浜 美枝の「いい人みつけた」その1

現在の文化放送「いつかあなたと」の前、1983年から14年ちかく、TBSラジオで番組をもたせていただいておりました。

放送が開始されて一年あまり、お逢いした方は80人になろうとしていました。月曜~金曜で10分ほどの番組でした。

ゲストをお招きし、その方々のお話が素晴らしかったので一冊の本にまとめました。私がうかがった”いい話”をどうしても独り占めしたくなかったのです。頁の都合ですべての方のお話をお載せできませんでしたが、どの方のお話しにもその方ならではの人生のかくし味がしのばれました。

現在コロナ禍の中で読書は欠かせません。本棚から見つけた本の中の”いい話”をみなさんと共有したいと思い、今月はそんな素敵な方のお話です。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。誰かと出逢うことで知らされる道しるべの多いこと!自分が熟慮と綿密な行動計画で歩く道を選択しているかというと、決してそればかりではなく、ある日、ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくるようなことがあると思います。

私などは、その最たるもので、一人の考え休むに似たり。多くのことを、多くの人に教えられて、今日まで何とか歩いてこられたように思えるのです。伺ったお話は1983年から84年です。

淡谷のり子さん(1907-1999)
日本のシャンソン界の先駆者。
愛称は「ブルースの女王」

今でも、あの香りは忘れられません。

淡谷さんがスタジオに入っていらしたらとてもいい香りがしたんですよ、と私。

「音大を出て、世の中にでましたの。クラッシックやってましたけど、レコーディングすることになって、もちろん流行歌ですが、レコード会社で少しまとまったお金をいただいたので、まず買ったのが香水なの。そう、香水と帽子と靴と。着物に帽子をかぶってた人もいたわ。香水は”黒水仙”が好きなの。日本にはなくてフランスへいらっしゃる方に頼んでね、たった一軒あるんですって。それもなかなか売らないんですって。」

喜寿のお祝いをなさったばかりの頃のインタビューでした。ほとんどシワがないお顔でした。

「シワがない顔なのよ。ペタッとしちゃって。凸凹がないでしょ。凸凹のある人ほど、きれいな人ほどシワがあるんですよ。でも人さまの前に出るから、週に一度は全身美容には通っています。」

「母は十七歳で私を産んだのかな。よく本読んだり勉強していましたね。新しい女のいく道。平塚らいてうさんだとか、ああいう方たちの本を読んで、隠して読んで、本も読ませないんだから。商人は学問はいらないって。で、三十を過ぎて私達を連れて東京に来て、自分で働いて学校に入れようと思ったんですって、でも贅沢に育った母は半年でお金がないの。でも、貧乏しても子供たちには教育を受けさせたかったって。あの母があったから私がいるんだと思いましたね。何が悲しいって、母との別れが一番悲しかったですね、私。」

淡谷さんの男性観、結婚観みたいなものは、ご両親の生活から影響があったのですか。

「ありますね。ずいぶんありますね。私これでも結婚したことがあるんですよね。一度だけ。とってもね、私には合わないのです。合わないので失礼しましたけどね。私ああいうこと、嫌い、結婚は。歌が大切なの。奥さんになるには才能がなければ駄目。私はそういう才能はなかったですよ。とにかく歌だけきゃ駄目なの私。五十四年歌い続けて壁にぶつからなかった、悩まなかった。ぶつかったのは戦時中ですね。それでも戦争中もやっていましたから。警察と軍隊にずいぶん始末書書いたりしましたよ。おしゃれしちゃいけない、モンペはけとか・・・みっともない格好してステージはでられませんから、ちゃんとイブニングドレスで最後まで、何と言われても。”非国民”だとか言われましたよ、ずいぶん。あれも歌っちゃいけない、これもいけないと言われて、外国の歌はね全部駄目なの。許されたのはアルゼンチンタンゴだけ。だから日本語でアルゼンチンタンゴだけ歌いました。」

慰問先でも夢を与え続けた淡谷のり子さんが、喜寿を迎えておっしゃいました。

「なんとしても、今まで長いこと歌ってきましたね。でもどうしてもこれからクラッシックをもう一ぺん勉強したいと、そんな夢を持っているんですよ。もう一度勉強したいんです。」

クラッシックは、淡谷さんの郷愁みたいなものなのでしょうか。

「そうなんです。郷愁なのです。でもね、普通あるところまで人生いくと、特に女性はね、もうこれでいいや、もうここまでやったら満足だ、と欲望やロマンから遠ざかっていきがちですね。美しく年をとりたいの、私。無理しないで、だけど年とったからとか、あまり考えないほうがいいですよ。それ隠すでしょ、女性は、特に年は。隠さないで出せばいいのです。私はいくつなのよ今年は、って言ったほうが楽になりますよ。」

最後に”愛されるということよりも、愛することって幸せじゃないかと思うんです”・・・と、おっしゃいました。

歌手生活五十余年、一貫してご自分の哲学を通し抜いた姿に深く感動すら覚えたことがよみがえります。

そして淡谷さんの歌。
いつかあるところで聴いた『恋人』。

いまだに耳の底に残っています。歳月を超え、世代を超え、男も女も超えて、そこに集う人々の心の中を縫っていきました。淡谷さんが歌い終わった瞬間、怒涛のような拍手がわきおこり、拍手するその手で涙を拭っている人が大勢いました。もちろん私も。一人の女性の人生を通して歌われる歌の大きさ、深さに興奮し、その夜は眠れませんでした。

(YouTubeで淡谷さんの歌、お話しが聴けます)

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