ルーシー・リー展

東西をつなぐ優美なうつわ
2026年7月4日(土)~9月13日(日)

ルーシー・リー展を目黒の庭園美術館に観に行ってまいりました。目黒駅から徒歩7、8分。駅通りを抜けて緑あふれるこの界隈は都会の中でも木々の匂いがする好きなエリアです。

正面からではなく、左手の庭から本館へと向かいます。(事前にチケットを購入し、ここから入るのをお勧めいたします。)庭を渡る風が心地よく、木陰を歩いて美術館までの道は当時の面影が残り心地よいです。

ここは1933年(昭和8)年に皇族朝香宮家の自邸として建てられました。1983年(昭和58)年に美術館として開館し、2021年令和3年4月に「東京都庭園美術館」に。内装にアンリ・ラバンやルネ・ラリックらフランスのアールデコ様式が起用され国の重要文化財に指定されています。当時の日本人のベテラン技術者が多く関っています。庭園も宮廷時代の面影が残され、今回の展覧会にはとても相応しい美術館です。

没後30年、約10年ぶりの回顧展です。待ち焦がれていた展覧会。もっとも相応しい場所での展覧会です。アールデコ建築の美術館は、朝香宮ご夫妻の美意識とこだわりが随所にみられ、ルーシー・リーの作品にはぴったりです。本館正面入り口にはルネ・ラリックのガラスの作品がはめ込まれ光が射しこみ、とても美しいです。

ルーシー・リーはユダヤ人の父と母のもと、1902年に生まれました。父は医者、母は裕福な家庭の出身。ウイーン工芸学校に入学し工芸を学びます。

19世紀末にイギリスで起った「アーツ・アンド・クラフツ運動」は海を渡りフランスを中心に新しい美術様式を生み出しました。

戦争の陰が色こくなった1930年ルーシー・リーは夫とともにナチスの迫害から逃れロンドンに亡命し新たな環境のもと自宅に工房をかまえます。ロンドンでの暮らしの中、東洋からの影響を受け、日本文化との接点が作品に大きく影響されていると思います。

イギリス南部のダーティントンで開催された国際工芸家会議にルーシー・リーも参加し、そこでバーナード・リーチや日本から参加した民藝運動の柳宗悦や濱田庄司らとの出会いがあり、その縁で交流が始まったそうです。(会場にはバーナード・リーチの作品など出品されています)そんな交流がルーシー・リーの作品に東洋の影響が現れているように思います。

しかし戦争が激しくなり制作を断念。陶製ボタンを制作し、生計をたてていたそのボタンが人気を博し終戦後も注文が殺到したそうです。(会場にボタンが展示されていますが、どれも素敵です。

約70年にわたり制作した美しい名品の数々。

ピンク、エメラルドグリーン、ターコーズブルーなど。同じピンクでも20代の作品と70代の作品では色合いが微妙に違い、彼女の探究心の深さを知ることができます。彼女独自の技法は、やきものの独自のマキやガスの炎とは異なり厳密に実験を重ね色の精度をコントロールできるようになったのは高温の電気窯があったから・・・と語っています。

私が始めてルーシー・リーの作品に出会った時の感動は今でも忘れられません。「どこか東洋の香りがする、女性ならではの繊細さ、優美さ・・・はどこからきたのかしら」と思いました。

1989年東京・赤坂の草月会館の会場でした。
「現代イギリス陶芸家ルーシー・リー展」。
会場設計は安藤忠雄氏。
図録のデザインは亀倉雄策氏。
作品の写真は石本泰博氏。
なんとも豪華メンバーです。会場は”愛がいっぱい”でした。三宅一生さんが偶然ロンドンで見かけた彼女の書籍の表誌の壷に魅せられ工房を訪ね、親交を深めて実現した展覧会だったそうです。

これほど、魅せられるのはなぜかしら。

そして、1995年に世を去ります。 
2005年「ルーシー・リー展~器に見るモダニズム」
2010年「ルーシー・リー展」
2015年に「没後20年ルーシー・リー展」が開催され、今や世界中にファンの輪は広がっています。

どちらかと言うと男性中心の世界。女性であってもあの時代にしなやかながらも芯があり優美な作品に、生き方に、共感するのかも知れません。会場は女性の方々が多く、作品をじっと見つめ満足そうでした。

日常の中から「美」をみいだしたルーシー・リー。
穏やかな心になりました。
見終わり幸せ気分でカフェで紅茶とケーキをいただき帰路につきました。

展覧会公式サイト
https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/lucie-rie/

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