早いものですね。新年もあっという間に一週間が過ぎました。どうか穏やかな一年となりますよう、心からお祈りいたします。
賀状や年末年始のカードには、皆様のいろいろな想いが綴られていました。こんな文章が、ドイツから届きました。
「いつの日か、すべてがうまくいくでしょう。
それは、私たちの希望です。
いま、すべてがうまくいっている。
それは、私たちの幻想です。」
フランスの哲学者の言葉が引用されていました。世界中がいま、同じ苦しみに耐えているのです。
毎年、年末年始になると列車や高速道路がどんなに混んでも帰省を繰り返すのも、せめてお正月だけは、幼いころに育った家に戻って、家族や幼なじみと交流し、お互いの健康を確認しあう、そんな当たり前のことが出来ない年末年始でした。
”当たり前のこと”
実はとても尊いことであり、またそうした平凡なことに幸福を感じられることが、健康な人生という気がします。民俗学者の宮本常一は「文化は足元にあり、足元から生まれる」とおっしゃっていますが、当たり前の暮らしが出来ない・・・それはとても息苦しく、辛いことです。
子どもたちが幼い頃はおせち作りと年越しの行事を終えるまではただただ忙しく、ほっと息つく間もないほどせかせかと時間に追われて過ごしたものです。でも、子ども達が成長するとお正月を迎えるために重ねてきたさまざまな仕事の手順を自然に覚えてくれていて、参加してくれていました。
ラジオから流れる除夜の鐘を聴きながら、囲炉裏を囲んで家族がそろい、電気を消して、飛騨古川の三嶋ろうそくの揺れる光のなか、年越しそばを啜るとき、何も語りあわなくとも自然にひとつになっていました。帰省を見合わせた方々は、形は違えども ”ふるさと” への想いは一緒でしょう。
今年はとても静かなお正月でした。例年ですと元旦の明け方、空が茜色に染まるころ箱根神社に初詣に行きます。その代わり今年は毎朝の早朝ウオーキングで元旦の日の出前に雑木林を抜け冬ざれの中、湖へと向かいました。
空には月が湖を照らし、霊峰富士がかすかに姿を見せてくれました。「なんて美しいのかしら」帰るころには青空も見え「初晴」でした。
「どうぞ どうぞ早く穏やかな日常が戻りますように」と三が日が過ぎ初詣に行き祈りました。
2日3日は毎年箱根駅伝の選手たちをゴール近くで応援するのですが、今年は沿道での自粛要請が出ておりましたので、家でラジオ、テレビでの応援でした。通常は各校の応援団の太鼓などの音が響く中、選手は飛び出していくのですが、3日朝は静かな復路スタートとなり無人の山中を駆け下りていきました。
そしてお正月は、松の内に上野の寄席に新春落語を聴きに行き”初笑い”をして一年が始まるのですが、今年は我慢しました。静かなお正月でした。
緊急事態宣言が1都3県に発令されました。
皆さまどうぞご自愛くださいませ。