メリークリスマス

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皆さまはクリスマスをどのようにお過ごしでしょうか。
私は、箱根の森の静寂な中で迎えております。
我が家に住むたくさんの柱や梁、床や戸棚、多くの木とおしゃべりします。
木々たちは、何百年も生きているからものしりで、私のわからなさを諭したり
ときには眠ったふりをして答えてくれなかったりするけれど、
木々とのおしゃべりは本当に楽しいのです。
素敵なクリスマスを!

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~京都府・大江町毛原」

今回ご紹介するところは、京都から福知山をさらに40分ほど山間に入った鬼伝説で名高い大江山。そのふもとに広がる大江町・毛原集落をご紹介いたします。
北は宮津市、南は綾部市、東は舞鶴市に隣接しています。丹波路の最難所、大江山の峠越えの麓に毛原集落はあります。この毛原集落は奈良~平安~鎌倉にいたる中世の時代に形成された集落といわれ、大江山越えの裏街道として宮津(天の橋立)まで旅する人に親しまれていたそうです。今は幻の峠となっていますが、昔の人はどんな思いでこの難所を行き交っていたのでしょうか。大江の里は中央を由良川が流れ、その山中には聖霊が宿っているような静けさがあります。
“大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立”
歌人・和泉式部の娘が詠んだ歌だといわれます。
さて、毛原集落は「日本の棚田百選」にも認定された、山に囲まれた小さな美しい村です。人口30人、13戸。ここはかつては、千枚以上の棚田があり、千枚田とも呼ばれていた集落ですが、担い手の高齢化が進むととともに、農業への従事が困難になり、その結果、田への植林が増え、また、農地の荒廃化が進み、棚田は、約600枚に減ってしまったそうです。
そこで、毛原の集落の人たちは 「みんなで守ろう・心のふるさとを」との思いから、人口が減り、高齢化してしまった「ふるさと」を守っていくには、都市住民の力が必要!との結論に達しました。現在「毛原の棚田」では「棚田農業体験ツアー」や「棚田オーナー制度」を導入し、都市住民と積極的に交流をしています。
散策路・水車の復元、集落を歩いているだけで心が休まります。私は庭に葉の落ちた、柿の実のなる風景を見ると懐かしさで胸が熱くなります。晩秋の一日、私は村の方々から「ふるさと」を想う気持ちを伺いました。
ビオトープの池、また女性が中心となり道端、法面に水仙の球根を植えておられました。民間企業が参加し、里山を守るためにボランティアで活動も行なってもいます。冬は30cmくらいの雪が積もるそうです。春にはみつ葉つつじの群生が美しく、5月は昔ながらの手植え、秋には稲刈り、さつま芋掘り、また遊休農地ではそばの栽培が行なわれて、真っ白なそばの花が咲き乱れます。

「自分たちの故郷を守る活動が未来に繋がると信じてやっています」・・・と。
美しいふるさと・・・それは、私たちの先祖が、一生懸命山を切り開いて田んぼを作り、そして山や川をまもってきたことの証なのですね。
棚田は美味しいお米を作るだけの場所ではありません。水を貯えるダムとして、洪水や地すべりなど災害から私たちを守ってくれます。そして生き物の王国でもあります。田んぼの微生物たちが、ゴミや汚れを浄化し、田んぼにたまった水は太陽に照らされてゆっくり蒸発するので気温を調節し、森林や作物など植物の働きで、空気をきれいにしてくれます。
そして、美しい”ふるさとの景色”を守ってくれます。
この毛原集落からほんのちょっと奥に入ると二瀬川渓谷にいけます。大江山連峰・千丈ヶ嶽を源にした水が、勢いよく流れ落ちる二瀬川渓谷。大小の岩と美しい紅葉。きっと四季折々の美しい光景を見ることができるでしょう。山の中、心身ともにやすらぎ、深い緑に吸い込まれそうです。周辺は鬼伝説の遺跡群があり、新童子橋をわたり、散策をお進めします。そして、毛原をはじめとした大江地域で栽培された酒米で作った地酒「大鬼」が今、アメリカで人気になっているとか。

私は毛原・大江の帰りに福知山市内に戻り、江戸時代には城下町として栄えた町並み、明智光秀が丹波の拠点として築城した福知山城(石垣は光秀時代の面影が残されています)、臨済宗南禅寺派の寺「長安寺」を訪れました。ここは四季折々の景観と枯山水の庭、特に秋の紅葉は見事で「丹波のもみじ寺」として知られています。臨済宗妙心寺派の天寧寺は室町時代の名刹で自然に囲まれ、こちらも四季折々の風情が楽しめます。

今夜は福知山、大江町・毛原集落をご案内いたしました。

今年の紅葉もそれはそれは美しかったです。私の住む箱根はもう冬景色・山歩きのときに、息の白さに、冬がきたことを知らされます。
【旅の足】
京都からJRで福知山駅へ・・・KTR(北近畿タンゴ鉄道)で大江駅へ、そこから市営バスかタクシーで毛原集落へ。
詳しくは「毛原の棚田ホームページ」か、福知山市大江市所内「棚田農業体験ツアー実行委員会」まで
TEL: 0773-56-1101
FAX: 0773-56-2018

「日経新聞-あすへの話題」

日経新聞 第19回 11月7日掲載 「テレビドラマ雑感」
箱根の家では、夜、音楽を聴くことが多い。クラシックからジャズまで、そのとき自分が求めているものをCDラックから取り出しては聴いている。音楽を聴きながら、ゆっくり本を開くこともある。
夜、テレビドラマをほとんど見なくなってからどのくらいになるだろう。テレビCMの対象が個人視聴率の集計区分でF1層と呼ばれる女性20~34歳、M1層と呼ばれる男性20~34歳向きのものが多く、それゆえテレビに若者向け番組が多いという事情はわからないではない。けれど、大人が待ち遠しいと思えるドラマが少ないのはさびしいと、ずっと思っていた。
だが、今年になってちょっと変化が起きた。夜、テレビの前にときどき座るようになったのだ。フジテレビ開局50周年記念ドラマ「不毛地帯」がおもしろい。もう終了したがTBS「日曜劇場 官僚たちの夏」も見ごたえがあった。どちらも生きること、働くこと、国家や組織と人など、大きなテーマを持つ大作だ。同時に、理想と現実の間で悩み、挫折を繰り返しつつ、厳しい時代を必死で生きた先人の姿が胸をうつ。私の周りではこれらのドラマの話題で盛り上がることもある。
このことだけをとりあげ、結論づけるのは気が早いかもしれない。が、こうした鮮烈な生き様のドラマが多くの人々に歓迎されているということは、閉塞した状況を打ち破りたいという現代の思いを彼らの姿に重ねようとしているからではないか。そうした人々のエネルギーが集まり熟成されれば何かがきっと変わる。変えることができる。とすれば今は変革の前夜、過渡的な時代といっていいのではないか。そんな風に考えるのは、飛躍し過ぎだろうか。
日経新聞 第20回 11月14日掲載 「百年の村づくり」
食べ物には、美味という表現だけではおさまらないものがある。私にとって、鳥取・香取村の「香取村ミルクプラント のむヨーグルト」は、そんな飲み物のひとつだ。搾り立ての新鮮な生乳を7時間以内に加工し、長時間低温殺菌処理を施して作られるヨーグルトなのだが、口に含むと、大山の上に広がる青空、吹き渡る風、そして人々の笑顔がふっと浮かび、心身がす~っと浄化されるような気がする。
香取村は、中国から引き揚げてきた第8次樺林開拓団を中心にした「香取開拓団」(現在は「香取開拓農業協同組合」)が昭和21年、入植して作り上げた村だ。香川県出身者による開拓村であったため、香川県の「香」と鳥取県の「取」をとって香取村と名づけたといわれる。その団長を務めていらした三好武男さんと以前、お会いしたことがある。「香取の村づくりは、百年計画。三世代かけての大事業です。金やものを追うのではなく、人間中心の、まっとうで、喜びのある社会を取り戻さないと。村づくりは精神の開拓でもあるんです」
  
その信念の元、未開の山林原野を切り開き、約60年かけて畑作畜産大型酪農業の村を作り上げた。今、霊峰・大山の高原にヨーロッパを思わせる牧場が広がる。「まだ村づくりは折り返したばかり」とおっしゃっていた三好さんは05年95歳で亡くなられたが、2代目、3代目の人々が後を継いで、村の歴史を紡ぎ続けている。
村づくり、国づくりに必要なものは、こうした百年の計画、それを支えるヴィジョン、信念ではないだろうか。「自分達が死んでもいつまでも実をつけるように」と三好さんたちが植えた香取村のくるみや梅などの苗木は今、大木にと育っている。
日経新聞 第21回 11月21日掲載 「伝統野菜の復権」
全国にはそれぞれの気候風土に適し、代々受け継がれてきた伝統野菜がある。それら伝統野菜を売り出し、地域農業を活性化しようとする動きが高まっている。
以前、2度ほどイタリアの「食の祭典 サローネ・デル・グスト」に参加したことがある。「アモーレ、カンターレ、マンジョーレ(愛そう、歌おう、食べよう)」の国イタリアでもこの30年間に150種類ものチーズが姿を消したといわれる。スローフード運動も食の祭典も、伝統の食が消えることに危機を感じたことから生まれた。
食の祭典にはイタリア各地から集められたチーズ、ハム・ソーセージ、オリーブオイル、野菜、果物、パスタなどが一堂に会する。けれど、ただのお祭りではない。消費者はブース巡りやワークショップを通して生産者を知り、様々な味に出会い、「おいしくやさしく公正な」という観点から自らの味覚を鍛え磨く。この祭典には「食品購入の際に質の高い食品に働きかけ、良い方向へ導き、支えることができる消費者=共生産者」を増やすという明確な目的もあるのだ。
私もこれまで食アメニティ・コンテストなどを通じて、伝統食・伝統野菜を伝える活動を続けてきた。個人的に三浦大根のサポーターもかって出たりもしている。スーパーに並ぶのは病気に強く、大きさの手ごろな青首大根ばかり。そこで私は煮崩れしにくく、大根本来のほろ苦さも味わえる三浦大根は農家から直接取り寄せているのだ。大根ひとつとってもこのような状況である。日本の農を守り、食のバラエティを保つために、イタリアと同様、公正な観点を持ち、味覚に優れた消費者を地道に育てていく場が必要ではないだろうか。

箱根のクリスマス

12月2日~3日にかけて主婦の友社「ゆうゆう」のオリジナルツアーで、ここ箱根の我が家に、遠く北海道から九州まで、70名の読者の方々がお集まりくださいました。
雑誌「ゆうゆう」では4年間の連載を受け持ちました。連載開始当時60歳になったばかりの私の経験を少しでも参考にしていただけたら同じ女性として嬉しいと思ったからです。
「ゆうゆう」では、一人の人間として、ありのままの自分を語ってきました。私も読者の皆さんと同じように、人生の中で、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、 苦しかったことや悲しかったことなど・・・を共有してきました。だからでしょうか、初めてお会いした方ともすぐに仲良しになれます。
親子でのご参加、50代、60代、70代の方々。皆さんのお顔が輝いています。
女性の人生は、家族を精神的に支えることが求められるだけに、男性より悩みが複雑かも知れません。けれども、その大変さを乗り越えることで、より豊な自分になれるのではないでしょうか。今回の皆さんのお顔を拝見していると、そんな美しい輝きがありました。
家のことはしばし忘れ「ご自分へのご褒美よっ!」とお話すると大きくうなずく彼女達。 素敵な箱根の初冬の午後の一日でした。

亜麻の花咲く里づくり

10月下旬、北海道当別町に行ってきました。
この町は札幌都心部から約15~25kmに位置しています。当別町では、明治初期より始まった亜麻の栽培が、化学繊維の普及により除々に減少し、やがて姿を消してしまいました。その美しい景観をもう一度取り戻し、地域の活性化につなげようと復活に取り組んでいます。
(亜麻とは、中央アジア原産でアマ科の一年草のこと)
約40年も栽培が途絶えていたこともあり、亜麻の栽培方法の研究から始まり、海外の文献などを参考に試行錯誤を重ね、8年目の現在は約8haの作付けをするまでになりました。生産者の輪も広がり、商品開発も進み、フォトコンテストや亜麻まつりなどで町は賑わいます。亜麻の種子から抽出される「亜麻仁油」は身体によいといわれています。

初夏には薄紫の亜麻の花が咲き乱れ、収穫時期を迎える秋には、一面黄金色に色づき美しい風景を作り出すそうです。
廃校となった小学校を亜麻の資料や木工家具のアトリエなどに使われており、何だか懐かしい光景がよみがえりました。

「亜麻の花咲く町」・・・今度はぜひ夏に行ってみたいです。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県・勝山」

今回ご紹介するところは、岡山県北部に位置する真庭市勝山です。
勝山は、瀬戸内と山陰を結ぶ交通のかなめにある美しい町です。
町を囲む蒜山(ひるぜん)三山をはじめ、山々が檜や杉など森が深く、日本の滝百選に選ばれた、神庭(かんば)の滝は、湯原奥津県立自然公園の一角にあり、落差110m、幅20mの勇壮な滝です。

てっぺんから流れ落ちる滝の姿はなんと美しいことか。滝の水しぶき、樹木の匂い、辺りに漂う樹齢の空気に清清しさを感じ、思わず深呼吸をたっぷりしました。きっとマイナスイオンが身体中にいきわたったでしょう。一帯には約180匹の野生の猿が生息し、訪れる人に愛嬌をふりまいています。私が訪ねたのは10月でしたので、今頃は紅葉が一段と美しいことでしょう。
勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは木材で賑わっていたそうです。けれども時代が経るにつれ、その賑わいは失われていきました。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつあります。勝山の何が人々を惹きつけているのでしょう。
3月の「勝山のひな祭り」の頃は3万人ほどの人が集まるとか・・・。どこの家々もお雛さまを飾って観光客を楽しませてくれるとのこと。そんな暖かい気持ちが伝わっているのですね。
さらには、白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情でしょうか。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めの暖簾。商店はもとより個人の住宅にも暖簾が揺れています。一軒ごとに違う大きさや柄、たとえば自動車修理工場の軒先にはモダンな自動車の絵柄、幾何学的な自転車柄、タイヤのわだち、野菜、野の花、櫛模様・・・まあ、にぎやかな事。でも全体がシックにまとまっています。今では110軒中92軒が暖簾を揚げています。

約13年前、東京・女子美術大学でテキスタイルを学び教えていた草木染め作家・加納容子さんが、家業の酒屋を継ぐためにUターン。店に自作の暖簾をかけたのがきっかけで、その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」と暖簾をかける家が増え、今の姿になったといいます。
私が訪ねた時には、どの暖簾の下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれます。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられました。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかったのです。

そして、私にとっての旅の魅力のひとつに地酒があります。
ここ勝山には創業二百年余年の、この町にただ一軒残る酒屋があります。
辻本店の酒です。
旭川の伏流水がまろやかさを醸し出します。仕込みの陣頭にたつのは辻家のご長女。酒蔵は女人禁制の世界でしたが、現在では見事に長女の麻衣子さんにより酒造りが行なわれているといいます。歴代の杜氏が惜しみなく技を伝えてきたのでしょう。
この勝山には水のよさから、美味しい蕎麦屋もあります。当日私は残念ながら休日にあたり食べられなかったのですが、この蕎麦やは何でも倉敷から、この水のよい勝山に食道楽の人たちの求めに応じてやって来たとのことです。
酒蔵・蕎麦や・そうそう・・・美味しい饅頭屋さんもあります。
もう、これだけあれば、すっかり旅気分。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのです。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山まつりでも、それで、まちは少しも汚れないといいます。
勝山は旅人と町の人がお互いを慮り、理想な形で交流ができているのではないでしょうか。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山の人々。そして、訪ねる観光客もけっして土足で入らない・・・理想の町をみました。
勝山の見所はいろいろあります。神庭の滝 町並み保存地区では暖簾や土蔵や格子、旭川沿いには往時を偲ばせる高瀬舟発着場後が残っています。郷土資料館には、縄文時代からの民族資料、旧藩主・三浦藩に関するもの、戦時中に勝山へ疎開していた谷崎潤一郎の資料も展示しています。入り口を入ると、休憩所があり暖かいお茶で迎えてくれます。武家屋敷は往時の姿で現存しています。
のんびり、ゆったり・・・勝山の町を散策してください。
岡山駅前から直通のバスが出ていて便利です。勝山まで約2時間の旅です。
JR岡山駅から伯備線で新見駅へ。姫新線に乗り換えて中国勝山駅下車。
岡山駅から津山線で津山へ向かい、姫新線に乗り換え勝山駅で降りる方法もあります。
どちらも所要時間は約3時間。
駅を出て左方向に「檜舞台」と書かれた門をくぐると暖簾の町並み保存地区。
小さな町なので歩いて充分愉しめます。
【お問い合わせ】
真庭市役所勝山支局総務振興課まで。
TEL 0867-44-2607
今夜は暖簾が風にゆれ、暖かなおもてなしで迎えてくれる勝山をご紹介いたしました。

「パリに咲いた古伊万里の華」に寄せて

日経新聞 第18回 10月31日掲載
旅先で、知らない町を歩くのと同じくらい楽しみにしているのが美術館巡りだ。何度も通ううちに、親しみを感じるようになった美術館もある。東京にもお気に入りの美術館がいくつかある。そのひとつが、1933年に建てられた朝香宮邸をそのまま美術館としている東京都庭園美術館だ。

建物の存在自体が美術品といっていい。日仏のデザイナーや技師が総力をあげて作り上げた独特の格調高いアール・デコ建築で、すみずみまで美しい。さらに名前の通り、美術館は東京都心では珍しいほど豊かな緑の庭園に囲まれている。

今、こちらでは「パリに咲いた古伊万里の華」(~12月23日)が開催されている。オランダ東インド会社が日本の磁器に注目し、公式に輸出された1659年から今年で350年、それを記念した大展覧会だ。仕事の合間を見つけ、駆けつけた。
当時のヨーロッパの王侯貴族たちを魅了した有田の磁器がこれほど展示された例はない。乳白色の素地に施された色絵、金襴手の豪華な大皿や大鉢…どの作品からも精進して作成した先人の思いが伝わってくる。ヨーロッパの厳しい注文に応え、技術を磨き、高い評価を得るまでに成長していく過程も見て取ることができた。と同時に、作品と建物が交感し、共鳴しあっているようにも感じた。遠く海を渡り、時を越えて里帰りした古伊万里を、建物が優しく迎えているような、そんな雰囲気が会場に満ちていたのだ。
帰りに秋風を頬に受けながら庭を歩き、カフェでお茶を飲み…心が充実し、活力がみなぎるのを感じた。力ある芸術は、人を勇気付けてくれる。秋が深まった午後の昼下がりにでも、足を運んでみてはどうだろう。

能登演劇堂のマクベス

日経新聞 第17回 10月24日掲載
パーソナリティをつとめているラジオ番組『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送・日曜10時~11時)に8月、仲代達矢さんをお迎えした。仲代さんはご存知のように、日本を代表する俳優の一人であり、75年より舞台俳優養成のための私塾「無名塾」を主宰している。
「今は私にとって赤秋の時。真っ赤な秋を真っ赤に生きようとこの秋、石川県七尾市の「能登演劇堂」で能登でしか観られないシェイクスピアの「マクベス」を演ります」
仲代さんは目を輝かせつつ、76歳の新たな挑戦について語ってくださった。
その仲代さんの言葉に誘われ、先日、能登中島の森に抱かれた「能登演劇堂」で、まさしくこの劇場でしか見られない「マクベス」を堪能してきた。舞台後壁が開くや、馬に乗ったマクベスが駆け下りてきてストーリーが展開する。本物の森が動き、舞台装置の一部となるのだ。ダイナミックな演出、そして仲代さんの深みある演技。心にしみる素晴らしい舞台だった。
能登演劇堂は、日本では珍しい演劇専門のホールだ。無名塾が中島町で合宿していたことが縁で、当時人口8,000人の町の年間予算の約3分の1を投じて、1995年に開館した。そこには石川県能登半島を演劇文化エリアとして定着させたいという地元の思いがある。開館から14年、東京など県外からも人が集まるようになり、50日間のロングランの「マクベス」は切符も完売であるという。
芝居を見た帰り、能登七尾から金沢まで1時間45分鈍行列車に揺られた。舞台の余韻を味わうには、特急ではなく各駅停車に流れるゆったりした、そして人の匂いがする時間がふさわしいように思ったのだ。

「日経新聞-あすへの話題」

第13回 9月26日掲載 「現場を歩く大切さ」
農村を歩く中で、私はそこで抱えている問題を知った。農業の実際を知りたいと、福井県・若狭の田圃で10年間米作りを続けたこともある。ヨーロッパの農家民泊に興味を持った時には、やはり10年間毎夏、各国の農家を見て回った。私にとって現場は問題を発見し、その対処法を探すところでもある。
IT(情報技術)時代の今、パソコンさえあれば情報は集められるという人がいる。もちろん客観的かつ論理的な視点は欠かせない。けれどそれだけでは、たとえば臨場感や緊張感、あるいは問題の背後に流れるひとりひとりの思いなど、大切なものが漏れてしまう場合がある。
私が心の師と仰ぐ先人のひとりに民俗学者・宮本常一さんがいる。「七十三年の生涯のうちに合計十六万キロ、地球を四周するほどの行程を、ズック靴をはき、汚れたリュックサックにコウモリ傘を釣り下げて、ただ、自分の足で歩き続けた」(佐野眞一著「旅する巨人」より)人であり、司馬遼太郎さんをして「日本の山河をこの人ほど確かな目で見た人は少ない」(同)といわしめた人だ。宮本さんの足跡を考えるにつけ、私は現場で人々の話にじっくり耳を傾けることこそが何より重要なのだと改めて感じずにはいられない。
政治を司る人たちには、おおいに現場に足を運んでいただきたい。そしてそこに暮らす人々に寄り添い、同じ目線の高さに立ち、ともに問題に向き合ってほしい。傍観者としてではなく、我がこととして問題解決法を模索してもらいたいのだ。
地を歩くことで見える切実な現実から導き出された問題解決法にこそ、真の力が宿ると、私は信じている。
第14回 10月3日掲載 「巡りくる季節に」
秋風を頬に感じると、三十六歌仙の一人・藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の歌を思い出す。我が家のある箱根は、さらに秋の気配が深まっている。近くの空き地には、黄金色のすすきが風にきらめき始めた。今朝、散歩の帰りにその幾本かをいただき、小さな赤い実をつけた吾亦紅や、いつのまにか庭いっぱいに増えた紫色のホトトギスの花とあわせて飾ると、部屋までもが秋色に染まった。やがて山頂から紅葉が下りてくる。何百年も前の先人と同様に、今も多くの人々が、こうして巡りくる季節に感謝の気持ちを覚えているのではないだろうか。
国連気候変動首脳会合で鳩山由紀夫首相が温暖化ガス削減の中期目標について、主要国のポスト京都議定書への参加を前提条件に「1990年比で2020年までに25%削減を目指す」と表明した。その実現のために日本の負担は際立って大きいといわれ、実現可能性を疑問視する声もある。この点に関しては、どんな負担がどの程度あるのか、どこまで負担を許容できるのかという議論を具体的に進めていかなくてはならないだろう。
しかし、いずれにしても、温暖化をこれ以上進ませないために、私たちは行動を開始しなくてはならないのではないだろうか。人間はこの100年の間に、石炭や石油として地球に封じ込まれていた炭素を掘り出し、大量に消費し、多量の二酸化炭素を放出させ続けてきた。それが地球上すべての生物に深刻な問題を引き起こしている。農と食をテーマにしてきた私はその切実さを肌で感じる。自分たちの未来を開くために、最善をつくす時期が来ている。
第15回 10月10日掲載 「活字の役割」
いつもバッグに本や新聞を入れて持ち歩いている。我が家は箱根にあるので、どこに出かけるのも小さな旅のようなもの。車窓の風景を眺めるのも楽しいが、本や新聞を読むのもまた、忙しい日常の、ちょっとした贅沢のひとつである。
先日、新幹線の中で例によって新聞を取り出そうとして、私たちに今、何が起きているのかという情報を伝えてくれ、ときには物語世界に誘ってくれる文字・活字というものの力と不思議さに思いが飛んだ。なんと便利で愛おしい道具だろうと胸が熱くなってしまったのだ。文字が生まれたのは、紀元前4000年紀後半の前期青銅器時代だという。つまり、人は6000年間というもの、文字とともに生き、成長してきたといえる。
その新幹線で到着した場所で、大学受験を控えた高校3年生と、大学2、3年生と、お話をする機会を得た。自分がこれからどう生きていくか、期待と不安を抱きながらも前向きに歩もうとしている若者たちで、とても好感が持てた。だからなおいっそう、新聞や本をぜひもっと読んで欲しいと思ってしまったのである。今、若者たちの活字離れがいわれている。ネットでニュース記事を読めばいいという声もあるが、新聞は情報の重要性をも面で伝えてくれる。ページをめくり、行きつ戻りつしたりできる本は、ディスプレイを目で追うだけのものより、ずっと有機的な存在だとも感じる。
就職活動が始まると、急に新聞を手に取る学生も増えるらしい。私の4人の子どもたちもかつてその時期、突然、新聞を読みだした。そして息子2人は、特に熱心な読者に育った。活字はこれからの読者をはぐくむ役目も担っている。
第16回 10月17日掲載 「のれんの町・勝山」
岡山県真庭市勝山を訪ねた。勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは材木で賑わっていたという。けれども時代を経るにつれ、その賑わいは失われていた。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつある。
勝山の何が人々を惹きつけるのか。
まずは白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情だろう。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めののれんである。商店はもとより個人の住宅にものれんが揺れている。
約13年前、草木染め作家・加納容子さんが元は酒屋さんだった古い家に一枚ののれんをかけたのがきっかけだった。その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」とのれんをかける家が増え、今の姿になったという。私が訪ねた時には、どののれんの下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれていた。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられた。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかった。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのである。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山祭りでも、それで、町は少しも汚れないという。勝山は旅人と町の人が互いを慮り、理想的な形で交流できている街なのではないだろうか。
そこでふと思った。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山での人々のあり方、これこそが、今、盛んにいわれている「友愛」の真の姿ではないか、と。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~石川県・金沢」

今回ご紹介するところは金沢です。
あまりにも有名な金沢ですが、今夜は「地図を忘れて・・・金沢へ」です。一枚の地図を持って知らない街を丹念に歩く旅の良さ。また、観光パンフレットを持って店々をのぞく旅も良いでしょう。でもあなたがもし、「金沢の旅」をなさるなら、地図と別れて人に出逢う旅、話を聞く旅はいかがでしょうか。
無名の人の話には、その町の匂いが漂い、先輩の話には、その町の(ここだけの話)の面白さがあります。仕事の合間のエア・ポケットのような日こそ、旅に出るチャンスです。一泊の小さな旅を計画しました。
私は朝の便で、石川県の小松空港へ飛びました。約50分のフライトで到着です。私は年に3,4回石川県に行っていますが、ほとんどが講演・シンポジウムなど仕事でいくことが多いのです。仕事の時はどこにも寄り道せず、真っ直ぐ帰ってくるだけですから、これは旅とはいえません。ですから、本当に何も縛られない旅時間は嬉しくて嬉しくてしかたありません。何を食べよう、どこを散歩しようとウキウキします。
小松空港には市内まで直行するバスがあり、これは大変便利です。バスに乗ったら、必ず進行方向左側に座ります。何故かといいますと、理由はすぐ分かります。空港をぬけるとすぐ、雄大な日本海がバスの横に広がります。このバスの中から何十回、いえ百回以上、海を見てきたなあ、なんて一人感慨にふけってしまいました。
一度として同じ海はありません。だから毎回、海が見たいのです。時には時雨模様のもの悲しい海に、胸がキュンとなるような鈍色(にびいろ)だったり、今回のように秋の日本海が晴れ渡り、思わず深呼吸したくなったり。私の好きな海は「じきに雪が降るよっ」と語りかけてくれる色合の時です。

北陸の人たちは、微妙な変化で天気予報をよく行うのです。東京にいたらラジオやテレビの天気予報で、傘の準備をしたり、お洗濯はどうしようと心配しますが、金沢の人は何か、体にお天気を当てるセンサーがついているのではないかと思うほど天気を予報します。
さて、街についたら皆さんは一番最初にどこにいらっしゃいますか?
私は「裏口兼六園」です。正面からはいる兼六園はまさに天下の名園の序章です。でも、もしそのならいにこだわらずに気楽にいくつかの入り口を選んで入ってみたら如何でしょう。
そこにはパンフレットにはない風景が展開します。
樹齢何百年の古木が、根元をむきだしにしたその横を、春なら新芽が出ているのを見つけられるし、秋は紅葉した美しい枝に出逢えます。そんな時、私達は万物の生命のつなぎに感動します。

日本三大庭園の一つ「兼六園」は木々と対話することに気付かされます。ある夜のとばりが降りた頃、金沢城の門のところに佇んでいました。門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや昔の人のワラジ?音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。
その次は大乗寺というお寺です。そこも真っ暗。その時は夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんは出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中、歩いていて、果たしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。
「路地歩き!これも金沢の旅の本命のひとつ」
そうだ、かつて日本のいたるところにあった路地が今も残っているのが金沢の町!家と家との間のせまい一本の道をゆっくりと歩けば、そこから昼や夜の「おかず」を作る匂いが漂います。「茄子とニシンの炊き合わせ」「じゃがいもと玉ねぎの味噌汁」などなど・・・。
これが暮らしというものと一瞬立ち止まる旅人。「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんは、この金沢の路地歩きがお気に入りだったとか・・・。
「庭の千草」を小声で口ずさみながらゆっくりゆっくり歩かれたそうです。

昼のお散歩は「東の廓」。そこは卯辰山の西の麓と浅野川に挟まれた江戸時代からのお茶屋町です。この一角に加賀格子を正面に備えた町屋が軒をつらねています。当時のお客さまは、豪商や文人でしたから、そういう方のお相手をする女性は、茶の湯はもちろん、華道、和歌、俳句、謡曲、舞、琴、三味線などありとあらゆる教養を身につけていなければなりません。今もこの町並みは当時を偲ばせ、黄昏近くになると、細い格子の中から三味線の音や小唄が聞こえてきます。
金沢は職人の住む町でもあります。
「和傘」に手描きで、客の注文の絵を描く老職人
「加賀友禅」に一筆一筆の筆を置く職人。
「金箔」の根(コン)のいる手仕事。
最敬礼!職人の心意気!
ここに日本の職人の原点を見ることができます。

旧制第四高等学校があった金沢の町には、当時の赤レンガの建物が今も大切に残されています。幣衣破帽(ヘイハボウ)、寮歌を歌って歩く若者を町の人々は学生サン、学生サンと呼んでその青春を讃えたそうです。
作家井上靖、中野重治もこの「四校」で学び、その作品の中に「我等二十の夢数う」の精神が生き続けています。現存する教室の古い椅子に旅人のあなたも座れば、一瞬、あなたの「青春」が甦るはずです。
さて、旅の終わりは近江町市場。今が旬の美味しいのど黒、甘エビ、ハタハタ、メギス、カレイなど、これから冬にかけてはズワイ蟹。石川県では加賀と能登地方の名を合わせて「加能ガニ」というブランドで出されています。
それから石川の加賀野菜。金時草、加賀つるまめ、甘栗かぼちゃ、加賀レンコンなどは絶品。私はこれらの野菜と魚などの食材を買って宅配で家に送りました。
結局、私の旅は食べて、人に出逢い、また食べるものを買い込む旅だったようです。

古都・金沢には古い建築物が多いです。
室生犀星、三島由紀夫や吉田健一など、数多くの人々に愛された町が息づいています。
歴史、文化、旧と新、自由自在の旅が楽しめます。
金沢は人の「こころ」が生きているあたたかい町!
今夜はそんな街、金沢をご紹介いたしました。