大きなスクリーンで観る映画

先週の金曜日に国内の移動自粛要請がすべてなくなりました。これで人の動きもいっそう活発になっていくでしょう。でも、多くの方はそれぞれの思いを胸に、ゆっくりと静かに歩みを進めているのではないでしょうか。

私もこのブログに毎回のように書かせていただきました。行動の制限がなくなり安心も得られるなら、思う存分美術展や映画館に行ってみたい。そこで少しずつ、動きだしました。やはり、映画が気になります。大好きな映画を観るために、そして社会観察のためにです。

10代の頃からお世話になった東宝は、今年4月のグループの入場料収入が「前年に比べて97%減になった」とのこと。こうした衝撃的なニュースに接すると、やはり胸が痛みます。

いま、映画はどうなっているの?
映画館はどう変わってしまったの?

先週、『お名前はアドルフ?』を観ました。ドイツ映画です。大学教授の夫と国語教師の妻。そして妻の弟とその恋人。

映画のシーンは、大学教授のダイニング・ルームが中心です。談論風発の食事会が進む中、弟の恋人が出産を控え、生まれてくる子どもの名前で話は盛り上がります。父親となる弟は「男の子なんだ。名前はアドルフにした!」と宣言します。突然の沈黙に襲われる食事会。

なぜ独裁者、アドルフ・ヒトラーの名前を付けるのか?

果てしない論争がスタートします。そして議論の行く先は名前だけに留まらず、個人的な昔話にまで拡散し、収拾がつかなくなります。更には、大学教授の妻の大演説まで始まるのです。

仕事をこなし、家事もきちんとやる妻。しかし、夫は家庭の事にはほとんど関心を示さない。この妻は日頃の夫の行状に不満を募らせていたのでしょう。積もり積もった恨みが堰を切ったように溢れ出ます。この映画の見どころの一つとも言えますね。

舞台の芝居を思わせるこの熱演に私はぐいぐい引き込まれ、ある種の心地良さすら覚えました。それもそのはず、この映画の原作は10年前にパリで初舞台となった戯曲、『名前』でした。

フランスでヒットしたドイツがテーマの舞台作品を、当事者が放っておくはずがありません。プロデューサーも監督も、そしてキャストも、皆ドイツ人でした。映画、舞台、テレビ界が文字通りの”ワンチーム”を結成したのですね。

90分間、私は揺さぶられ、思わず笑い、深くうなずき、そして翻弄され続けました。最後の大逆転に腰を抜かし、エンド・ロールが流れ出すまで、”波乱万丈”の時間を十分に堪能することができたのです。その中には新しい発見もありました。

私の昔の体験です。日本から農村女性たちとグリーンツーリズムの勉強でヨーロッパに15年ほど通いました。もちろんドイツにも毎回伺いました。ドイツ人といえば、実直で働き者という印象が強かったです。

そんな彼らのイメージは、ふれあいの旅を重ねる中で、ますます強くなっていきました。そして今回の『アドルフ』。新たにドイツ人のユーモアや笑いのセンスを見つけ出すことができました。先入観の見直しを迫られる快感に、思わず「ブラボー!」と叫びたくなりました。

館内は左右の席が空いており、ゆったりと座った皆さんはマスクを付け、静かに映画を楽しんでおられました。終了後、満足げに席を立ったのは20人弱。その横で次の上映に備え、パイプなどを手早く消毒するスタッフの方々の真剣な表情が、とても印象的でした。コロナ禍の映画は、こうして再出発するのですね。

私は大きなスクリーンに向かい、「ありがとうございました」と軽く会釈して会場を後にしました。

映画公式サイト
http://www.cetera.co.jp/adolf/

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