「いのちを耕す」

この頃、時間があると本棚にある本を手に取り”あの頃どんな本を読んでいたのかしら”と思うことが多くなりました。なんとか、ひと目でもいい、お会いすることができないものか、とひたすら思い続けた女性(ひと)がいました。

作家の故住井すゑ先生。不朽の名作「橋のない川」の作者としてどなたもご存知の方です。

ある日、本屋さんでふと手にとった住井先生と長野県佐久総合病院(当時)の総長若月俊一先生との対論集『いのちを耕す』という本でした。御年九十三歳の住井先生と八十五歳の若月先生。対談のはじまりに住井さんは、「私もいくつになったら自分が年を取ったという意識をもつのか。一生もたないのではないかと思ってね」とおっしゃっているのです。

なんと素敵なことではありませんか。本のなかのお写真をお見受けするその笑顔は童女のように愛らしく、また観音さまのように、私の心を優しく包み込んでくださるようでした。

農民文学者の犬田 卯(しげる)氏と結婚されて、四人のお子さまを育てながら農民文学運動と作家活動を続けて来られた住井さん。その先生がご著書の中で一貫して「農業は一つの産業じゃなく、生命そのものですよ」と。

この時代にいかに「農」が大切であるかを語っていらっしゃるのです。当時、「いのちを耕す」を読んで、「あぁ私がいまこだわって見続けているものは、けっして間違っていなかったのだ、」とたまらなく嬉しく思えたのが昨日のことのようです。思わず書庫の椅子に座り読み続けてしまいました。

住井すゑさんは1997年6月16日に老衰のためご自宅で逝去されました。(享年95)

四人の子を持つ母親の視点から出発されて、いま、「農業というのは母なる業(わざ)です。母の問題には科学も何もいらない。そんなの超越しているわけです」と言いきられる住井先生の哲学は、宇宙の法則を語るまでの拡がりを持っています。そして先生のお言葉のひとつひとつが、私たちが生きて行く上で何が大切なことかを教えてくださいます。

「今や人々はカネを追い回すのに忙しすぎて”人間”のことなど考えるヒマがないのでしょうか、幸か不幸か、カネを追い回す才覚など持ち合わせない私は、オハナシを産もうと腐心します」

とおっしゃる九十三歳のひとりの女性が、亡きご主人の故郷の地である茨城県牛久の里で、農作業の傍ら童話を書き続けていらっしゃる・・・。そのお姿を想像するだけで勇気がわいてきます。背筋がしゃんと伸びる気がするのです。

大地に足を踏みしめて生きながら、政治や社会悪と闘い続けてこられたひとりの女性。

その方が「二十一世紀は、食料の自給できない国からつぶれていくでしょう」と断言されれば、それはどんな学者や評論家の予言よりも間違いないことと思えました。

あれから25年の歳月がながれました。現在「農」の現場は若者たちが環境に配慮し、あらたな世界が生まれつつあります。コロナ禍のなかで”心地よい暮らし”を模索している人も増えてきました。きっと良い方向に向いていくことを信じています。

住井すゑさんが天に召された翌月7月6日に県民センターでお別れの会がありましたが、「住井すゑさんと未来を語る会」と題されていました。私も一番後ろの席で参列させていただきました。左前の席に映画監督の山田洋次さんが目を閉じ静かにお聴きになっている姿が印象的でした。

先日11月3日 文化の日に「牛久市住井すゑ文学館」が開館しました。

農民文学者の夫・犬田卯の故郷の牛久村城中に家族で移住し、以来この地で執筆活動を続けてきました。住井さんは、家事、子ども四人の世話、夫の看病、畑仕事をしながら執筆し、その原稿料で一家を支えたといわれます。

私は35年ほど前に先生が『大地のえくぼ』と呼んだ牛久沼。その辺に建つお住まいを遠くから拝見しました。そしてその美しい風景を”きっと先生も見ていらっしゃる”と思ったものです。

開館翌日に東京駅から常磐線に乗り、文学館を訪ねました。旧居の跡に建った文学館は書斎・抱僕舎(ほうぼくしゃ)などの建物と土地が、ご遺族より牛久市へ寄贈され、改修工事が行なわれ誕生したのです。

執筆をした机上には原稿、使い古した広辞苑やペン、夫に使用した注射器など。こよなく愛した窓から見える沼の風景。

私はやはり「日記」に注目しました。

「もう五、六日前、あなたの毛糸ものを出したらふいに悲しくて、床にもぐって涙。そのせいか、川をへだてて、どうしてもあなたのそばにいけぬ苦しい苦しい夢をみた。」

「この日記帳をもらうことにしたからそのつもりでね」と、犬田の日記を住井が自身の日記にしたことが書かれています。

逞しくてあたたかい 住井すゑさん。

意外な素顔がわかるのが、ジャーナリスト・エッセイストで住井すゑと犬田卯の次女・増田れい子(1929~2012)の『母 住井すゑ』(海竜社)を読まれると素顔がよく分かります。

生まれた大和。その美しい風景から「橋のない川」がこの世に誕生したこと。いたみをバネに生きるつよさ……

わがいのち
おかしからずや
常陸なる牛久沼辺の
土とならむに                  住井すゑ

文学館の庭から見える沼の向こうに夕陽が沈みかけ前の藪の中には「木守柿」がぶら下がっていました。季節は晩秋からやがて冬へ。

なんだか…とてもあたたかな気持になりました。

牛久市住井すゑ文学館
https://www.city.ushiku.lg.jp/page/page010300.html

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