小椋桂さん

東京・渋谷のコンサート会場に足を踏み入れると、温かい空気が溢れていました。それは、街に残っていた雪のかけらが、まるで別世界のように感じられる世界でした。

多くは中高年の方々、男女などは問いません。皆さん笑ったり、うなずいたり、しんみりしたり、それぞれの時を静かに過ごしていました。  

『余生、もういいかい』と銘打った小椋桂さんのファイナル・コンサートツアーです。

「歳を取りました。今日は最後まで歌えなかったら、ごめんなさい」などと笑いを誘いながらの”愚痴”でスタートした小椋さん。いざ歌い始めると、声の張りと艶やかさに改めて驚かされました。

”愚痴”と歌唱とのギャップ、プロの力量を冒頭からまざまざと見せつけられたのです。音楽とトークが満載の”小椋ショー”は2時間半を超えました。

「歳を取ると高い声が出ません!」などと”小椋節”を続けながら、誰もが何度も口にする、20近い名曲が次々と飛び出します。「愛燦燦」、「夢芝居」、「シクラメンのかほり」・・・。

やはり、艶が心を射る!想いが深い! 間もなく(1月18日)78歳を迎える小椋さんは歌はもちろん、トークでも会場を魅了し尽くしました。自らの容姿、容貌を肴にしながら、生い立ちや青春時代を甘さも苦さも含めて回顧するのです。

会場でほっこりとした幸せ感に満たされながら、私は胸の中でそっと呟きました。「小椋さんは単に思い出を唱っているのではない。自身の歌と心を、これからの時代を生きる若者や子供たちに伝えたいのだ」と。

振り返るだけではない、次の世代への継承を大切にしていることが言葉にも歌にも溢れ出ていました。お孫さんとの”合唱”を、何気なく挿入されていたほどですから。そして、バトンタッチはステージだけでなく、先月出版された本にも書かれていました。

「もういいかい まだだよ」(双葉社刊)という題名の、ユーモアや含蓄に富む小椋さんの本です。ステージと活字の、いわば”二刀流”ですね。

同世代人として、今回のコンサートを心静かに楽しむことができました。 ありがとうございました。

実は小椋さん、8年前に「生前葬コンサート」を開催し、世間を驚かせました。そして、翌年には、「一周忌コンサート」まで開いているのです。

小椋さん、一つお願いがあります!4年後の2026年に「生前の十三回忌コンサート」を開いていただけませんか? 「もういいかい」などとおっしゃらないでください。

今回のコンサートで、カーテンコールをじっと拝見いたしましたよ。背筋をピンと伸ばした、ステージの立ち姿と歩き姿!「まあだだよ」です。

私、次のコンサートに参ります。もう一度、ありがとうございます!を申し上げたくて。  

「小椋桂さん」への5件のフィードバック

  1. 『浜美枝さんへのファンレターは、ここで良いのかな?』と思いながら、綴ってみます。
     毎日、朝日新聞の「人生の贈り物」シリーズの連載を興味深く読んでおります。
    実はワタクシ、鹿児島で過ごした学生時代の1966年8月、大学に張り出された「007エキストラ募集」に応募して採用され、秋目海岸でのロケに参加したのでした。
    浜美枝さんは、撮影が始まる前、我々忍者役のエキストラのところにやって来られ、「皆さん、おはようございます!今日はよろしくお願いします!」と、やや硬い表情で挨拶されたのです。
    『えーっ!天下の大女優なのに、自分から我々端役のエキストラに挨拶するのかぁ!』と、とても感動したものでした。
    その時、主役のショーン・コネリーさんは、私が朝食で食べている「卵かけご飯」を興味深そうにのぞき込んで、「Morning!」と
    優しくニコッとしてくれたのでした。
    勿論、それ以来、お二人の大ファンになっていった次第です。
    青春時代の懐かしい出来事でした。いつも楽しく思い出しております。有難うございます!!

    1. 黒木達行様

      「人生の贈りもの」お読みいただき嬉しく存じます。
      そうですか‥‥007のロケが行われた秋目で出会っているのですね。
      お互いに”青春時代”でしたね。
      私もいい思い出です。
      歳を重ねていい思い出が持てるって幸せですね。
      投稿ありがとうございます。
      お元気でお過ごしくださいませ。

      浜 美枝

      1. えーっ!
        天下の浜美枝さんが、私如き1ファンに、返信頂いたのですかあー!!うわあ、もう大感激です!! あ、あ、有難うございますーっ!!
        実は、ワタクシ、
        某電機メーカーで、中国・大連に8年間駐在していたのですが、中国でも、あの「007 You only live twice」が、TVで放送されたりもしたんです。
        それで、私は、中国人スタッフ達に、この映画について話し、自分が出て来た、ゴムボートに泳いで行って、乗り込むシーンを示しながら、「ホラ、ホラ、これが私だよ!」と得意げに自慢したものでした。
        そして勿論、浜美枝さんについて説明したところ、皆、「この人、美人ですねえ!!日本人には見えませんねえ!!」と、大層驚いていたものでした。(美人=中国語では、漂亮・ぴやおりゃん)
        S・コネリー氏も「彼女は魅力的で素晴らしい!とても日本人には見えない!」と、話してあったんでしたよね。
        (一般的に、外国人から見る日本人は・・・だったのか?と思ってしまいますが)
        退職帰国後は、秋目海岸・坊津へ旅し、007記念碑の前で、孫と一緒に写真を撮ったり、当時の浜美枝さんの魅力について、家族に滔々と披露したりしたものでした。
        あのロケの時、
        ラストのラスト、浜美枝さんと、J・ボンドが、2人でゴムボートに乗って波間を漂っている遠景のシーンは、S・コネリー氏の奥さんと、彼のスタントマンとが、代役で撮りましたよね。我々は、その様子を浜美枝さんなどと一緒に、岩の上から眺めていたものでした。S・コネリー氏は、自分の奥さんの様子が大層気になるようで、強い日差しを手でよけながら、じーっと、沖のボートを眺めていたのでした。
        そういった何もかもが、私の学生時代・青春時代の一番の思い出になっています。いつも、感謝、感謝です。

  2. 小椋佳さん、こんなに浜美枝さんに云われたら4年後の『生前の13回忌コンサート』を是非開催されないといけませんね❣

    小椋佳さん、誕生日おめでとうございます。

    いけない、ここは浜美枝さんのダイヤリ―だった。

    1. 道崎 満寿男様

      そうですよね!4年後の『生前の13回忌コンサート』
      ぜひ開催していただきたいです。

      この想いが小椋桂さんに届きますように。

      浜 美枝

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