映画「MINAMATAーミナマタ」

ともすると、時の流れは知識や記憶の輪郭を薄れさせてしまう。2時間近くの映画を見ながら、そんな思いが去来しました。

アメリカの報道カメラマン、ユージン・スミスの苦悩と使命感を描いた「MINAMATA ミナマタ」。スクリーンには一人の男性が挫折と再生の中で、取材対象の歴史的意義と自らの社会的責任を見つめ直し、ひたすら前に進もうとする静かな熱気が溢れていました。

この映画のテーマは、”水俣病はまだ終わっていない”です。

水俣病は化学肥料会社・チッソが工場排水を熊本県の不知火海に放出したことで発生しました。沿岸の住民は汚染された魚介類を食べ、重い神経疾患を抱える患者が続出しました。当初、原因不明の病とも言われたこの公害病は、今から65年前に水俣病と公式に確認されました。その後、患者は損害賠償の訴えを起こし、現在も裁判が続いています。

主人公、ユージン・スミスが水俣を訪れたのは1971年でした。それまでの彼は、フォト・ジャーナリストとして歴史に残る多くの作品を発表し、40歳になったばかりで、「世界の10大写真家」に選ばれるほどの実績を残しました。

しかし、50代半ばに差し掛かった彼は、失意の中、酒浸りの日々を送っていたのです。そんな時、後に妻となるアイリーン・美緒子さんからの情報などで、水俣の悲惨な実態を初めて知ることになります。

「この現実を、世界に伝えなければ」。眠っていたジャーナリスト魂を蘇らせた彼は、アイリーンさんを伴い水俣に入ります。以後3年にわたる現地での取材活動で、彼は患者やその家族に情理を尽くした対応を続け、強い信頼を得ていきます。そして、公害を発生させた企業の社長に対しても、捨て身の取材を続けたのです。

そのユージン・スミスを演じたのはハリウッド俳優、ジョニー・デップでした。しかしこの作品では、役者が”演じる”という言葉は、ピンと来ませんでした。”なり切っている”とも違います。スミスがデップに乗り移っている”気配”を強く感じたのです。もしかしたら、”憑依”という言葉が当たっているかもしれません。

この作品はドキュメンタリーとは異なります。しかし冒頭、「史実に基づいた物語です」と明示したことは、デップの並々ならぬ決意と自信の表れだったと思います。スクリーンのスミスを見つめながら、デップを想起したことは全くありませんでした。これは決して失礼な表現ではなく、二人が完全に一体化していた証でもあるともいえます。

この作品に登場する日本人俳優の存在は当然、大きいものがありました。その代表は真田広之さんでした。チッソと闘う活動家の役でしたが、自分の撮影シーンがなくとも現場に来てアドバイスや手伝いを自発的に続け、デップを始め周囲に強い感銘を与えたということです。

デップは語っています。「MINAMATAの歴史は語り継がねばならない。大勢の人が後に続いてくれるだろう」。この言葉は、おそらくスミスとデップ、二人の共同宣言のようにも聞こえました。

この作品のエンドロールは強烈です。現在も発生している世界各地の公害問題が次々と表示されました。アジア、アメリカ、欧州、アフリカ。その数は20ヵ所を超えており、日本の福島第一原発の事故も含まれています。

2時間の上映時間は決して長くありませんでした。

薄らいでいた自身の記憶を鮮明にし、より理解を深めるための、短すぎる貴重な時間でした。

映画公式サイト
https://longride.jp/minamata/

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