医師から「心臓に問題あり。いつ心肺停止になってもおかしくない」と言われてしまいます。

医師は教師をしていた時代の教え子。そして数日後には突然胸の痛みに襲われます。日本ばかりではなく高齢者にとって”終活”は大問題。

ロシアの小さな田舎町に住むエレーナには都会に出て事業を成功させた自慢のひとり息子オレクがいますが、迷惑をかけまいと、さっそく葬式の準備を始めます。

気丈に生きてきたエレーナに、教え子だらけの村人は頭が上がらない。「元・教師」という設定が映画の中で生きている。なによりも村人達がいい。とぼけたおかしみが漂っているし、なによりも私のお気に入りは村の風情です。

いまどきこんな素朴で、雰囲気のある村があるのですね。古びた木造の家のインテリア、小物、さりげない壁紙、テーブルに椅子。監督のこだわりが感じられますし、なによりも監督に乾杯!はよくこの2人の偉大な女優との仕事ができたことです。

「私は普段、人との付き合い方は気楽に考えていますが、今回は自分よりも何倍も本物で、プロフェッショナルな女優。監督には試練です。でも、二人はとても協力的でした。」と語っています。

監督:ウラジーミル・コット、1973年ロシア・モスクワ生まれ。

エレーナ役はマリーナ・ネヨーロア、1947年ロシア・レニングラード生まれ。ロシアでは知らない人はいない芸術家に選ばれています。

隣家に住むひねくれ親友リュドミラ役のアリーサ・フレインドリフは1934年レニングラード生まれ。自身70歳の誕生日にプーチン大統領からロシア連邦国家勲章を授与された名女優。

息子役にはエヴゲーニー・ミローロフ。1966年ロシア・サラトフ生まれ。ロシアを代表する演劇・映画人。

この3人のほのぼのとした温かさ、また哀しさ、コメディーともとれる映画を深みのある芝居、ほんわかした笑いを生む演技が、深刻になりがちな映画を”笑える終活映画”にしてくれました。

でも、この映画の一番のおかしみは「冷凍されたのに解凍したら生き返った鯉」です。鯉はデリケート魚だそうです。撮影中管理が大変だったことでしょう。こちらも”主役”。

ラストに流れるのはロシア語版「恋のバカンス」。63年にザ・ピーナッツが歌って大ヒットした曲。当時のソ連でも流行っていたのでしょうね。

「母と息子の情愛」を、母は一歩引いて、依存することなく凛と生きる姿にこの映画のテーマが見えて、後味はしんみり、でもほのぼのと・・・・ラストシーンは観る人に委ねた監督の想いに感謝です。正直、地味などこにでもあるテーマをこのような映画に仕立てた監督の力量に脱帽です。

やはり、映画は人生を豊かにしてくれます。いい映画を観終わった後はやはり一杯!ですかね~。し・あ・わ・せ。

映画公式サイト
http://osoushiki.espace-sarou.com/