図書館と本屋さん

皆さまは最近図書館にいらっしゃいましたか。
今、本屋さんと図書館がおもしろいですね。残念なことに大手から小さな書店、全国の本屋さんの廃業がとまらないそうです。
確かに都会にいると気がつきませんが、地方では元気な町は別ですが、シャッター通りになってしまった商店街も多くあります。私はよく地方にお邪魔してまず駅前通りを歩き、その町に昔ながらの喫茶店、美容室、そして本屋さんがあるかを確認します。なぜって町の方々が通う場所ですから。
そして私のような旅人は喫茶店に入りゆったりと時を過ごし、そしてその町の、その地域のことを知るのに欠かせないのが本屋さんです。現在、新刊書店のない自治体は全国で2割に達したそうです。やはりネット通販での購入がしやすくなったからでしょうか。私の住む地域には気軽に行ける本屋さんがないのでネットでの購入機会も多いですが、小田原や東京に出たときには本屋さんに立ち寄ることが多いです。実店舗とネット、それぞれに良さがありますから上手に共存できると良いですね。
先日、新聞の記事で魅力的な、いっぷう変わった書店が開業することを知り、オープンして間もない書店兼カフェを訪ねてきました。


東京の下町、日本橋浜町。想像していたよりこじんまりとしたお店で、2階まで吹き抜けの壁に歴史・美術・料理・児童書などが魅力的に並んでいました。ランチもでき、私はコーヒーをいただきましたが、なかなか落ち着く空間でした。
老舗企業の安田不動産がしかけたそうです。書店にカフェが併設されているところが増えてきましたよね。この浜町の書店は、会社勤めの人々と古くからいる住民が店で開く催しなどに集い、本に刺激され話しが弾む。そんなこともコンセプトにはあるようです。そうですよね~、やはり「人が集う」ことが大切ですものね。帰りに孫の絵本を買ってきました。
さて図書館ですが、面白く素敵な本に出会いました『図書館100連発』。
著者は岡本真さんとふじたまさえさんの共著です。さっそくラジオのゲストに岡本さんをお迎えいたしました。
岡本さんはアカデミック・リリース・ガイド株式会社の代表取締役です。この度の本は、全国の図書館が来館者のために行っている素敵な試みを紹介した本です。
岡本さんご自身が図書館の運営やプロデュースにもかかわっておられます。例えば、たつの市のバードウォッチングができる図書館。野鳥の本もそろえ双眼鏡も貸してくれ、野鳥との出会いが楽しめます。
音楽が流れる図書館。誰も借りていない本を展示する図書館では「誰も読んでいない本フェア」を開催し好評だったとか・・・香川県の離島「男木島(おぎじま)」の図書館は公立ではなく、手押し車「オンバ」による私設の移動図書館。カラー写真とともに100ヶ所紹介されています。
個人的にはリニュアルされた富山市立図書館にも興味がわきますし、行きたいところばかりです。
もし旅に出たら、本屋と図書館、お薦めです。
放送は10月1日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
10時半~11時まで。


東京の夜のよりみち案内

『夜の寄り道』という響き、いいですね!
仕事、子育て、介護など、毎日頑張っている自分にたまにはご褒美をあげたいと思いませんか?
アート鑑賞、落語、お酒、カフェ、陶芸、パン教室、そして銭湯など、それらは明日への活力になったり、ひと息つける東京のとっておきの場所を教えてくださる本に出会いました。私も最近は自分の時間が充分にとれるようになりましたが、子育て真っ只中の時は、もう逃げ出したくなり、一杯のカクテルだったり、美術館だったり・・・映画だったり、落語と”自分へのご褒美”でなんとかしのいできた時もありました。
今ほど案内書も豊富ではありませんでした。この度フォトグラファーの大阪ご出身の福井麻衣子さんが、ご自分の好きな行き着けの場所や、新たに探訪したりして素敵な”よりみち”スポットをご紹介してくださいます。
仕事の帰り道、ちょっと足を止めて静かにゆったり過ごしてみませんか。読書やアート鑑賞、手作り体験、ごほうびスイーツやヘルシーなご飯、かわいいお花や服、雑貨、星空観察やナイトカヌーまで!と帯に書かれております。ページをめくると、そう私の秘密基地もありました。(私の場合たいていお酒!かアートですが)
福井さんは、1983年、大阪生まれ。現在は東京を拠点に「日々の小さな感動を糧に」きらりと光る瞬間やその時の空気や感情が伝わる写真を目指しておられるそうです。
現在、雑誌や広告の撮影を中心に、執筆、展示、ワークシュップなど様々な分野で活動されています。ラジオのゲストにお迎えし、じっくりお話を伺いました。
東京の真ん中で寝転んで満天の星空を、通常の椅子席ではなく「芝シート」「雲シート」での鑑賞だったり、遅くまで(22時)開いている手塚治虫や藤子不二雄らが過ごしたアパート「トキワ荘」のあった場所にできた図書館や、毎年8月は開園時間を3時間も延長している上野動物園。涼しくなる夕方から夜にかけて散策するのもいいですね。動物たちの夜の行動もみられますよね。
そして、女性でも安心してロマン・ポルノ鑑賞可の名画座。最終回上映は19・20時台は200円割引もうれしい!ですよね。
東京都内のエリアを網羅しています。
本をお手にとってみて下さい。そしてラジオをお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。
放送日8月13日


100歳まで歩く技術

皆さまは、ひざや腰などに痛みを抱えておられませんか。
実は私は、本格的に箱根暮しをはじめ、この15年くらい時間が許す限りほとんど毎日1時間半ほど山歩き続けてまいりました。ところが昨年11月のある日、バスを降りたら突然左足が動かなくなり、激痛が膝あたりにはしりパニック状態になりました。すぐに整形外科でレントゲンを撮っても骨に異常はありません。
つまり年齢にふさわしい正しい歩き方をしていなかった・・・ということです。もちろん専門家のお医者さまにも相談し、治療も受けました。そこで人間の「筋肉」について初めて意識し、歩き方が正しかったのかを本で調べてみると、どうやら自己流の歩き方、クセなど改善し、「正しい歩き方」が必要であること」がわかりました。何しろ最初の2ケ月は松葉杖をつかないと歩けなかったのですから。
健康には自信があり「運動をしなくちゃ」と毎日続けてきたウオーキング。風を感じ季節の移ろいを肌で感じ、「骨粗しょう症予防」を兼ねて歩いてきた15年。毎朝歩きながら、箱根のエネルギーをもらっているような快適さでした。”歩くって素晴らしい”と思ってきたのですから・・・。
そこで、出会ったのが、「100歳まで歩く技術」をお書きになった黒田恵美子さんの本です。読んでみると納得。そして初めて自分が足を悪くしてみて気づいたことは、足腰を悪くしてしている年配の方が多いこと。私もその間は電車の座席が空いていればすぐに座ってしまう・・・なんとも情けない状況でした。『きちんと生活してきたのに・・・』と納得できませんでした。
「リスナーの方の中にはお悩みの方もいらっしゃるはず」ということでさっそくラジオのゲストにお招きしお話を伺いました。
黒田さんは、1963年生まれ。東海大学体育学部卒業。健康運動士、心理相談員。太極拳師範の資格を持ち、ひざ痛や腰痛予防介護、脳卒中からのリハビリなどエクササイズから、「ケア。ウォーキング」、「ひざちゃん体操」など痛みの起らない体の使い方、修正法、動作改善を考案し、健康で美しく歩くことを目的にした歩き方教室、ひざ痛予防教室などにも力を注いでおられます。お話を伺っていて「人はだれでも歩き方に多少はクセがある。人生の履歴書のようなもの」という言葉でした。
呼吸法も大切です。ご本人は学生時代の体操競技で、極度の「胸反らし、腰反らし、あごの引きすぎ」によって、体のあちことを痛めてしまったとのこと。スタジオで私の歩き方をチェックしていただきました。背筋を伸ばし、足は膝を出さずに真っ直ぐ歩く・・・これは女優になりたての頃、畳の黒い淵を頭に重い電話帳を乗せ毎日訓練させられました。その歩き方に負担がかかっていたということを指摘され驚きと同時に、ちょっと変えるだけで楽に歩けるのです。私の若い頃の正しい歩き方は「胸を張った大またの早足」でした。
現代は、生活のなかで筋肉をしっかり使う場が圧倒的に不足し、脚力だけではなく、全身の筋力や持久力がダウンしていると仰います。
高齢期に突入すると、深刻な問題ですよね。その前に「100歳まで歩く技術を」をマスターして正しい歩き方をし、美しく人生を豊かに暮らしたいものです。
もちろん”ひとり一人歩き方も暮らし方も違います。”自分にあった歩き方で暮らし方で、元気にいたいですね。
頑張りすぎず、気負わずに。たっぷり息を吸って、吐いて、一歩ずつ本来の元気と自信をとり戻していく・・・。と書かれております。健康に大切なことは、食事、正しい運動、そしてサプリメントの力もかりる・・・でしょうか。
詳しくはラジオをお聴きください。
そして本(分かりやすいイラスト入り)をお読みください。
文化放送 5月21日 日曜日 10時半から11時まで


宮沢賢治の真実:修羅を生きた詩人

皆さまは「宮沢賢治」ってどんなイメージをお持ちでしょうか?
清らかな心、詩人、教師、あるいは星をイメージする方もいらっしゃるでしょうね。テレビデレクターの今野勉さんが今回お書きになった本「宮沢賢治の真実」は、従来のイメージを一変させ、私たちに真実の賢治を教えてくれるノンフィクションです。
私自身、何冊か賢治の本を読んではおりますが、まったく理解していなかったことに衝撃をうけます。「農業を愛した人・賢治」この部分だけでも私は深く影響を受けたと思っておりましたが・・・本を読みますます”真実”が知りたくてラジオのゲストにお招きしお話を伺いました。
今野さんは1936年、秋田県生まれ。
東北大学文学部卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社。1970年に退社後、日本初の独立系テレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」の創設に参加しました。テレビ草創期から数多くのドラマやドキュメンタリーの制作に携わっています。著書には「テレビで嘘を見破る」「金子みすゞふたたび」などがあります。
本を書くきっかけはある新聞社からのコラム執筆いらいが最初とのこと。宮沢賢治の全集を一から読み直し「文語詩」の巻を読み進めると、とある詩に出会います。
『猥れて嘲笑(あざ)めるはた寒き』で始まる四連の詩には猥褻の「猥」で始まるほか、「潮笑」、「凶」、「秘呪」といった字がでてくるのです。そこに使われている字句を眺めていると、嫌悪や憎悪や怒りなどが入り混じった気配が感じられた・・・と書かれております。これまでとは別人の賢治。何を訴えたかったのか・・・そこから今野さんの真実へのアプローチが始まります。
今野さんはこれまで四人の宮沢賢治に出会ってきたとおっしゃいます。
「生命の伝道者」
「農業を信じ、農業を愛し、農業に希望を託した人」
「野宿の人」
「子どものお絵かきのような詩を作る人」
そうここまではイメージが浮かんできます。そこからです、今野さんの五人目の賢治の謎解きがはじまるわけです。私などまったく知らない分からない賢治像。異様な詩の背景には、賢治の最愛の妹「とし子」の恋があったという、また賢治自身も同性との恋がありそんな複雑な気持ちの表れなのでしょうか。この辺のことはラジオで今野さんの言葉で直接お聴きください。
今野さんは、賢治関連の蔵書百数十冊を読み込み、地道な取材が根底にあり、謎に迫ります。実際に賢治が歩いた道を歩き、旅は続きますし同時にすごいなと思ったのが、謎に迫るときのアプローチの仕方です。例えば、賢治が目にした光景を確かめるために、盛岡地方気象台に大正11年(1922年)の初雪の日を問い合わせているのです。
さらに、今野さんはあのタイタニック号の事件を賢治はいつ知ったのかについても当時の雑誌・新聞を手に入れて謎を解明していきます。「銀河鉄道の夜」と「タイタニック号事件」が結びついている・・・なんて私は全く知りませんでした。
賢治の心象スケッチ「春の修羅」の中で妹のとし子が亡くなる時の場面「永訣の朝」の現場についても今野さんは真実を突き止め、私たちをまるでその場にいるような映像を文章で再現してくれます。『凄腕のドキュメンタリスト』の6年にもわたる”真実”を追う姿から印象に残った言葉は「宮沢賢治が抱いた悩み、苦しみ、孤独などは今を生きる人にも通じるものがある」ということでした。好きな人にも真っ直ぐで、妹を思いやる気持ちも痛いほど伝わってきます。
本を読み、お話を伺い賢治という人は、私たちの身近にいるような存在だったとも感じました。
今回の本は新しい宮沢賢治に会える、まるで推理小説を読むような面白さがあります。
ぜひラジオをお聴きください。
そして本をお読みください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半から11時まで。
4月23日 30日と2回です。


幻の料亭・日本橋『百川(ももかわ)』

「食の伝道師」、「発酵博士」など1994年から日経新聞の夕刊に連載されているコラム「食あれば楽あり」のファンである私。小泉武夫先生はなにしろエネルギッシュです。お生まれは私と一緒の1943年。現在は東京農業大学名誉教授、鹿児島大学、琉球大学などの客員教授も勤めておられ食に関わる様々な活動を展開されていらっしゃいます。
これまでの著書に『不味い!』、『発酵は錬金術である』、『猟師の肉は腐らない』、『醤油・味噌・酢はすごい』などがあります。
これほど貪欲に「食」を追及し続ける原点はすでに子供時代からあったようです。「猟師の肉は腐らない」の冒頭に幼いころに食べた「身欠ニシン味噌」の思い出が綴られています。とにかく活発な子供で、いっときもじっとしていられないほど動き回り、ちょっと目を離すと何をしでかすかわからない子供だったようです。障子紙は破る、茶碗や皿は壊す、辺りに落ちているものは何でも拾って口に入れるなど、生傷も絶えたことがなかったようです。
その子供の難問を解決したのが祖母で、悪戯っ子も朝、昼、晩の三度の食事の時には別人のようにおとなしくなり、ただ一心不乱に食べているのを見逃しませんでした。『この孫は食べさせておけばおとなしい。それじゃ、いい手がある』と胴体を二本つないだ帯で縛り付け、その先を柱に結びつけ、帯の長さの範囲だけで動けるようにして、左手に味噌を、右手に身欠ニシンを持たせたそうです。ご機嫌の彼は静かに味噌をつけながらニシンを食べ続けていたそうな・・・。
そうか!発酵食品の素晴らしさを見つけた原点はここにあり・・・なのですね。味覚に対する感覚は幼いころの体験、納得です。
本題にはいりますね。
お話の舞台は、江戸時代の後半、日本橋でにぎわった料理茶屋「百川」です。「百川」は古典落語の演目でもお馴染みですが、確かな史料が少なく、謎が多いと言われています。六代目の三遊亭園生さんの「百川」がよく知られていますが、私は聴いてはおりませんし、柳家小三治師匠のも残念ながら聴いておりません。「百川」を舞台に、奉公人の百兵衛と魚河岸の若い衆がお互いに勘違いして騒動を巻き起こす噺。
場所は今でいうと日本橋三越の向かい側、コレド日本橋と商業ゾーンのYUITOの間を入ったところで、「浮世小路」という文字は今も地図に残っています。「百川」には、「江戸大衆芸能の水先案内人の大田南畝、戯作者の山東京伝、兵学者の佐久間像山、測量家の伊藤忠敬」など、そうそうたる顔ぶれが句会、大酒大食の会なども開催されていたようです。
私が一番興味があったことは、江戸時代のあの界隈のこと。そして、日本の歴史を動かす大事件。1853年6月のペリー来航です。開国して最初の会談の時に、江戸幕府がアメリカ側をもてなす宴の料理を「百川」が請け負ったということ。そのときの献立は?なんでも日米合計500人分。今でこそ「和食」は世界に認められていますが、当時はどうだったのでしょうか?その「百川」が明治に移って、忽然と姿を消します。謎です。
この度、小泉武夫先生は『幻の料亭・日本橋「百川」黒船を響した江戸料理』(新潮社)お書きになりました。まぁ~、よくここまでお調べになられた・・・と感心しきりの私。さすが食いしん坊のセンセイ・・・克明に料理などが記されております。
詳しく伺いたくてラジオのゲストにお招きいたしました。
最後には私たちの日常の暮らしで身体によい食事などもうかがいました。もちろん発酵食品なのですが、先生は毎日「豆腐の味噌汁に細かく刻んだ納豆・油揚げを入れて」召し上がるそうです。
2週にわたり放送いたします。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時
2月26日
3月5日 放送


ハチスカ野生食材料理店

今日は「節分」
そして明日は「立春」
暖かい場所では梅が芽吹き、空にはメジロなどが飛び交い、わが家の庭にも小鳥達が元気に飛び春の到来を告げてくれます。
待ちどうしいですね、春が。
子どもの頃私の遊び場は多摩川の河川敷だったり、野原でノビルを摂ったり、川沿いの土手で野草を摘んでカゴいっぱいにしてわが家に戻り母に料理してもらったり・・・もう春が待ちどうしくてたまりませんでした。
結婚し、四人の子どもを箱根の森の中で育て、学校帰りの息子が帽子いっぱいに土筆を摘んで帰り、はかまを取るのに爪が真っ黒になったり・・・。大都会では中々味わえない暮らしが私の性分には合っています。
これまでも全国各地を歩き、自然からの恵みをいただき、学び、山々を歩いてきました。
黒姫に住む作家、C・W・二コルさんとブナの原生林を歩いたのはある夏のことでした。そのブナは、天をつくかと思えるほどの高さ。その幹の太さは、巨漢二コルさんもスリムに小柄に見せるほど。
私はブナの木にふれました。水をたっぷり含むその木は、太古からの生命の循環を奥深い胎内に受け止め、耳をあてると満々たる水のたゆたいが聞こえてくるような気がしました。その木の肌、木の下のあらゆる生物たちが生き、生態系そのものです。
ハチスカ野生食材料理店』(小学館)
何ともうらやましい本に出会いました。
蜂須賀公之(はちすかまさゆき)さんは1962年生まれ。武蔵野美術大学を卒業。初代東京都レンジャー(自然保護指導員)として、国立、国定公園を管理し、現在は特定非営利法人「NPO birth」の理事兼レンジャー部長として都立公園の管理にあたり、環境教育、環境保全を担当しておられます。
蜂須賀さんのご本には四季折々の野生の食材を使った料理が数多く紹介されています。日本全国ジープで山に分け入り、私は目にもしたことのない”キノコ”や山菜、魚、ケモノ、”野食”の数々。拝読していると蜂須賀さんが自然を愛し、自然から愛されている様子が文章から熱く伝わってきます。
『東京は今でも原っぱだらけあちこち秘密基地だらけ』とおっしゃいます。とはいえ、空き地とか原っぱには「立ち入り禁止」「管理者〇〇」など看板が立っていますよね。
「子供のころ自然を見方にできたことは必ず大きな力になる。植物や動物たちが生きる姿、みんながひとつの世界で生きる姿、人が生きるための答えがある」・・・ともおっしゃいます。
先日、新聞に「SNS没頭長文読まず」という記事がありました。ある都立高校に通う女子生徒は通学の電車内、帰りの電車もスマホ。就寝前もスマホでその日の出来事などを話す。一日の利用時間は約4時間なのだそうです。
蜂須賀さんの本からは”命”をいただく動物、植物など私たちは「生かされている」ことを実感します。子供や若者にもたくさんチャンスを与えて差し上げたい・・・と思いました。素敵なお話しを伺いたくてラジオにお招きいたしました。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
2月19日 日曜
10時半~11時
さぁ~、春はそこまできています。蕗の董でも見つけに出かけましょ!


一汁一菜でよいという提案

2016年も間もなく終わろうとしています。何かと慌しい日々ですね。そんな中、心がほっこりする本に出会いました。大切にしたいと思える本です。
土井善晴著『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)
ページをめくるとこのように書かれております。
 一番大切なのは、
 一生懸命、生活すること。
 一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、
 純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです。
一汁一采とは「ご飯、味噌汁、漬物」を原点とする食事の形。ご飯と味噌汁だけでもじゅうぶんです。塩気が必要なら漬物の代わりにご飯に味噌を添えてください。と書かれ具沢山の味噌汁にご飯の写真。
そうですよね・・・私たちが長年ご先祖から受け継いできた考え方、生き方ですね。どうしてもお話しを伺いたくラジオのゲストにお越しいただきました。
料理研究家の土井善晴さんは1957年、大阪生まれ。スイス、フランスでフランス料理を学び、帰国後、「味吉兆」で日本料理を修業しました。
土井勝料理学校の講師を経て、1992年「おいしいもの研究所」を設立。変化する食文化と周辺を考察し、命を作る仕事である家庭料理の本質と、持続可能な日本らしい食をメディアを通して提案されています。
NHKの「今日の料理」、テレビ朝日系の「おかずのクッキング」の講師も務めておられ、私は随分参考にさせていただいております。
土井さんはおっしゃいます。日本には、手を掛けるもの、掛けないもの、「ハレとケ」があり、そのけじめをつけることが大切です、と。
「ハレとケ」では食材も使い分け、例えば魚のアラは、ハレの場には使わない。頑張りすぎている若いお母さんの中には、味噌汁は「きちんとダシを取らないと!」と思ってしまう人もいらっしゃいますが、湯に味噌を溶けば、味噌汁になる。
ケの概念は日常の家庭料理。現代社会では(ハレとケ)2つが混乱していますね、と。そして、「家庭の台所」には料理する音、匂いがあります。それが、安心感につながるのです。と。貧しくても
たしかに私たちが子どもの頃は生活の中にけじめのついた日本らしさがありましたよね。貧しくても一生懸命に生活することが、その後の高度経済成長で性能の良い製品を作る土台になったのですよね、たしかに。
3年前に、和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録されましたが、私たちはもう一度日本の家庭料理を担ってきたおばあちゃんや母親のもとに行かないといけないのかもしれませんね。
来週はクリスマス。そしてお正月へと「ハレ」の日が続きますが、日常は心が暖かくなる「一汁一采」でじゅうぶんだと私も思いました。
“頑張りすぎないこと”はとても大切です。
未来を担う子ども達の”食”が心配です。
ぜひ土井さんのお話しをラジオでお聴きください。
2週にわたり放送いたします。
文化放送 「浜美枝のいつかあなたと」
12月18日と25日
日曜10時半から11時まで。


井伊直虎

2017年の大河ドラマの主役は「井伊直虎」です。
皆さま、この井伊直虎という人をご存知でしたか?正直申し上げて、私はしっかり日本史を勉強していなくて直虎という強そうな名前なので男性だとばかり思っておりました。「女性」なのですね。しかも激動の戦国時代に、一族を守ったボスでもありました。「井伊」と聞くと、井伊直正かあるいは幕末の大老・井伊直弼(なおすけ)が思い浮かびます。
安部総理が「女性の活躍」を掲げておりますが、家を守る時代が長かった女性の、はるか前の時代に、直虎のような女性が活躍していたのですね。
そこで、この度「井伊直虎 女領主・山の民・悪党」(講談社現代新書)をお書きになったな夏目琢史さんをラジオのゲストにお招きをし、直虎の魅力を伺いました。
夏目さんは、1985年、静岡県浜松市生まれ。一橋大学大学院・社会学研究科を卒業。専門は日本史です。これまでに「アジールの日本史」、「文明・自然・アジール: 女領主井伊直虎と遠江の歴史」など著書も多数あります。そもそも、夏目さんの生まれ育った浜松は直虎の地元である引佐(いなさ)地方なのです。もう中学時代にこの直虎に興味を持ち、古文書も調べていらしたそうです。
引佐地方の豪族で、直虎の両親には男の子が生まれず、直虎のいいなずけだった親戚の直親も暗殺されたために1565年(永録8年)直虎が女領主になります。
私がもっとも興味深かったのは、引佐地方のもっと山奥、オオカミの遠吼えがこだまする緑豊かな自然で生まれ育ったと推測される直虎の故郷は、ほとんど宮崎駿監督の「もののけ姫」の世界です。”山の民”非農業民。夏目さんにお話しを伺うと教養もあり、魅力的な女性でもあったそうです。「悪党」と言っても現代での解釈とは違うようです。戦国の世、なぜ女性が領主となり、なぜ近世期、彼女は忘れさられたのか・・・そうした直虎の運命をスタジオでたっぷりと伺いました。
いつの時代もその「時代の転換期」があるのですね。「女性の活躍」・・・と声高にいわなくともごく普通に「女性の活躍」のできる世の中になってほしいものです。来年の大河ドラマが楽しみになります。
その前にラジオをお聴きください。
文化放送『浜 美枝のいつかあなたと』
12月11日
日曜10時半~11時


全日本大学駅伝

6日の日曜日、伊勢神宮へと向かう「全日本大学駅伝」が開催され、晩秋の清々しい秋の光を浴び選手たちがひた走りました。私もその様子をテレビで観戦いたしました。
青空のもとでのシード権争い、早稲田が6年ぶりの日本一か・・・昨年の雪辱をはらし青山学院大学か・・・アンカーの勝負でした。伊勢路を走りぬけ、内宮に飛び込んできたのは青山学院のアンカー「一色恭志選手」でした。
「タスキには先人たちの無数の哀歓がつまっている」「その凛とした布は瑞穂の国の正月をこれからも彩りを続けるだろう」と書かれたのはノンフィクション作家・早川隆さんによる『昭和十八年の冬 – 最後の箱根駅伝 – 戦時下でつながれたタスキ』です。
今、話題の一冊!です。
早坂さんは1973年愛知県岡崎市出身。2011年「昭和十七年の夏 幻の甲子園」で第21回ミズノスポーツライター賞・最優秀賞をはじめ、数々の著書があります。素晴らしいノンフィクションに出会いました。昭和18年は、私が生まれた年。そして箱根に住んでいる私は箱根駅伝がないと1年が始まりません。その箱根駅伝の歴史を丁寧に掘り起こした早坂さんをラジオのゲストにお招きして、じっくりお話しを伺いました。
知らないことばかり・・・。箱根駅伝は来年で93回目です。大正9年(1920年)2月14日・15日に始まり、東京師範学校(現在の筑波大学)の金栗四三をはじめ、多くの人物が大会創設に尽力され、その後の関東大震災、昭和恐慌などを乗り越え継続されてきた箱根駅伝。
しかし、1941年、42年は中止になりました。軍部が国道の使用許可をださなかったためとか。そこで青梅で開催されました。それでも選手達は、箱根駅伝の復活に向けて軍部と粘り強く交渉し、許可がおります。昭和18年の箱根駅伝は、1月5・6日開催で、靖国神社と箱根神社の往復だったそうです。伴走は自転車。11校が参加し、1位は日大、最下位は青山学院。1月6日の箱根は凍てつくような寒さだったそうです。多くのランナーが戦争に行き、亡くなった方もいます。また戦争に行くから「これが最後!」と思って走った箱根駅伝。
日曜の「全日本大学駅伝」では爽やかに走り抜ける若者の姿に感慨深いものがありました。
『タスキには先人たちの無数の哀歓が詰まっている』・・・という言葉。
今日の隆盛の陰に「生」と「死」の沁み込んだタスキがあった・・・・・心に響きます。
放送は1月1日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時


直木賞作家・荻原浩さん

今年7月「海の見える理髪店」で第155回直木賞を受賞された作家の荻原浩さんとラジオの収録と毎日新聞での対談で一日ご一緒させていただきました。
発売と同時に拝読した本。そして受賞なさったときの記者会見での雰囲気・・・自然体で作品そのままのお人柄に魅せられていました。とても緊張していたのですが、穏やかで優しいお人柄にさらにファンになってしまいました。
荻原さんは1956年、埼玉県生まれ。成城大学卒業後、コピーライターを経て、1997年「オロロ畑でつかまえて」で第10回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
2005年「明日の記憶」で山本周五郎賞、山田風太郎賞受賞など、著書も数多くこの度の直木賞は初めてノミネートされたのが11年前で、今回、5度目のノミネートで受賞されました。
どんなお気持ちで、どこでその受賞を待たれていたのかをまず伺うと「編集者の方々と飲みながら待ちましたが、何度も受賞を逃しているので、落ちるのには慣れていて、その時には何と話そうか・・・と考えていました」と。その時にご自身の携帯電話に受賞の知らせがあったそうです。
「海の見える理髪店」は6つの短編小説からなり、どれも家族のことが描かれています。その中の表題作「海の見える理髪店」は、理髪店の店主ともう一人の主人公『僕』のものがたりです。
よく喋る店主からは昭和の庶民の歴史も垣間見え、店主から見る『僕』と、『僕』から見る店主の描写、海の見える風景をお客さんに見せるための心使いや二人の距離感が絶妙です。
この小説で描かれているのは世の中には、人に言えない何かや、様々な事情を抱えて生きている人がたくさんいると思います。
短編の中の『いつか来た道』では画家の母親に反発した娘が16年ぶりに実家に戻ってくるという物語です。世の中には、仲のいい親子もいれば確執のある親子もいます。様々なパターンがありますが、時間が解決してくれたり、和解に導いてくれることもあります。
ラジオでは「年月の流れ、歳月の持つ重み」などを伺いました。『遠くから来た手紙』では、すれ違いの夫から逃れるように実家でメールや古い手紙を読んで夫との関係を見直す・・・帯にはこのように書かれています。『誰の人生にも必ず訪れる、喪失の痛みとその先に灯る小さな光が胸に沁みる家族小説集』と。
読み終えて、「もっときちんと言葉で伝えておけばよかった」「後悔」「ささやかな幸せ」「家族であっても寂しさがある」「人って愛おしい」・・・「家族と暮した豊かな時間」などなど・・・心の深いところに、ともし火を感じました。
今回の収録は荻原さんで2本でした。
待望の「直木賞受賞第一作」『ストロベリーライフ』が話題になっています。「ストロベリーライフ」は毎日新聞の日曜版「日曜くらぶ」に連載されていました。
イチゴ農家を舞台にした長編小説で、家族、農業、そして人生の岐路などいろいろなことを考えさせられました。岐路に立った時、人はどんな決断をし、そして決断した人を周りがどうサポートするのか、これがテーマの一つになっています。
行動すること、動き出すことの大切さも感じました。迷っている人の背中を押す・・・それらが「ストロベリーライフ」に描かれています。
私たちは「農・食」のことをもっともっと知ることが大切です。
じっくり荻原さんのお話をラジオでお聴きください。
そして、毎日新聞での対談をお読みください。
毎日新聞10月29日(土)朝刊(予定)
文化放送 11月27日と12月4日 日曜10時半~11時