浜 美枝の「いい人みつけた」その4

柳家小三治さん
このラジオ収録は1984年初秋でした。

小三治師匠の落語に始めて出逢ったのは40年ほど前、富山の宇奈月のお寺でした。師匠の噺に聞き惚れていました。それ以来です。”おっかけ”は。

それにしても、改めて本を読み直すと赤面のいたり・・・よくそんなことまで伺うわ、と我ながら申し訳ないことばかりです。噺家らしからぬ噺家っていっても、私たちファンにはとうに小三治さんの個性、そのらしからぬところに惹かれてているのですから。

私びっくりしちゃったんです。スタジオにいらした時の格好!ヘルメットかぶってオートバイで。その格好で走ってらしたら、小三治さんを何とお呼びしていいか分からなくなりました。何とお呼びしたらいいかしら。

「小三治です。大三治はお断りしています。」

落語家とバイクは、ちょっと結びつかなかったです。

「ほんとにそうですね。今までの観念からいうとね。私は噺家になりたいなと思っていた時分はね、そういうことをやらなかったかもしれないし、またやっても内緒にしてましたよね。僕が生まれたころ、特に育ったのも山の手ですしね。下町の雰囲気っていうものは身の回りになかったでしょ。だからなんとか噺家になりたい、いかにも噺家らしく下町の味をいっぱい口の中にほうばったようなそういう人になりたいと思ったんだけどね。

ずいぶんそれで悪戦苦闘しまして、四、五年はそんなつもりでいましたかね。でもこりゃ、どうも生まれや育ちは変えられるものではないと気がついてやめたんです。噺家になろうと思うことをやめたんです。これはたまたま実益をかねてる趣味だと、だからずっとこれをやっているかどうかわからない。ダメなときはやめてしまえばいいんだ。

ただ、今、俺は好きなことをやらしてもらってんだとそう思ったとたん、気が楽になってね。それからですよ。スキー、オートバイ、スキンダイビングとか自分の好きなことのびのびやりだしたのね。噺家の常識からいえば、当然日本舞踊とか長唄なんかの素養があり三味線かなんかちょいっとつまびく。

ところが、そういうのが大嫌い、私は。正直言って、まあなんとかなろうとしましたから踊りも習いました。そういう歌も興味をもって聞きましたから、多少は普通の方より聞いてはいます。でもほんとのこと言うと、やっぱりジャズ聞いたりクラッシック聞いたり、歌謡曲やニューミュージックなんか聞いているほうが面白い。今ふうの若者のなれのはてなわけですよ。」

落語家になろうとしていたときに、それらしく、いかにもそれらしく努力していらしたわけですね。

「不思議なんですよ。前々からどうして噺家になりたいと思ったかっていうとね。小三治さんは噺家らしからぬ噺家だって言われた。それですから、なんとか噺家になりたいと思ったところが、噺家なるのやめたと思ったとたんにね、どこがどうなったのか知りませんけどね、

「さすが噺家さんですね。噺家さんらしいですね」って言われるようになったところに、私は大きななんか生きるうえで秘密があるような気がするね。肩の力が抜けちまってどうでもいいやと思ったとたんに急にさすが噺家さんとか噺家らしいとか・・・。なんでしょうね。

そう思ったとたんに、逆に言えばプロらしくなった。なんとかこれで食ってやろうと思っているうちは、ほんとうのプロにならないのかもわからないね。だけど最初からそう思ってちゃダメかもわからないね。それまでのものがそこでもって花が咲いた。花はさかないけれど何かになった。」

なぜオートバイに乗るのですか。

「なぜでしょうね、なぜなんでしょうね。単純に言って面白いからですよ。こんなに面白いもの、ほんとに生きている間知ってよかったなって、つくづくそうおもいますよ。」

凝り性なんですね。

「そう、凝り性ですね。同じ人間なのに、あいつがうまくできて俺ができないってのは悔しいです。負けず嫌いといえば聞こえはいいけど、それをひっくり返せば潜在的劣等感といいますかね。負けず嫌いってのは劣等感の裏返しかもわからない。

劣等感のない人は負けず嫌いじゃないんじゃないですか。負けていても平気でいられる、そういう人はよほど自信のある人か何かです。ゴルフの場合でも、力を入れたら飛ばない。オートバイの場合もそうです。自分を乗り越えていかないとうまく操れるようにならない。」

危険なときには肩の力が入っているようではなおさら危ないですか。

「だって危険なときってのは、体にどうしても力が入ります。そこをスッと肩の力を抜くとそれが突然安全に変化するんですね。そういうことを自分自身で乗り越えていくってところが、落語やってもパチンコやってもみんなそうだったけど。パチンコなんかもね、入っていちいち喜んでるようじゃ玉は入らない。だから人間の本能に逆らっていくように。パチンコもセミプロまでいきましたけどね。」

小三治・少年期、青春期(初恋のはなしなど)、父親論など等。

マイクを前にして、私、小三治さんに女性観に話しが及んだときなんか、いじわるおばさんふうになっていたかもしれません。言いにくいこといっぱい言わせてゴメンナサイ。男の人の少年の心、聞いていて、私ドキドキしたんです。(これは当時の感想です)

この時代にお話しを伺えてほんとうに幸せでした。

『人間国宝 柳家小三治師匠』

これからも”おっかけ”を続けさせてください。

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